第08話「戦闘とようじょ」

 全てがゆっくりと動いている。


 僕の左腕に抱かれたりんちゃんの寝息が聞こえた。


 右腕に持った自分の体よりも大きい死神の鎌デスサイズを軽々と進行方向へ振るう。


 そこに存在していたのはゴブリン。


 刃先が触れ、その汚れた革鎧を少しずつ切断してゆく。

 何の抵抗も感じないまま、ぬばたまの如き漆黒しっこくやいばは、ゴブリンの腰骨の辺りから、逆の肩口まで、真っ直ぐに両断した。


 デスサイズの遠心力に引っ張られるようにして、次のゴブリンの元へと飛ぶ。

 背後で両断されたゴブリンの体から血が吹き出し、その後黒い霧と化した。

 渦巻くように収縮したそれに吸い込まれるようにして、屍となったゴブリンが黒い球体になる。

 ゴトリ。と、その魔宝珠まほうじゅが地面に落ちた時には、僕は2匹目のゴブリンの首を切り飛ばし、次の獲物へと視線を向けていた。


 踊るように。


 攻略法の分かっているハメ技のように。


 僕は瞬く間に5匹のゴブリンを黒い球体に変えると、呼吸一つ乱さないままデスサイズの石突きを地面に突き刺す。

 それを待っていたように残りの魔宝珠が地面に落ち、ゴトゴトッと鈍い音を立てた。


 遠くからこげ茶色のぬいぐるみと人間が数人、こちらへ駆けて来るのが見えたが、そいつらに明確な悪意は感じない。

 それよりも。


 この森の奥に、今しがた消し去ったばかりのと同じような悪意を感じる。

 その数100……300……480。……いや、483か。


――あいつらは、りんちゃんに危害を加えるしれない。


「~~~~……~~……~~!!!」


 ぬいぐるみと人間がこちらへ向けて何か言葉を発していたけど、耳の奥で「キーン」と響く耳鳴りが酷くてよく聞こえない。

 まぁ、りんちゃんに危害を加えないなら放っておいても構わないだろう。


 僕は意識を森の奥へ向け、眠っているりんちゃんが起きないようにそっと抱きかかえなおすと、地面を蹴って森の中へと突っ込んだ。



  ◇  ◇  ◇  ◇



「……おい、……おい! 泣き虫あっくん、起きいや!」


「あっくん! おーきーて! あさですよー」


 お腹の上にどんっと、りんちゃんが乗っかった重みで僕は目を覚ます。

 大きな木の根元。

 新緑に輝く葉の隙間から午前の柔らかい日差しが差し込んでいた。


「……おはよう」


 少し体を起こし、お腹にまたがったりんちゃんへと、ゆっくり微笑む。

 僕の顔を見たりんちゃんは「おはよー!」と顔を輝かせ、首にぎゅっと抱きついた。


っ……」


 体中が筋肉痛のように痛い。

 思わず漏れたその言葉に、りんちゃんは体を引いた。


「あっくん、いたい? いたいのいたいの~とんでけー!」


「うん、りんちゃんありがとう。もう治ったよ」


 何度も僕の頭をなでて、手を天に向けて伸ばす事を繰り返すりんちゃんへ思わず微笑みながら、意識するでもなくりんちゃんの後ろへ目をやる。


 そこに広がっていたのは――廃墟。

 生活臭はするのだけど、人が一人も居ない。

 粗末な木と土壁で作られた家の前には、それこそ食事の準備でもしていたような焚き火がいたるところで煙を上げているのだが、それを使うはずの人は全く存在していなかった。

 その代わり、廃墟中に転がる黒く輝く球体。


 ふと気が付くと、それを拾い集めているトリスターノたちの姿が見えた。


「……チコラ、もしかしてここ……」


「ああ、ついさっきまでホブゴブリンの『王国』ところや。それもワイらが潰したゴブ200匹程度の小規模なんとはちゃうで。ゴブ500匹くらいおる中規模のやつや」


 僕らが討伐に行くホブゴブリンの王国って、小規模なんじゃなかったっけ?

 目を合わせてくれないまま説明してくれたチコラをよく見ると、彼の体にはいくつかの切り傷ができている様子だった。


「そんな数のゴブリンを討伐したの?」


「お前がな」


「でもその傷……」


「ホブゴブの攻撃ごときで、この超魔法精霊スーパーまほうせいれいのチコラさんが傷つくかい! これはな……まぁアレや、自傷行為みたいなもんや」


「……やめてよ、そういうの。りんちゃんの教育上良くないよ」


「せやな。もう二度とごめんや」


 ため息をついて珍しく小さな声で囁くチコラを、りんちゃんは立ち上がって引き寄せるとギュッと胸に抱いて頭をなでる。

 なんだろう。この疎外感。

 アンニュイながらも少々のドヤ顔成分を含んだチコラと、慈母の如き微笑をたたえるりんちゃんを僕はただ眺めることしか出来なかった。


「アマミオ殿! 魔宝珠の回収を終えました!」


「え? あ、はい」


 突然、トリスターノが駆け寄ってきて、2mほど離れた場所で両足を揃えると、直立不動の姿勢でそう告げた。

 さっきまで敬称略の名前呼び捨てでタメ口だったのに、今は何故か家名に殿をつけていて敬語なのがちょっと嫌な予感がした。


 その横では大きな麻袋2つ分の魔宝珠をガチャリと置いて、額の汗を拭いたルーチェさんと、いつも通り冷めた目つきのオルコが中身を数えている。

 しばらくして顔を上げたルーチェさんが「すごい……サイズのバラつきはありますけど、割れてしまったものを除いても475個もありますよ……」と、呆れたように溜息をつく。

 その数を聞いて流石のオルコも、もちろんトリスターノも息を呑み、そして拳同士をぶつけて笑った。


「え、と。ホブゴブリンの王国討伐は……あの、終わった? ……終わったんだよね?」


「もちろんですアマミオ殿! あの一瞬の早業! 一匹ものがさない足運び! まさに鬼神が如き動きでした!」


 興奮気味にトリスターノがまくし立てる。

 多分そうだろうとは思ってたけど、やっぱりコレ、全部僕がやったのか。


「アマミオさん、貴方は『狂戦士バーサーカー』なのですか? もしそうだとしたら、パーティーを組む際には事前に通達すべきかと思います」


 ルーチェさんが非難がましい目で僕を見る。

 何のことかわからず目をそらした僕に、彼女は一瞬間を置いてから決心したように言葉を続けた。


「……今まではお一人で戦っていたのでしょうけど、パーティーでの戦闘の場合、バーサーク状態の貴方には近づかないようにと言う説明が無いのは無責任です」


「アマミオ殿……確かに、それは伝えておいて頂きたかった」


 何かを思い出したようにブルっと体を震わせたトリスターノが追従する。

 僕は嫌な予感に襲われて、皆に「ちょっと待って」と告げると、今は誰も人の居ない住居の一つに身を隠して、水晶球を取り出した。

 さっきまで僕が見ていた映像を巻き戻して投射する。

 そこには確かに自分が見ていたはずなのに、全く覚えていない、それはそれは胸の悪くなるような映像が映っていた。



  ◇  ◇  ◇  ◇



「消えろ」


 20分ほど巻き戻し、5匹の見張りを倒した直後の映像から、最初に聞こえてきたのは僕の声だ。僕がその一言を言い終わるまでに、映像をデスサイズの影が十数回、縦横無尽に横切る。

 視界の片隅に一瞬でも捕らえられたゴブリンは、まるで蒸発でもするように次々と魔宝珠に姿を変えた。


 様々な方向から飛来する石礫いしつぶてや投げナイフ、矢を長いローブを翻してすべて払い落とす。地面を蹴って飛び道具の発射元までの距離を一気に詰めると、そこに隠れて攻撃していたメスのゴブリンやのゴブリンをも、僕は何の躊躇ちゅうちょもなく切り捨てた。


「消えろ」


 また一言。

 一際大きな建物から姿を表した巨大なホブゴブリンが、槍衾やりぶすまを構えた近衛このえらしきゴブリンを従えて目の前に迫る。

 全長4mはあろうかという斬馬刀を片手で振り回し、そのまま突撃してきたホブゴブリンと近衛ゴブリンの集団を、僕はデスサイズの一振りで全て纏めて両断した。


 そのまま先ほどの大きな建物に進入する。

 を抱いたメスのホブゴブリンが数匹、鎧をまとったゴブリンに守られるように固まっている。

 赤ん坊の泣き声。メスのホブゴブリンの悲鳴。ゴブリンの怒号。


「消えろ」


 それをかき消すようにつぶやき、僕はまっすぐそこに突っ込んで、デスサイズを振るった。


「……あっくん」


 最後のホブゴブリンが魔宝珠となり、静寂があたりを覆った後に、消え入りそうなりんちゃんの言葉が聞こえる。

 振り向いた僕の視線は恐怖に見開かれたりんちゃんの瞳を捕らえ、水晶球に映し出した。


「ちが……僕は……」


 水晶球が暗闇に包まれる。どうやら僕は目を瞑ったらしい。

 それでも、うすぼんやりした光の動きで、僕は自分が目を瞑ったまま走っているらしいことが分かった。


 どしっと重い音がして、水晶球の映像が回復する。

 そこに映ったのは自分に向けられている銀色の剣。


 咄嗟にデスサイズを振るうが、体勢が悪かったのか、その一撃は金属がひっ掻かれるような嫌な音とともに弾かれた。


「くそっ! 消えろよ! 消えろ! りんちゃんを危ない目にあわせるやつは、全部消えろ!!」


 力いっぱい。神速の刃が振り下ろされる。


「だめー!」


 りんちゃんの絶叫。僕の視界を塞ぐ小さな紅葉もみじのような可愛らしい手。

 一瞬バランスを崩したが、僕のデスサイズは、それでも敵の肩に深い傷をつけた。


 血を吹き出して倒れる敵。

 はじめてその姿をとらえた僕の視線には、見知ったトリスターノの顔が映っていた。


 それでも映像の中の僕は止まらない。

 りんちゃんの手を引き剥がし、もう一度デスサイズを振り上げる。

 確実に死をもたらすであろうその一撃が振り下ろされるまさにその瞬間、僕のデスサイズは、こげ茶色の小さな物体に弾き飛ばされていた。


「アホあっくんボケコラァ! 何とち狂っとんじゃワレェ!」


「う……うわぁぁ! 消えろ! 消えろ! 消えろ!」


 デスサイズが縦横に振り回され、それを紙一重、いやいくつかはその身に受けながらもなんとかかわすチコラ。


「チコラちゃん!」


「心配いらんで! チコラちゃんキィィィック!!!」


 りんちゃんの言葉に答えたチコラは笑顔を向ける余裕すら見せてからその姿を消す。

 同時に映像は縦に激しく揺れ、たぶん僕のあごが下から蹴り上げられたのだろう事が分かった。


 ぐらりと揺れ、倒れてゆく僕の視界の中で、チコラはりんちゃんを抱きかかえて宙に浮かぶ。


「まったく、りんちゃんを危ない目に合わせとんのは誰やっちゅうねん」


 その言葉とドサッという僕が倒れる音を最後に、水晶球の映像は途切れた。

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