Chap.0.5 プロローグ<知る者の場合 >
「――けてるよ、リーゼル」
「…………」
アイスを買おうと言いだしたのは、リーゼルの方だった。リーゼル・ヘッセというのが彼女の正確な名前で、先週18回目の誕生日を迎えたばかりだった。短く切った茶色の髪の毛と青みがかった瞳が特徴的な女の子だ。
週に1度の勉強会は在宅授業でのカリキュラムに遅れがないかの確認の場でしかなかった。
みんなが学校と呼ぶそのコンクリートブロックに申し訳程度に備わった屋上が彼女のお気に入りだ。
「だぁから! 溶けてるわよ。アイス」
どうにも噛み合わない様子にしびれを切らしたのは、この学校で知り合ったミサという女の子だ。もうかれこれ出会ってから3年になる。
「ううん、ありがとう」
その曖昧な返事の後、アイスは拠り所を失い、バランスを崩して地面に落ちた。
その様子を見ていたミサは面白くないというような表情で中指をリーゼルの額めがけて勢いよく弾いた。
「頭、痛っ。今何をしたわけ?」
「デコピン。リーゼルが人の話を聞かないからでしょ? さっきからどこ見てるの?」
「どこって、右の上あたり」
「何それ? 今日のあなた、なんかボーっとしてるよ。具合が良くないなら先生に言って早退もできたのに」
「人工知能に私の体のことを相談するなんてまっぴらごめんよ。それでなくても私の情報があの頭の中にフォルダ分けわれされているって想像しただけで寒気がするわ」
わざと大げさなリアクションでリーゼルが答える。
「そんなことよりこの数字何かなって。ほら、目をパチパチすると薄ら見えるでしょ? 右上の黄緑色の数字」
「えっ? 何それ? そんなもの見えないわよ。夜更かしばかりしているから疲れているんじゃないの?」
地面に落ちたアイスは、いつしか固体から完全な液体になっていた。
「あっ! また見えた。何かの数字のようだけど、何かしら。少しずつ動いているようにも見えるような……」
「ねぇ、リーゼル、先週であなたも18になったんでしょ?」
「そうよ。もしかして、誕生日パーティとかしてくれるの?」
屋上に来てからしばらく経ったその時、初めて2人の目があったが、今度はミサの方が目を逸らして続けた。
「パーティもいいけどさ、私たちもう少ししたら自分で何をするのか決めなくちゃいけないのよ。そいうのって決めてるの?」
「なんか、そいう言い方ってお母さんみたいね。何をするかって、何もする気ないよ私。だって、人工知能が全部やってくれるじゃない?」
「それでも私たち人間が何もしなくなったら終わりでしょ? だから、私たちができること、やりたいことを探さなきゃいけないのよ。これは、血の通った先生が先週の授業で話してたじゃない」
「できること……ね。やってみたいことなら私、このことを知りたいかなぁ」
そう言うとリーゼルは、左の人差し指で自分のこめかみ辺りを指さした。指さした先に何があるということは当然ミサも知っている。
「知りたいって。マイクロチップのことならあなたも知っているでしょ? それ以上の、誰がとかいつからとかっていう詮索は無用よ」
ミサは少しきまりが悪そうに答えた。
「もちろんこんなこと誰が思いついたのか気にはなるけど……、それより私は、あっち側の人たちのことを知りたいなって思うの」
ミサの様子などはどこ吹く風と言った様子でリーゼルは1冊の本を取り出した。
「これね、街外れの古書店で買ったの。ほら、ここを見て」
そう言いいながらリーゼルは、資料の7ページ目を開いた。
「紙に印刷されていたから気付けたんだけど、ほら、ここ。ちょうど1/3のところで折り目が付いているでしょ? 少し気になったからこう折ってみたの」
そう言うとリーゼルは、折り紙でも折るような手つきで資料を三つ折りにした。終始不思議そうな面持ちのミサを背にリーゼルは出来上がった資料を空へとかざすと、裏のページと一致するいくつかの文字が浮かび上がった。
”しらざるものしるものへのたいさくをおこなうぜんいんさんかのこと”
「何? 知らざる……もの? 知る者?」
「古書店の店主にも私があっち側に興味がある事を話をしたら、絶対に内緒って条件でこれを譲ってもらったの。この資料は、その……こちら側に送られる資料に混じってたあっち側から来た物なんだって」
さすがのリーゼルも声のトーンを一つ下げて言った。周りは依然として閑散としていた。
「それって、持っているだけでも相当まずいものでしょ。大体なんで混じるのよ」
ミサもリーゼルにつられて小声になった。あからさまに困ったような顔をしていた。
「それね。データ類は、必ずチェックが入るのだけど、紙媒体だとごく稀にこういうことがあるみたいよ」
そこまで話をした時、リーゼル宛てのメッセージが届いた。呼び出しを意味するそのメッセージの送り主は担任の先生だった。
「ほら、勉強会の時リーゼルが上の空だったの先生にも気付かれたんじゃない? じゃ、この話の続きはまた来週ね」
この時はまだ、今し方屋上で話したことは、自分たちだけが共有しうる情報であると2人ともがそう思い込んでいた。
リーゼルは、ミサとの話が途中だったことを不満気に思いながらも呼び出された教室へと向かった。教室のドアが開くと先生の姿はなく、代りにに1人、もとい1台が立っているだけだった。先生AIの姿は見当たらない。
「ご協力に感謝します。リーゼル・ヘッセさんで間違いありませんね?」
プログラム通り、一言一句まで正確という感じだったが、人が聞いても不快にならないよう抑揚まで工夫されているような物言いだった。
この時代でもここまで人間そっくりなAIは珍しいだろう。もっとも、そっくりなのは、外見を含むハードの部分もなのだが、にっこり笑った表情が彼女により一層不気味さを感じさせた。
「その名前に間違いはないけど、私はスクラップに協力した覚えはないわ。先生は、いらっしゃらないみたいだけど、一体これはどういうことでしょう?」
リーゼルは、わざとその表現を用いた。嫌みを嫌みとして受け止めるのかを確認したかったからだ。しかし、興味本位で行った行動は思わぬ方へ転がった。
「そのスクラップに勉強を教わっている君たちを憐れむ道理などはありませんが、ひとつだけ、君がイレギュラーだということだけはお伝えできます」
「どこがイレギュラーかの説明をしてもらえないと困ります」
「あなたが、屋上で友人とお話していたこと。と言えば分ってもらえますか?」
その言葉を聞いた時、リーゼルは、背筋が凍るような思いだった。
「今何て言ったの? どうして私たち2人だけしかいなかった屋上での会話を部外者のあなたが知っているの?」
「……これ以上はお話できません。事を荒立てないためにも、私に着いて来てもらえますね?」
そう言うと、スクラップは彼女に右の腕をかけた。
その時リーゼルは、それをスクラップと形容したことを訂正した。触れられた右腕からは金属のように冷たくて硬い感触とは裏腹に筋肉のような硬さと温かさを感じた。
――これじゃあ、まるで人間と変わらないじゃない!
掴まれた瞬間リーゼルが感じたのは、握力は人間の大人くらいの強さだということだった。
幼少時代に武道の経験がった彼女にとって肉体的な軌道修正は最も得意とするところだ。さすがにAIを相手にした経験はなかったが、先程の感触から、彼女の予想はほとんど確信へと変わっていた。
リーゼルを掴んでいる右の腕を払うと、一瞬彼女の体が宙に浮いた。真っ赤なスカートがなびいたかと思うとそのまま体の回転を利用して振り切った左足は、彼女を拘束しようとした者の右の頭部を直撃した。
あまりに突拍子なリーゼルの反撃にほぼ無警戒だったスクラップは表情を変えるタイミングを失ったように無表情のまま地面に叩きつけられた。
文字通りスクラップとなって伸びているそれにはほとんど目を向けることなくはっきりとリーゼルは言い放った。
「対人用の格闘術はプログラムされなったみたいね。生意気にスカートの中を覗こうとする知能なんか備えているくせに」
「ごめんね、ミサ。約束は守れないかもしれないな」
呟くように言ったが、その時リーゼルが感じたのは、焦りや、恐怖と言った負の感情ではなく、爽快感や解放感に似た感情だった。
彼女は、とにかく真実を知りたかった。例の資料をぎゅっと握りしめた左手は少しだけ震えていた。
太陽はいつしかだいぶ低くなっていたが、沈むまでにはもう少し時間があるはずだ。
リーゼルはどんなに些細なことでもいいから情報が欲しかった。唯一当てがあるとすれば、その時の彼女にはあそこしかなかった。
彼なら何かを知っているかもしれない。そんな期待を込め、彼女は古書店へと向けた歩を速めた。
Chap.0.5 プロローグ -知る者の場合- END.
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