第7曲【美代の思惑】

「それでは叩く理由も含め、現状全てわからないと・・・?」

香詠は確認するように口を開く。

この話を聞き、にわかには信じられないというのが普通の人の反応だろう。

だが、この数週間奏といろいろ連絡を取り合ってるうちに彼が冗談を言うような人間ではないということを香詠は理解していた。

「はい。正直最初に見たとき僕も自分の目を疑いました。多分サラが前一緒に住んでた人と何か関係があると思うんですが。」

「ハッ!ハッ!」

名前が出てきたことで自分の話をしていることがわかったのかサラは過敏に反応し、奏と香詠を交互に見つめる。

もっと自分に構ってほしいというのが心情だろうが、そのサラのことで二人が頭を悩ませていることを人語がわからない犬には知る由もない。

「私もそう思います。パーランクーを叩いてるときのサラはとても楽しそうに見えましたのでその方ときっといい思い出があるのかもしれませんね。それを思えばやはりこの子を置いていった方を何とかして・・・」

探し出した方がいいのではと香詠が言おうと思ったところで二回襖を叩く音が聞こえた。

「よろしいですか?」

「はい、大丈夫です。」

香詠が答えると気品溢れる佇まいで美代が室内に足を踏み入れた。


 この御箏荘において主は美代である。

だが、客とはいえ我が娘の友人相手にも礼儀作法を怠らないあたり、いかにそういったことに厳しいのかが窺える。

故に香詠がやたらと上品であることにも奏は納得した。

「奏さんの篠笛、本当に綺麗な音・・・まるで心が洗われるようです。香詠の言った通りね。」

「え、あ、ありがとうございます。」

「すみません。立ち聞きするつもりはありませんでしたが、あちらにいましたら心地良い旋律が聞こえてきたものでつい。香詠も以前にもまして一段と素晴らしい演奏でしたよ。」

「ありがとうございます。初めてだったのにも関わらず、奏さんとの演奏はやりやすく、自然にこの子の音が引き出されるような不思議な感覚でした。」

フフフと笑いながら話す予想外の美代の反応に奏は少し戸惑う。

香詠が話を伝えてくれてるとはいえ、稽古の見学に来ているのにそれを見る前に笛を吹くというのはやはりうしろめたいものがある。

それに篠笛の演奏技術においては『ある程度』の自信を持っている奏ではあるが、これだけ厳しそうな人なら一つや二つダメ出しされても仕方がないと思っていたのだ。

だからこそ美代の見せたその表情に安心した奏だったが、彼女に長く育てられた香詠にとって、母のその笑いは何か良からぬことを考えているときのものだと知っていた。

(お母様のあの感じ・・・何だか嫌な予感がします)

と思った瞬間だった。

その予感は的中し、美代は突拍子もないことを言い出す。

「そうですか。でも初めての合奏でこれだけぴったり息の合う演奏ができるあなた達ならこれから組んでも上手くやっていけそうね。」

「・・・え?」

「・・・!! お母様それは・・・」

一瞬何を言われたのかわからなかった二人は反応が遅れる。

「あら、ちがうの? 香詠が嬉しそうに話すからてっきりそうかと・・・。」

「ワン!」

「あらあら、ごめんなさいサラ。二人ではなくて三人でしたね。」

「いえ、お母様。そういうことではなく、私は・・・」

香詠が何か言いかけたところで美代はそれを遮るように言葉を続ける。

「ん~、でもいい機会だからあなた自身をさらに成長させるためにも私はその方がいいと思うのだけど。一人では奏でることのできない旋律もあるのよ?」

「・・・。(お母様、もしかすると初めからそのつもりだったのでは・・・)」

美代は笑顔を崩していないが、まるで拒否することを許さないようなその口ぶりからは威圧にも似たオーラを放っている。

対して苦虫を噛み潰したような表情の香詠は言葉を失い沈黙する。

それはもう何を言ってもダメだろうという諦めにも見えた。

美代はその様子を見て彼女に向けていたその妖艶な視線を奏へと移す。

「奏さんは何か目標とかあるのかしら? もしそうならこの子と組んでみるのはどう? 母親の私が言うのもおかしいかもしれないけど箏の演奏技術は折り紙つきよ。コンクールで優勝経験だってありますもの。あなたなら優しそうですし私も安心。」

「えっと、僕は・・・」

傍から聞くと最後の一言は語弊があるが、奏は正しく意味を理解した。

笑顔を絶やすことはないが、いつの間にか奏に対しても話口調が敬語ではなくなってきていることから完全に美代のペースになっていると香詠は思った。

奏は続きの言葉をすぐに紡ぎだすことが出来ず、再び場は沈黙する。

彼女の演奏技術がかなりのものだということは奏も先ほどの演奏でわかっていた。

コンクールでの優勝経験がある、これだけの演奏が出来れるのであればそれも当然だろう。

少なくとも香詠の技術云々についてはこれっぽっちも疑っていないし、今回の件が終わっても和楽器を通して彼女とはいい友人であり続けたいと思っているのも事実だ。

だからこのとき彼の脳裏に浮かんだのは他ならぬ自分自身のことで、美代のその問いかけに奏は自身が篠笛を演奏することの理由を再確認させられていた。

(目標・・・)

そう・・・確かにあるのだ。

奏が篠笛と出会うきっかけになった七年前を境に。

それを忘れないために『あの日』からこの名を名乗ったのだから。


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