第5曲【名工『葉桜』】
時を遡ること明治時代初期。
西洋の技術を組み込み、鉄道・電気などが開通し、いわゆる文明開化と言われたこの時代に、この地である古武術が名を馳せていた。
『月島無閃流』と言われたその武術は今でいう合気道に近いものだったという。
そしてその開祖こそが香詠の先祖にあたる人物で、この御箏荘(みことそう)は道場として使っていたものらしく閉場してからというもの、血縁者が代々管理してきたとのことだ。
祖父母が跡継ぎを宣告して以来、ここの主は香詠の母となったが現住居を離れることをよしとしなかった彼女は、先祖に見習い、教えの場として使っていきたいということで箏教室にしたのだと香詠は説明した。
「ですから私も母もここに住んでるというわけではなくて、あくまで教室として母は使っています。」
「へぇ・・・何だかすごいですね、香詠さんの家系って。」
「ご先祖様の歴史を今でも語り継いでいるだけですよ。」
玄関口に背を向けて手短に解説を終えた(つもりの)香詠に奏は思ったことを素直に口に出した。
言葉が見つからず感想があまりに淡白になってしまったことを奏は少し反省したが、実際そういう話をされると返事に困るものであり、余計な言葉を加えるとそれがかえって爆弾になってしまうこともあるのだ。
香詠はまだ何か話したそうにしていたが、奏の反応を見てつまらない話をしてしまったと思い込み、そこで話を切った。
だが奏がこの話を聞き関心したのは事実でこれだけの土地と建物を所有しているとなると税金も半端な額ではない。
それでもなお売り払ったりせずに所有し続けるということはそれだけこの場所が大切な財産なのだろう。
もっともそのようなことは奏の知るとこではなかったし、突き詰めて聞くようなことはしなかった。
奏が何か考えていることを悟り、訝しげに小首を傾げた香詠だったが続きの言葉が出てこないことを確認すると一瞬微笑み、玄関口に向きなおす。
ノックをしようとしたがそれより早く外での会話で人がいることに気付いたのかうっすらと人影が見え開き戸がゆっくり横に開いた。
「おかえりなさい、香詠。」
「ただいま帰りました、お母様。」
香詠と同じく着物を着た女性が出迎えた。
一目で彼女の身内と確信できるほどに顔立ちが似ておりその麗しい黒髪も年齢による衰えを全く感じさせない。
香詠がお母様と呼んだからこそ彼女の母親だと理解できたが、姉妹と言われても疑わないレベルである。
まさに容姿端麗という言葉がぴったりであるが、その上品さを帯びた微笑からはどこか妖艶さを漂わせている。
「星宮奏さんをお連れいたしました。」
香詠がそういうと、サラを両腕に抱えたまま奏は一歩前へ出て会釈する。
「星宮奏と申します。本日はよろしくお願いします。」
「こちらこそ。私、香詠の母でここの主を任されております月島美代(つきしまみよ)と申します。本日はわざわざ足を運んでいただきありがとうございます。確か香詠の話ですと篠笛を演奏されるとお聞きしましたが・・・」
落ち着きがあり、聞き取りやすい丁寧な物言いである。
それでいて自分が話してる最中には一切言葉を入れさせないという威圧にも似たオーラを出してるあたり、さすがは指導者といったところか。
その空気に奏は自身が委縮してしまっていることを感じているが、何とか失礼のない言葉を探し返した。
「あ、はい。それで文化箏という楽器について香詠さんから聞き、一度見学してみたいと思いまして。」
「そうですか、文化箏に興味を持っていただけて嬉しく思います。ゆっくりしていってくださいね。」
そういうと美代は奏に近づき、両腕に抱え上げられているサラの頭を撫でた。
「ハッハッ!」
「この子がサラね。フフ、かわいい・・・。娘が見つけた子なのにご迷惑をおかけして申し訳ございません。この件については改めて何かお礼をさせていただきたいと思います。」
「あ、いえ!サラを引き取ると言い出したのは僕の方ですから気になさらないでください。」
奏がそういうと美代はクスリと笑いながら「どうぞ」と言い、奏達を中へ迎え入れた。
大人三人は並んで歩けそうな横幅のある廊下を渡り、案内された部屋は大宴会でもできそうな広い和室だった。
いや和室というより、高級旅館などにありそうな『何とかの間』といった表現の方がしっくり来るだろう。
(うちの旅館の部屋よりよっぽど大きい・・・)
それはそうだ、十六畳あるのだから。
美代の話だと今日来られる生徒は元々知り合い同士の三人組だという。
いつも時間ギリギリか少し遅れてくるかのどちらからしい。
美代はお稽古の準備をしてきますと言い、お茶菓子を出し終えると奏と香詠とサラを残し部屋を出て行った。
奏が時計を見ると現在十四時四十五分。『いつも』通りであるならば後十五分はある。
それならばと閃いた香詠は、
「奏さん、時間もあることですし先にお約束してました合奏してみませんか?」
と自分から提案した。
「えっと・・・僕は構いませんけど今いきなりやって大丈夫ですか?」
この質問はもっともである。
見学のためにこの場にいるのに、時間があることをいいことにいきなり笛を吹き始めたらさすがの美代も驚くだろう。
第一印象から察するにあの手の人は怒らせたら絶対恐い、奏は妙に自信を持っていた。
故に奏は見学の後に美代の承諾をもらって香詠と合わせる予定だったのだ。
「ご心配には及びません。今日ここで一緒に音を合わせてみるということは既に母には伝えております。奏さんの篠笛、母も聞いてみたいと言っておられたのでむしろ都合がよろしいかと。」
「そうですか、それなら問題ないかな。」
香詠は笑みを返すと着物を押さえながら上品に立ち上がり、部屋の奥に移動した。
その先には紫色の布が掛かった長方形状の物が置いてある。
香詠はそれを両手に取ると奏の近くまで持ってきて座り直し、かけてあった布を外して綺麗に折りたたむ。
「これが・・・」
「はい。私が愛用している文化箏で名を『葉桜(はざくら』。昭和初期に生きた木市仁之助(きいちじんのすけ)という人物が作られた物で現代の文化箏のモデルになったものとも言われています。」
「ええっ!それってかなりの名工品じゃあ・・・」
淡々と紹介する香詠に奏は驚いた表情を見せた。
それもそうだろう。
箏と文化箏は別物であるが、造りの材質や構造は同じである。
一般的に箏の寿命は三十年~五十年と言われており、いきなり鳴らなくなるということはないが木の劣化により一部の音がまともに出なくなるのだ。
故に彼女の言うとおり本当に昭和初期に作られたものであるのなら、通常の箏の倍近く生きているということになる。
かつ未だに音が衰えていないとなるとそれは間違いなくこの世に二つとない名工品に入る。
「この子は十数年前、ある出来事がきっかけでに母が私に譲ってくれたものです。」
「・・・?」
楽器を人として捉えてる辺りそれだけ大切にしているのだろうと奏は思ったが、寂しそうな表情を見せる香詠に少し違和感を覚えた。
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