第12話 大事なこと
3月2週目。土曜の朝、俺は再び渋谷のL社オフィスへと向かう。
「雪哉、来たか」
会議室の扉を空けると、マジック片手にホワイトボードに何やら書いていた新之助が振り返った。ヒロの姿はまだない。
「ああ、来たよ。先週からここ入るためのセキュリティカード預かったままだし、どっちにしろ来なきゃいけなかったんだ」
「まさか、返す気じゃないだろうな」
新之助が鋭い目で尋ねる。俺は……、俺の気持ちはもう決まっていた。
春香は電話口で俺に言ってくれた。
「絶対に諦めちゃダメ。こんなチャンス滅多にないよ。新之助もヒロの奴も、雪くんのこと頼りにしてるから声かけてくれたんでしょ?バカにするためなわけないじゃん!大丈夫。あいつらそんな複雑なこと考えてるわけないから」
ビジコンの誘いを受けたことを話すと、春香のテンションは異様に上がっていた。サークルのマネージャーだった春香は、新之助とヒロのことも当然よく知っている。俺と付き合いだしたのが、大学4年になったばかりの4月だから、もう付き合って丸6年になろうとしている。新卒で有名アパレルブランドに入社を決めた春香は、今は大阪の大手百貨店で女性向け店舗のアソマネとして精力的に働いている。そんな春香の励ましは俺の耳に驚くほどすんなりと馴染んで入ってきた。何より、昔の約束を思い出させてくれたのだ。
「それに、雪くん言ってたでしょ。いつかあいつらと会社興すんだって。そう約束したんだって。サラリーマンなんて、結局何をするかより、誰と働くかが大事なんだって。ずっと言い続けてきたじゃん」
(そうなんだよな……)
その言葉で俺は決めた。確かに俺達は大学時代に起業の約束をして、今そのチャンスを掴むべく必死で事業を考え抜こうとしている。だから、俺は諦めないと決めた。たとえ俺がこいつらの議論についていけなくっても、こいつらから三行半を突きつけられない限り、俺は決して諦めない。
春香、ありがとう。
春香の言葉に励まされた俺はこの平日一週間で、昼休みに本屋に行ってはビジネス書を買い漁り、仕事終わりにそれにひたすら目を通した。そして、木・金には自分の事業案を用意してきた。先週のディスカッションだって、結局いくつかの方向性が決まっただけで、新之助とヒロから具体的な事業案が出たわけじゃない。フレームワークを並べ立てて、そこから各マーケットの規模と近況からNGジャンルを絞っただけだ。
俺は違う。俺は今日2人にプレゼンをしに来た。
それは昔語り合った三人の夢にほんの少しだけだが、関連する事業だ。今更だと笑われるかもしれない。それが何だよ、ダメなところがあるなら、みんなで議論して改善すればいい。もしホントに上手くいきそうにないのなら、全く別のアイデアを考えてもいい。
一番大事なのは誰と働くか。それだけなんだから。
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