第10曲【楽器を持つ理由】
祭典終了後、出演者によるサイン会がホールの外で行われた。
長い机と椅子が横に並べられ、本日の出演者がサインを書いたり、握手したりする光景が見られる。。
それと向かい合うように机を挟んで各演奏者の前に行列が出来ており、奏は当然星野の列に並び自分の番が来るのを待っていた。
後ろからファンとのやりとりを見ていた奏は、彼女は老若男女問わず分け隔てなく接し、聞きに来てくれてる人を本当に大切にしてるのだということを改めて理解する。
それだけの人柄と実力を兼ね揃えた人気者の彼女に、断られること覚悟の上でどうしてもお願いしたい事があった。
(差し出がましいっていうのはわかってるけど、それでも・・・!)
自分にそう言い聞かせようとするが、前に並ぶ人が少なくなっていくにつれて心臓の鼓動が早くなっていく。
失礼のないようにお願いするにはどう言ったらいいのか頭の中で試行錯誤しているうちに自分の前に人がいなくなっていることに気付いた。
「あ・・・」
「あら?あなたは・・・祭典が始まる前入口でお会いした方ですね。楽しんでいただけましたか?」
星野は奏の顔を確認した後にこりと微笑み、彼の様子を伺うように尋ねた。
「あ、はい。覚えて頂けてて嬉しいです。今日の演奏とても素敵でした。実は僕、篠笛は今日初めて耳にしましたが、こんなにも綺麗な音色が出せる楽器があるなんて全く知りませんでした。」
「ありがとうございます。あなたみたいなお若い方に篠笛を知って頂けてとても嬉しく思います。私は京都出身で関西を中心に演奏を行うことが多いのでもしよろしければまたお越し頂けると嬉しく思います。」
「はい、僕も星野さんの舞台また見たいと思っていますので是非行きたいです。 えっと…それで…」
奏は自身の顔が熱くなっていくのを感じる。
言わなければいけないことがあるのはわかっているが、そう思えば思うほど追い込まれていき、ドツボにはまるものである。
「・・・? なんでしょう?」
星野は表情を崩さないまま、少し首をかしげる仕草をして奏の言葉を待つ。
(言わないと・・・ちゃんとお願いしないと!)
だが、その気持ちとは裏腹に言葉が出てこない。
「・・・あ、いえ。なんでもありません。・・・ありがとうございました!!」
奏は星野からサインを受け取り握手を交わすと、大げさに頭を下げ足早にその場を後にした。
「・・・!(あの子・・・)」
「む、どうかされましたかな?星野さん。」
傍らに立っていた初老の紳士が、立ち去る奏に後を追うような視線を向けていた星野が気にかかり声をかける。
「いえ、今の子と握手したときに気付いたのですが、きっと彼すごく楽器を頑張ってるのかもと思いまして。」
「ああ、楽器奏者独特の指をしているということですかな?」
「ええ、そんなところです。」
彼は一体何を言いかけたんだろうと気にはしたが、目の前に並ぶお客様に失礼だと思い、星野はすぐに頭を切り替えそれ以上考えるようなことはしなかった。
(・・・はぁ。結局言えなかったな。まぁお願いしたところで星野さんほどのプロが僕一人を相手に時間なんて割けるわけないか。)
篠笛っていう楽器を知ることができただけでもよしとしようと奏は思うことにし、会場を出ようとした時だった。
ブルルル!
途端にポケットに入れていた携帯が震えだす。
(メール?あ、そっか。もう新年だもんね。)
『あけおめ!今年もよろしく!!_(._.)_ 来週の土曜、新年初っ端だし派手なライブにしようぜ!! それと今日の練習だけど・・・』
(リーダーからか。そういえば新年早々でも変わらず定期ライブ入れてたなぁ、あの人。)
奏は学内サークルの中でバンドを組んでいる。
楽器が好きだからという理由でサークルに入ったが、最初の自己紹介でいろんな楽器の経験があると言ってしまったことにより、当初たくさんのバンドから誘いを受けることとなった。
その中から音楽性・方向性・活動日数(時間)を考慮し、自分に一番合っていた【Late grass】という、奏を含めた五人組バンドにギター役として所属することを決めたのだ。
男四人女一人で結成されたこのバンドはもう二年という月日が経ち、今ではそのメンバー達にとってこの五人でいることが当たり前となっていた。
当然奏もその輪の中にいなくてはならない存在である。
だが奏自身は、本気で自分の好きな楽器に打ち込んでいる【Late grass】の仲間と、『なんとなく』いろんな楽器に手を出し、バンドメンバーとして迷惑をかけないように精一杯ギターを頑張っている今の自分とはどこか違うものがあるとずっと感じていた。
(とりあえず返信しておかないと。)
ピッピッと手慣れた手付きで奏は文字を打つが、途中で何か打とうとして消す動作が入る。
『あけましておめでとう!こちらこそよろしくね。今日の練習の件、了解です。』
「・・・。」
送信完了画面を見ている奏はどこか遠くを見ているような、そんな目だった。
---○---○---○---
「本日はお疲れ様でした。よいお年をお迎えください。」
「お疲れ様でした!星野さんもよいお年を。」
サイン会の行列がいなくなったロビーで星野は共演者や運営スタッフ達と労いを兼ねた新年の挨拶を交わしていた。
「・・・あぁそうだ、星野さん!忘れるところでした。」
撤収しようとしていた運営スタッフの一人が星野に振り返る。
「はい?」
「一大行事を終えたばかりで申し訳ないのですが、次回四月に行われるイベントについて打ち合わせの場を設けたいと思っておりまして、来週土曜のお昼頃などご都合いかがでしょうか?」
「えーっと少しお待ちくださいね、確認します。」
そういうと星野はショルダーバッグから手帳を取り出しパラパラとめくる。
常に持ち歩いているところを見ても彼女が多忙だというのがわかる。
ましてや年始だ。
「・・・あぁ、申し訳ございません。その日は知り合いが運営しているライブハウスの年明けイベントに顔を出すことになっておりまして・・・。」
「おや、ゲスト出演ですか?」
「いえ、あくまでお客さんとして見に行くだけです。」
「そうですか、それならば仕方ありませんね。まだこの日に決定というわけではないので、もしやるとしたら決まったことはまた追って報告させて頂きたいと思います。」
「はい。お手数お掛けしてすみませんが、よろしくお願いします。」
星野は一礼すると晴れ晴れとした表情で控室に戻っていった。
---○---○---○---
去年までの事をリセットし、新しい気持ちで迎える一年の初日。
日本において、この時期だけはほとんどの会社が休みで、これを機に自宅でゆっくりする者もいれば、家族や友人を連れ初詣に出向く者もいる。
それでも一部の者は働いているわけだから外国の人が口を揃えて言うように日本人は本当に働き者である。
そんな中、世間の行事よりも音楽に全てをかける若者達が集まるこのスタジオの一室では不穏な空気が漂っていた。
「・・・奏、お前今何つった?」
もはや金か銀かよくわからない色の髪を整髪料で固め、ギラギラという表現がとてもよく似合う若い男がマイクを握ったまま、奏に問い詰める。
その様子を同じ室内にいる男女三人が驚きと不安が混ざった表情で見つめる。
「だから、土曜のライブを最後に僕はLate grassを抜けようと思う。来週のステージでそれを発表して今まで応援してくれた人達にもちゃんと挨拶はするつもり。・・・許可してくれる?リーダー。」
「っざけんな!!」
だが室内に響き渡るのは活気溢れる歌声ではなく怒号だった。
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