第13話「生活とようじょ」

 今日も城塞都市『ポルデローネ』の一日が始まった。


 この世界の朝は早い。夜が明ける前から道行く馬車の静かな音が聞こえ始め、太陽が登ると共に教会でのミサが行われる。

 商人はそれに合わせて店を開き、道は人でごった返すのだ。


 でもまぁ僕らの住む貴族街はそう騒がしくもない。

 早朝から起きだすと使用人たちの負担になると言う理由もあり、通いの料理人やメイドたちが僕らの屋敷に現れ、朝食などの支度が終わる頃にゆったりと目覚めなくてはいけないのだ。

 夜明けから1~2時間。時間で言うと朝の7時頃には身支度を整える。

 労働をするわけでもない貴族は、もっと遅くに行動を開始するため朝食をとらないのが普通らしいんだけど、僕らはりんちゃんが元の世界に戻って学校に通うようになった時のために、この時間に起きて朝食を取ると言うルールを決めたのだ。

 普通の貴族は朝食を取らず、庶民も朝食とは言っても9時~10時頃に軽食を取るだけというこの世界において、わりとしっかりした朝食をとる僕たちの生活様式はメイドさんたち、特に朝早くから料理の支度をしなければならない料理人さんには結構な負担だろうけど、これは譲れなかった。


「あっくん、おはよーございます!」


「うん、りんちゃんおはよう。チコラもおはよう」


「はいおはようさん」


 朝の挨拶と食事を終えたら、あとはもう午後のサロンでの貴族同士の御茶会以外やることはない。本来ならクリスティアーノの持つ荘園しょうえん、いわゆる農奴のうどと呼ばれる者たちが働く農場の見回り、自由農民たちの訴えを聞くための調査、それを判断する裁判の立ち会いなど、色々と仕事があるはずなんだけど、僕たちはそれも免除されていたから、本当にやることがない。

 サロンでの御茶会にも、クリスティアーノから誘われて最低限の顔見せをする時以外、コミュ障の僕が進んで行くわけがないのだから。


 という訳で、りんちゃんと僕は一人の年老いた司教様を家庭教師としてお招きして、この世界の文字を習うことにした。

 毎日1時間ほどの読み書きの勉強で、りんちゃんは見る見るうちに文字を覚え、僕はついていくのが精一杯という有様だった。

 父親としての威厳を保つために、夜遅くまで予習復習をしているため、最近睡眠不足だけど仕方がない。

 全てりんちゃんのためだ。


 その後はお昼前に貴族用のミサに参加。


 そのまま庶民街へと馬車で向かう。

 こんなに頻繁に庶民街をうろつく貴族は居ないらしく、門番や街路番の衛兵たちに僕らは「変わり者の新興貴族」として嬉しくもない有名人になってしまっていた。


 馬車を降り、毎日がお祭り騒ぎのような市場をぶらぶらと散策する。

 買い食いしたり、特に必要でもないものを買ったり、大道芸を見たり。

 時には昼食も取るし、大衆演劇を観劇したりもする。


 そうして夕方まで時間を潰して屋敷へ戻り、庭でりんちゃんと遊んで、その後、僕が先生になって『日本語』や『算数』の勉強をちょっとだけ。

 日没の鐘がなり、庶民の仕事が終わる頃、勉強も終わりにする。

 勉強が終わったら、この世界では軽食で済ませられることの多い夕食に、しっかりとしたディナー的なものを食べ、食後にワインやジュースを飲みながら少し団欒だんらんしたら……お風呂だ。


 このお風呂、この世界では自宅に湯船がある所など殆ど無い。

 無理を言ってしつらえてもらったあまり大きくない湯船は、屋敷の端の別棟に鎮座していた。

 これに毎日沸かした湯を張って体を沈めるのだ。


 時々、貴族用の大きな公衆浴場へも行くけど、やっぱり自宅で一人、のんびりと湯船に浸かれるこの時間は何事にも代えがたい。

 やはり日本人ならこれは欠かせないなぁと幸せを実感するひとときだ。

 ……いや、僕は日本人じゃないんだけど、どうも一般常識や慣習の面では、僕は所謂典型的な一般日本人に分類されるようだった。


 この習慣もやっぱりメイドたちに驚かれた。彼らから言わせれば、ものすごく贅沢で意味がわからないレベルの話だったようだ。

 大きくないとは言っても毎日この湯船を洗ってお湯を張るという作業は、給湯器も風呂釜もないこの世界では重労働だろうと言うことで、お風呂用に下男を特に雇うことにもなった。

 最初は「普通は週一くらいで公衆浴場へ行くものだ」と難色を示していたクリスティアーノも「りんちゃんを毎日お風呂に入れるためだよ」と説得すると苦笑いしながらも了承してくれたので大丈夫。

 ここが水道橋や井戸が発達していて、水が潤沢に使える世界で本当に良かったと思う。


 お風呂から上がって、今の時期は火を入れることはないけど大きな暖炉のある僕の部屋で、3人でおしゃべりを楽しむ。

 毎日、一日中一緒に居るんだから話なんかすぐ尽きそうにも思えたんだけど、不思議と会話が弾んだ。

 ふと皆が黙りこんでも、嫌な空気が流れることはない。ソファーの上でだらんとしている僕にりんちゃんがまとわりついてニコニコしているだけで、僕は幸せに包まれるんだ。


 やがてりんちゃんの目がとろんとして来ると、彼女はチコラの手を握って指しゃぶりを始める。

 日本から着て来たパジャマでチコラを抱きしめるその姿は、はじめて会ったあの時のままだ。


 そっと抱き上げ、お姫様のベッドへと連れてゆく。


「あっくん。おやすみなさ~い。明日もいっぱい……遊ぼう……ね」


「うん、おやすみ」


 おやすみの挨拶も後半はあくびに紛れていた。寝る前に僕の胸をぎゅっと抱きしめ、もう一度大あくびをしたりんちゃんは、ふかふかの枕とベッドに埋まるように体を沈める。

 チコラの体に手を回して、右手の親指を口にくわえたりんちゃんは、すぐに規則的な寝息をたてはじめた。


 僕が「よろしく」と親指を立てると「まかしとき」とチコラも親指を立てる。

 そのまま僕は自分の部屋へ向かうと、「暖かな闇を」と魔法の照明を消し、ドアをそっと閉じた。



「……さて、やるか」


 机に向かってランタンの明かりを最大にした僕は、能力チートの一つである水晶球と、のノートを使ってこの世界の言葉の勉強を始める。

 りんちゃんに教えるための日本語や算数の復習も手を抜けない。

 途中、作り置きしておいてもらったおつまみを運んでもらい、ワインと一緒にそれをつまみながら、消灯の鐘が鳴り響くまでの1時間と、その後の数時間ぶっ通しで勉強をした僕は、最後に凝り固まった背筋を伸ばし、ノートを閉じた。


 この紙のノートも結構な値段がする。驚いたことにペンは万年筆の原型ようなものが存在していた。インクも思っていたより乾くのが早くて結構良いなと思ったら、最近売られ始めた鉱物性のインクでこれもまた高級品だとファンテに教えられた。

 勉強をするだけでもこれだ。僕たちの生活全体で、どれくらいのお金がかかっているかは想像もできない。

 未だに怪しい所はあるけれど、やっぱりクリスティアーノには感謝しなければ。


 左手で首を揉みながら、ベッドサイドへとランタンを持ち運び、火を細めてシャッターを閉じる。

 天窓から差し込む月の光の中で、薄めたワインで喉を潤すと、僕は布団に潜り込んだ。


 今日も一日、良い日だった。

 明日もこんな日が続くといいな。


 そんな事を考えて満足の溜息をつくと、僕は今日も夢の世界へと落ちて行くのだった。



  ◇  ◇  ◇  ◇



「チコラ、ちょっと話があるんだ」


「なんや? 勉強始まったらりんちゃんと遊べへんねや、遊びながらでええか?」


「うーん……いや、今日は僕も勉強はお休みするから、りんちゃんが読み書きの勉強をしている間に話をしよう」


 朝食の後、最近のりんちゃんのフェイバリットアイテムである小さなお人形をラグの上に並べて遊んでいたチコラは、僕の提案に少し眉をしかめた。


「なんや、悪い話か?」


「ううん、後で」


 りんちゃんへちょっと視線を向けて僕は話を終わらせる。

 チコラも察して「せやな」と視線を戻した。



  ◇  ◇  ◇  ◇



「で、なんや」


「うん、僕らもう異世界ここに来て1ヶ月以上経つよね?」


「……せやな。宿に2週間、屋敷を構えて2週間か。なんや早いもんやな」


「それで、そろそろりんちゃんを日本へ戻す方法をちゃんと探さなくちゃいけないと思うんだ」


「……お前、今の生活になんや不満でもあるんか?」


「え? いや全然!」


「さよか……なぁ、ほならもう、ここでこうやって穏やかに暮らしていったって……ええんちゃうか?」


 チコラは頬杖をついてそう言うと、テラスで読み書きの勉強をしているりんちゃんへと顔を向ける。

 りんちゃんの勉強のはかどり具合はめざましく、元々識字率の低いこの世界で言えば、もうそれだけで特殊能力と言えるほどの学力を身につけていた。

 僕も一代限りとはいえ爵位ももらった。りんちゃんが大人になるまで、僕らは守って行けるだろうと思う。お金の心配だって無い。

 一番の懸案事項だった、あと数年で復活する魔王の討伐についても、僕が水晶球で調べた結果、クリスティアーノのクラスが『勇者/子爵』であることが判明していて、りんちゃんが無理やり戦わされる事も無さそうではあった。


 それでも。


「りんちゃんがそう望むなら……それでもいいかなって、僕も思ってた」


「ほんなら――」


「でもやっぱり、小さな子供には両親が、お母さんが必要だよ。もしりんちゃんが僕たちと暮らすことを望んでくれたとしても、それでも、彼女が自分の生き方を自由に決められる選択肢は用意しなくちゃ……それが僕たちの義務だと思うんだ」


「ワイはな、あっくん。ワイは……それでも……いやなんや」


 チコラは僕に顔を向けない。ずっとりんちゃんのことを見ている。

 どんな顔して言ってるのか分からない僕は、黙って続きを待った。


「お前がどんな想像してるかは知らんよ? 知らんけど、りんちゃんの日本での生活はお前が思ってるようなのとはちゃうんや。ワイはな、夜中に誰もいない家で、ご飯も食べさせてもらえずに泣いているりんちゃんが、それでも寂しさを紛らわすために、声を殺してぬいぐるみに『チコラちゃん、あのね。チコラちゃん、今日ね』って話しかけてる。そんな姿はもう見たないんや……」


「それって……」


 いわゆる育児放棄ネグレクトじゃないか。

 僕も思わずりんちゃんに顔を向ける。

 あんなに明るくて快活で誰とでも仲良くなれるりんちゃんが、日本でそんな生活をしていたなんて……。


「……まぁウソやけどな」


 くるりと僕の方を向いて、チコラは難しい顔のままそう言った。


「……え? ……ええぇ~?! ちょっとなにそれ?! ヒドい!」


「わはは! 騙されよったな! でも、ワイがりんちゃんを日本へ戻すことに反対なのは本当や。何しろワイがりんちゃんとお話もおままごとも出来んようになってまうからな」


 それはたしかにそうだ。僕だってりんちゃんが本当の両親の元へ戻ったら、一緒に暮らすどころか、会うことも出来なくなるだろう。

 それは、今となっては僕の人生が終わってしまうのと同義語だ。

 それでも、僕はりんちゃんの人生を第一に考えなくてはいけない。


「それでも、やるんだ」


「はぁ、難儀な性格やな」


「うん、自分でもそう思う。でも……」


「ワイは嫌いやないけどな」


「うん。僕も嫌いじゃない」


 チコラに「どんだけ自分大すきやねん」とツッコまれながら僕らは笑う。

 僕らがどうなろうとも、りんちゃんがずっと笑って暮らせる未来を作ろう。

 可能性を全て比べても、最高の選択が出来たと断言できる未来にしよう。


「あ~っく~ん! お勉強おしま~い!」


 テラスから両手を広げて駆けてくるりんちゃんを体を屈めて受け止めた僕は、自分のすべての能力を使って、彼女を日本へ戻す方法を見つけようと心に決めた。


 でも、とりあえず。

 それは明日からにしよう。


 僕は、今日の所はりんちゃんと何も考えないでおもいっきり遊ぼうと決めたのだった。

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