第6曲【演奏する犬】
香詠は何かを払拭するように楽譜を立て掛け、爪をつけた後、二、三、弦を弾いてみせた。
この日合わせる楽曲についてはあらかじめ打ち合わせており、奏が提案した楽曲の楽譜と音源を電子的な手段で早い内に香詠には送っている。
それは本来、箏の楽譜であったが香詠は自身で文化箏用の楽譜に書き換えていた。
「・・・さて、調弦の方も既に平調子に合わせてありますのでいつでも大丈夫です。」
箏は篠笛と違い、曲毎に調弦が必要な楽器である。
平調子、雲井調子といった名前の調弦法がいくつか存在し、楽曲の音階に合わせて使い分ける。
舞台になってくると調弦によるタイムロスを防ぐため、前もって違う調子の箏を2つ用意していたり、箏を使わない楽曲を間に入れてその時に調弦するなど様々な工夫がなされている。
これが篠笛の場合、一本調子と呼ばれるものから順番に十三本調子まで存在し、数字が増える毎に半音ずつあがっていくので曲によって持ち変えるだけでいいのだ。
よって篠笛奏者はその日演奏する楽曲に合わせて数本持ち歩くのが常といっていい。
最も同じ調子であっても作りや素材の質によって音質に若干の違いが生じる。
その中で本当の意味で楽曲に合った笛を探すのも面白味の一つといえるだろう。
「わかりました、じゃあ早速始めましょうか。」
一瞬寂しそうな表情を見せた香詠だったが、笑顔を取り戻したのをみて安心した奏はサラを座敷に降ろした後、自身もカバンから篠笛を取り出し構える。
二人がアイコンタクトを交わすと何拍か置かれた後に箏の伴奏から曲は始まった。
ゆったりとした感じから入るこの『京の花』という曲は奏の師が作曲し、練習用としてよく使っていた楽曲である。
それに加え、香詠とサラに初めてあった日に演奏した曲でもある。
六小節の前奏の後、篠笛の主旋律が加わる。
終始ゆっくりとしたテンポで、和を全面に出したその曲調は心の故郷と言われる京の都をイメージさせる。
それでいて透き通った音色の篠笛としみじみとくる音色の箏が合わさることで、聞いているだけで癒される一曲に仕上がっている。
同じ旋律を繰り返すような構成のこの曲は初めての合奏でも比較的合わせやすい方だろう。
そのことをふまえても奏は驚いていた。
(いくら音源を送っていたとは言え初めての合奏でこれだけ合わせることができるなんて…何となく予想はしてたけど香詠さん、やっぱり凄い腕前だ)
しかしそう思っていたのは奏だけではなく、香詠も同じようなことを考えていた。
(一回目からこれだけ波長が合う演奏ができるなんて初めてかもしれませんね)
そして二人がそれぞれ自分達の世界へ入り、曲も後半に差し掛かったころ、一つの単音が二人の旋律に割って入った。
バシッ!
「え…」
現実の世界に一瞬にして引き戻され、演奏中にも関わらず香詠は思わず声をあげてしまう。
その視線の先にはおすわりしているサラが映る。
(サラ・・・?今の音は一体)
サラが右手が振り下ろした瞬間だった。
バシッ!
再度あの音が室内に響く。
(あの音はやっぱりサラ・・・)
右手の先には奏のカバンから出てきたと思われる小太鼓のようなものが転がっていた。
(手元にあるものって和太鼓?・・・いえ、あれはもしかして・・・パーランクー!?)
パーランクーというのは沖縄の打楽器である。
形状は太鼓によく似ていて、本来の使い方は片手にパーランクーを持ち、もう片方の手でバチを持ち演奏するというもの。
沖縄の伝統芸能エイサーによくみられる。
そのパーランクをサラは不定のリズムで右手でバシバシ叩いているのだ。
世にも珍しいその光景に最初こそ驚いた香詠だったが、すぐ笑顔に戻り楽譜に視線を落とす。
(そう・・・サラ、あなたも一緒に演奏したいのですね)
奏は音がした時、一瞬その方向に視線を向けたが正体がわかっていたこともあり特に驚くことはなく、自分の世界に戻っていた。
バシッ!
・
・
バシッ!
・
バシッ!
音も定まらず全くリズムになっていないが、まるで自分も一緒に演奏してるのだと言いたげにサラも必死になって叩いている。
バシッ!
バシッ!
(少し叩きすぎな気がしますけど…スイッチでも入ったのかしら…)
と香詠は心の中でつっこみを入れた。
「初めて合わせたのにすごくいい感じでしたね!サラも気合入ってたし。」
と演奏を終えた奏が笑いながら感想をいうと、
「ハッ!ハッ!」
とサラは誇らしげに舌を出して奏を見た。
「はい、私も初めて演奏を共にした方とここまで出来たことはありませんでした。楽曲自体も素敵でとても気持ちのよいものでした。」
「そういってもらえると僕も嬉しいです。それと一緒にやってみてわかりましたけど、やっぱり香詠さんって相当な経験をお持ちですよね。」
「子供の頃からやっているというだけですので・・・。私自身、乗り越えないといけない壁もありますしまだまだ実力不足だと思っております。」
「壁・・・?」
「はい。・・・それにしましてもサラには驚きました。それはパーランクーですよね?この子いつから叩くようになったのですか?」
香詠はそれ以上聞かれたくないという雰囲気でサラの話に切り替える。
先ほどもそうだったが何かを抱えているであろうということは奏も予想できたが、香詠本人が聞かれたくないオーラを出していたのでそれ以上追及はせず素直に質問に答えた。
「それが不思議なんですよね…。」
---○---○---○---
今から一週間前。
奏が珍しく定時で仕事を終え、帰宅した日だった。
バシッ!・・・バシッ!
(何だろう、この音・・・どこかで聞き覚えが)
そっと居間を覗くとその奇怪音の正体に奏は唖然とした。
床の間に置いてあったパーランクーをサラが叩いているのだ。
(サラ・・・!?)
一体どこで覚えてきたのか・・・
なぜ叩いているのか・・・
理解不能な状況だった。
奏が帰ってきたことに気付いたサラは嬉しそうに寄ってくる。
「サラ、一体それどこで覚えたの?」
返ってくるはずもない質問だというのはわかっている、だが聞かずにはいられなかったのだ。
「ハッ!ハッ!」
サラは何事もなかったかのように奏の両足に自分の両手をかけて立ち上がる。
だが奏にはそれがまるで何かを求めているようにも見えた。
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