第14曲【プロのステージ】

「まぁ、すぐには決められないでしょうから、一週間以内にお返事を聞かせていただければと思います。その時はこちらに連絡をください。」

蒲田はそう言うとスーツの内ポケットから名刺を取り出し鷹に手渡す。

まるで【Late grass】のリーダーが彼であることを知っていたかのようだ。

「わかりました。メンバーと相談して決めたいと思います。」

「はい。本番前に突然お邪魔してすみませんでした。それでは今からのステージ期待しています。観客サイドから見させて頂くので頑張ってください。」

五人の反応を見て手応えありと感じたのか、まだ所属すると答えをもらったわけではないというのに既に彼らの責任者のような発言である。

この男の性格だろうが、こういう人間を上に立たせると期待に添えなかった時に非常に厄介だというのは直感でなんとなくわかるものだ。

蒲田がそう言ってソファーから腰を浮かせるとつられるように五人も立ち上がり、

「ありがとうございます。」

と軽く一礼を加えて彼が部屋から出ていくのを見届けた。


 気が抜けたように奏以外の四人はもう一度ソファーに腰を下ろした。

「・・・唐突だったな。」

沈黙を破ったのはタツだった。

「ああ、まさか本物の芸能事務所にチェックされてたとはな。」

「そうね。でも自分で言うのも何だけど他のバンドと比べれば私達一人一人の演奏技術はなかなかのものだと思ってるわ。まぁ【Late grass】結成前から今それぞれが持ってる楽器をやってたこともあるのだろうけど。何よりバンドとしてはかなりいい形になってた。」

先ほど聞いた話がまだ信じられないのかリョウジはソファーにもたれかかり必死に頭の整理をし、冷静な沙紀はなぜ自分達に目を向けられたのか客観的な立場から分析してみせる。

「うん、凄いよね。・・・いつの間にか僕達ここまで来てたんだ。」

「ああ。」

感嘆している奏の方を横目で見た鷹が相槌を打つ。

「何か期待してるって言われたからちょっと緊張してきた、トイレ行ってくるね。」

(・・・多分今僕はここにいない方がいい気がする。)

そういうと奏は四人を残し部屋を後にした。



「・・・にしても、本当にこれ以上ない最悪のタイミングだぜ。」

奏が部屋を出て少し経ってから鷹がため息交じりにぼやく。

「ああ。奏が抜ければこの話はきっとなかったことになるだろうな。あいつ自身それがわかってるから今相当きてるはずだ。」

「ん、でもまって!これでもしかしたら奏も考え直してくれるかもしれないわ。」

リョウジの言葉にハッとなった沙紀は嬉しそうに言う。

だがその表情もリーダーによって暗いものへと戻される。

「沙紀、それであいつが俺達とバンドを続けたところできっと『笑えねえ』よ。」

鷹のその言葉は三人を理解させるには充分であった。

この先、奏が【Late grass】を続けたとしても本当の意味で楽しく演奏することはないというのが目に見えている。

また自分達からしてみても彼にギターを強要してしまっているという罪悪感にも似た感覚が拭いきれることもないだろう。

仲間を強く意識する鷹にとってそれらは何よりの不本意なのだ。

「・・・ま、確かにそうね。」

「それで、だ。状況が変わっちまったから改めて聞くが、お前らはどうしたい?」

「・・・!」

鷹は三人の顔を見比べながら返事を待つが全員が下を向いたまま答えようとはしない。

いや厳密に言うのであれば三人共答えは最初から出ていたが口に出すことができないのだ。

それを言えば仲間を苦しめることになる。

しかし、ここには当の本人はいない。

意を決したように自分の正直な気持ちを言葉に表したのはタツであった。

「・・・鷹、俺達【Late grass】の目標はプロを目指して駆け上がる、だったな。だから俺もそのつもりでやってきた。いつかプロとしてステージに立つっていうのが俺の夢でもあったからな。」

「ああ。」

「結成当初は正直その目標が達成できた自分達の姿なんて想像すらできなかった。だけど今それが手の届く範囲まで来てるんだよ。・・・だから俺はプロとして舞台に上がりてえ!!」

「タツ・・・」

滅多に声を張りあげることのないタツに、沙紀はその発言から彼の意志を強く感じていた。

プロとして活動したいというのは彼女も同じである。

いや、それはここにいる誰もがそうだろう。

だが・・・

「・・・でもよ、それなら俺達にできる最高の演奏が出来なけりゃ『プロ』とは言えねえよな。」

「・・・そうよね。ちゃんとした【Late grass】で舞台に上がらないと意味ないものね。」

寂しそうな笑みを浮かべている沙紀も完璧には納得できていないが自分ではどうにもできないことを悟り、タツに同意する。

とどのつまりこれがタツの・・・いや、ここにいる全員の意志であった。

「今度こそ決まりみたいだな、リーダーよぉ。」

「ああ、やっぱりお前ら最高だぜ・・・! そうなりゃ後は奏自信にどうするか決めてもらうしかねぇな。言うまでもなくわかってるだろうが、あいつがこのステージでどんな決断を口にしても文句いうんじゃねぇぞ。」

「おぅ。」

「わかってるさ。」

「・・・もちろんよ。」

鷹の言葉にタツが、リョウジが、沙紀が深く頷いた。



 控室近くにあるトイレではジャージャーとひたすら水の音が聞こえていた。

あまりに長時間だったため、通りがかった人に水道管でも破損しているのかと疑われても仕方がない。

その中で奏は何度も顔を洗い流す。

それはまるでしつこくまとわりつく何かを振り払おうとしているようにも見えた。

(・・・僕が【Late grass】を抜ければさっきの話はきっと白紙になる。プロとしてステージに上がることは皆の夢・・・そのチャンスを奪ってまで自分のやりたいことを貫く必要があるのか? 皆を切り捨ててまで。)

奏は洗面台に両手をつき、顔から滴れる水滴を落としながら自問自答する。

一度はギターもきっぱり辞め【Late grass】を抜け、自身が出逢った篠笛という楽器にこれからの音楽人生の全てを費やすと決めた奏ではあったが、それは同時に仲間全員の夢を奪うことにも繋がってしまう。

(・・・それでも僕は・・・)

流れに逆らわず自然のまま出てくる水道水を奏はそのままの状態でしばらく眺めていた。


---○---○---○---


「【Late grass】さん、そろそろ準備をお願いしまーす!!」

数回ノックする音が聞こえた後に、スタッフと思しき人がフロア全域に聞こえそうなぐらいの大きな声でドア越しに呼び掛けてくる。

返事あるなしに関わらず、無暗に開けようとしないのは着替えやメイク、打ち合わせの最中であることを考慮してのことだろう。

特に女性メンバーがいるグループで、着替え中に間違って入ろうものなら目もあてられない状況になる。

そういった間違いが起こらないために男性グループと女性グループはある程度部屋を離しているが、【Late grass】のように男女混合のグループでは部屋数の関係で同室となっている。

よって衣装に着替えるときは、交代で部屋に入り、締め出された方は廊下で待ちぼうけということになるのだ。

もっとも着替えぐらい見られても気にしない男女混合グループもあるみたいだが。

「了解っす!すぐ行きます。」

「お願いしまーす!!」

鷹の返事に応答したスタッフは、慌ただしくバタバタと足音をたてながら部屋の前から遠ざかっていった。

それを確認した鷹は奏の方を見た。

「奏、一応聞いておくが曲が終わってからの最後、お前に振って大丈夫なんだよな?」

「・・・うん、言うことはもう決まってる。」

「・・・。」

四人の視線が奏に集まる。

彼がこの状況でどんな選択をしたのか、それはあえて聞かなかった。

だが予想はついていたのだ。

奏が一度言ったことを変えたことはこれまでなかったのだから。

「うっし、それじゃあいくぜ!」

「ええ!」

「おぅ!」

「おっしゃ!」

「うん!」

【Late grass】の五人にとって決して忘れられないステージが今幕を開けた。


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