第4曲【香詠との再会と御箏荘】
泥棒疑惑から一週間が過ぎようとしていた。
仕事を終え、帰宅した奏はサラを連れて家の近くにある文化施設を訪れていた。
時間は20時半を越えてることもあり、ガラス越しの受付から見える職員の人数も数えられるぐらいしか残っていない。
そんな中、奏に気付いた中年の男性職員が壁にかけてある鍵を手に取り、にこやかに受付の前へとやってくる。
「おぉ奏君。今日もこの部屋を使ってくれるかい?」
「ワン!」
「おぉおぉ、サラも元気じゃないか。」
ハッハッハッと笑いながら親しげに名前で呼んでくるこの職員は奏が七年前から世話になってる人物である。
ここでの職歴だけでいうと間違いなくベテランと言われる位置づけになるだろう。
「わかりました。では少しお借りしますね。」
「あぁ、今日はもう後の人はいないから私が帰る二十三時ぐらいまでなら好きに使ってくれて構わないからね。」
「いつもありがとうございます、三好(みよし)さん。」
奏が笑顔でそう答えると三好は再び受付奥へと戻っていった。
市街地の真ん中に位置するこの文化施設では普段習い事の教室や会議などに利用されているが、部屋数が多いこともあり個人の貸出も受け付けている。
交通に便利であることや貸出料金が安価であるため土日はあっという間に埋まってしまうが、平日の夜間は比較的利用者が少なく、特に奏が訪れることの多い時間帯の二十時以降は満室になっていることはほとんどない。
情報流出が器具される重要な会議や、大きな音が出る和楽器団体の練習も行われるため防音加工も全室しっかりと施されているのも人気がある理由だろう。
奏は篠笛を手にするようになってからというものよくこの文化施設を利用していた。
渡された鍵の部屋に入ると奏にとっては見慣れた光景が視界に入る。
カラオケボックスの個室よりかは数倍大きい長方形の部屋で、真ん中に長い机とパイプ椅子がセットされているだけのシンプルな部屋。
この場所でひとしきり篠笛を吹くことが仕事がある日の奏の日課である。
本来ならこの部屋でのペットの連れ込みは禁止ということなのだが、サラを初めてここに連れてきたときに三好が「外で待たせておくのも可哀そうだ」と言い、粗相をしないことを条件に気を利かせてくれたのだ。
その日以来サラも当たり前のように部屋に入るようになった。
三好以外の職員だったとしてもサラを連れ込むことに何も言われないあたり、彼が根回ししてくれたのだろう。
そういう気遣いも奏がこの場所を長く利用していきたいと思う理由の一つだった。
「さてと、じゃあ今日もやりますか。」
大きく背伸びした奏は篠笛を手に持つと何かを思い出したようにサラに目線を向けた。
「あ、そうそうサラ。明日久しぶりに香詠さんに会えるよ。楽しみだね!」
「ワン!」
サラは元気な声で返事をするが恐らく意味はわかっていない。
二週間前サラを引き取って以来、音楽のことやサラのことやらで香詠とは何かと連絡を取り合っている。
以前奏がお願いした箏教室の見学、そして香詠と一度一緒に演奏するという約束は明日ということになっていた。
「香詠さんをビックリさせようね、サラ。」
そういうと奏はカバンの中に入っていたものを取り出してお座りをしているサラの目の前に置いた。
間を置かず奏が笛を吹き始めた瞬間、もう一つの異なる音が室内に響いたのだった。
---○---○---○---
翌日、奏はサラを連れて自宅から徒歩20分ぐらいのところにある駅まで向かっていた。
日曜日の昼間ということもあり、旅行に訪れたと思われる人達が大半を占めている。
この日、待ち合わせ時刻は14時30分ということになっているがサラがいることも考え、少し余裕をもって家を出ていた。
にも関わらず指定の場所に香詠の姿を目視できたので、もしかして遅刻だろうかと腕時計を見るとまだ5分前だった。
ただの見学とはいえ、香詠からしてみたら奏達は待たせてはいけないという心理が働く『お客様』なのだろう。
前方にいるのが香詠だと理解するやいなや、サラはリードを持っている奏を引っ張るようにして走り出す。
主導権を握られた奏は自然と早足になってしまうが、待たせてしまっていることもあり、急いでいるように見えてむしろ都合がいい。
「すみません、お待たせしてしまったみたいで!」
「ワン!ワン!」
奏が一言お詫びを言うのと同時に香詠との再会を喜ぶサラ。
たった半日一緒にいただけなのにしっかりと覚えてるあたり、やはりサラは賢い部類に入るだろう。
奏はいつから待ってましたかと聞こうと思ったが、野暮になりそうなので言葉にはしなかった。
が、その質問はするまでもなかった。
「こんにちわ、私も今来たばかりですので大丈夫ですよ。サラもお久しぶり、元気そうで安心しました。」
「ハッハッ!」
香詠はにこりと微笑んで、サラの頭を撫でながら奏と挨拶を交わす。
「母の教室はここから徒歩十分ぐらいのところにあります。お話しながらだったらすぐだと思いますので参りましょうか。」
「わかりました。じゃ行こっか、サラ。」
「ワン!」
何故かサラが先陣をきるような形で、奏と香詠は横に並んで歩き出した。
連絡を取り合ってるとはいえ、出会って二週間弱しか経っていない者同士の会話といえば、自然と二人の共通する話題になる。
「ということはもう楽譜の方も・・・」
「はい、奏さんから送って頂いた画像の楽譜はお箏の物でしたけど、それを文化箏用の数字譜に一度書き直しました。」
「そうでしたか。何だか時間をとらせてしまったみたいですいません。」
「あ、いえ!私も今日奏さんと一緒に演奏できることを心待ちにしていましたから。」
奏が言い終わるより早く、香詠は遮るように応えた。
一緒に演奏する楽曲について、連絡し合っていた時にわかったことなのだが、本来の箏譜と香詠が使っている文化箏の楽譜は若干異なるらしい。
とはいえ、同じ楽器でもいろいろな流派がある以上多少の表記の違いは出てくる。
それを見聞として広げていくのも和楽器の醍醐味の一つと言っていいだろう。
奏が今までのやり取りを思い出していると横を歩く香詠の足取りが止まる。
「着きました、ここです。」
奏も一瞬遅れて足を止めると建物を見上げた。
(うわっ!大きい。ここもしかして香詠さんの家・・・なのかな)
外見を一言であらわすのであれば、時代劇などによく出てくる武家屋敷のような印象だった。
造りは木造でどことなく奏の自宅と構造は似ているが奥行きに関しては倍はあるだろう。
玄関口までの距離は長くはないが、その左右には建物を囲うように小道があり敷地の広さから察するに裏庭へと続いているだろうことが予測できた。
「どうぞ中へ。」
手を添えながらそういうと香詠は中へ入っていったので、奏もお邪魔しますと一言添え後に続いた。
サラに至っては小道の先が気になるのか奏を引っ張り強引に進もうとしている。
奏はサラを抱え上げ香詠の後ろを歩き、玄関口の前まで来ると上部に掛けてあった看板に目がついた。
「御箏荘・・・?」
その言葉に香詠が綺麗な黒髪を靡かせながら振り返る。
「はい!『御箏荘(みことそう)』…それが母の開いている箏教室の名前です。」
香詠は満面の笑みで自信満々に答えた。
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