ダルマのような体躯の男がパソコンをいじっている。部屋の光源はそのモニターだけで、ちかちかと部屋を照らす。

 男が食い入るように見つめるモニターに映っているものは、ひとりの少女。その少女は虚ろな瞳で虚空を見つめ、ぶつぶつと何かを言っている。そんな少女の顔にカメラが近づき、また少し離れると徐々に少女の下半身へと下がっていく。

 そこでモニターが暗転した。

「反応もない子供を嬲り殺すのは楽しかったか?」

 椅子に座っていた男の後方に、抑揚のない低い声が静かに現れた。

 突然の出来事に男は暗闇となった部屋の中で硬直する。先刻までモニターの光を見ていた為、突然の冥暗に視界はゼロだ。目の前に誰かの顔があっても、今の男の目ではそれに気づくことはできない。

「楽しかったか?」

 低い声が、それだけをもう一度繰り返した。

 男は全身に走る悪寒にぞくりと醜く肥えた体を戦慄かせ、冷や汗に脇の下を濡らし始めている。

 ――誰だ。どういうことだ。俺のしたことを知っているのか。そんなはずはない。だって、でも。だって。……そうだ殺そう。じゃなきゃまずい。大丈夫、今までふたりも殺したのにばれなかったんだから。

 顎先からぽたり、と汗が滴ると同時に男は勢いよく立ち上がる。その勢いのまま後方へと向き直り、めちゃくちゃに腕を振り回し、声の主を探す。

「誰だ。どういうことだ。俺のしたことを知っているのか。そんなはずはない。だって、でも。だって。そうだ殺そう。じゃなきゃまずい。大丈夫、今までふたりも殺したのにばれなかったんだから」

 男の心中を一字一句違えることなく言い当てると、低い声が僅かにせせら笑った。

「被害者の苦しみをお届けに参りました」

 ずん、と男の後頭部に打撃が走る。

 まずい、と思った時に意識が戻った。はっとして仰向けになっていた上体を起こそうとするが、手足の自由が利かずうまくいかなかった。起き上がることに失敗した衝撃で後頭部が鈍く痛んだ。顔をしかめながら頭を巡らせて周囲を見渡すと、そこには未知の世界が広がっていた。空は赤く、そこから降り注いでる弱々しい光も赤い。辺りには何もなく、草一本生えていない平野が広がっている。

 どこだ、などということが頭に浮かぶよりも早く、男は手枷を取ろうともがき始める。手足の自由を奪っているのはガムテープ。

 嫌な予感に急かされ、男は汗だくになりながらもぞもぞと手首のガムテープを解こうと必死になる。場所は違えど、ガムテープで拘束された人間が転がっている風景を男は知っていた。しかし男が知っているその風景は古びたログハウスで少女が転がっている景色で、自分が拘束されていたわけではない。そしてのその少女は殺されるのだ。男はその一部始終を知っている。その目ですべてを見届けた。

「なんだ、よおおお!!」

 焦りから思うように手枷を解けず、男は発狂する。奇声を発しながらのたうち回る。

 無駄に動き回ることに疲れ、肩で息をしながら不意に視線を向けた先に黒い何かがいた。靄がかかったように朧気なその黒い何かは、ローブを着た人影に見える。

「誰だおまえ!」

 唾を飛ばしながら咆哮し、男は未だ不自由な体をなんとか起こす。

「気分はどうだ」

 低い、抑揚のない声で黒い人影が続ける。

「案ずるな。お前が被害者にしたこと以上のことはしない。田中礼二、お前はお前の犯した罪を知らなければならないのだ」

 人影の顔に薄い唇が浮かび上がる。その次の瞬間、その唇は頬まで裂け、釣り上がって大きな弦を描いた。それを見た礼二はぞくりと背筋が寒くなった。

 人影が何かを放り投げる素振りをした。人影の動作に怯え、礼二は体を震えさせる。しかし軽い音をたてながら礼二の目の前に転がってきたそれは、礼二が想像したおどろおどろしいものではなかった。それはサイコロのようなもの。しかし色合いは似てもにつかない毒々しい赤色と闇色。よく見ると、赤の中で虫の如く細かい闇色が蠢いていた。

「なっ、なんだよ、こ、これ」

 脂汗に顔をべたつかせる礼二は、恐怖と混乱で呂律が回らず吃る。人影は礼二の言葉に何一つ反応を示すことはなかった。その代わりとでも言うように、礼二の視界のど真ん中に入り込んできた正方形が微動する。かたかたと小さく揺れ、ゆっくりと上辺にあたる箇所が箱の蓋のように開いていく。からからの喉で空唾を飲み、男はその正方形の蓋が開ききるのを待つしかなかった。

 開かれた正方形から、ドライアイスの冷気のように黒とも赤とも似つかない色の靄が這うように出現する。身動きのとれない礼二はわなわなと唇を震わせながら靄の様子を窺う。緩慢とした動きで出現した靄ははやがて礼二より頭ひとつ半ほどの大きい人型を形成し、動きを止めた。

 人型をした靄には分厚い唇と、股間にぶら下がる性器しか見当たらなかった。目も鼻もなく、体毛すら生えていないようだ。ただ、股間にぶらさがるソレは靄の大きさに比例して随分と立派なもののように思えた。

 ふと、礼二はこの先を想像して背筋を凍らせる。

 ――まさか、このバケモノ、俺を……。

 かつて自分が少女にしたことをされるのではないか。

 漠然とそんなことが頭をよぎり、離れない。まさか、とは思う。でもこの状況が夢ではないのなら、現実だとすれば。

 礼二は自分の舌を噛む。夢か現実かを確認するために。

「ってぇ……」

 夢だという思いにすがるため躊躇なく噛んだ舌が痺れた。口内に血の味が滲む。舌を噛んだ痛みも、血の味も偽物ではないと確信する。確信してしまった。

 人型が礼二を覗き込むようにしゃがみ込む。礼二は痺れる舌を必死に動かしながら、呂律のまわらない口調で威嚇するように人型をしたバケモノを罵倒する。

「……痛いこと……しないから……」

 バケモノはノイズのかかった不気味な声をしていた。言い終わると同時にバケモノの分厚い唇が弦を描く。

「ダイジョウブ……」

 不気味な笑みを浮かべるバケモノが礼二の自由を奪っているガムテープを解きはじめる。

 体格差はあるが死に物狂いで暴れれば逃げられるかもしれない。一瞬にして頭に浮かんだ愚かな作戦。礼二が予想するとおりだとすれば、礼二はやがてこのバケモノに殺されるだろう。策を練る猶予などなかった。イチかバチかでもやらないよりましだと思った。

 しかし。

「……先に足の指をすべて落とそうか?」

 ノイズのかかった声が鼻を鳴らした。

 手足の自由を手にした瞬間、礼二は勢いよく立ち上がって人型に頭突きを試みた。だが礼二の体はバケモノに触れることなく、すり抜けた。その直後、礼二の後頭部に打撃が放たれた。殴られた礼二は立ち上がったのも束の間、前のめりに倒れ込む。

 がたがたと奥歯が鳴り、膝が笑う。脂汗が顎を滴り、目の前の地面に一滴二滴と落ちてゆく。

 自分が少女にしてきた凄惨な行為を思い出し、礼二はただただ怯えた。

「た、頼む……助けてくれ!!」

 黒い人影に顔だけを向け、絶叫した。嫌だ死にたくない、あんなことをされるなど耐えられない。礼二は震える体で人影に這い寄ろうとしたが、バケモノに足首を掴まれて叶わなかった。

「やめっ――」

 バケモノは軽々と礼二を自身の方へと引き寄せ、仰向けに押さえ込む。そして大きな右手で拳をつくると、掲げた。

「……脱がないと今すぐ殺……す」

「わか、わかった……」

 バケモノは片手一本で礼二の両手を締め上げる。力の差がありすぎる。礼二がこのバケモノに力のみで勝つことは難しい……いや、無理だろう。そもそもバケモノに礼二は触れることすらできなかったのだから。同じ土俵にすら立っていないのだから。

 おずおずと衣服を脱ぎ出す礼二を見て、バケモノはほくそ笑む。

 何が可笑しいというのだ! 憤怒の感情に染め上げられ、バケモノを睨めつけたのは一瞬で、すぐにしおらしくズボンに手をかけた。逆らうだけ無駄だ、勝てない。逃げられない。でも死ぬのは嫌だ。相手が思うようにさせ、隙を見つけて命乞いをしよう。そう思った。

「した、ぎもだよ」

 そう指示されるであろうことはわかっていた。だから礼二はすぐに下着と腰の間に指をねじ込み、そっと下着を落とした。

「かわい、いねえ」

 機械音声のような抑揚のない口調でバケモノは言った。けれど口元は変わらず弦を描いていて、この上なく不気味で、怖い。

「ほおら、舐めてくれ、る、よね?」

 言われてバケモノの股間に目をやると、膨張したバケモノのイチモツが天を仰いでいた。

 そんなことできるか、と思った。なんで俺が、と思った。ふざけるな、と思った。それと同時に逆らったらどうなるのだろうとも考える。そして怖くなる。

「お前が今思っていることすべて、被害者が心に抱いたもの。憎悪と嫌悪と畏怖に苛まれながら彼女たちは死んでいった。だが、彼女たちはもっと強い念を抱いていた」

 人影の声がして、そのすぐあとにバケモノが耳語する。

「タリナイ。これくらいじゃ、全然足りない」

 その声は礼二がよく知る声だった。一言目は強姦したら死んでしまい、非常食にとある程度捌いて冷蔵庫に押し込んだ幼女だ。そして二言目は――のどかという女子高生の声だ。死んだはずの彼女たちの声が、バケモノから聞こえる。

 礼二は魚のように口を開閉する。その瞳に映るのはバケモノではなく、幼女。もしくはのどか。バケモノの顔が忙しく変化する。

「やめ、やめてくれ!!」

 悪かった、本当に悪かった許してくれ。

 呟くよりも小さな声で、目前に迫る自分が殺した少女たちに懺悔の言葉を捧げる。見開いた礼二の瞳に映り込む二人の少女の顔はにへらと笑う。それを赦しと思った礼二は引きつった笑顔を浮かべ、礼の言葉を述べようと口を開こうとしたが遮られた。

「お前に贖罪など求めていない。それすらさせない。お前はいたぶられ、殺されたあと煉獄に投獄され業火に焼かれ続けるのだ。永遠に。それが被害者の願いだ」

 鐘のように重い声音で人影が言い放った。

 バケモノに張り付いていた少女たちの面差しが風に流されるように消える。そして瞬きひとつの間をおいて、バケモノの顔が哄笑した。

 被害者の願いなど知ったことではない。死んだやつらのことなんて、どうだっていい。俺には関係ない。だからすぐに俺を元の場所に帰せ。思ったことを口にしようとしたが、その直前で礼二はバケモノに重い一撃を食らわされた。突然切り込んできたバケモノにこめかみを殴られたのだ。

「はやくしゃぶ、れって」

 衝撃で礼二は二三歩後方によたり、へたり込む。脳震盪を起こしていた。

「はやく」

 ふらつく礼二にかまうことなくバケモノは急かし、そして殴る。何度も何度も。礼二が指示に従うまで何度でも。反撃の余地すら与えない連打。

 ふわふわと光が飛び交う頭をなんとかもたげ、礼二は視界のぼやけるなか必死になってバケモノのイチモツを咥えようと踠いた。そして伸ばした手の先が熱くて硬いものに触れる。すかさず礼二はそれに顔を近づけ、血で溢れかえった口内にバケモノのいきり立ったイチモツをねじ込む。

 血の味しかしないが、礼二は何度も嘔吐いた。雄のものを咥えていることに対しての嫌悪感が胃液を逆流させる。涙で瞳が濡れ、屈辱の川となって溢れ出す。

 嫌悪と憎悪。礼二の中でふたつの強い感情が蠢いている。なのにそのふたつを殺すように畏怖と絶望の念が渦巻いている。どうしたらいい、どうにもならない。どうしよう、これ以上酷いことをされないように言いなりになっておこう。何の涙かもわからない涙がとめどなく零れ落ちていく。


 何一つの情けをかけられることなく、快楽のために拡張された礼二の肛門は裂けたときの出血が固まり、黒い花のようなかさぶたを拵えていた。それにくわえて肛門に牛乳瓶を押し込まれた挙句、内部で割られた為に直腸にはガラスの破片が刺さっている。そのせいで今もなお生々しく肛門から溢れ出た血液が尻まで川を作っている。そしてそれを取り除こうと乱雑に直腸内をトイレブラシでしごかれ、直腸だけではなくその近辺の臓器もダメージを受けてしまい腹腔内出血を起こしていた。死へのカウントダウンは既に始まっている状況だ。

 はじめこそ怯えながらも抵抗していた礼二だが、今はもはやそんな気力もなく仰向けに転がっている。礼二の天に向けられた乳首には、そのどちらにも線香が突き刺され細い煙が揺らめいていて、すべての足の指を落とされ立つことも出来ない。体にはペーパーナイフでつけられた細やかな傷が数え切れないほどつけられており、特に口内と目の周辺がひどかった。

 礼二は散々犯されいたぶられ、傷つけられ、恐怖と憎悪に体を震わせながら尊厳を踏みにじられ、いよいよ命までもを踏みにじられようとしていた。

「……3000」

 いつからか数を数え始めていたバケモノ。一からはじまって三千まできたようだ。一からいくつかまでは礼二にとって地獄のように長く感じられた。本当に長くて、永遠のようにさえ思っていた。でもある時から何も感じなくなっていた。痛みも、苦しみも、悲しみも、後悔も憎悪も何も。

 何も感じなくなるまでは痛みに発狂して喚き散らした。人影に腐るほど命乞いをしたし、バケモノにもした。でもとうとう聞き入れてくれることはなかった。

 もう死にたいと思い、それは懇願にすら変わった。殺してくれと願うようになったのはどれほど前だっただろう。もう、礼二には思い出せない。

 乱暴に挿入される屈辱と痛み。じわじわと切れ味のよくないペーパーナイフで身を切りつけられる肉体の痛みと、精神へのダメージ。体内でガラスが弾ける音。その破片が肉に突き刺さり食い込む激痛。逃げようとすれば足の指を食いちぎられた。絶対的暴力に従うしかなく、されるがままに殺されていくカラダとココロ。どれほど神に祈っても神は現れず、どれだけ命を懇願しても誰にも届かない。

 己の犯した罪の重さを考える余裕も、優しさも、礼二にはなかった。だから最後の最期まで。

「……なん……俺が……」

 自分を抱いて死んだ。腫れあがり、開かない目で涙を一筋だけ流して。

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