第9話

「ちょ、ちょっと待ってよ? み、美月ちゃん。

ま、まず落ち着こう、ね? ね?」


 その前にまずはおまえが落ち着け!

しかし、まさか幼女の口から『キス』なんて言葉が出てくるとは思わなかったし

哀しいかな、ファーストキスの経験もない俺はその言葉だけで妙に体が熱くなる。


「だって、両思いのオトコの人とオンナの人って『キス』するんでしょ?

佑にいちゃんのおばさまと一緒に見た海外のドラマで出てきてたよ。

あたしたち『こんやく』してるし、そういうことしないと

ダメなんでしょ?」


 バ、バカ母っ!

幼女に過激な海外ドラマなんて見せてんじゃねーよっ!

心の中で思い切り母親に毒ついたが、今更叫んでもどうにもならない。


「あ、あのね。そういうのはあくまでドラマの話であって。

男女がそんな簡単にキスなんてしちゃいけないっていうか。

まして美月ちゃんはまだ小さいし、俺はその、美月ちゃんを大事にしたいから

軽々しくそんなことしたくないんだよ。

いってることわかる……?」


 幼女に必死に弁明しながら、美月ちゃんの顔色をそっと伺うと

目にみるみる涙がたまってくる。


「でも、佑にいちゃん、前とはちがうもの。

前みたいに遊んでくれないもの。

みづきのこと、嫌い?

佑にいちゃんもみづきのこと、『いらない』っていうの?

佑にいちゃんがみづきのこと好きになってくれるなら

みづき、なんでもする。

みづきのこと、好きにしていいよ?

だからおねがい。みづきを、嫌いにならないで……」


 言いながら大粒の涙をこぼす小さな少女。

この子は必死なんだ。俺に嫌われないように。

相手が幼女とはいえ、そこまで想ってくれている人間がいることに

俺の胸は自然と熱くなった。

俺も年頃の男だし、『好きにしていいよ』なんて言葉が気にならないわけじゃない。

しかし、俺を想いながら目の前で泣いている純真無垢な小さな少女に

何かしてやろうなんて気にはならなかった。


「美月ちゃん。俺は美月ちゃんのことを嫌いになんてなってないよ。

ただその、俺達は『婚約』しただろ?

美月ちゃんにどう接していいのか、俺にはよくわからなかったんだよ。

そのことで美月ちゃんの心を傷つけてしまったのなら。ごめん、謝るよ」

「あやまらないで。佑にいちゃん。

ちがうの、あやまってほしいわけじゃないの。

みづきのこと、好きになってほしいだけなの」

 

 涙が溢れる目を抑えながら、小さく首を左右に振る。

その姿はなんとも健気だ。


「美月ちゃん、俺に何かしてほしいことある?

 その、キスとかじゃなくて」


 美月ちゃんは少しだけ顔をあげて俺のほうを見た。


「『ぎゅっ』して」


 『ぎゅっ』?『ぎゅっ』って何だ?


 何のことだかわからず頭をかしげたが、美月ちゃんが

俺の方に向かって両腕を精一杯伸ばしたので、

おおよその検討はついた。

抱きしめてほしいんだ、美月ちゃんは。

俺は美月ちゃんの側によると小さな彼女の体を包むように、

そっと抱きしめた。


「佑にいちゃん、だいすき。

みづきのこと、嫌いにならないで」


 そう言いながら涙をこぼしていた美月ちゃんだったが、

やがて涙声は消えていき、代わりに安らかな寝息が聞こえ出した。

どうやら泣き疲れて寝てしまったらしい。


 俺は小さく笑うと、そっと俺のベットに寝かしてやった。

こういうところはまだ子供だよな……。

時折妙に大人びたことを言い、俺を驚かせるが、この子はまだ幼い子なんだ。

でも、俺を想う気持ちは真剣なのかもしれない。

小さな少女でありながら、恋する乙女でもあるということだろうか。

しかし、そんな相手に俺はどう接していけばいいのだろう?

涙で腫れた美月ちゃんの目元をそっと拭ってやりながら、俺は一人悩やんでいた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る