第13話 「おめでとう」の裏で

「雪哉。それを返すつもりじゃないよな?」


 新之助が腕を組んだまま、けれど心配そうに俺を見つめ、俺は虚空を見つめる。

 新之助の言う”それ”とは、L社に入るためのセキュリティカードだ。

 会議室のドアの隣から聞こえるエアコンの音がやけにうるさくて、だから俺の咳払いなんてきっと新之助には届かなかっただろう。


「ヒロは?」

「ヒロ?あいつはまだ来てないな。遅刻するだなんて珍しいが」

「そっか……」

「それよりも雪哉、俺の質問に答えてくれ」


 新之助は焦っているように見える。というより明らかに焦っている。俺の表情はそんなに切羽詰まっているのだろうか。新之助の目には、俺がこれから何を言おうとしているように映っているのだろう。


「なぁ新之助」

「何だよ。返すと言っても受け取らんからな。お前がこの一週間の間に何を考えたかは知らんが、お前は一緒に出ると言ったんだ。男に二言はないぞ」


 わかっているよ、と俺は思う。

「俺嬉しかったんだよ。お前が誘ってくれたとき、本当に嬉しかった。この一年、お前が結婚してからというもの、どんどん連絡する機会減ってっただろ。俺から連絡することもなくなったな。お前は圧倒言う間にL社の役職者になって出世頭だ。正直気後れしちゃってさ。家庭持ちで仕事も差がついちゃってさ。だから一緒に仕事ができると思うと嬉しくて……。だけど悔しくて……」


 俺は虚空を見つめたまま俺は続けた。それは、まじりっ気のない俺の本心だ。


「営業成績一位だったんだってな、おめでとう」

「良い奥さん、捕まえたよな。結婚おめでとう」

「事業責任者になったんだな。部下も10人以上できたんだって?おめでとう」


 こんなんじゃなくて、社会人になって出会うたびに言った「おめでとう」の裏で、何度も飲み込んだ言葉。出世できなかった人間の嫉妬、劣等感。言い放つうちに少しずつ眼前が潤んでくる。土曜の朝っぱらからなんて情けなくも愚かなんだろう。

 そして新之助の顔が浮かぶ。


「いつまで下を向いてるんだ。お前の気持ちぐらいわかっているよ。だけど気後れする必要なんかないさ。出世なんかしょせんは運が付きまとう。お前が本当は努力家で、頭も切れて、仲間思いの奴だってことをみんな知っている。だから俺もヒロもお前を誘ったんだ。約束だっただろう?」


 新之助が膝を曲げて俺の視線に合わせたのだった。俺は鼻をすすって笑う。


「バカヤロ、照れるよこのヤロ。だけどありがとう。そうだよな、そうだよな……」


 涙で滲んだ俺の顔を見て、新之助も笑った。


「ごめんごめん、朝寝坊しちゃって遅れちゃった。ってあれ?」

 そこにヒロが入ってきて、キョロキョロと2人に交互に目をやる。


「2人ともどうしたの?なんかあった?」


 目の前はもう晴れていて、俺は自信たっぷりに言う。批判されても大丈夫だ。

「今日は、新しい事業案持ってきたんだ。ぜひ2人に聞いてほしくて」

「おお!」


 2人とも驚きと期待で笑顔になる。今や3人ともみんな笑っていた。

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