第14話「討伐とようじょ」

 この地方には珍しいどんよりと曇った空の下で、まるで剣山のように整然と並んだ槍先が鈍く光る。

 城塞都市『ポルデローネ』の北西約20km。

 綺麗に舗装された街道沿いを数時間の行軍の末に辿り着いた丘陵地帯には、既に荒らし尽くされ、廃墟となって煙を上げる小さな分離集落フラツィオーネが広がっていた。

 質素な村の建物の壁や地面には黒く染みこんだ血が飛び散り、生命を奪われた沢山のお年寄りの遺体が、無造作に転がっている。

 全ての動くものが存在しない村の中で、暴れすぎて手がつけられなかったのであろう農耕馬が一頭だけ、炎を恐れていなないているのが見えた。


「ひどい……」


 口と鼻を押さえて周囲を見回していた僕は、思わず声が出てしまう。

 馬上からちらりと僕に視線を向けたクリスティアーノが、戻ってきた斥候から報告を受けている間、僕らは何もすることが出来ずにただ立ち尽くしていた。


 ポルデローネの周囲の村の一つがモンスターの襲撃を受けているとの連絡が入ったのが昨夜未明。

 領主サントゥニオーネ辺境伯の号令により、貴族の持つ私兵が、国軍に先駆けて斥候を兼ねた討伐に向かうことになった。

 僕もクリスティアーノからの使者に叩き起こされ、こうしていつもならまだ朝食をとっているような時間に、既に戦場にいる訳だった。


「……ノールか。また厄介なものが出てきたな」


 斥候に指さされ、広場の中央に血で描かれた図形――牙を模した3つのVの字と、それを刺し通す一本の線――を見た彼の言葉には、隠そうともしない苦々しさがあふれていた。


 次々と指示を与えるクリスティアーノに「ノールって何?」と聞くタイミングがあるわけもなく。僕は相変わらずの黒いローブの袖で隠しながら水晶球を覗く。


 『ノール』を検索すると、そこにはハイエナのような姿の直立する生き物の姿が映し出された。


――ノール。

 呪われた姿を持つモンスターの中でも残虐性では上位を行く。


 森巨人トロールに近い種類の巨人族の一つで、身長2mから2.5m。

 直立するハイエナのような姿をしており、主に集団での殺戮を好んで行い、その目的はほとんどが『食欲』を満たすことである。


 鎧をまとう、武器を使う、炎や毒を使う、軍隊としての集団戦闘を行う、復讐と戦いの神マルス・ウルトルを信仰するなど、知能は低くないようなのだが、概ね怠惰で生肉を喰らい、労働力としての奴隷を求めて群れで移動する。


 クリスティアーノが見ていた広場の図形はマルス・ウルトル神へとこの戦場を捧げたしるしであり、それはこの村を襲ったのがノールであることの証拠でもあったようだ。


 水晶球に表示された情報と、今見ているこの村の惨状、そしてクリスティアーノのあの表情を見れば、このノールというモンスターが、どれだけ残虐で、どれだけ忌み嫌われているのか、僕にも分かるような気がした。


「アクナレート。我々は本隊の到着を待たずにノールへと攻撃を仕掛ける。お前はまだ集団戦闘に慣れていない、無理はせず、私のボストーネ部隊とともに背後を守れ」


「本隊待たないの? クリスティアーノの部隊しか居ないけど、それでも一気にイケる数?」


「いや殲滅は無理だな。しかし村人の半数以上がノールにかどわかされている。このままでは彼らに待つのは、ノールの食料としての肉体的な死か、ノールの奴隷としての精神的な死だ。早急に手を打たねば死ななくても良い人の生命を摘むことになってしまう。……私は救えるものは全部救う主義なのだよ」


「食料……?」


「あぁ。子供は主に食料だ。男は単純労働の奴隷として、女たちは……ノールは大地の呪いから生み出されたモンスターなのは知っているな? ヤツらは子供を残すことも出来ないくせに、まるで生き物の真似をするように女を慰みものにする。ノールには節約や我慢などと言う意識はないんだ。事は急を要するのだよ。アクナレート」


 クリスティアーノは言うべきことを言うと、全軍に進軍の号令をかけた。


 村の広場にお年寄りの遺体しか転がっていなかった意味がやっとわかった。

 漠然と「過疎でお年寄りしか居ない村なのかな」とか思って、深く考えていなかった僕は本当に浅はかでバカだ。


 衝撃を受けた僕が立ち尽くしている間にも、クリスティアーノたちの軍は駆け足で行軍を始める。

 取り残された僕の周りに、いつの間にか赤いローブをまとった兵士たちが音もなく集まっていた。


「アクナレート勲功爵くんこうしゃく様。私はボストーネの部隊を預かるレデル・ボストーネと申します。さぁ、参りましょう」


「あ、うん。行こう」


 脚を動かしている様子もなく滑るように進む魔術師を追いかけて、僕も走る。

 行軍の最中だけど、殿しんがりを努めなければならないため、僕らは前を進む歩兵たちの速度に合わせて行軍している。

 速度的にかなり余裕があった僕は、レデルにもっと詳しい所を聞くことにした。


「……ノールは、大地の呪いが生み出したモノの中でも十指に数えられるほどおぞましいモンスターです」


 フードに隠れて表情は見えないが、小アルカナの兵士、ボストーネレデルの声には、コミュ障の僕でも分かる怒気が含まれていた。


 味覚という感覚に乏しいヤツらは、基本的に生肉ならなんでも喰らう。

 それこそ家畜だろうが人間だろうが、時には同族さえ喰らうのだ。

 しかし、それでも人間の、小さな子供を好んで喰らうことが分かっている。


 ヤツらは、人間の、子供の肉が特別好きなわけではない。

 その不潔な牙で皮膚を破り肉を裂き、溢れる血液を味わう時、生きた獲物から響く叫び声。その絶望と恐怖と痛みに満ちた声が、何よりも素晴らしい調味料になると言うのだ。

 どのノールを問いただしても、特に人間の小さな子供の泣き声。あれが素晴らしいと声を揃えるのだと、レデルはつばを吐き出すように言い捨てた。


「ひどい……」


 ムカムカしたものが胃を満たし、首の後にチリチリと焦げるような感覚が広がる。

 走り疲れたわけでもないのに呼吸が乱れ、僕はバクバクと16ビートを刻み始めた自分の心臓を右手で押さえながら走った。


「……アクナレート勲功爵様?」


 僕の後ろを走るレジーナ・ボストーネが心配そうに声をかける。

 大丈夫……と、返事を返そうとした僕の耳に、遠くから、小さな子供の悲鳴が聞こえた。


 絶望、恐怖、痛み。


 救いを求めるその声が、一瞬、りんちゃんのものと重なった。

 後頭部から脳にかけてこの身を焼いていた熱が、頭の先から足の指まで一瞬にして凍らせる。

 背中に背負った分厚い鎧ワニの革で出来た鞘を外し、僕はやいばの先まで漆黒に染まった死神の鎌デスサイズを頭上に掲げた。


「アクナレート勲功爵様!!」


 ボストーネの兵士たちが叫ぶ。

 しかしその声が最後まで僕の耳に届くことはない。

 まるで駆け足の姿勢のまま空中で静止しているような歩兵たちを追い越して、僕はあの悲鳴の主を助けるために道を飛ぶ。

 他のすべてが静止した中、すれ違いざまのクリスティアーノだけが僕を制するように手を向けたが、やはり僕にその声は届かない。

 地面を這い進む影のように、僕は真っ直ぐに小さな木立の生える丘を超えた。



  ◇  ◇  ◇  ◇



 丘の頂上を超え、地面を滑るように移動してきた僕は勢い余って空中へ飛び出してしまった。

 バランスを崩さないように両手を伸ばし、漆黒のローブを翼のように広げる。途中ポツポツと降りだした雨が、全ての視界を霞んだように煙らせた。


 空中で、視線を前方へ向ける。

 不格好な生木の檻から引きずり出された5歳くらいの人間の男の子に、数匹でかじりつくノール。

 生木でムカデ競争のように脚を固定され、首にかけられたロープで引かれながらその檻を引きずる男たち。

 同じような檻にまとめて入れられた若い女性たち。


 両手、両足。絶命せずにかじれる部分を少しずつ削ぐように、ノールたちは小さい子供を食い散らかしていた。

 放物線を描いて落ちて行く僕自身のスピードが嫌に遅く感じる。

 僕は、デスサイズを大きく振りかぶると、よく狙いをつけて投げつけた。


――ザンッ。


 くるくると回転して、デスサイズが地面に斜めに突き刺さった後、たっぷり2拍置いて、僕は地面に足をつく。

 動きが止まっているノールたちを無視してスタスタと地面を歩き、刃の半分まで地面に埋まったデスサイズを引き上げた。


 こいつらが、子供を喰うモンスター。

 こいつらが、りんちゃんの脅威となるしれないモンスターだ。


 一瞬の間を置いて、一斉に襲い掛かってくるノールに向けて、デスサイズを横薙ぎに一閃する。

 何匹かは胴を真っ二つにすることが出来たが、途中のノールが鉄製の剣でデスサイズを防ぎ、それ以降のノールたちは、吹き飛ばされただけに終わった。


 しぶとい。


 ぐるんと腕を回して、生意気にもデスサイズを防いだノールに狙いをつけ、脳天から足の付根まで、縦に真っ二つにする。地面に突き刺さったデスサイズを引き抜き、僕はこの世界でデスサイズを使うようになってからはじめて、それを両手で構えた。


「消……えろっ! 子どもたちを喰うようなっ! モンスターはっ! 消えてっ! しまえっ!」


 僕の背後で、一番最初にデスサイズを投げつけたノールたちの頭がじわりと2つに別れ、黒い魔宝珠に変わってゆく。

 その後、体を真っ二つに斬って捨てたノールたちも、後を追うように魔宝珠に姿を変え、雨でぬかるんだ地面にめり込んだ。


 だけど、ノールは今までのゴブリンやホブゴブリンとは桁違いに強い。流石のデスサイズも片手の斬撃では半分ほど防がれてしまう。さらに、一撃で仕留めないと、傷口がブクブクと泡立って再生もしてしまうのだ。

 仕方なく僕は、隙ができるのを承知のうえで両手でデスサイズを振るい続けた。


 その大ぶりの隙を伺うように、ノールは訓練された動きで少しずつ僕に剣や矢を打ち込んでゆく。

 攻撃力の差で言えば圧倒的に僕のほうが強かったけれど、戦闘に対する練度の差とでも言うのだろうか、戦いの上手さで、僕はじわじわと傷を負って行った。


「消えろっ! くそっ! ぐっ……くそぉぉぉ!」


 体中の細かい傷から血が吹き出し、雨に滲んで流れてゆく僕の背中に、聞いたことのない声がかけられたのはその時だった。

 

「……大アルカナの将軍ジェネラーレが一人、戦車チャリオットのヘット・アルマータ。推参おしてまいる!」


 言葉とは別に、背中を押されるような、崩れ落ちそうになる膝を引き上げてくれるような力を感じた。

 その力に自分の力を合わせてデスサイズを振り上げる。

 数頭のノールを切り飛ばして、僕は後ろを振り返った。

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