第02話「異世界とようじょ」

 静かに、不思議な抑揚をつけた人間の言葉が聞こえてくる。

 少しの湿気を帯びた青臭い葉っぱの匂い。

 体はぽかぽかと温かく、漆黒のローブを僅かに揺らす微風そよかぜは心地良かった。


 あぁ、この聞こえてくる言葉は『歌』だ。

 人間が喜怒哀楽を表現する音楽。


 聞いたこともないのに郷愁を誘うその歌を聴きながら、僕はゆっくりとを開いた。


「え? まぶた?」


 がばっと身を起こす。

 なだらかな丘の上、優しく輝く太陽の光を一本の広葉樹が優しく遮ってくれている。

 近くには川も流れ、一面に広がる草原には、名前も知らない草花が広がっていた。


「おーべんとー♪ おーべんとー♪ おーいしーおーいしー、おーべんとー♪」


 小さな人間の女の子が、僕の寝転がっていた頭の横に、泥団子とむしってきた草花を並べている。

 この子はりんちゃん。トラックに轢かれ、チート能力を与えられた上でこの世界へ転移された4歳の女の子だ。


 とりあえず、転移してきたこの世界が「戦争まっただ中」「魔王軍跋扈ばっこ」などのエクストラハードな世界ではないようで一安心。

 僕が転移のショックで気を失っている間にも、りんちゃんに何事もなかったようで、そこも一安心だ。

 彼女の身を案じて一緒に転移してきたのに、転移が終わったらりんちゃんはもう居ませんでしたなんて洒落にもならないもんね。


「あっくん、朝ですよ。どうぞ召し上がれ」


 起き上がった僕に、泥団子と草花を勧めるりんちゃん。

 これはあれだろうなぁ。『おままごと』ってやつだよな。


「あ、うん。いただきます」


 手を伸ばし、泥団子の一つをつまみ上げる。

 食べたふりをしようと、口元に近づけたその手に、僕はハッキリとした違和感を感じた。


「え? ……そうだ! まぶた!」


 長年風雨に晒されたような白骨だった手に、病的な白さではあるものの肉がつき、爪も生えている。

 さっき目が覚めた時、直前まで骸骨そのものであったはずの僕の顔に、今まで感じたことのない「まぶた」の感触があったのを忘れていた。


 泥団子を地面において、自分の顔と体をまさぐる。

 肉がついてる。真っ黒な穴があるだけだった目も鼻も、ちゃんと付いていた。

 さらに、ローブの袖の中に何かゴツゴツとしたものが入っている。

 取り出すと、それはよく知っている僕の水晶球だった。


 そこに映る僕の姿。


 無造作に刈られた白髪。病的に白い肌。濃い緑色の瞳。淡く朱の載った薄い唇の奥には赤い舌と白い歯も見える。白ばかりの体を漆黒のローブに包み込んだその姿は、人間基準で言えば整っている方だろうと思われた。


「……人間だ。僕」


「ううん、あっくんだよ」


 地面に並べてあった花を一つ、口元に近付けて「もぐもぐもぐ」と言ったりんちゃんは、死神そのものの姿だった僕に名前をつけてくれた時と同じように笑って「ごちそうさまでした」と続ける。

 慌てて僕も「ごちそうさまでした」と両手を合わせ、初めて動かす表情筋が上手く笑顔を作ってくれていることを願った。


 ……しかし、こんなに姿が変わってるのに、りんちゃんはどうして僕が『あっくん』だって分かったんだろう?



  ◇  ◇  ◇  ◇



 ==========

 雨宮りん

 種族:人族ひとぞく

 クラス:英雄

 年齢:4歳

 身長:95cm

 体重:15kg

 能力チート名:魔法少女プリヒール

 ==========


 改めて水晶の表示を確認する。

 りんちゃんの説明によると『プリヒール』とは、悪い心に支配された怪物『ワルモン』に変わってしまった人たちを変身してやっつける、可憐プリティ治癒者ヒーラーな魔法少女である。

 ……ほぼ全て何のことやら理解できなかったけど、どうやら日曜の朝にやってる女の子向けのTVアニメの話らしい。


 色々と水晶球を操作してみたけど、りんちゃんについてはそれ以上の情報が表示されないので、僕は他のものも色々と検索してみた。

 まず僕たちが転移してきたこの世界。


 転移トラック神が呼ぶ世界名は「ジオリア・カルミナーティ」

 世界の状況としては666年毎にやってくる『災厄の魔王』復活まであと数年と言う年にあたり、モンスターが活性化している。

 前回の魔王復活の後に世界を統一した『千年王国ミレナリオ』は立憲君主制の王国で、代々勇者の子孫が王国議会との協議の上で統治している。

 また、モンスターの活発化に伴い、国軍だけでは追いつかない討伐を担う形で『冒険者ギルド』が半国営の形で存在しているようだ。

 特筆する事項として、魔法が存在している。

 魔力マナを使用する魔法、精霊の力と契約する精霊魔法、神の力を具現化する神聖魔法の3種類の魔法が一般的に普及していて、科学レベルはおおよそ13~15世紀レベル。ただし、何故か火薬や銃器は存在しない。


「うーん、よくある転移世界のテンプレみたいだなぁ」


「てんぷれ?」


 僕によりかかって歌を唄っていたりんちゃんがこっちを見上げる。僕はだんだん慣れてきた顔で笑顔を作り、りんちゃんの頭をなでた。

 国が一つに統一されていて、ある程度政治的に安定しているようなのはありがたい。魔王の復活が近いのは困ったものだけど、まぁモンスター程度なら……たぶん、なんとかなる。


 りんちゃんとは反対側に転がっている、刃渡り1.5mほどの死神の鎌デスサイズへ目を向ける。

 水晶球によれば、これは『ランク:SSS+++』の武器、チートで与える『聖剣』と同じレベルの武器だ。

 ついでに、所有者のリンクを辿ると以下の様な情報が羅列されていた。


 ==========

 アクナレート・アマミオ(あっくん)

 種族:神族しんぞく人族ひとぞくフォーム

 クラス:転移トラック神/英雄の庇護者ひごしゃ

 年齢:25歳

 身長:178cm

 体重:68kg

 能力チート名:水晶球のあるじ、魂を狩る者、神の化身

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 これがどうやら今現在の僕の情報らしい。

 チートが3つも付いてる。たぶん最初の2つが水晶球とデスサイズのチートアイテム、最後が自分自身の肉体チートだろう。ただ最後のチートが『死神の姿を人間っぽく変化させる』だけの能力と言う可能性も無くはない。

 チート能力は一つ一つ、強さにも有用性にも大きなバラつきがあるものだから。


「まぁこのままここにいても仕方がない。とりあえず街を探そうか。ね、りんちゃん」


 水晶球をローブの懐へ入れて、デスサイズを肩に担ぐ。

 反対の手でりんちゃんと手をつなぐと、じゃりっと乾燥した泥の感触があった。


「……とりあえず、そこの川で手を洗おうね」


「うん! りんちゃんね、ハンバーグが好きなの!」


 話の繋がりが良くわからなかったが、とりあえず手を洗い、道に点々と置かれている道標にそって歩く道すがらにお話をしてみると、「遊び終わって手を洗ったらご飯を食べる」ものなのだそうだ。

 そう言われてみれば、僕も今まで感じたことのない不快感が腹の中央部にある。


 初めて感じる感覚『空腹』。僕も食事をすることが出来るのかと思うとそれはそれで感慨深いが、それよりも、りんちゃんにご飯食べさせてあげなきゃと言う焦燥感に襲われ、僕は途中で「だっこ!」と言って両手を差し出して来たりんちゃんを抱っこすると、ただ道を急いだ。



  ◇  ◇  ◇  ◇



「異世界なめてたなぁ……」


 抱っこされたまま眠ってしまったりんちゃんを抱えて、僕は走っていた。

 道路が結構キレイに整備されていたので、街は近いだろうと当たりをつけていたんだけど、もう既に太陽は大きく傾き、山の向こうへ沈もうとしている。

 たぶん目覚めた時間がお昼前だから、5~6時間くらい道なりに進んでいるはずなのだけど、一向に街も民家も見当たらず、それどころか一人の人影すら見かけない。

 まぁモンスターにも遭遇していないから、それは幸運だったのかもしれない。

 一見病弱そうに見える僕の体も、流石は神の化身。ずっと走っているけど、まだ今までと同じくらいの時間なら走り続けられそうだ。


 そんな良い発見もあったけど、さすがに真っ暗になる前にりんちゃんにご飯を作ってあげないとまずいだろうと思って、僕は小さな木が集まって生えている場所を見つけると、そこで初めての野宿の準備を始めることにした。


 そっと地面に下ろすと、流石にりんちゃんも目を覚ます。「おなかすいた~」と目をこする彼女に「ちょっと待っててね」と声をかけると、僕はそのまま目星をつけていた近くの川へと走った。



 いきなり獣とか鳥とかは取れる気がしない。いや、取れたとしても調理工程の敷居が高すぎる。木の実とかも見当たらないし、ここで食事と言ったら魚くらいしか思いつかなかったのだ。

 釣り竿もアミも無い状況で川べりに立ち、唯一の武器であるデスサイズを水中へ向けて盲滅法めくらめっぽうに振るう。

 我ながら計画性も何もあったもんじゃないなぁとは思うけど、そこそこの深さがあるこの川では、それ以外の方法が思いつかなかったのだから仕方がない。


 しばらく「ばっしゃーん!」「びっしゃーん!」と水しぶきをあげていたが、やっぱりそんなんで魚が取れる訳もなく、いつの間にか日もとっぷりと暮れてしまった。

 春先の過ごしやすい陽気とは言え、日が暮れてびしょ濡れだとやはり少しの寒気を感じた。


「はぁ……どうしよう、りんちゃんのご飯……」


 僕は、通常1つ持っているだけでも無双出来るチート能力を3つ持っていて、りんちゃんもチート能力を持っている。

 その事実だけで異世界を簡単に生き抜いていけると思っていた自分の甘さと、小さな女の子に丸一日水以外の食べ物を食べさせていないというヒドい現実。

 そんな現実に打ちのめされた僕の耳に聞こえてきたのは、獣の唸り声と、泣きながら僕の名前を呼ぶりんちゃんの声だった。

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