第07話「常識とようじょ」

「しゅっぱつしんこー!」


 道で拾った30cmくらいの木の枝を高く掲げて、トリスターノがギルドからレンタルしてきた馬車の御者台に立ったりんちゃんが高らかに告げた。

 早朝。太陽はまだ顔を出していないが、山の稜線が白く輝き始めたころの事だ。


「ほら、りんちゃん、立ってると危ないから抱っこしてようね」


 初めての馬車に居ても立ってもいられない様子の彼女をそっと抱き寄せると、それを確認したオルコがゆっくりと馬車を走らせる。


 いつもなら僕の頭の上でペラペラ喋っているはずのチコラは、馬の頭に乗っかって頬杖を付いていた。

 僕もあえてそちらを見ないようにしながらりんちゃんを抱っこして、流れてゆく景色に目を向け黙っていた。


 微妙な雰囲気を察したのか、トリスターノたちにも言葉は少ない。

 明るくなり始めた街道には、一頭立ての小さなホロ馬車がたてる規則正しい車輪の音と、りんちゃんのオリジナルソング「かわいいお馬さんのうた」だけが流れていた。


 昨日、この『ホブゴブリンの王国(小)殲滅』を手伝う事が決まってからこの状況になるまでには、かなりの紆余曲折があった。

 今はすっかり機嫌の良くなった彼女を抱えなおすと、僕は初めてのチコラとのケンカを思い出した。



  ◇  ◇  ◇  ◇



「しゃあないやろ! あいつが諜報部員だなんて知らんかったんや! それに『金が足りひん~金が足りひん~』言うて泣いとったのはお前やないか! よかれと思てや!」


「僕はそんな『足りひん』なんて変な言葉は使ってないし泣いてもいないよ! 思ったよりお金がかかってるのは確かだけど、いきなりホブゴブリン討伐なんておかしいでしょ?! それに、討伐は一日がかりだって言うのに、その間りんちゃんはどうするのさ!」


「連れてったらええやんか! ゴブリンいてこました時みたいに抱っこして行ったらええだけやろ!」


「だから僕はりんちゃんにモンスターを殺……狩るところを見せたくないんだってば!」


「それはお前の勝手な判断やろ! ワイはむしろ見せるべきやと思うわ! この世界で生きていくなら必要な一般常識やし、モンスターの居ない世界に帰るにしても、人間は他の動物を殺して食べとんのや! 人間の豊かな生活は他の生き物の犠牲の上に成り立っとるっちゅう事を教えるのも教育やで! お前はりんちゃんに対して過保護すぎる!」


「殺すなんて言葉使わないでよ! りんちゃんに聞こえたらどうするの?!」


「それが過保護やっちゅうねん!」


 昨日宿に戻ってすぐ、僕とチコラは言い合いになった。

 一応メイドさんに隣の部屋でりんちゃんを遊ばせてもらっては居たけれど、僕らの言い合いがりんちゃんに聞こえやしないかと気が気ではない。

 僕らは親じゃないけど、両親のケンカとかは子どもの情操教育に一番良くないって言うし。


「どこが過保護なの?! りんちゃんはまだ4歳で、それなのに……事故にあって、両親と離れ離れになって……全然知らない……世界に……うっ……ううっ……連れて……来られて!」


「泣くなや! あんなぁ、そんなんこの世界ではよくある話やで?! 両親がモンスターに殺されたり、病気で死んだりな! りんちゃんの居た世界がたまたま恵まれとっただけや!」


「だがらぁ~……ぐずっ……りんちゃんは! その恵まれた世界から……異世界に……無理やり飛ばされでぇ~!」


 りんちゃんの境遇を考えると涙と鼻水が止まらなくなる。

 頭に血が上り、僕は自分が何を考えて何を怒って何に悲しんでいるのかも、ちょっとわからなくなっていた。


「せやから! 今まで恵まれとってラッキーやったんが『普通』になっただけやて! ……ん?」


 お互いにかぶりつきそうな距離で言い争っていた僕とチコラのあいだに、いつの間にかりんちゃんが立っていた。

 ちょっと肩を震わせて、ふてくされたように目をそらしている。


「ぐずっ……りんちゃん? まだ僕はチコラと大事な話があるから、もう少し向こうで遊んでてね?」


「なんやぁ~? りんちゃんどないしたん? ごめんなぁ~。後で遊んだるさかい、もうちょっと向こう行っといてな」


 僕らはりんちゃんを説得しながら、申し訳無さそうにドアの前で頭を下げるメイドさんに向かって、ジェスチャーでりんちゃんを連れて行ってくれるようにお願いする。

 りんちゃんは僕ら二人の手をギュッと握って引っ張ると、口をとがらせて頬を膨らませ、ちょっと目をうるませながら口を開いた。


「……よしがいい」


「え?」


「なんて?」


 良く聞こえずに、僕とチコラはりんちゃんの口元に耳を寄せる。

 りんちゃんは深呼吸するように大きく息を吸うと、今度はハッキリと言った。


「……あっくんも! チコラちゃんも! りんちゃんも! みんななかよしがいいの!」


 目をつむって肩を怒らせ、りんちゃんは大声でそう宣言すると、肩にかけていた小さなポシェット――さっきいちで買い求めたもの――から何かを取り出す。

 ポシェットに直接入れられていたのは砂糖まみれのカステラ。彼女は一つしか無いそれを一生懸命3つにちぎって、僕の手とチコラの手に1つずつ載せた。


「みんなで、なかよく、おやつ食べるの! みんなで半分こしたら、なかよしなの!」


 カステラは形が崩れてボロボロだったけど、りんちゃんの勢いに押されて僕もチコラも一緒に口に放り込む。

 僕たちが食べるのを確認したりんちゃんは、自分もそれを口に入れた。

 微妙に生暖かいカステラは正直おいしくなかったけど、僕とチコラが「おいしい」と笑うと、りんちゃんも笑ってくれる。

 その笑顔を見た僕は、今までの怒りやなんかの嫌な感情がぱっと吹き飛んでしまうのに気付いた。

 カステラを飲み込んだ後、ポケットからハンカチを取り出して思いっきり鼻をかむ。


「とにかく、約束してしまったものは仕方がないから、出発の準備をしよう」


「……せやな」


 わだかまりは少し残ったけど、僕もチコラもそれ以降は黙々と必要なモノを買ったり、情報を集めたりすることに集中したのだった。



  ◇  ◇  ◇  ◇



「りんちゃん、荷台で寝かせましょうか?」


 ガタリと馬車が揺れ、倒れそうになった死神の鎌デスサイズを慌てて掴んだ僕にルーチェさんが後ろから声をかけてくれる。

 りんちゃんは出発から2時間ほど元気に歌をうたったり馬車の上を行ったり来たりしていたけど、ぬるいスープとパンとチーズの簡単な朝食を食べると、僕の膝の上で電池が切れたように眠ってしまっていた。


 りんちゃんを抱っこしてるとすごく暖かくて気持ちいい。僕まで眠くなってしまうのが玉に瑕だけど、先程から街道を逸れてホブゴブリンの『王国』へと向かい始めた馬車の上だ、何かあった時にりんちゃんが手元に居ないと怖いので、僕はルーチェさんの申し出を断った。


「あの……すみません、差し出がましいことですけど、本当にりんちゃんを連れたまま討伐するんですか?」


「えっと、戦闘になった時は、あの、僕のそばが一番安全ですから」


「いえ、そういうことじゃなくてですね……」


 わかってる。

 戦闘になった時じゃなくて、そもそも戦闘が起こるような場所に連れて行くのかって話なのはわかってる。


 わかってるんだけど、申し訳ないけど僕はこの世界の人達をまだ信用できてない。

 チコラと話をしてても時々思うんだけど、生命の大切さとか一般常識的な基準が、『地球』と――正確に言えば『りんちゃんの居た地球と言う世界の日本という国』と――かなりかけ離れていると思う。


 昨日水晶球で調べたこの世界「ジオリア・カルミナーティ」の乳幼児死亡率、なんと60%以上。

 僕が街で見た貫頭衣を着ているような子どもたちは、病気や栄養失調などで半数以上が死ぬ。そして7歳くらいまで生き延びると、今度はその大半が里子に出される。

 里子と言っても裕福な家に貰われていくような制度ではない。謂わば労働者として安い賃金と過酷な労働に従事させられるのだ。

 残りの子どもたちも、親の仕事を手伝うか、通いでの仕事をする。

 体も出来上がっていないのに荷運びなどの重労働をさせられ、危険と隣り合わせのその生活は、子どもたちの寿命を更に縮めてゆくのだ。


 幸運なもの、力のあるものだけが生き延びられる。

 子どもはほとんどが死ぬものと言う


 そんな人たちに、うちのりんちゃんを任せることなんて出来ない。

 それならばホブゴブリンの王国だろうが魔王の城だろうが、デスサイズを構えた僕とチコラの側のほうが全然安心できるって言うものだ。


「りんちゃんは僕たちが守るので、あの、迷惑……は、かけませんから。から」


「アマミオさん。迷惑だなんて、そんな事は思っていませんよ。すみません、本当に差し出がましかったですね」


 また語尾を2回言ってしまった。それと、悪くないのにルーチェさんに謝らせてしまった。

 彼女は神官という慈悲深い職業についているだけあって、他の人と比べれば随分僕たちの常識に近い考え方をしている。だからさっきの質問も、純粋にりんちゃんを気遣っての事だと言うのも分かっている。

 それでも僕は、彼女をフォローする言葉をかけられなかった。


 あぁ~、自己嫌悪だ。


 勝手に落ち込んでりんちゃんをギュッと抱っこしなおした僕に向かって、先頭からチコラの声が聞こえてきた。


「あかん、見張りに見つかってもうたで! ゴブリン5頭や!」


「くそっ! 思ったより広い範囲に見張りがでてるぞ! オルコ! 弓だ!」


「無理だ。この距離では届かん」


 トリスターノが叫び、オルコが答える。

 僕は無意識に馬車を飛び降りると、りんちゃんを縦に抱っこしなおし、デスサイズに巻いてあるなめし革を投げ捨てた。


「おい、アクナレート! 前衛職はまだ出番じゃ――」


 トリスターノの声が終わる前に、僕は地面を蹴り飛ばす。


――りんちゃんを危険に晒す可能性のある、ゴブリン。


「そんなもの、全部僕が消してやる」


 ゴブリンたちまでの距離、約400mを僕は10歩で駆け抜けた。

 突然目の前に現れた死神のような姿を認め、ゴブリンたちのいびつに歪んだ黄土色の瞳が恐怖に見開かれる。


「消えろ……消えろ、消えろ消えろ消えろ」


 後頭部から冷水をぶっかけられたような感覚を感じながら、僕は5回、デスサイズを振るった。

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