古江病院


 東京から大阪までは新幹線で昼寝をする余裕さえあるが、新大阪駅から豊能郡能勢町までは車で向かわねばならず、東京ではほとんど車を運転しない永井総司にとってはとても緊張する時間だった。能勢町の最寄駅まで電車で行ってもいいのだが、そこから目的地である”古江病院”まで随分と距離がある。タクシーという手もあるにはあるが、田舎町ゆえに足はないよりあったほうがいいと、数年前からレンタカーを借りるようにしていた。

 高速道路に入ると少し気持ちにゆとりができ、永井は煙草に火をつけた。交通量の多い御堂筋では窓を開ける心の余裕もないくらいに運転に必死になっていたが、市内から離れるにつれて高速道路上の交通量も随分と落ち着いた。いくつもの高層ビルが立ち並んでいる風景が、少しずつ山並みの風景へと変わっていく。

 年に数回は必ず大阪に来、古江病院を訪ねる。そして院長の古江知義にぶっきらぼうに追い払われる。マスコミ嫌いな院長は永井のことをよく思っていないようだが、記者として生きてきた永井にとって嫌われていることに不快感や理不尽さを感じることはなく、こうして何度でも足を運ぶ。たとえ何の収穫もなかったとしても、永井自身が調べたことを院長に話し、答え合わせのようなやり取りをするだけでも満足だった。

 今回は永井が何年も追い続けている変死体の謎について、ある名称をつきとめたことを院長に報告……いや一方的に話そうと思って大阪に来た。今回は少し話が長引くだろうと思い、いつもよりも少し豪華な手土産とともに。

 新大阪駅から約一時間ほどで能勢町へと入る。能勢町自体が山間部にある町だが、そこから更に山間へと車を走らせ、くねくねと湾曲する山道に突然現れるY字路を右折する。左側の道はこれまで来た道と同じようにアスファルト舗装されているが、古江病院へと続く方のこの道は舗装されておらず、鬱蒼とした杉の枝が砂利道を覆い隠すように頭上で絡まり合っている。そのせいでこの道はどれだけ空が美しく晴れ渡っていても薄暗くてどことなく不気味だ。こんな道の先に病院などあるのかと、初めて訪れたときに不安を抱いていたのが懐かしい。

 悪路を十分ほど行くと開けた場所が見え始める。山を丸く切り取ったように突如現れるその空間が古江病院の場所だ。

 病院の敷地内はアスファルトが敷かれていて、向かって右側に駐車スペースがある。そこには手書きと思しき線が引かれていて、何台か車が停まっていた。車庫入れが苦手な永井は他の車から少し離れた場所に頭から駐車して外に出た。桜が咲き乱れる時期だというのに、やはり山中はまだ随分とひんやりとした空気に包まれている。助手席側から手土産と、書類の入った鞄を取り、がらんとした病院の敷地内を歩く。

 いつ来てもここは寂れているが、気温の低い今日のような日はいつも以上になんだかもの寂しげに感じる。少し雲の多い空をちらと見上げ、永井はそんなことを思った。

 病院の自動ドアを抜けると、ようやくぽつぽつと人がいた。患者と思しき人たちは入ってすぐ右手にある待合のスペースで革張りの茶色い長椅子に腰を下ろし、壁に備え付けられたテレビに見入っている。

 入って正面にある受付には鋭利な刃物のようなつけ爪を眺める女が一人、暇そうにその刃物の手入れをしている。

「ご無沙汰しています。古江院長はおられますか?」

 永井が愛想笑いを張り付けながら受付の女、吉沢江梨子に声をかける。すると彼女は気怠さを隠そうともしない動きで電話へと手を伸ばした。受話器を耳に当てながら、吉沢はまた爪に視線を落とす。感じの悪い女だが、毎度のことだから慣れてしまった。

「受付です。お客様が来られています。ええと、はい。そうです。いつもの記者です」

 言いながら吉沢は永井を一瞥して、はぁいという間の抜けた返事を最後に受話器を下ろした。

「院長室にいらっしゃいますので、どうぞ」

「どうも」

 そう言いながら受付を後にする永井の顔に、名前も聞かれず通されるまでになったか……と妙な常連感に苦笑が浮かぶ。

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