第五章
帝都南部の若草が芽吹き始めたばかりの土手の上からは、早春の淡く柔らかい日差しの青空と、その空と同じくらい広大な凪いだ河面が見渡せた。
その大空と大河の境界である水平線の彼方からは、この港に向けて何かが近づいて来ている。
それは最初は豆粒ほどに見える小さな影であったが、次第に近づいて来るにつれ、それ本来の大きさを人々の前に現していった。
それは一言で言うならば、水上の城だ。
それ一枚で人が渡れる橋になるくらいの大きな板を幾百枚も繋ぎ合わせ作られた巨体は、全長が二十丈(六十メートル)にも渡る。
そこから大空に向けて起立する帆柱は、太古の森の巨木の姿を思わせる堂々とした太さと長さを持ち、幾枚も張られた白い麻布の帆は並の屋敷の屋根ほども有る。その巨大な船の上では、幾人もの屈強な船乗り達が良く通る叫び声をかけあって力強く動き回っていた。
白い帆を春風に大きく膨らませながら巨大な船は白波を立てて進み、その周囲を水鳥達が賑やかに鳴きながら飛び交う。
この巨船は通称でこそ千石船とは呼ばれているものだが、実際の積載量は二千石(約三百トン)にも届こうという木造大型貨物船舶である。
遠いものは帝都から遥か南方の焔州から三か月近くもかけ、近くは西方の易州にある河口から一月ほどで、この帝都に到来する。
それらが月に一度の荷揚げ市の日になると、数隻から多い時だと十数隻の隊商となって、帝国を東西に横断する大河の水平線から姿を表すのだ。
その光景は壮観の一言に尽きる。
これを見物するだけの為にも毎月の様に川原の土手には数千人もの黒山の人だかりができ、その集まった人々を目当てにして無数の屋台が所狭しと港周辺の路地に並ぶ。
その、色とりどりの服に身を包んだ老若男女がひしめき合い、人々のざわめきと屋台の客呼びや値段交渉の声が入り混じっての喧騒が絶えない中、継守は港から市街へと続く大通りに足を運んでいた。
今日は妖怪退治屋こと毘沙門庵の仕事で、この帝都南部の港に来ている。ただし、妖怪退治などではない。便利屋としての仕事だ。
ある大店の旦那が取り寄せよせた品を、店の他の者には気付かれない様にして届けて欲しいとの依頼を請けたので、その品物を受け取りに来たのだ。
受け取った品は、運送屋でなく”訪ねて来た知人”である雲景が、こっそりと今夜にでも旦那に受け渡すという手はずとなっている。
ちなみに継守が聞いている限りだと、その品物とは舶来品の高価な化粧品らしい。それを妻に贈る時に驚かせたいから隠して受け取るのか、それとも妻以外の女性に送るつもりだから隠れて受け取るのか。その辺りの事情までは、継守は知らない。だが、そこまでは踏み込むべき内容では無いのだろう。
ただ継守は代理人として品物を受け取り、それを今は別行動中の雲景に後で渡せば良いだけだ。
とりあえず、まだ目当ての品を積んだ船の荷卸しまでは時間がかかるようなので、継守は時間潰しも兼ねて露店を覗いて回る事にした。
この荷揚げ市では、数え切れないほどの屋台が並ぶ。この日用的な物から珍しい物まで色とりどりの品が無数に並ぶ市の屋台は、とても一日で回りきれるものでは無く、また一日くらいで見飽きる事も無い。実際、この市に来るのは三度目になる継守ですら、ただ歩いているだけでも思わず目移りばかりしてしまう。
近隣で採れた野菜や魚を売る屋台に、昆布や海苔や干し椎茸を売る乾物屋台。餅や菓子を売る屋台に、土産物用だろう工芸品を売る屋台。衣類や雑貨を売る店に、籠や包丁などの日用品を売る店。中には、こんな露店で買う客などいるのかと首を傾げたくなるような骨董品を扱う店まである。
一抱えもありそうな大きな蒸籠から盛大に湯気を吹き出している饅頭屋の前を通り過ぎ、継守は舶来品を扱う店が多い一角へと足を進めた。
せっかくの市の日なのだし、今日は長屋で留守番をしている千穂に何か土産物でも買って帰ろうかと思ったからだ。
一昨日に継守を訪ねて帝都に来た彼女は今日、長屋の部屋で継守の帰りを待って居る。
「うむ・・・」
しかし継守は、ふと立ち止まって唸ってしまう。
今更になってだが、何を買って帰れば千穂が喜んでくれるのかが継守には見当もつかないのだ。
無論、継守が何を買って帰ったとしても幼馴染の少女は喜んではくれるだろう。だが、なまじ何でも良さそうだからこそ、何が本当に良いのかが解らない。
それよりも、この荷揚げ市そのものに彼女を連れて来れば良かったと思う。
辺境の猛州に居たら一度も目にすること無く生涯を終えたであろう、巨大な千石船や、南蛮などの異国から来た珍しい品の数々を見せてやれば良かった。
もし連れて来ていたら、今頃は大きな瞳を好奇心で輝かせて市場中を走り回り、自分が何を見つけたかを興奮した口調で継守に喋り続けて止まらなかった事だろう。
その光景を想像し、継守は思わず頬を緩ませてしまう。
「お兄さん、さては女の子の事を考えているね?」
だから、不意に横からかけられた、まるで内心を見透かされた様な言葉に慌ててしまった。
継守が表情を改めながら声がした方向を向くと、そこには屋台の店主と思われる中年女性が意味ありげな笑みを浮かべながら立っていた。
「それならば、うちには女の子を口説くのに良い物が有るよ。ちょっと、見て行きなよ」
「いや。俺は別に、そういう・・・」
「じゃあお兄さんには、その子が喜ぶような気の利いた物が解るっていうのかい? そうは見えないけどねぇ」
「・・・少しだけ見せて貰おうか」
せいぜい気難しげな顔を作りつつも継守が覗いた先に有ったのは、装飾用の小物を扱う小さな屋台だった。
腰ほどの高さの台の上には黒い布が広げられ、そこには小さな値札の着いた商品が所狭しと並べられている。
櫛や簪や根付などの見慣れている物も有れば、異国の品であろう何に使うのかが継守には見当もつかない物もあった。
それらの材質も、木や、竹や、べっ甲や、水晶や、金属や、継守には何だか解らないものもあり途方に暮れてしまう。
その中で、ふと紅い米粒ほどの石がついた銀色の輪が継守の目に止まった。
別に、その品が気に入ったという訳では無い。その紅色の石が何なのかが気になって、視線が止まったというだけだ。
だが、そんな継守の視線に目敏く気付いたのだろう。店主である中年女性が、継守に尋ねてくる。
「その指輪が気に入ったのかい? お兄さん」
「ゆびわ?」
「ああ。文字通り、指にはめる輪だから指輪って言うんだ。なんでも南蛮の祝言では、夫婦になる二人が互いにこれを贈り合うらしいよ」
「祝言・・・か」
不意に出た祝言という言葉に、ふと継守は考えて込んでしまう。
もし自分が猛州に留まって千石屋に婿入りしていたら、南蛮文化好きな千穂と自分は”ゆびわ”とやらの贈り合いをしていたのだろうか。
そんな事を考える継守の横顔を見つめる女主人の目が、一瞬だけ獲物を狙う猛禽のそれになる。しかし、その視線の鋭さも瞬間で消え、再び愛想の良い顔で話しかけて来た。
「これを選ぶなんて、お兄さんもお目が高いじゃないか。なかなか隅には置けないねぇ」
「あ・・・いや、そうじゃない。俺は、ただ、この紅い石が何だか気になっただけだ」
「そうかい。ちなみに、その紅い石は珊瑚さ。お兄さんも聞いた事くらいは有るだろ?」
「ああ。遥か遠くの南の海では、海底に宝石の木が生えると聞いた事が有る。これがそうなのか?」
「そうさね。ちなみに、珊瑚は妊婦のお護りでもあるんだ」
「妊婦?」
「そうさ。だから、これをお兄さんがお目当ての子に贈って、そのまま二人で盛り上がった勢いで宿にでも連れ込んで赤ん坊でも仕込んじまいなよ」
「なっ・・・!」
「大丈夫だって。生まれた子の顔を見れば、その子の両親だってきっと二人の仲を許してくれるってば」
「待ってくれ! どうして、そんな話になる!?」
「お兄さんは、その子と祝言をあげたいんだろ?」
「いや、それは違・・・・くは無い」
「だろ?」
「だ・・・、だがっ! しかしだっ! そういう事は互いを大切にする為にも、そう軽々しくするべきでは・・・っ!!」
「解ってるって、お兄さん」
女主人は、さも全てお見通しという顔で腕を組むと、うんうんと頷いてみせる。
「でも、お兄さんだって本音じゃあ、その子とヤりたいんだろ?」
「御婦人っ!! その様な事を白昼の往来で・・・・・・!」
賑わう雑踏の中、耳まで赤くした少年の声が響き渡る。
―――
その日の夕刻、長屋では一人の少女がちゃぶ台の上に頬づえを付いて座り込んでいた。
少女は小さく息を吐くと、他に誰も居ない部屋で独り呟く。
「はぁ・・・継守様は、何時になったら帰って来るのデスかねぇ・・・」
艶やかな栗毛と、同じ色の澄んだ輝く瞳。背丈こそ小柄ながら、意外と女性らしい発育の良い肢体。
千石屋の惣右衛門の娘にして、継守を追って帝都に来た元許嫁にして幼馴染の少女こと、千穂である。
その、いつもなら好奇心で活き活きと輝いている筈の少女の瞳も、今は障子の隙間から差し込む赤みがかった西日を鈍く反射しているだけだった。
「いつになったら、ハッピーライフがカミングするデスか・・・」
彼女は本来なら、今頃は実家の千石屋で惣右衛門が決めた男と婚儀を上げ、それまで一度も面識の無い男の妻となる運命だったのだ。
しかし、千穂は自らの意志で運命に抗った。
幼い頃から慕っていた継守という少年と結ばれる事を夢見た千穂は、単身で家を飛び出し、何日もかけ必死の思いでこの帝都に来たのだ。
そうして、三日前。この部屋で幼い頃から恋い焦がれていた少年と千穂は再会したのだ。
その時、千穂は顔でこそ明るく笑っていたが内心では怖くて震えていた。
もし自分が会いに来た事に対し継守に迷惑な顔をされたらと考えたら、それだけで泣きそうになる程に恐ろしかった。
だから、継守が自分を受け入れてくれる事が解った時は、思わず涙が溢れそうになるほどに嬉しかった。
その時、千穂は確信した。やはり、継守様は自分が思っている通りの殿方だ。自分と継守様は結ばれる運命だったのだ。
「そう、思っていたのデスが・・・」
ぼやく少女の思考は、ここ数日間の記憶を辿る。
二人が運命の再開を果たした日こと、一昨日の夜。
千穂は畳の上に自分の布団を敷きながら、心の中で自分に言い聞かせていた。
今夜、ついに自分は幼い頃から慕い続けていた継守様と結ばれる。
大丈夫。始めてだけど、怖くない。継守様とならば平気。全てを継守様の思うがままに任せよう。
継守様は私という女を抱くことによって大人の男となり、私は継守様に抱かれる事によって女の悦びを知るのだ。
そして、若い二人は激しくお互いを求めあい、来年の春には満を持しての可愛いベイビー誕生。
夫婦円満。家内安全。親子三人仲良くニコニコ、川の字で寝るハッピーライフ。
そんな事を考えながら千穂は、敷かれた布団の横で床に座り、三つ指を付こうと身構えた。
しかし、そんな千穂の目の前では、継守が無言で自分の布団を抱えると部屋を出て行こうとする。
驚いて呼び止めた千穂に向かい、継守は当たり前の様に言ったのだ。
「やはり何か有ってはいけないから、俺は隣の空き部屋で寝るべきだと思う」
その日の、真夜中。
やり切れないものを感じながら千穂が独り布団の中で丸まっていると、真っ暗な部屋の中に誰かが入ってくる物音がする。
その時、千穂は布団の中で確信した。
やはり継守様は、私の気持ちを解ってくれていた。今から自分と継守様は結ばれるのだ。
そう思い、じっと彼の方から声をかけてくれるのを布団の中で身を固くして待つ。
しかし、そうする千穂の布団の傍まで来たのに、継守は無言のまま動きを止めてしまう。
真っ暗な部屋の中に流れる、息を殺しての沈黙。
暫くして千穂が不審に思い出す頃、不意に継守は思い切り自分の頬を叩くと小さく呟いた。
「いかん・・・やはり、いかん・・・」
そのまま部屋を出て行くと、真夜中なのに走り込みの稽古に行ってしまった。
こうして二人の初めての夜は、始まる事も無く終わってしまった。訳が解らない。
その翌日こと、昨日。
その日の昼間に千穂は、この長屋の大家にして妖怪退治屋の店主こと雲景に挨拶は済ませておいた。
ちゃんと家主には二人で生活する事の承認を受け、それと同時に夫の上司に二人の関係を認知をさせた事になる。
これで継守様だって、今夜こそ心おきなくハッピーライフに踏み出せる。と言うより、踏み出す以外の選択肢は塞いだ。
もう外堀は埋まったのだし、後は城の本丸を攻め落とす意外の道は無い筈なのだ。
そう思い、今夜こそはと身構えた千穂に向かって、継守は当たり前の様に言った。
「これから会いたい人が居るから、今から出かけて来る。だから、先に寝ていてくれないか」
驚きに呆然とする千穂の目の前で、そのまま継守は本当に出かけてしまった。
それでも継守の帰りを待とうと真夜中まで起きていた筈なのだが、いつ実際に継守が帰って来たかの記憶が無い。
きっと昨日までの、猛州から帝都への長旅の疲れが出たのだろう。気が付けば、そのまま眠っていた様だった。
そして、本日。
目が覚めたら、自分は布団の中で横たわっていた。夜中に帰ってきた継守によって布団に運ばれていたのだろう。
念の為にもと思って確認したが、着衣に乱れは無い。どうやら寝ている間に継守よって悪戯をされたりはしていない様だ。残念。
その後は、二人での朝食。
食事が済んでからは、妖怪退治屋こと便利屋の仕事で継守は雲景と共に出かけてしまった。
そして残された千穂は、朝食の後片づけをしてから、午前中は掃除に洗濯にお菓子作り。
午後は夕飯の買い物と下ごしらえをしてから、妖怪退治屋こと便利屋である毘沙門庵の受付として留守番を続けている。
だが、今日に限って妖怪退治屋への依頼に訪れる者は一人も無く、代わりに近所の子供達が六人ほど訪ねて来た。
その子達が口々に言うのは『本当に妖怪を見たんだ』という帝都での妖怪の目撃情報だ。
こういう子供達が来たらお菓子をあげるようにと、千穂は雲景から言われていた。
雲景自身、こうしてお菓子目当てに色々な妖怪話を考えて長屋を訪ねてくる子供達の相手をするのが、気に入っている様子である。
だから千穂も、その子達と一緒にお喋りしながらのティータイムで午後の時間を過ごす。
ちなみに、訪ねて来た六人の子供の内の五人が『昨夜、白狐の面を被った落ち武者幽霊を見た』という話を持ち込んできた。
きっと今の帝都では、こういう怪談話が流行っているのだろうと思う。
そして現在は子供達も各自の家に帰り、千穂は夕刻の長屋で一人、継守の帰りを待ちぼうけているのだった。
このまま半時も待っていれば、近所の寺の鐘が鳴るだろう。それは、この帝都で昼間に働いている者達の殆どにとって、今日の仕事の時間が終わった事を意味する。
そうなれば、きっと継守様も便利屋仕事が終わって帰ってくることだろう。そうしたら、今日の昼間にあった事を互いに話しながら、二人での御夕飯。
そして、その後は近所の銭湯で入浴し、帰って来てから就寝。
この二日間の雰囲気からして、たぶん今夜も二人の関係には進展は無いと思うべきだろう。そして、この日常は暫く繰り返されると思われる。
こんなつもりでは無かった。
自分は、ただ貧乏長屋での家事をしに千石屋の家を出たのでは無い。このままでは女中と変わらないでは無いか。
ふと、数日前に聞いた南蛮語の先生の言葉を思い出す。
『あっと言う間にユーも”こっち側の女”になるデスよ?』
あの時は他人の経験から来る教訓くらいに思っていたけれど、その言葉に対して急に現実味を伴った焦りを感じてくる。
このままでは、いけない。でも本当に、いつになったら継守様は・・・
「そうじゃないのデス! 」
叫び、千穂は立ち上がった。
もう、自分は待っているだけの女では無いと決めた筈ではなかったのか。
自分は幼い頃から夢に見て恋い焦がれていた継守様とのハッピーライフを叶える為に、今、ここに居る。
継守様の望みである剣士としての立身を妻として支え、継守様から女の歓びを与えられる。
その為に他の全てを捨てて、この帝都に来た。もう、後戻りは出来ない。ひたすら己の道を突き進むしか無いのだ。
恋の道は修羅の道
押して押して押しまくる
押してダメなら押し倒すのみ
「・・・いっそ、千穂から継守様に夜這いをかけるデスかねぇ」
そうだ。継守様だって、年頃の健康な男子なのだ。全くアレに興味が無いという訳では無いだろう。
聞いた所によると、継守様くらいの年頃の男子がアレを経験してしまうと、暫くはアレの事しか考えられなくなってしまうという。
だから継守様も一度でもアレをしてしまえばアレに夢中になり、そのまま溺れてしまうのだろう。
きっと、毎日でも求めてくる様になる。一日に何度でも求められる。いつでも何処でも求めてくる様になるのだろう。
「うふふふふ・・・、駄目デスよ継守様ぁ、こんな所でぇ・・・」
気が付けば千穂は、赤くなった頬に手を当てながら一人で身悶えていた。
我に返ると、小さく咳払い。にやけていた顔を急いで素に戻し、服の襟元を直す。
うん。こんな、あられもない夢想に耽っている場合では無い。脳内に浮かび上がった”激しく互いを求めあう若い二人の男女”の映像は、急いで打ち消す。
脈絡も無い”妄想”は完全削除。改めて、具体的な手段を伴う”予定”として再入力。ああして、こうして、モノにする。
うん。これで行こう。
そうと決まれば、次は継守様の剣士としての立身をお助けする方法を考えよう。
ハッピーライフを支える資金源を得るという目的からも、避けては通れない課題である。
一番良いのは、継守様が新政府公認予備校である道場で優秀な成績を収め、そこで推薦を貰い陸軍抜刀隊なり警視庁抜刀隊に仕官する事だろう。
しかし、その道は半年前に閉ざされてしまったらしい。相手から喧嘩を売られたからとは言え、素行不良による破門だ。もう、今から他の道場に入塾する道も途絶えている。
ならば次善の策は、継守様自身の剣の腕が帝都の人々に知られ、その評判から民間での雇用主が見つかる事。
今は新政府の時代であり武士階級そのものこそが消えてしまったが、商家の用心棒や、道場の雇われ師範ならば今でも剣士としての仕事は有る。
だが、そうなるには『妖怪退治屋毘沙門庵の”鬼斬り継守”は腕利きだ』と帝都の人々に知らしめなければならない。
一度でも有名になり人々から注目される様になれば、興行での剣術試合なり、いっそ道場破りなり、人々の目の前で継守様の剣の腕を見せる事が出来る。
そうなれば、猛州剣術では負け知らずの継守様の強さは、あっという間に帝都ひいては帝国中の人々の話題となるだろう。
しかし、それを実現するには問題がある。現在において一般人に過ぎない継守様が、実戦での剣の腕を披露するなど限り無く不可能に近い事なのだ。
かつて総督府統治の時代の武士ならば、己の誇りを傷付けた相手に果し合いを申し込んだり、仇討ちで人を斬る事も珍しくは無かった。
しかし、この新政府統治の時代になった今、軍人や警官が正当な手続きを経てではない限りは、どんな理由であれ人を殺傷した者は犯罪者となる。
だから、もし誰もが認める様な極悪人が居たとしても、それを継守が叩きのめしたりした場合、罪を問われて刑務所に放り込まれるのは継守の方なのだ。
それどころか、もし間違って殺してしまったりしたら、下手をすれば自身が処刑される事すら有り得る。とてもでは無いが、そんな事を継守様にさせる訳にはいかない。
今の継守様は、軍人でも無ければ警察官でも無く、ただの妖怪退治屋なのだから。
妖怪退治屋。文字通りに解釈すれば、妖怪を退治する稼業だ。
だが、継守様が働いている毘沙門庵は、退治どころか実際には妖怪など一度も見た事も無いと言う、ただの便利屋である。
そもそも、今の新政府の時代になってからは、世間では世の妖怪話や幽霊話は全て迷信だと言う声が大きくなった。
たまに妖怪退治や悪霊払いを名乗る者の話を聞く事も有るが、たいがいは悪質な詐欺をした者として警察に逮捕されたという話くらいである。
実際、千穂自身も継守がそうだと聞かなければ、この毘沙門庵を怪しげな占い師や祈祷師の類だとしか思わなかっただろう。
では、そんな風に世間からも胡散臭いと思われている”妖怪退治屋”の継守の剣の腕が、誰を傷つける事もなく人々から注目される方法など有るのだろうか。
難しい問題である。千穂は思わず腕を組んで、うんうんと唸りながら考え出す。
「そもそも妖怪退治屋としてどうとか言う以前に、まず妖怪退治屋というジョブのお仕事をしてないのデスし・・・」
ぼやきかけた千穂の目に、何かを閃きいたような輝きが灯る。
答えは有った。それは、とてもシンプルで解り易い方法だ。
「妖怪退治をするのデス!」
そう。名ばかりの妖怪退治屋から、本物の妖怪退治屋になれば良いのだ。
確かに妖怪退治屋などというものは、怪しく胡散臭いものとしか世間からは見られてない。
だが、それはそれとして今の帝都の人々が妖怪や幽霊の話を語り続けているのも事実なのだ。
人々は日々の暮らしの中で、一時の遊興や慰めとして好奇心や共感を満たすことを求めている。物珍しい話や、不思議な物語は変わらず人々に求められているのだ。
だから、実際に妖怪などというモノが存在するかしないかは、この際は関係無い。継守が帝都の人々の話題になれば良い。
『妖怪退治屋の毘沙門庵が、妖怪を退治した』という事実ではなく物語が有ればいいのだ。
まずは今の帝都で流行っていると思われる、”白狐の面を被った落ち武者幽霊”の噂に乗るとしよう。
夕方で薄暗くなり始めた長屋の部屋の中、千穂は立ち上がり宣言する。
「千穂はトゥモローから、キツネのお化けを探しに行くのデス!」
千穂の誰に向けた訳でも無い覚悟の叫びに向け、突如、部屋の戸の外から応える声がする。
「流石は妖怪退治屋だ。話が早くて助かる」
その尊大な口調とはおおよそ釣り合わない、幼く舌足らずな少女の声だ。
予想外の声への驚きで千穂が固まってしまっている間に、その幼い声の主は断りも無く戸を開けた。
薄暗かった畳敷きの部屋の中に、戸の形で四角く切り取ったかのように赤い夕陽に照らされた外の景色が映し出される。
その赤く浮かび上がる情景を背に、そこには頭巾と外套で身を包んだ小さな人影が立っていた。
その人影は再び口を開くと、一人で勝手に話を続けながらも無遠慮に部屋の中の千穂の所まで歩いて来る。
「この帝都に来てから、まともに話の通じる者が・・・と言うより、人の話を聞こうとしない奴ばかりで難儀したぞ。
だが、これで何とか目当てのモノを探し始める事が出来そうだ。こんな事なら、最初から・・・」
尊大な声の主は何やら延々と話を続けているようであったが、その言葉は千穂の耳には届いていなかった。
別に、声が聞こえなかったという訳では無い。その声の主が歩きながらも頭巾と外套を脱ぎ捨てて、その姿を千穂の目の前に現していったからだ。
その人物の容姿に思わず見入ってしまい、千穂は文字通り話など聞こえてはいなかった。
目の前にいる声の主は、小さな女の子だ。歳は八歳くらいだろうか。身体つきは華奢ながらも、ひ弱そうな印象は無い。
可愛らしく人の良さそうな顔つきが余計に幼さを際立たせ、少女と呼ぶより幼女と呼ぶ方がしっくり来そうな雰囲気である。
そして、その服装は帝国風(和装)とも南蛮風(洋装)とも違う。一見すると機能的な様に見えるのに、何の意味が有るのかが不明な装飾も多く付いているという、千穂には見た事も無ければ理解も出来ないものだ。
だが、それよりも特に千穂の目を引いたのは、その輝く白銀の髪と、澄んだ翡翠色の瞳。そして、透ける様に白い白磁の様な肌だ。
どれも、この帝国では見ないものだ。帝国の人間は基本的に、黒か茶系の髪と瞳の色をしている。だから、この子は帝国生まれでは無いのだろう。
それにしても、見れば見るほどに可愛らしい。よく可愛い女の子の事を『お人形さんみたい』と言う事が有るけれど、この子はまさに南蛮人形そのものだ。
いや、やっぱり違う。どんなに腕の良い人形職人であろうと、こんなに可愛らしい人形など作れる筈が無い。
思わず見惚れながらもそんな事を考える千穂の目の前では、その”可愛らしいお人形さん”が一度だけ黙ってから再び口を開く。
その言葉は相変わらず尊大で堅苦しいものだが、それがかえって小さい女の子が精一杯に背伸びして大人ぶっている様に見え、思わず笑みがこぼれそうになる。
「・・・ああ、済まない。いきなり話を初めて驚かせてしまった様だな。
自己紹介をしよう。我が名はイリス・グルートン。偉大なる大魔道士イリス・グルートンだ。私は、この帝都には・・・」
「・・・か」
「か?」
「か・・・可愛いのデス! プリティガールなのデ~ス!」
「おいっ! いきなり何を・・・ぅぷっ!」
気が付いた時には、千穂は目の前のイリスと言う名前らしい”お人形さん”に抱き着いていた。
そのサラサラの髪に頬ずりをし、ぷにぷにのほっぺにチューをしようとしてから、自分の唇は継守様のモノだからと何とか自制。
改めてその可愛い顔を見ようと思って覗き込むと、そこにはプルプルと震えながら薄っすらと涙が浮かんだ目で睨みつけて来る幼女の姿が有った。
不思議そうに小首を傾げる千穂の目の前で、急にイリスが駄々をこねる様に叫び出す。
「やっぱり、貴様もかぁ! この帝都に来てから三日間、ず~っと、こんな感じだ! こうなるのが嫌だから、今日は朝から頭巾と外套を着けていたのに!
もう、ヤダ! 亜人領に帰る! キツネによって人間達がどうなろうと、私が知った話かぁ!!」
「オゥ、ソーリー。ごめんなさいなのデス。これをあげるから、機嫌を直して欲しいのデス」
そう言って千穂は、ちゃぶ台の上に置いてあった小さな重箱の蓋を開けてみせた。
朱塗りの小箱の中には幾つかの、二寸(約5センチ)四方の黄色い物体が有る。どうやら何かを練り上げて作った食べ物らしい。
その重箱の中の黄色い物体を見下ろしながら、イリスが低い声で質問する。
「何だこれは?」
「芋羊羹なのデス」
「いも・・よ・・うかん?」
「はい、これは千穂が作ったお菓子デス。今日のティータイムでもキッズ達に大好評だった、とってもデリシャスな千穂の自信作なのデス」
「・・・おい」
イリスの幼い顔に、純粋な怒気が浮かぶ。
「ふざけるなっ! この偉大なる大魔道士イリス・グルートンを、こんな素人の作った不細工な駄菓子で篭絡しようなどと・・・むぐぅっ!?」
「お喋りしながら食べるのはマナー違反なのデス。ちゃんと、よく噛んでから飲み込んで、それからお話しするデス」
「んぐんぐ・・・ふぅっ。 おいっ! 人が話をしている時に口に菓子を放りこなにこれすごく美味しい今まで食べたことない。おかわりはあるの?」
「はい。まだ、二つあるデスよ」
「本当か!?」
満面の笑みで目を輝かせるイリスを前に、千穂は微笑みを浮かべながら残りの芋羊羹を小皿へと取り分ける。
どうやら待ち人が帰ってくるまでの残りの時間は、この小さく可愛らしい自称大魔道士様との、お茶の時間で過ごす事になりそうである。
―――――
夕暮れ時。
千穂が小さな客人を迎えている頃、継守は帝都西区の大通りを一人で歩いていた。
昼間に済ますべき便利屋の仕事は全て片付き、今は長屋への帰路を急いでいる途中だ。
ちなみに雲景は届けるべき幾つかの品物を手に知人を訪ねる予定なので、長屋に帰るのは明日の朝になると言う。
きっと、荷揚げ市の日の恒例行事である大店の旦那衆で集まっての宴席で、例の説教音頭とやらを聞かせながら夜通し飲み明かして来るのだろう。
そういう席が苦手な継守としては、正直な話として自分までもが誘われないで済むのには胸を撫で下ろすが、その反面として少しばかりの負い目もある。
こういう席で雲景が知人を増やし、その縁から便利屋の仕事が取れているという事も知っているからだ。
自称坊主の振る舞いとしては何とも生臭い話だとは思うが、これによって継守が助けられているのもまた事実なのである。
とにかく、その辺りは役割分担なのだろと気持ちの整理をし、継守は帰路を急ぐ事にした。
継守以外にも仕事が終わり帰宅しようとする人々が多いようで、大通りは早朝にも負けない数の人々が行き来している。
その人ごみの中を歩きながら、ふと思い出したように継守は懐から小箱を取り出して開け、その中身を見た。
まじまじと箱の中身を見つめながら、継守は呟く。
「結局・・・買ってしまった」
箱の中身は、米粒ほどの大きさをした紅い石の着いた銀色の小さな輪だ。昼間に屋台の女主人に勧められた、珊瑚の指輪である。
この、継守の懐事情を考えれば決しては安いとは言えない異国の装飾品を、どうして自分が買ってしまったのかは継守自身にもよく解らない。
もしかしたら、色々と自分から質問もして品物の話を聞いたし、大声を出して人目を引いてしまっていた流れからも、買うのを断り辛いと感たからかも知れない。
あるいは、この珊瑚という南国の海の底で生まれたという珍しい宝石を、継守自身が気に入ってしまったのかも知れない。
また、あるいは女主人の言った『女の子が喜ぶもの』という言葉と、その後の話に流されただけなのか。
「・・・うん、そうだな」
きっと、そうだ。そもそも、あの時は千穂への土産を探そうと思って市場を歩き回っていた筈ではないか。
これは純粋に南蛮風のものが好きな幼馴染の少女を喜ばす為にと思い、買ったものである。他意は無い。その筈だ。
だから、帰ったら真っ先に千穂に渡そう。これは、今まで自分の我儘で苦労させ世話を掛けてしまった彼女への、詫びと感謝を表すものだ。
これを千穂に贈ったら、きっと彼女は喜んでくれるだろう。もしかしたら小さい子供の頃みたいに、歓び興奮した勢いで抱き着いて来るかも知れない。
そうした後は決まって、すぐに我に返った千穂は慌てて離れてから真っ赤になって俯いてしまうのだ。そんな事が、互いに幼い子供の頃は幾度も有った。
もし、今回もそんな事になったら・・・その時は、自分も思い切り彼女を抱きしめてしまおう。それくらいなら、きっと許される筈だ。
今の自分と千穂は、許嫁同士でこそ無いが将来を誓い合った男女なのだから、これくらいは普通の事だろう。
だからと言って、それ以上の行為に及ぶ気は無い。いや、正確には全く気が無いという訳では無いが、その辺りのケジメはつける。
だから、もし自分が彼女を抱きしめてしまったとしても、それは何も、やましい事などでは・・・
「何を、にやけている稲郷」
不意に継守の真横から、不機嫌そうな少女の声がかけられる。
その声に驚いて継守が視線を向けた先には、その声に相応しい不機嫌そうに口を引き結んだ一人の少女が立っていた。
艶やかな黒髪と白い肌が印象的な美人。紺色の稽古着に包まれたままでも解る、引き締まった肢体。背は継守と同じくらいある。
「心斎橋!? 」
「何を慌てている」
やはり不機嫌そうな声で応える少女の名は、心斎橋凛。
名門道場である新明館の塾長である心斎橋洞現の孫娘でありながら、その新明館を半年前に継守と共に破門になった、継守と同年齢の少女だ。
それでも自らを新明館の後継者たらんとし続け、あの半年前の事件の後も剣士となる事を諦めず、個人で活動を続けているという噂の少女でもある。
昨夜、そんな凛に会おうと継守は心斎橋邸を訪ねて行った。
継守と同じ境遇でありながら今も剣士として立身しようとし続けている凛ならば、きっと継守が知らない方法なども知っているだろうと思ったからだ。
とは言え、そもそも凛が新明館を破門になったのは、理由はどうであれ継守との私闘が原因だ。本来ならば、ぬけぬけと正面から継守が訪ねて行ける様な相手では無い。
それでも継守が踏み出そうと決意をするに至ったのは、千穂の想いに応えたいという思いに突き動かされたからに他ならない。
その、会えなくて当然、駄目で元々と思っての継守の訪問に対して、あっ気ないほど簡単に凛は話を聞いてくれた。
それどころか、凛の方から継守との共闘を提案してきたのだ。彼女は彼女で、同じ境遇から信用ができ、かつ腕の立つ仲間を必要としていたらしい。
ひとまず昨夜は、互いの目的と協力する事柄を確認し合い、互いに役に立つ情報が入ったら交換するという約束をして、継守は長屋に帰った。
その昨夜に会ったばかりの少女に対し、継守は驚いた顔で尋ねる。
「どうして、君がここに?」
「どうしても何も、これからお前の所を訪ねようとしていたところだ」
「そうだったのか」
「ああ。そうしたら、ちょうど目の前に目当ての男が居たのだが、だらしなく衆目の前で緩み切った顔をしているのでな。
本当ならば関係者だと思われるのも恥だと無視して通り過ぎようと思ったが、やはり目に余るので一言だけ声をかける事にした」
「・・・」
「それにしても・・・お前には似合わない物を持っているではないか」
半年前の事件までは口をきいた事も無く、その事件では喧嘩どころでは済まない衝突をした少女は、そんな仲なのが信じられないほど無造作に継守の手元を覗き込んで来た。
その視線は、小箱の中の珊瑚の指輪に注がれたまま動かないでいでいる。
「心斎橋は、これが何だか知っているのか?」
「当然だ。これは指輪だろう。南蛮では、男が女に求愛をする時に贈る物だと聞いている」
「ああ、そういう場面でも使うらしいな。俺は今日、店の人間に聞いて初めて知ったのだが」
「だが、どうしてこんな物をお前が持っている?これから女でも口説きに行くつもりだったのか?
さっきの緩み切った顔から察するに、どうせ、いかがわしい事でもしようと目論んでいたのだろう」
「ち、違う! そうじゃない!」
蔑むような視線を向けてくる凛に向け、慌てた声で継守は叫んだ。
決して自分には、やましい事は無い。だからこそ、誤解は・・・あながち誤解では無くとも、あらぬ疑いは解いておきたい。
「これは、ある女性を喜ばせたいと思って買った。それだけだ」
「ほほう、そうか。それで、その喜ばせた女に対し、お前は何をするつもりなんだ?」
「誓って、何もしない! ただ、その女性への詫びと感謝の気持ちを贈るだけだ。他意は無い」
「詫びと・・・感謝?」
「そうだ。俺は過去に、その女性の人生に多大な迷惑をかけてしまったんだ。それなのに、その女性に俺は今後も色々と世話になる事になった」
「おい、稲郷。その女性というのは・・・」
「だから俺は精一杯の気持ちで、この指輪を彼女に贈りたいと思っている! それだけだ!」
「まさか・・」
何に気付いたのだろうか。はっとした様に息を呑むと、どうした理由か凛の顔が見る見る赤く染まっていく。
そして、やはり理由は解らないが、凛は継守と視線を合わせない様に俯いてしまう。
続けて凛の口から出た声は、とにかく継守には何故かは解らないが、先程までの明確で怜悧な声では無く恥じらう様に小さく不明瞭なものであった。
「そう・・・だったのか。済まない、稲郷。誤解をしてしまって」
「いや、解ってくれれば良いんだ。ところで、心斎橋」
「何だ?」
「これは、例え話なのだが・・・。もし俺が君に自分の意志を説明したうえで、この指輪を贈ったとしよう。その場合、君は喜んでくれるだろうか」
継守としては、少し心配になったのだ。
何気なく継守が千穂に指輪を贈ったとして、それを先ほど凛にされた様に誤解されたとしよう。そして、自分が千穂から蔑んだ目で見つめられたらと想像する。
もしそうなったら・・・きっと暫くの間、自分は立ち直れなくなるであろう。
だからこそ、真剣な声音で継守は尋ねる。そして、そんな継守の質問に対し、あくまで理由は解らないが、凛は焦りの声をあげた。
「い、いきなりそんな事を聞かれてもっ! ・・・その・・・困る」
「いや、そこまで難しく考えないで欲しい。これは、あくまで例え話だ」
「ああ・・・そうだな。例え話だ。そういう事にしておこう」
「そうだ。例え話だ。この指輪というものを、いきなり女性に贈って良いものかどうかが心配になったから、俺は心斎橋に相談したい。それだけだ」
「・・うん。そういう事ならば、私も真面目に答えよう」
少し照れた様な顔をしつつも、ゆっくりと自分の言葉を確かめる様にして麗人は答える。
「きっと・・・最初は戸惑うと思う。本当に、お前の事を信じて良いのかを・・・悩んでしまうだろうな」
「確かに、そうだろうな」
「だが、お前の気持ちが本物だと解り、その誠意を信じられた時は・・・きっと、とても嬉しい・・・と思う」
「じゃあ、喜んで貰えるのか」
「・・・ああ」
消え入るような声で言いながら、凛は小さく頷く。
そんな少女に向け、継守は出来る限りの誠意を込めて感謝の言葉を口にした。
「ありがとう、心斎橋。少しだが、自信が持てそうな気がして来た」
「そうか、ならば良かった。私も・・・その・・・お前が本当に勇気を出してくれる時を待っているぞ」
「そんな風に言われると緊張するな。それにしても、まさか君からそんな言葉を聞けるとは思わなかった」
「馬鹿者。私の事を何だと思っているのだ。私だって、一応は・・・その・・・女なのだぞ」
「ああ・・・そうだったな」
名前の通り普段は凛々しい少女の、普段とは違う可愛らしく恥じらう姿。思わず継守は、それを優しい視線で見つめてしまう。
普段でこそ『他人の色恋になど興味は無い』とでもいった態度をとっている凛も、やはり年頃の少女なのだ。
自分と直接は関わりの無い事でも、恋慕の情に関心を抱き、その成就を願ってしまうのだろう。
そんな事を考えながら見つめる継守の視線に気づいたのだろうか。凛は慌てた様に視線をそらすと、小さく咳ばらいをし、目を閉じて大きく深呼吸をする。
そして再び目を開くと、普段通りの堅苦しい姿勢と口調に改め話しかけてきた。
「と、とにかくだ。そろそろ、私がお前を訪ねて来た本題の話に戻ろう」
「そう言えば、そんな事を言っていたな」
「そうだ。いつまでもこんな浮ついた話をしている暇など、私にもお前にも無い筈だ」
表情こそ普段通りに引き締まったものだが、その声は微かに動揺で震えている。
どうやら、まだ必死に切り替えようとしているだけで、本人の中では照れや恥じらいの様なものは残っているのだろう。
そこまで無理をして禁欲的に振る舞わなくても良いだろうにと思う反面、半年前の彼女よりも何処か親しみ易くなったと継守は感じ、再び頬が緩みそうになる。
だが、そんな浮いた継守の意識も、次の瞬間に聞いた凛の言葉により引き締められる。
「昨夜、衣川署で人が斬られた」
人が斬られた。
その言葉の意味を継守が理解するのに、ほんの一瞬だけ遅れが出た。それ程までに、今のご時世の帝都においては触れる事が少ない言葉なのだ。
無論、これだけの人口の都市だ。毎日の様に、事故や殺人で幾人もの死者が出ている。その事は、当然の事として理解はしている。
だが、これだけの規模の都市だからこそ、その死に触れる者の比率は高いとは言えず、一般的な生活をしている者にとっては非現実的な言葉でもあるのだ。
そんな継守の動揺を知ってか知らずか、凛の言葉は淡々と続けられる。
「殺されたのは、蛭田圭三。”帝都大火の三英雄”こと、維新志士の一人だ。
現在は報道管制が敷かれているが、もし発表されれば帝都中を騒然とさせる大事件になる事だろう」
「・・・」
「そして事件からほぼ丸一日たった現在も、警察は犯人の正体もその動機も、何も手がかりを掴んでいない」
「・・・つまり」
ようやく話の趣旨を理解し始めた継守の目に宿る光が、次第に鋭く真剣なものへと変わっていく。
それを見て何かを感じ取ったのだろう。話し続ける凛の顔にも次第に緊張が増していくのと同時に、その口元には不敵な笑みが浮かんでくる。
「そうだ、稲郷。我らが狙うべき獲物は、案外と早くに現れたぞ」
「ああ・・・手柄首だ」
夕暮れの赤い光に照らされる大通りでは、一組の年若い男女が語り合う。
だが、その見つめ合いながら語らう二人の顔には、ほんの僅かな甘さや浮つきすらも無い真剣な熱が込められていた。
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