第1章
河原での朝稽古からの帰り道、継守は帝都西区の大通りに差し掛かる。
早朝の帝都では既に多くの人々が石畳の通りを往来し、その光景は雑多を極めていた。急ぎ足で行き来する人々の中を、器用に互いが相手を避ける形で人力車と小型の馬車も走り回る。その行き交う人々の黒い頭が互いに入り混じりながらも足早に移動する光景が、大通りの遥か先の見えない遠方にまで続く。
この旧市街地とも言うべき下町の多い西区でさえ、これなのだ。官庁や商店が立ち並ぶ中央区では、田舎者の継守には想像も及ばない光景となっている事だろう。
帝都の人口は現在、百万に及ぶ。
これだけの人口を数える都市は、大陸中を探してもこの帝都しか存在しない。
その歴史は古く、初代の帝がこの地に都を建立しようと宣言してからの千八百年以上もの間、この地こそが帝の住まう地であり続け、帝国の政の中心であった。
無論、その千八百年以上の帝都の歴史において何事も無かったという事は無い。
この帝都は十五年前の維新戦争の時だけでなく、それ以前にも幾度も戦火に包まれている。
だが、その度に帝都の人々は街を築き直し、その為の人や金が流れ、帝国の各地から多くの人々が集まり、この大都市は少しずつだが確かな発展を続けて来た。
その営みを象徴するかの様に、この目の前の大通りだけでも幾件もの店舗が取り壊しや改装を行っている最中であり、雑踏には様々な年齢と性別の人々が入り混じっている。
そんな雑多な光景の中でも特に継守の目を引くのは、やはり南蛮文化の存在だ。
南蛮文字。ガス灯。石畳。石造りやレンガ造りの建物と、ガラス窓。
どれもが、この十年程で急激に帝都中に広まったものだ。
人々の服装も従来の着物姿に混じり、南蛮風(洋装)の服の者も随分と増えた。
これらは総督府統治の時代には禁止されていたものであり、新政府が帝国の政権を握る様になって初めて帝国臣民の前に姿を表したものなのだ。
当時、それらを見た多くの帝都の人々にとって、それは自分達の住む帝国の外にも広大な世界が有るという事実を、初めて実感させられた瞬間であった。
その当時の人々と同じ驚きを、一年前の継守も味わっている。
それまでの想像を遥かに越えた世界の広大さに、北の辺境である猛州から出て来たばかりの少年は衝撃を受けた。
呼吸すらも忘れて眼前の光景に目を見張り、湧き上がる興奮に身を震わせた。
帝都の人々に己の剣の腕を見せつけ、その名を帝国中に轟かせようと改めて心に誓った。
この新天地こそが、己の輝かしい未来への第一歩を約束するのだと訳も無く確信する事ができた。
だが、そんな世間知らずの少年の思い上がりは一瞬にして打ち砕かれる事となる。
帝歴一八七六年、早春。
ちょうど今から一年前の継守が一六の時、独り故郷を出て帝都へ来た継守は新明館という名の剣術道場に新入生として入塾した。
新明館は、一五年前の維新戦争の折に“帝都大火の三英雄”と呼ばれる維新志士達が拠点としていたとして世に知られている道場だ。
その繋がりからか、この新明館は陸軍士官学校や警察幹部養成校への予備校として新政府から認可されている。
早い話が、この道場で良い成績を収め道場主からの推薦状を得る事が出来れば、それは将来の帝国陸軍士官や警察幹部への道が約束されるという事なのだ。
剣の腕と人物さえ認められれば、その出自が貴族や富豪でなくとも出世が叶う。
例え平民や貧家の者であっても、個人の才覚と志により政府の要職に就く事が可能になる。
そんな総督府統治から新政府統治へと時代が変わった事を象徴するかの様な新明館の存在は、帝国中に居る野心を持つ若者達にとっては、一度は憧れて目指そうとする場所なのである。
だから新明館の入塾試験に合格した時、継守は自分は剣士としての一歩を踏み出したのだと思った。
自分の輝かしい人生は、今、この瞬間に始まったのだとさえ思った。
だが、その継守を待っていたのは幾つもの厳しい現実での壁であった。
まず、新明館での稽古は竹刀剣術だという事。
これは総督府統治の時代にこの新明館で生じ、この帝都においては他流派でも主流となったものである。
だが、この竹刀剣術というものは、継守の得意な猛州剣術をはじめとする戦国剣術とは、その打ち筋も足運びも、まるで違う。
なまじ猛州剣術の作法が体に染みついていた継守は、全くと言って良いほどに竹刀剣術の作法に馴染めなかった。
その為、地元では負け知らずであった少年は一気に落ちこぼれとなってしまう事となる。
次に継守の前に立ちはだかった壁は、他の塾生達の殆どが維新志士の子弟だという事だ。
それに対し、猛州を統治していた玄岩家をはじめ家臣であった東郷家も、維新戦争では総督府側に味方していた。
かつて新政府を立ち上げた維新志士達からすれば、継守は敵だった者達の子孫にあたるのだ。
一応は、新政府の方針として個人の出自に対する差別の撤廃が宣言がされている。とは言え、人々の感情まではそう簡単には変わらない。
継守は維新志士の子弟である者達から、“新政府に歯向かった逆賊の子”として執拗な嘲笑や嫌がらせを受け続けた。
それでも継守は、新明館で竹刀剣術の修行を続けた。
継守には、どうしても剣の腕で立身する必要が有ったからだ。ある大切な人の為にも、そうするしかない事情が少年には有った。
だから道場では落ちこぼれ周囲から嘲笑や罵倒を浴びせられる中、ただ独り懸命に耐え、ひたすら剣術の鍛錬にのみ没頭した。
そんな日々が淡々と過ぎて行く。
そして帝国歴一八七六年の、秋口。
新明館では新入生のみによる剣術大会が開かれた。
これは毎年行われている恒例行事だ。
この大会では、どの流派の出身者でも平等かつ存分に実力が発揮出来る様にするという方針の元に、普段の新明館における稽古とは全く違う規則で試合が行われる。
この時に限り、普段の稽古試合において用いられる細かい規則などは全て取り払われるのだ。
具体的には、竹刀を用いて試合に挑むのであれば何をしようと反則とは見なされない。
普段の試合ならば反則とされ判定負けとなる様な行為の全てが、この大会の時に限り全て許される。
防具の無い部位への意図的な打ち込みも、場外へもつれ込んでまで打ち合いを続ける事も、転倒した相手に執拗に竹刀を打ち込む事も全て黙認される。
そして、有効判定となる一撃が決まるまで、いかなる理由でも試合が途中で中断される事は無い。
極論を言えば、公然と気に入らない相手を意図的に叩きのめしても、それが許される時と言える。
だから大会の時期が近づくと、己の腕に自信がある者達は血気に逸り、ただ新明館出身だという経歴が欲しいだけで入塾した軟弱者達は震えあがって萎縮する。
これが、新明館における毎年の光景だった。
また、この大会において己の剣技に自信のある者達が昂るのは、この剣術大会こそが塾生達にとっては立身出世への登竜門と言うべき存在だからだ。
この大会での成績は、その年度における塾生の間での序列となる。
そして、ここで決まった序列により、後の道場においての剣術稽古や講義における各塾生の扱いが変わる。
当然の話として、それは後に各塾生が道場主から推薦状を得ようとする上で、その有利さに絶対的な差が生じる。
端的に言えば、この大会で上位成績を修める事こそが、輝かしい将来を手に入れる第一歩なのだ。
その新明館の新入生剣術大会において、継守は優勝した。
この大会において継守は、自分が本来得意とする猛州剣術の腕を存分に振るったのだ。
その独特の足運びと打ち筋は、竹刀剣術の型と作法に馴染んでいる他の塾生達を大いに惑わした。
籠手の上からでも骨に響き手首が腫れ上がる強烈な打撃に、多くの対戦相手は恐れ慄いた。
そして何よりも、もはや剣術と呼ぶのが躊躇われる程に手段を選ばない継守の戦術が、大会を混乱に陥れたのだ。
継守は剣技だけで勝てると思う相手には、奇声を上げながらの突進で打ち倒した。これについては尋常な剣術勝負と言えるだろう。
だが、剣技では勝てないと判断した相手に対しては、継守は最初から竹刀での剣技を競う気などは捨ててかかっていったのだ。
何よりもまず、相手を転倒させるのを目的としての体当たりや脚を狙っての攻撃を主軸とする。
それで相手を転倒させるのが無理だと思えば、組み付いて押し倒す。そこからは、相手が起き上がろうとする隙すら与えずに全力での殴る蹴る。関節技に絞め技も用いる。
対戦相手の隙を作る為ならば、神聖とされる竹刀を投げ付け、蹴り飛ばすのは当たり前。
相手との間合いを開こうと思えば、試合観戦として座っている他の塾生の中に飛び込んで平気で彼らを盾とし、壁にかかっている竹刀まで外して投げつける。
それらの攻撃を駆使して完全に相手が無力化してから、最後に継守は竹刀を拾い、動けぬ対戦相手に容赦の無い“有効打”を入れた。
その、卑劣や無作法などという言葉ですら足りない狼藉の数々に、審判である師範代ですら絶句し、継守の対戦者達は混乱と恐怖から本来の実力の半分も発揮できず次々と餌食になった。
だが、『竹刀を用いて試合に挑むのであれば、何をしようと反則にはされない』という大会規則がある以上は継守が反則負けになる事は無い。
継守は試合の勝者として次の試合へと順調に駒を進めるて行く。
それは他の塾生達にとっては、信じ難いという言葉ですら足りず、理解を超えたモノであり、まさに悪夢としか思えない光景であった。
だが継守にとっては、これこそが自然な剣術勝負の姿である。
この『戦においては、どんな手段を使ってでも相手を無力化し、その首を取る』という思想こそが、猛州においては戦国期から伝わり、継守にとっても幼少期から馴染んでいる勝負の作法だ。
だから、この大会においての継守は、まさに水を得た魚というべき状態だったのである。
そして継守は、切望していた剣士としての将来を手に入れた。正確には、手に入れたかの様に思えた。
しかし、その事件は継守が優勝者として表彰されようとした時に起きた。
居並ぶ塾生達の中から継守が名を呼ばれて進み出た時、その背後で一人の塾生が反対の声を上げたのだ。
こんな手口での勝利は認められない。そして、この大会や継守の優勝そのものが無効だと言う。
その塾生は、試合で継守に継守に叩きのめされた貴族の子弟の一人であった。その彼は、声高に主張する。
『こんな“ならず者”を道場で最も優れた剣士だと認める事は、名誉ある新明館の看板に泥を塗る恥ずべき行為である。
更には、この様な逆賊の子を将来的には軍や警察に仕官させるなど、新政府の威光に傷を付ける事となるだろう』
試合中ならまだしも今更になっては言いがかりとしか言い様の無い話だ。
だが、その無茶としか言いようの無い主張に、最初は無言であった道場中に居並ぶ他の塾生達も次第に賛同していった。
彼らからすれば稲郷継守という辺境出身の少年は、逆賊の子であり、道場の落ちこぼれだ。
維新志士の子である自分達より格下の存在だと見ていた相手なのである。
なので、その様な相手に、栄誉ある剣術大会で自分達が負けたのだという現実など、とてもではないが受け入れる訳にはいかなかったのだろう。
それに試合での継守がとった戦法が、彼らの常識とする剣術の姿からはかけ離れた行為ばかりだったという事もある。
この様な、通常の試合では有り得ない形での己の敗北など、純粋に納得できないという心情もあったのかも知れない。
そうして、この様な優勝などは認められないという彼らの声は次第に高まり続け、塾生の中には師範代に詰め寄る者まで出る。
その収拾する気配もない道場の空気の中、試合時には周囲からどれだけ睨まれ怯えられようと顔色すら変えなかった継守の顔には、ありありと焦りの表情が浮かんだ。
そして本人も半ば無意識のまま、継守は吠える様に叫んでいた。
「新政府の威信も、道場の名誉も、そんな物は戦で負ければ全て消える程度の無意味な物だ!
竹刀剣術などという遊戯にかまけていて俺に負けた、貴様らが悪い!」
その響き渡る大音声に、それまで叫び続けていた塾生達は思わず身をすくませ、道場には再び沈黙が流れる。
別に継守は、他の塾生達を侮辱するつもりは無かった。新政府や道場を馬鹿にするつもりも無い。
無論、普段から嫌がらせをしてきた維新志士の子弟達や、稲郷家の没落のきっかけとなった新政府に対し、思うところが全く無いと言えば嘘になる。
たが、それを理由に叫んだ訳では無いつもりだ。その様な私情から人前で無様に喚き散らすのは、武人の恥とさえ思っている。
それでも叫ばずにいられなかったのは、このまま反対派の意見が通り自分の優勝が取り消されるのでは無いかという恐怖からの焦りと、その理不尽への怒りによるものだ。
しかし、だからこそ、その叫びには聞く者の内面に叩き付ける様な力が入る。
道場中の皆が次々と顔を伏せた。
ある者は自分達の未練がましい醜態に恥じ入り、ある者は継守に叩きのめされた時の恐怖が心の中に蘇ったからだ。
だが、その中にあって一人だけ他の塾生と違い、顔を上げて継守を睨みつける者が居た。
怒りの炎を宿した瞳で継守を睨みつけながら、殺意すらこもった声で唸る。
「稲郷・・・・貴様は今、何と言った」
怒気を懸命に抑える低い声に、その声を発した者と継守の間に立つ塾生者達が慌てたように道を開ける。
そうして空いた道を通り、その発言者は全身を怒りに震わせながら継守の前にまで進み出た。
その目の前に来た塾生の顔を見て、継守は戸惑いの表情を浮かべる。
女だ。
艶やかな黒髪と、透ける様に白い肌。そして切れ長の目が印象的な美人。背は継守と同じくらいは有る。
細身だが脆弱さとは無縁の、体幹の揺るがない凛々しい立ち姿で継守の真正面に立つ。
継守は、突然に目の前に現れた美しい少女の姿と真っ直ぐに向けてくる怒りに戸惑いながら、思わず少女の名を呟いた。
「心斎橋・・・」
心斎橋凛は、この新明館の塾長である心斎橋洞現の孫娘にして、今年度に入塾した新入生において筆頭とされる少女だ。
文武両道。才色兼備。そんな言葉を、まさに絵に描いた様な存在である。
流派は言うまでも無く、この新明館に伝わる心斎橋一刀流だ。まだ免許皆伝にまでは至らぬとは言え、剣技においては新入生で彼女に適う者は居ない。
また、祖父である洞現は認めていないとは言え、将来は新明館の後継者になるだろうという噂であり、それを本人も望んでいるという話だ。
そして、その人柄は生真面目の一言に尽きる。
道場では中心人物として他の塾生達にも囲まれているが、だからと言って他の塾生達と休日に遊び歩く事も無く、年頃の少女でありながら華やかに着飾る趣味も無い。
そして、もし彼女の容姿に魅かれて下心を抱いた男子塾生が浮ついた言葉をかければ、次の剣術稽古の時には彼女に容赦無く叩きのめされるというのが、もっぱらの噂だ。
そんな、ひたすら懸命に、禁欲的に、道場の後継者たるべく剣技の修行に明け暮れている少女なのだ。
その心斎橋凛が、怒りに燃える瞳で継守を睨みつけてくる。
麗人の少女剣士は継守の正面に立つと、斬りつける様な鋭い語気で詰問を始めた。
「稲郷。貴様は剣術大会を愚弄するだけでなく、この道場における塾生達の剣術修練そのものまでを侮辱するつもりか」
「いや、そんなつもりは無い。ただ・・・」
「ただ、何だと言うのだ」
落ち着いて考えれば、ここで継守が前言を撤回し失言を詫びれば、それで済む話だったのかも知れない。
しかし、その時の継守は自分が頭を下げようなどと言う気持ちは欠片も無かった。
剣術大会での優勝を取り消されては困るという、退くに退けない心境も有った。
己が故郷で修行して来た猛州剣術が帝都では認められないという事への、個人的な鬱憤も有った。
そんな、若さ・・・と言うには、あまりにも個人的な心情が、継守に致命的な発言をさせる。
「ただ、こんな竹光もどきで叩き合う遊戯の腕など、実際の戦では役に立たない。そう言いたかっただけだ」
「貴様っ! 我が祖である心斎橋一刀斎が編み出した心斎橋一刀流を・・・・それを始祖とし幾多の流派を生んだ竹刀剣術を、ただの役立たずの遊興だと言うのか」
「実際、俺に負けたではないか」
「・・・ッ!!」
継守を睨みつける凛の総身は小さく震え、その目には涙までもが浮かぶ。
その普段は澄まし顔で大人びた麗人の子供じみた感情の発露に、継守は狼狽する。
この時になって初めて継守は、自分の発言が少女にも退くに退けない状況を作っている事に気付いた。
この状況を無事に収めるには、どう振る舞い、どう言葉を発するべきなのか。そんな事を、今更なって焦りながら考え始める。
だが、その思案を始めるには、ほんの少しだけ時が遅過ぎた。
とりおえず継守が声をかけようとした時には、凛は無言で継守に背を向けた後だったのだ。
凛は再び他の塾生の間を抜けて道場の壁まで歩いて行くと、壁に掛けられている素振りの練習用である一本の木刀を手に取った。
それを床に置いて継守の足元まで滑らせると、自身は竹刀を手に取る。
再び元の場所まで戻ってきた凛は、戸惑った顔のまま足元の木刀を見つめる継守に向けて短く言い放つ。
「拾え」
少女の声には少し前までの激情の震えは無い。その端正で美しい顔にも、憤りによる揺らぎも無い。
ただ剣呑に光る眼光だけが、もはや怒りをすら超えての殺意にも近い決意を現している。
「そして貴様の言うところの、戦で役に立つ剣術とやらの構えをして打ちかかって来い。
私は、貴様が言う竹刀遊戯で貴様を叩きのめしてやる」
その言葉を受け、継守は戸惑いと困惑に顔をしかめる。
そして何とか事態を収拾すべく、目の前の殺意の視線を投げかけて来る少女へと話しかける事にした。
「こんな事に意味は無い。もう、勝負はついている」
正論である。だが、この様な場面において正論など何の意味も成さない。
それくらいは継守にも解ってはいる。だが、だからと言って上手く言い逃れたり相手をなだめる方法など、この不器用な少年には解る筈も無かった。
その、事実でこそあるものの、あまりにも素直で馬鹿正直な少年の一言は、かえって相手の声を一段と怒りによる低いものに変えただけであった。
「黙れ。あの様な下劣なものは勝負として認められん」
「だが、どう言われようとも、こちらは一度は決着がついた勝負を覆す気は無い」
「ほう。勝負を挑まれれば、女子供にも背を向けて逃げるのが貴様の武人としての流儀か。
維新戦争の時の黒鉄騎兵団の様に、勝ち目が無ければ尻尾を巻いて逃げるのが猛州の戦の作法なのか」
「・・・良いだろう。この勝負、受ける」
凛へと答える継守の声が、急激に温度の低いものへと変わった。
そして足元の木刀を手に取ると軽く振り、その重さと手応えを確かめる。
心斎橋凛という名の少女に退けない理由が有る様に、稲郷継守にも退けない理由は有るのだ。
己の武器に問題が無い事を確認した継守は、対戦相手である凛との間合いを広げるべく、ゆっくりと歩き出す。
しかし、その際には絶対に相手に背を向ける事は無い。木刀を構えたまま、相手から視線を外さずに後ずさる形で歩を進める。
これが、戦国期から続く猛州剣術の作法だからだ。
試合。すなわち死合いは、開始の合図が無くとも、その相手との対戦が決定した瞬間から始まっている。
もし不意打ちや闇討ちで敵に背中を斬られたら、それは斬られた者が愚かな敗者という事になる。それが、戦国の思想だ。
だから無論として、第三者に試合開始の合図や審判なども頼まない。
準備が出来たと思った側が、その場で打ちかかり問答無用で叩きのめすのが心得だ。
今回について言えば、むしろ最初に木刀を拾った時点で凛に不意打ちをかけなかった継守は、まだ状況を見て自制していたと言える。
板張りに囲まれた空間は帝都の往来の喧騒から切り離され、決闘の場は静謐な空間となっていた。
この新明館の初代塾長である心斎橋一刀斎が剣術道場を開いたのは総督府統治の時代であり、その伝統は二百年に近い。
だが、この様な私闘が堂々と道場で行われるのは初めての事だろう。
他の塾生達も息を呑み、僅かな物音さえたてぬようにと、二人の対峙を身じろぎもせずに見守っていた。
小年と少女は、それぞれの武器を手に無言で対峙する。
一方は、辺境の猛州を生国とする稲郷継守。
道場の皆が見つめる中、少年剣士は大きく呼吸をして全身の力を抜いてから、改めて身構えた。
両足を肩幅に開き、その頭上に垂直に高々と木刀を構える。猛州剣術において”人の字”と称される型だ。
この構えから剣術者は大音声の絶叫と共に全力疾走で敵に突進し、渾身の一撃を叩き込む。
これこそが、かつて戦国期より強兵の地として猛州の名を帝国中の響き渡らせ、他国の将兵を恐れさせた猛州武士の”一の太刀”だ。
この”一の太刀”の特徴は、その一撃の際に剣術者は大地に踵を踏みしめての全身を使っての打撃を行う事にある。
これは、近世の多くの竹刀剣術では忌まれる作法だ。
この様な動作をすれば、打撃の瞬間に剣術者は機敏な動作は取れなくなる。
言うまでも無く、敵が反撃を試みれば回避など叶わず、まともに喰らうのは必定だ。
だが、あえて大地に全体重をかけてから強く蹴り出し、打撃の瞬間も総身を大地に反発させる。
それによって、その一撃は剣術者の筋力と体重と助走の全てを乗せた必殺の一撃に変わる。
もし相手が回避をしようと、防御をしようと、反撃をしようと関係無い。
例え、それによって剣術者自身が命を落とそうとも厭わない。
まともな人間の力では抗いようのない真正面からの最速にして最強の一撃をもって、敵に追いすがり、力で押し切り、その武器や鎧ごと問答無用で叩き切る。
この一撃で決着をつけるので、次の手である”二の太刀”は無い。
故に、この刀法そのものを”一の太刀”と称する。
例え己が死のうとも、その全身全霊の一撃によって必ず敵を屠る。
それによって主君と故国の名誉が守られ、領民と家人が安寧を得られるのならば、その決死の姿こそを武士の誉とする。
決して己や戦友の命を軽んじる訳では無い。だが必要が有れば、いつでも己の命など惜しむ事無く投げ捨てることを潔さとし美徳とする。
これこそが、猛州において武人を志す者が最初に覚えさせられる基本にして奥義とされる、猛州兵法の闘法であり思想だ。
この帝国において武士が戦場で甲冑を着込んで合戦をする事が絶えて二百余年。
その殆どが姿を消し、かつて強兵の地として知られた猛州ですら今では見る事が少なくなった、戦国武者の覚悟の闘法である。
稲郷継守は自らを、その古武士の意志を継ぎ体現する者と信じている少年だ。
それに対するは、この道場の将来の継承者と言われる心斎橋凛。
少女剣士は軽く前後に開いた足で踵を浮かせて立ち、竹刀を正眼に構えた。
これは竹刀剣術という闘法においては、基本にして完成された型だと言えよう。
何処から何を仕掛けられようと機敏に反応し、攻守どちらにも瞬時に切り替えて素早く対応が出来る。
凡庸なればこそ王道と言える態だ。
その体幹を全く揺るがさない美しくさえ見える姿の中で、少女が持つ竹刀の先だけが孤を描く様にユラユラと揺れている。
これは別に、少女の手が敵への恐れで震えている訳では無い。一刀流において”雁の尾”と称される剣技の動作なのだ。
人間は視界の中で何かが静から動へと急に切り替わる動きをすると、それに強く反応する癖が有る。
例えば何の訓練もしていない者でも、何かが急に顔に向かって飛んで来れば無意識に目を閉じたりはする。
これはヒトの生物としての危険回避の本能であるが、それは剣術の立ち合いにおいても役に立つ事が少なくない。
長く修練を積んだ者ならば、敵が急に動いて攻撃を仕掛けてきた場合においては、半ば無意識の反射として最適な防御行動で体を動かす事が出来る。
実際、それによって半ば無意識の内に危機を逃れ得る事も珍しくは無い。
それを防ぐのが、この”雁の尾”だ。
絶えず己の剣先を動かす事によって”静から動へ切り替え”を無くし、己の攻撃の初動に敵を反応させない。
その不規則な剣先の動きによって敵の注意を惑わし、次の己の動作を敵からは読み難くする。
敵からの攻撃を受ける事無く、先に己の攻撃によって敵を無力化する。
この帝国において武士が戦場で甲冑を着込んで合戦をする事が絶えてから二百余年。
総督府統治の時代において、武士も普段は帯刀こそすれども平服で暮らすことが常となった。
もし武士同士が刀で争う事が有ったとしても双方が軽装のままである事が多い。
なので武士同士の立ち合いにおいても、もし甲冑を着ていれば掠り傷にもならない軽い一撃でも簡単に致命傷となる事が多くなった。
言うまでも無く、一瞬の攻防の優劣で勝負が決まるのが常となる。
だから剣術者は常に、どの様な敵の動きにも機敏に反応も出来る様に身構える。
そして、敵には打ち込む隙を与えずに己のみが打ち込む。太平の世なればこそ磨き上げられた、自衛と緊急対応の為の剣技だ。
そして、時代は武士の修行そのものを変質させた。
太平の世なればこそ、武士という存在には、野蛮な戦士ではなく誇りある志士である事が求められる様になった。
なので道場においても単純に力を得る為の技術を塾生に学ばせるのでは無く、礼節や忠節などの精神性の教育を重んじる様になる。
また、戦国期において修行時は木刀を用いるのが主流であったが、総督府時代になると竹刀と軽装の防具を用いるものへと切り替わった。
これにより、それまでは普段の修練でも修行者から少なからぬ死傷者を出すのが常であったのが、それが目に見えて激減した。
武士が命懸けで力を手に入れそれを行使する事を時代が求めなくなったという、その象徴とも言える変化だろう。
こうして総督府統治による二百余年の太平の世において、乱世とは異なる新しい武士の姿を求めて数多の道場が思考錯誤と研鑽を続けた。
その中でも最古参と言える道場の一つが、この新明館だ。
心斎橋凛は自らを、その新明館と心斎橋一刀流の継承者たるべく己に任じている少女だ。
道場の中に居る誰もが一言も発せず微動だにせず注目する先で、継守と凛は無言で睨み合っていた。
まるで時間が止まってしまったかのとすら錯覚する静止と静寂。その中で、凛の構える竹刀の先だけが僅かに揺れている。
先に動いたのは継守の方であった。
戦国剣法の後継者である少年は大きく息を吸うと、聞く者を恐怖させ萎縮させる大音声の叫びを放つ。
「キィェェヤァァァ!!」
巨大な怪鳥を思わせる絶叫と同時に、それまで彫像の様に静かであった継守の全身に暴力的な闘気が溢れる。
そして獣じみた躍動で目の前の少女剣士に向けて突進を始めた。
独特の足運びによる疾走が一歩ごとに道場の床を激しく鳴らし、少年の体は敵との間の距離を一瞬で弾丸の様に跳ぶ。
その速度を全く殺さず振りかぶる渾身の一撃は、真剣にも劣らない破壊力を秘めていた。
もし当たれば骨の二本や三本はへし折り、指ならば簡単に千切れ跳ぶ。もし急所ならば即死は免れない。
その文字通りの意味で必殺の一撃を迎えるに際し、凛は軽く横に体をずらすのみで竹刀を僅か斜めに構え直す。
あえて凶悪とも言える一撃からは逃げない。
それを竹刀で受け流しての間髪を入れない反撃を喰らわせ、己の剣技を見せつけるつもりなのだろう。
どちらも全く、己が退く気は微塵も無い。
その決着がどちらに転ぼうと、破滅を呼ぶであろう激突。文字通りの決死。
だが、その運命は突如として響いた第三者の声によって止められた。
「そこまでだっ! うつけ者共っ! 」
少年の奇声をすら上回る大音声。
その大喝は道場の空気のみならず、その場にいる全員の心身を揺さぶる。
立ち合いをしていた二人も気勢を削がれ、半端に木刀と竹刀を打ち鳴らしただけで動きを止めた。
そして、継守や凛も含めての皆の視線が集まる中、その声の元である一人の老人が立ち上がる。
「誠道無き力は、ただの暴力! 大義無く振るう剣は、ただの凶器!」
これは、この新明館で剣を学ぶ者ならば最初に心に刻み込まれる教えだ!」
いつも道場の上座に鎮座しているのみで皆から置物か何かの様にも思われていた老人は、継守と凛を睨みつけながら叫んだ。
「それを忘れた者に、この新明館で剣を握る資格は無い!」
聞く者の腹に響く声。憤怒の顔をする武神像の様な威圧感。
普段は塾生の稽古は師範代に任せて己は静かに鎮座しているのみとは言え、この老人が現在でも新明館の塾長だという事実を皆に思い出させるに足る威風であった。
心斎橋洞現。それが、この白髪の老人の名前だ。
現代、この二百年にわたる新明館の歴史において、心斎橋一刀流を継承する十五代目の塾長とされる人物である。
だが、十五年前の維新戦争の時に賊に右腕を斬られ、現在は剣を握れない身だ。
ちなみに心斎橋凛は、この洞現老人にとっての孫にあたり、今は亡き心斎橋一が残した忘れ形見とでも言うべき一人娘だ。
その血統で見れば新明館の後継者となるべき少女は、青ざめた顔で祖父である洞現に向け声をあげる。
「しかし、お爺さ・・・塾長! この稲郷は、この道場と我が流派を辱めた者です。あのまま見過ごすなど・・・」
「だからと言い、それを塾生同士の私闘へと話を広げたのは誰だ! 」
「それは・・・しかし・・・」
「たわけが! 所詮は己も相手と何ら変わらぬ、ただの力に驕った痴れ者に過ぎぬと弁えよ! 」
「・・・ッ!」
凛の目に屈辱と悲哀の涙が浮かぶ。
こんな筈では無かった。こんな恥辱を味わう為に、自分は稲郷と言う名の少年に決闘を挑んだ訳では無かった。
ただ、あの稲郷と言う男が許せなかった。
猛州から来たという目の前の男は、この新明館も心斎橋一刀流も衆目の前で辱めた。
だから、道場と流派の後継者たる自分が誅を下そうとした。それだけなのに。
この剣術大会において、継守の”下劣な戦法”によって最初に餌食になったのが凛だ。
稲郷継守という名の塾生がどんな”勝負”をするのかを全く知らず、ただの竹刀剣術の初心者だと思い込んでいる状態で当たった。
だから、それは完全な不意打ちとなった。
その試合において稲郷継守は、竹刀での打ち合いでは勝てないと判断し、初戦から”まともな試合”を放棄して格闘戦に持ち込んだのだ。
対戦相手である凛に竹刀を投げつけると同時に突進して組み付き、そのまま道場の床に押し倒して押さえ込んでみせた。
その時の凛は混乱から、あっけなく隙を突かれて簡単に押し倒され、生まれて初めて男から上にのしかかられるという状況に恐怖した。
その獣じみた荒々しい男の腕の力と息遣いを前に女の悲鳴をあげ、うずくまり涙ぐみながら身を震わせたのだ。
絶対に認める訳にはいかな失態だ。
こんな事は有ってはならない。心斎橋凛は、この新明館と心斎橋一刀流の後継者なのだから。
凛にとって新明館と心斎橋一刀流は、今は亡き両親と自分とを繋ぐ唯一の絆であった。
やっと凛に物心がつくかという頃に二人とも他界したので、凛は両親の顔は覚えていない。
だが、おぼろ気な記憶と人々から聞いた人柄からも両親を慕う気持ちは募る。
そして剣術は凛にとって、武骨で不愛想ながらも両親に代わり自分を育ててくれた祖父である洞現との繋がりでもある。
だから心斎橋凛という名の少女は、幼少の頃より自ら竹刀を手に取った。
洞現から『女のお前が剣を手にする必要は無い』と言われながらも、こっそりと道場を覗いて見よう見まねで素振りをし、祖父の目を盗んでは凛に好意的な塾生から手ほどきを受け、心斎橋家に伝わる剣術指南書を読みふけった。
そして半年前。凛は祖父である洞現の反対を押し切ってまで新明館に入塾した。
剣技においても、志においても、心斎橋凛は他の誰にも負ける訳にはいかなかった。
その雄姿をもって祖父である洞現に、この心斎橋凛こそが祖父と父の志を継ぐ者だと認めて欲しかった。
凛は以前にもまして、己を新明館と心斎橋一刀流の後継者の志士たるべく精進を続けた。
その凛が積み重ねて来た努力と想いを卑劣な言動で踏みにじったのが、稲郷継守という名の男だ。
その男は、凛が尊いものとして思っていた新明館と心斎橋一刀流の志を塾生達の面前で侮辱までしてのけた。
許せない。許せる訳がない。
だから、この男を皆の前で叩きのめして自分と同じ恥をかかせなくてはならない。
道場と流派への無礼を詫びさせなければならない。
そして、そうやって道場と流派の尊厳を守った凛の姿を見れば、祖父の洞現も凛の事を認め・・・
これは果たして、大義によって振るわれる剣なのか。
独り己の内面と向き合い愕然とする少女の耳に、怒れる老人の声が聞こえる。
「この新明館には、お前達の様な無法者の居場所は無い!」
継守は顔をしかめ、凛は蒼白になる。
二人の顔に絶望の表情が浮かぶが、その様相は真逆であった。
己の迂闊さと失策を悔いる継守と、己の慢心と浅ましさを自省する凛。
ただ無言で立ち尽くす少年と少女に向け、老人は言葉を重ねた。
「何をしている! 早々に立ち去り、もう二度と顔を見せるな!」
その言葉に少年は無言で踵を返し、道場を出て行く。
継守には、ここで洞現老人に謝罪をし塾生でい続けさせてくれと懇願する気は無かった。
それは負け戦の言い訳は恥だという、彼なりに思う武士の美学からなのかも知れない。
もしくは、ここの方針や今までの境遇へ納得がいかない事から、自身が本心から立ち去りたかっただけなのかも知れない。
ただ、ほんの少し前までの焦りや恐怖は心の中から嘘の様に消え、ただ心身が虚ろながらも不思議に軽くなったという実感だけが有った。
少年は最後に一度だけ振り返り、目礼をして道場を去る。
怒れる老人。泣き崩れる少女。ただ呆然とした顔のまま立ち尽くす塾生達。
これが、少年が新明館という道場においての最後に目にした光景だった。
朝の帝都。
大通りの雑踏を抜け下町の家々が居並ぶ区域に足を踏み入れながら、少年は呟いた。
「あれから、もう半年か・・・」
あの件が有って以来、継守は二度と新明館には近づいた事も無いし、他の塾生達とも会ってはいない。
ただ風の噂では、あの後も洞現老人の怒りは収まらず、継守と私闘をした心斎橋凛も新明館を破門になったと聞いた。
その事については、もしかしたら自分はあの美しい少女に済まない事をしたのかも知れないと少しの後悔も有る。
だが、だからと言って今更になって詫びに行く気にはならないし、元より彼女と自分は気安く会いに行くような間柄でも無い。
そもそも彼女から継守自身に決闘を挑んで来たという経緯や、その後の継守が向き合わされた幾つもの問題を思えば、むしろ継守の方が被害者なのだとすら言えるだろう。
実際、あの後、継守は身の置き場に困って途方に暮れる事となった。
多くの場合、故郷を旅立ち帝都に足を踏み入れた若者が夢破れた時は故郷に帰るものだ。
だが継守の場合は故郷を出た理由が理由なだけに、このまま帰っても会わせる顔が無い相手が多く居る。出来れば、このままでは帰りたくない。
だからと言って、それまで滞在していた下宿先にも居続けられる訳ではなかった。
そこは新明館に入塾した際にその関係者から紹介して貰った下宿なので、道場を破門となった身としては居続ける訳にはいかなかったのだ。
異郷である帝都の空の下で、少年は途方に暮れた。
幾日も野宿をしたり、親切そうに話しかけて来た相手に幾度も金を騙し取られたりした末に、たまたま出会った元坊主という男が家主をしている長屋に転がり込むことになる。
それが今の住んでいる長屋だ。
下町の長屋とは言っても、それが建てられた事情から敷地全体が高めの板塀に囲まれているので、建物そのものの安普請さの割には堂々とした佇まいに見えなくも無い。
そして、その外観だけなら古めかしい屋敷の様にも見える敷地の門には、黒々とした墨で大書された大きな杉板の看板が掲げられている。
『妖怪退治屋 毘沙門庵』
現在の継守の肩書は、この妖怪退治屋の用心棒である『鬼斬り 継守』という事になっている。
これが、総督府時代で言うところの浪人となり路頭に迷っていた継守が、この長屋に住まわせて貰うのと引き換として引き受けた条件だ。
ちなみに、この長屋の半年来の住人であり、この妖怪退治屋においても半年来の用心棒を務めている継守は、今まで一度も妖怪などというモノを見たことが無い。
そして、この長屋の家主であり妖怪退治屋の店主を名乗る雲景という名の坊主が言うには、この看板を掲げて今年で五年になるが、やはり彼も一度も妖怪などというモノを見たことが無いらしい。
胡散臭い事、この上ない話である。
では、この毘沙門庵なる”妖怪退治屋”は何をもって業務としているのかと言うと、家主である雲景が知人達から引き受けてくる頼まれ事の数々だ。
この元坊主である男は、長屋の多くの事を継守に押し付けて自分は三味線を片手に帝都中をフラフラと遊び歩いている傍ら、多くの依頼を集めて来る。
引っ越し手伝い。資材の荷運び。屋台の売り子。銭湯の風呂掃除。恋文の配達。留守宅の犬の世話。蕎麦屋の配達。その他もろもろ。
これらの謝礼として受け取った日銭によって、とぼけた家主と浪人である継守の生計は成り立っている。
もはや、ただの便利屋であり、剣士どころか用心棒としての仕事ですらない。
だが、それに対して継守は不満を漏らす気は無い。むしろ、行く当ても無く素性も定かでなかった自分を拾ってくれた雲景には感謝すらすべきと思っている。
それに、あの雲景という名の若い坊主と共に便利屋仕事をしている時間は、継守にとっては別段に悪い気はしない。
だが時として、ふと思ってしまう。自分は、このままで本当に良いのだろうか。
「考えても仕方が無い。それは解っているのだが・・・」
そう独り言を呟きながら、継守は帰ってきた長屋の自室の畳の上に寝転んだ。
継守が独り暮らしをする様になってから一年。いつの間にか独り言が増えた。
そんな小さな発見に苦笑しながら継守は思い出していた。
どうして自分が一年前に単身で帝都に来たのか。そして、何を志して自分は故郷から独りで旅立ったのか。
継守の生家である稲郷家は、故郷である猛州ではそれなりに名の通った武家であった。
祖先は戦国期に足軽(歩兵)から身を興し、幾度もの戦で手柄を立てて侍大将にまでなった武門の名家である。
かつては稲郷家としての所領や家臣も持ち、まずまず栄えた名家であった。
だが今の稲郷家は、継守の生家である屋敷と稲郷伯爵家という家名だけを残し、後は何も無い名前ばかりの没落貴族である。
全ての原因は、十五年前の維新戦争の時に猛州の大名である玄岩家が総督府側に付き、その総督府側が維新軍こと後の新政府に敗れたからだ。
いや。正確には戦って敗れたのですらない。
かつて帝国中の人々から”帝国の剣”と称えられ大陸最強と謳われた猛州の黒鉄騎兵団は、戦う事すら無く敗れたのだ。
一五年前の戦争の時、遠く離れた辺境である猛州から黒鉄騎兵団が駆けつけた時には既に帝都は炎上しており、総督府も新政府に無条件降伏をした後であった。
黒鉄騎兵団が帝都に到着したのと、後に”帝都大火”と呼ばれる事変により帝都が陥落したのは、ほんの一日差だ。
だが、その一日の差が運命を分けた。
その時に総督府側に付いていたという事実により、猛州武士は一本の矢も一発の銃弾も放つ事無く、新政府に歯向かって敗れた賊だとされた。
そして新政府の手により、君主であった玄岩家や家臣達の家は、その財産の殆どを奪われ公職から追放される。
言うまでも無く、これは継守の生家である稲郷家も例外では無かった。
この事については、当時はやっと物心がつくかつかないかの子供であった継守には実感は殆ど無い。
ただ生粋の猛州武士であった継守の祖父は、相当に悔しかった様だ。
継守が六歳の時に他界するその日まで、稲郷家の再興という悲願を毎日の様に唯一の孫である継守に語っていたのを、おぼろげながら憶えている。
その祖父が他界した半年後。
継守は両親によって許嫁が決められた。維新戦争後に海運業で成功し膨大な財を築いた、千石屋という大商家の娘だ。名前を千穂という。
継守が成人したら稲郷家の家督を継ぎ、その直後に千穂との婚姻によって千石屋に婿入りするというのが両家の約束だ。
将来、生まれた子は継守の姓を継ぐので、将来的には千石屋が本家として稲郷の姓を名乗ることになる。
言うまでも無く、武家としての稲郷の家は滅びるのだろう。
この約束と引き換えに両親は莫大な額の婚姻支度金を千石屋から受け取ったという話を、継守は後から聞かされた。
この様な形での没落貴族と商家の婚姻は、昨今の帝国内では別に珍しい話では無い。
十五年前の維新戦争で帝国全土の統治は総督府から新政府へと変わり、世の中の仕組みは大きく変わった。
総督府統治の時代は禁制とされた異国との貿易も、新政府の開国政策によって再開された。
身分制度が撤廃されたり、州ごとの関所も取り払われ、人々は帝国内を自由に行き来し自由に商売を始められる様になった。
それによって帝国内での人や物の流れは大きく変わり、それまで富裕層だった者の多くが没落する一方、急激に力をつけ巨万の富を得る者も現れる。
継守の婿入り先と決まっていた千石屋も、そんな新興の豪商達の中の一つであった。
しかし、そんな新興の大商人達には一つの悩みが有った。それは、彼らには家柄が無いという事だ。
商売が大きくなり、それまで縁の少なかった上流階級との接触が増えれば、その不自由を多くの場で思い知る事となる。
新政府統治の時代になり身分制度が撤廃されたとは言え、商談や社交を行う上で己を名乗る姓が無いのは、それだけで不利となる事が多いのだ。
だが、家の姓を名乗る事は総督府時代まで武士階級にだけ許される特権だった為、元は商家である彼らは最初から姓を持たない。
だからと言って、でっちあげた急ごしらえの姓になど価値は無いし、勝手に他人の姓を名乗るなどは論外だ。
いくら金ばかり持っていても、政府の要人や貴族達から素性も解らない馬の骨と軽んじられていては、自分達の家や商売の今以上の明るい未来は望めない。
ならば、どうするべきか。これに際して彼らの出した回答は、とても簡単なものだった。
その家柄を金で買ってしまえば良い。
没落して金に困っているかつての名家など、今の帝国内には幾らでも居る。
その様な貴族の家の子と自家の子を婚姻させ、その生まれた子を形ばかりでも頭首とすれば、これで自家も名家の仲間入りだ。
貴族としての姓があれば上流階級や異国人との商談でも不利になる事は無いし、商人同士でも『あの名家を買い取るだけの財を持ってる』という誇示になる。
そう考えた新興の豪商達により、かつて武家と呼ばれた多くの家が商家に飲み込まれる形で姿を消していった。
帝国歴一八六六年。
やっと七歳になったばかりの少年であった継守は、千穂という名の自分の許嫁となる少女に初めて引き合わされた。
その艶やかな栗毛の髪の可愛らしい顔立ちの少女は母親の影に隠れたまま、そこから出てこようとはしなかった。
それを父親である総衛門に叱られてから、やっと煌びやかな着物姿で継守の前にまで来て小さな声で挨拶をする。
しかし、挨拶をされた方である幼い継守も、いきなり将来の妻だと聞かされた見知らぬ少女に何と答えれば良いのかが見当もつかず、黙りこくってしまう。
結局、その日は親同士の会話の横で二人が大人しく座っているだけで一日が終わる。
そんな事が幼い二人の間で幾度ともなく繰り返された。
しかし、それも最初に出会った時から一年も経った頃からだろうか。二人の関係には、少しずつ変化が現れて行った。
祖父に握らされた木刀と剣術の事しか知らなかった少年と、屋敷の中で大人達の話ばかり耳にしていた少女は、自然と相手の話に興味を持ち始める様になる。
少年は、少女がいつも土産だと持ってくる異国の品々と、少女が語る外の世界の広がりに目を輝かせた。
そして少女は、地元の同年代の者が相手なら負け無しという少年の剣術武勇伝に目を輝かせる。
そうして、いつしか二人は子供同士で仲良くなり相手に会えた時を喜ぶ様になっていた。
そんな、ある日。
庭の池の鯉に餌をやる千穂の隣で、継守は一つの夢を語った。
『俺は将来、剣の腕で身を立て海の向こうに渡り、この稲郷継守の名を異国の人々の間にまで響き渡らせてやるんだ』
この時、継守は一三歳。千穂は一二歳の時の事である。
それは、たわいも無く年端もいかない少年が思い付いた妄想を口にしただけの絵空事だ。
地元では負け無しの剣術少年が、ただ調子に乗って見栄を張っただけ。
年頃の少年が、普段から『継守様』と自分を呼んで慕ってくれる少女の前で格好つけて見せただけ。
ただ、それだけの話であった。
だが、その話を聞いた時の千穂は驚きに目を見張り、頬を紅潮させ、その場の思い付きで継守が言っただけの夢想を心から信じた。
壮大な夢に興奮し、そんな少年の隣に自分が居られる事に歓喜し、ありったけの憧憬を込めた眼差しで継守を見つめ笑みを浮かべる。
その眩く輝く瞳と笑顔を向けられた少年は、少女の顔をから目を離せなくなる。
無邪気に喜ぶ少女の笑みを、可愛いと思った。少年の言葉を疑わない純粋さを、愛おしいと思った。惜しみ無く向けられる好意と信頼に、嬉しくなった。
だが、そんな感情だけでは説明の出来ない、胸の高鳴りと高鳴る鼓動。そして突然として沸き上がった、少女を腕の中に抱きしめて自分のモノにしてしまいたいという衝動。
きっと、その瞬間からだろう。
稲郷継守という少年にとって千穂という名の少女の存在は、ただの親が決めた許嫁の幼馴染から、とても大切な他の”何か”へと変わった。
そんな少年の心の変化は、少女と会うごとに加速していく。
それまでは月に一度の面会の時が近付くと思い出すだけであった少女の顔を、普段でも気が付けば思い浮かべてばかりいる様になった。
剣術修行での試合で勝利する毎に、その話を少女に会って話す日の事を待ち遠しく思う様になった。
いつしか少年にとって、少女は掛け替えの無い存在へと変わっていく。
だが、そうした継守の心の変化は同時に、己に対する疑問を湧き上がらせる。
ある春の日の事であった。
少女は少年が聞いたことも無い言葉を口にした。そして、その後に照れた笑みを浮かべながら言う。
「継守様が異国を旅する時にも隣に居られるように、南蛮の言葉を習い始めたのです」
ある秋の日、少女は少年が今まで見たことも無い形をした黒光りする鉄製の何か見せてくれた。
少女が言うには、これは南蛮で作られた短筒(拳銃)なのだと言う。それを手に少女は誇らしげに言う。
「継守様が異国を旅する時にも隣に居られるように、護身術を習い始めたのです」
少年の言葉を疑わない少女のその好意に溢れた笑顔に、少年の心に中には嬉しさが沸く。
だが、それと同時に心には、焦燥と己に対する疑問も沸き出して来る。
自分は、このままで良いのだろうか。
ここまま猛州という片田舎での剣術自慢だけで、自分の武人としての生涯を終えて良いのだろうか。
このまま名ばかりの貴族として商家に婿入りし、そのまま商人の操り人形として一生を終えて良いのだろうか。
この稲郷継守を”将来は異国にまで名を轟かす武人”になるのだと純粋に信じる少女の期待と憧憬を裏切ったまま、その少女の婿となって、彼女の目の前に自分が血統だけが取り柄の無能な飼犬である姿を曝して良いのだろうか。
そんな事は耐えられない。
その時の少年は思った。
武人としての誇りも名誉も金で売り払い、他人の操り人形になる事で安寧を貪るのを恥だと思った。
一人の武人として、帝国男子として、己の力で何かの証を立てたかった。
せめて、あの少女にとって尊敬に値する”お慕いする継守様”で、いつまでも居続けたかった。
そう思った少年は、以前にも増して剣術修行に没頭していく。
そして十五になった時、同年代どころか大人が相手でも猛州剣術では誰にも負けなくなった。
少年自身に天賦の才が有り相当の努力をしたのは勿論だ。だが、その頃には既に猛州でも戦国期の古流剣術など修行をする者も少なく、単に敵が少なかったからという事もある。
だが、当時の少年は自分を最強だと思った。自分は最強になれるのだと疑わなかった。
『稲郷家の武家としての再興くらい、この俺の剣の腕で成し遂げてみせる。
そして帝国中に稲郷継守の名を轟かし、正面から堂々と千穂を稲郷家の嫁にと迎えに行くんだ』
そんな事を本気で考えていた。
帝歴一八七六年、早春。
稲郷継守という名の少年は一六歳となり、元服(古来より武士の男子が成人を迎えたとされる儀式)を迎えた。
この一か月後には継守が稲郷家の家督を正式に継いでから千石屋に婿入りするのが、十年来の両家の約束である。
だが、その約束が果たされる事は無かった。
元服の儀の翌朝には、一通の書置きだけを残し、稲郷家の唯一の跡取りである少年の姿は屋敷から消えていたのだ。
その朝、少年の姿は猛州から帝都へと続く一本の街道の上にあった。
淡く白い輝きの朝日の中、その少年は家宝である大刀と僅かな手荷物だけを手に、古くは戦国期に拓かれた街道とは名ばかりの砂利道を歩く。
ようやく朝日が差し始めたばかりの時刻であり、街道には少年の他に行き来する者の人影は殆ど無い。
だが、朝露に濡れる草や小石を踏みしめる足取りにも、田植え前の稲田の土色ばかりの景色を眺める瞳にも、全くの迷いは無かった。
それは未熟で世間知らずな少年が故の、自覚無き無謀な歩みだ。
だが紛れも無く、一人の武人の己の意志による出陣の歩みでもあった。
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