第19話

 俺の頬が涙で濡れている。見れば、二人の母も泣いている。

人はみな心のどこかで痛みを抱えているのだろう。それは年齡や性別に関係なく、

人はその痛みを抱えながら生きていくことしかできないのかもしれない。

明るくて無邪気な少女だと思っていた美雨も、そして美月ちゃんもそうだ。

美月ちゃん。俺はあの子の何を見ていたのだろう?

ただあの子と遊んでやっていれば、それでいいと思っていたのか?

今更悔やんでも仕方ないことだが、俺は己の不甲斐なさに唇を噛んだ。


 美雨は、妹の美雨はもう二度と会うことはできない。だが、美月ちゃんは生きて

いる。美雨のときのような後悔だけはしたくない。

だったら今からでも俺にできることをするしかない。泣いている場合じゃない

んだ。俺は涙で濡れた頬を袖で拭い取ると、立ち上がった。


「母さん、琴子さん。美月ちゃんと二人で今から外を散歩してきてもいいかな?

少し二人で話したいんだ。冷えないように暖かくしていくから」


 突然の俺の申し出に驚いたらしく、二人は目を赤く腫らしたまま顔をあげた。

互いの顔を見つめていたが、やがて共にうなづいた。


「ありがとう、佑樹さん。美月も喜ぶと思うわ」

「佑樹、あなたのしたいようにしなさい」


 二人は優しく微笑んでいる。

俺もそれに応えるように少しだけ笑った。


「じゃあ・・・行ってきます」


 俺は両親の寝室に向かった。美月ちゃんは寝ているだろうか?

少しだけ扉を開けて中の様子を見ると、布団の中からすすり泣く声が聞こえる。

ずっと泣いていたのかもしれない。


「美月ちゃん」


 俺はそっと声を掛けた。小さな体がびくっと震えるのがわかる。


「美月ちゃん、星がさキレイなんだ。一緒に見に行かないか?

 星空のデートだよ」


『星空のデート』なんて気障なセリフ、普段の俺なら決して言えないが

このときだけは自然と口から出た。美月ちゃんが布団の中からそっと顔を出した。

俺の様子を伺っているのだろう。その姿がなんとも可愛らしくて、俺の顔は

ほころんだ。


「行こうよ、美月ちゃん。寒くないように俺がおんぶしていくからさ」


 おずおずと布団から出てきた美月ちゃんだったが、それでも迷っているのだろう。

なかなか俺の側によってこようとしない。俺は微笑ながら背中を向けると、その場でかがんだ。


「おいで、美月ちゃん。佑にいちゃんの背中、あったかいぞ?」

「佑にいちゃん……」


 背中を見せたのが良かったのか、今度はすぐ側にやってきた。

背中に軽くて小さい、でも暖かな重みが伝わってくる。

俺はそっと立ち上がりながら、近くにあったフリースのブランケットを掴み

背中に羽織った。美月ちゃんの体を冷やさないためだ。

そのまま玄関に向かい、シューズに足を突っ込むと、満天の星空の下に歩き出した。


 外はかなり冷え込んでいる。しかし俺は寒さを感じなかった。

背中に感じる美月ちゃんの体温がなんとも心地良いからだ。

その暖かさに背中を押されるように、美月ちゃんに語り始めた。


「美月ちゃん、さっきはごめんな。驚いたとはいえ、美月ちゃんを

悲しませてしまったもんな」

「ううん、いいの。佑にいちゃんがびっくりするの、当たり前だもん」


 俺に見せなくなかった姿を見られて、本当は悲しいだろうに。優しい子だ。


「あのな、美月ちゃん。実は俺には妹がいたんだよ。『美雨』って名前で、

甘えん坊の女の子だった。でも美雨は、もういない。天国へ逝ってしまったんだ。

美雨が死んだのは俺のせいなんだよ」


 背中の美月ちゃんから緊張が伝わってくるようだ。


「美月ちゃんが隣に引っ越してきてから俺はいつのまにか美月ちゃんに妹の姿を重ねるようになってたんだ。美月ちゃんは美雨じゃないのに。本当の俺はさ、美月ちゃんが思うような『優しいお兄ちゃん』じゃないんだよ」


 しばしの沈黙。やがて美月ちゃんの小さな声が聞こえてきた。


「みづき、知ってる……」

「え、知ってたってどういうこと?」


 俺は驚いて、振り向くように背中の美月ちゃんを見た。


「美雨ちゃんでしょ?お母さんとおばさまが話してるの聞いちゃったの。

3つ向こうのバス亭の近くにある、お寺のお墓で眠ってるんでしょ?」


 まさか美月ちゃんが美雨のことを知ってるとは思わなかった。

俺は美月ちゃんが思うようなイイ奴じゃないって伝えようと思ったのに。


「みづきは美雨ちゃんの代わりでもいいって思ったの。みづきが佑にいちゃんの側にいられるなら、それでいい。それに、みづきが笑っていれば佑にいちゃんも笑ってくれたもの。佑にいちゃんが笑ってくれるなら、みづきは何でもするの。

だってみづきは佑にいちゃんが大好きだもん」


 そういうと、美月ちゃんは俺にしがみつくように体を寄せた。

俺のため、だったのか? この子は俺の心の痛みを感じ取り、俺のために無理して

笑顔を見せていたのか?美月ちゃんの天使のような優しさを感じ、目頭が再び熱くなるのを感じていた。

 この子は何て優しい子なのだろう。母親のため、そして俺のために今まで。

涙をこぼすまい、と俺は満天の星空に目をやった。きらめく星空の中に妹・美雨の

無邪気な笑顔が浮かんでくる。

美雨……俺はお前を守ってやれなかったダメな兄ちゃんだ。そんなダメ兄ちゃん

だけど、この子を守ってやってもいいか?俺はこの子を美月ちゃんを守り

たいんだ……。

 星となった美雨が応えるかのように星空はより一層輝き、瞬いていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る