転移世界のトラック神と、ひかれたようじょ

寝る犬

第一章:転移したあっくんが街を目指すこと

第01話「転移とようじょ」

 心地よい暗闇の中、私は目の前にある大きな水晶へ手をかざす。

 黒く分厚い生地の袖口から伸びた指は白く、細く……まるで悠久の年月を風雨に晒された骨のようだ。


 水晶の中央に揺らめく映像が映しだされる。

 それは居眠り運転の巨大なトラックが、今まさに一人の人間を轢き殺す瞬間だった。


 水晶の映像が闇に消え、代わりに私の姿が映る。

 黒いフードに縁取られた顔も、指と同じく真っ白で、骸骨そのものだ。


 その背後に、先ほど水晶に映っていた人間が転送される。

 私は振り向きもせぬまま、肩を震わせて笑った。


「くくく……またトラックにかれた愚か者が現れたようだな……」


 今日の転移者は背が小さいらしい。いや、まさか腰が抜けて立っていられないのか?

 水晶に映る姿は私の黒い衣服に隠れていて表情も見えないが、暗闇の中から急に聞こえた私の声に体を硬直させた雰囲気は伝わってきた。

 良い反応だ。

 私は最大限の効果を狙い、一気に両腕を広げて振り返る。


「貴様は死んだのだ! これから悪鬼羅刹あっきらせつの住む恐ろしい異世界へと転移させてくれるわ!」


 わははははは……はは……は?


 魂に突き刺さるはずの哄笑が虚しく響く。


 真っ黒なフード付きのローブ。骸骨そのものの顔、巨大なデスサイズ。虚ろな眼窩には緑色の炎がチロチロと揺らめく。

 転移の悪魔、死神、なろう神(?)などと言う様々な異名を持つ異形の存在であるこの私の前には、今まで見たことのない生き物がじっとこちらを見つめていた。


 身長は……1mも無いのではないだろうか?

 キャラメル色の真っ直ぐな髪はいちごの模造品が付いたゴムでくくられ、頭の上へぴょんと跳ねている。

 その下には広いおでこ。

 髪の色より少し黒い、産毛のように柔らかそうな太いまゆ。

 大きな鳶色の瞳には、涙が溜まっていて今にも零れ落ちそうだ。

 小さな鼻と真一文字に結んだ唇はぷるぷると震えている。

 頬は紅潮したように赤く染まり、少し膨れていた。


 衣服は……パジャマか?

 白地にピンク色の縁取りと、なんだかわからない猫のような絵が大量にプリントされている。

 少し大きめのその服の袖口から指先だけが出ており、その指はしっかりと、少しスリムなこげ茶色のクマのぬいぐるみを胸に抱きかかえていた。

 裾を引きずりそうなパジャマの足元にも、衣服と同じ猫のような生き物が立体的に意匠されたもふもふのスリッパが見え隠れしている。


 その生き物は、少し眉根を寄せてゆっくりと私に近づき、あろうことか私の漆黒のローブのすそをちみっとつまんだ。


「…………」


 裾をつまんだまま、その子供は黙って私を見上げる。


「……えっと」


 これは……子供? そうだ、子供だ。

 人間は赤ん坊で生まれて、少しずつ年を取り、老人になって死ぬのだと私は思い出した。

 小さな子供。たぶん、女の子。


「お……お嬢ちゃん、どうしてここに来たのかな? かな?」


 予定している台本どおりの言葉以外の人言語を話すのは久しぶりだ。思わず変な口調になる。どもってるし、語尾も思わず2回言ってしまった。我ながらこのコミュニケーション能力の低さは情けない。


 しかし、その私の精一杯の質問にも、ふるふると涙を溜めた顔が横に振られるだけで答えられてしまった。


「ん……ん~と、あ、お名前は?」


雨宮あまみやりんです! 4歳です!」


 よどみない即答。

 たぶんあれだ、条件反射的にそう答えるよう教わってるやつだ。


「……そっかー、りんちゃんかー」


 さて困った。

 子供を転移させたことなど無い。いい年をしたおっさんをチート能力の代わりとして小さな女の子として転移させたことはあるけど。

 良いのかな? これ。転移させちゃって。

 たぶん……いいんだよな。ここに来たってことは、何らかのチート能力を与えて転移させろってことだもんね。


 頭を抱えている私のローブが、ちょんちょんと引っ張られる。

 下へ目を向けると、りんちゃんが両手でクマのぬいぐるみを私の方へ向けていた。


「チコラちゃん!」


「え?」


「チコラちゃんは、りんちゃんの友達なの!」


「え? ……あー、このクマちゃんの名前ね。チコラちゃん……えっと、んー、か……かわいいね」


 今まですぐにでもギャン泣きしそうだったその顔に、にぱっと笑顔が咲きこぼれる。

 あー、子供って感情の振れ幅大きいなー。

 顔全体で創りだされたその笑顔に、私は庇護欲のようなものを掻き立てられた気がした。


「おなまえは?」


「え?」


「おーなーまーえーは?」


「あ、僕の名前? えっと……」


 思わず一人称に「僕」などと言う呼び名を使ってしまい、自分の言葉に更に動揺する。

 人間の感覚などに囚われることのない上位の存在である僕には、人間で言う所の「名前」など無い。

 しかし、キラキラとした目で見つめられると、名前など無いと一蹴する気にもなれなかった。


「……みんなは、死神とか転移の悪魔とか、普通に悪魔とかって呼ぶよ」


「しに……? あく?」


「ああ、悪魔でいいよ」


「じゃあ『あっくん』にします!」


 少し得意気に。ドヤ顔にも見える表情で鼻息も荒く、りんちゃんはそう宣言する。

 僕は一瞬何を言われているのか理解できず、動きが止まってしまった。


 ……あっくん?

 あっくんか。


 初めて、自分専用に付けられた『名前』が、自分の中に染みこんでゆくのが分かる。

 僕はあっくん。

 突然のトラック死と転移を司る悪魔「あっくん」だ。


「ね、あっくん。あくしゅ!」


「……うん、あっくんです。よろしくね」


 りんちゃんとそこに添えられたチコラの手が差し出され、僕らは握手を交わす。

 ぶんぶんと音がしそうなほど手は上下に何度も振られ、チコラは手が千切れそうなほど振り回された。


「おい貴様! 何をやっておる! さっさと転移させんか!」


 突然の声に、僕は我知らずりんちゃんを背中に隠す。


 僕の住む暗黒の世界に来客はまれだ。

 それがトラックに轢かれて死亡した人間の魂ではない者と限定すれば、この数年間全くのゼロだと断言できる。

 でも、その声はどこかで聞いたことがあった。


「あ、上位の神様? でしたっけ?」


「そうだ、貴様に転移トラック神としての生命を与えた創造主だ。あるじによって定められたチート転移の責務も果たさず、貴様は何をやっているのだ?! こうしている間にもトラックに轢かれた人間はどんどん増えておるのだぞ!」


 寡聞かぶんにして『転移トラック神』と言う名前を初めて聞いたのだけど、まぁそれは今はどうでもいい。

 握手したまま手を下げ、普通に手を繋いだ格好になったりんちゃんにちらりと視線を向け、僕は上位の神様へ向き直った。


「……あの、こんな小さな子も転移させるんですか? 元の世界には親もいるでしょうし、今回くらいは生き返らせてあげても……」


「バカか貴様は」


 上位の神様がちらっと左手の腕時計を確認して、イライラと僕の水晶球に手をかざすと、ぼんやりと輝いた水晶球の表面には、「チート能力選択」「転移世界選択」の文字が浮かび上がる。

 りんちゃんの立っている場所を中心に、黄金色こがねいろの球体魔法陣がぶわっと広がった。


 当然ながら手をつないでいる僕もその魔法陣の範囲内に入っている。


「え?」


「バカもん、早く出てこんか。お前も一緒に転移してしまうぞ。そして子どもよ、チート能力を選べ!」


 水晶球の表面でカウントダウンが始まる。

 いけない。このままじゃりんちゃんのチート能力も転移世界もランダムで決定されてしまう。

 もう転移は仕方がないとしても、せめてこの子が幸せに暮らせるような能力を選んであげないと。


「ちーと……?」


「チート能力も分からんのか。そうだな、お前は何者になりたいのだ? 勇者か? 英雄か?」


 上位の神様とりんちゃんの会話を聞き流しながら、僕は一生懸命頭を働かせる。

 剣術……聖剣とか? うーん、この小さな子には難しいか。そもそもアイテム系のチートは盗まれたりして大変なことになることが多いし。それなら魔法……例えば精霊魔法なんかどうだろう? うん、強大で知識もある精霊と契約を結べれば、ちゃんと育てて面倒も見てくれるかもしれない。


「決めました。この子には精霊――」

「りんちゃんは大きくなったら魔法少女プリヒールになりたいです!」

「――魔法を使える能力を……って、えぇぇぇ!?」


 一瞬だけ水晶球の表面に『雨宮りん 能力名:魔法少女プリヒール』の文字が浮かび、その上に重なるようにカウントダウンの『0』が表示される。

 慌てて魔法陣の中から飛び出したはずの僕を魔法陣が追いかけてきた。


「あ」


 黄金色こがねいろの魔法陣は輝きを増し、視界を覆う。

 しまった。りんちゃんと繋いだ手を離していなかった。


 りんちゃんを中心とした魔法陣は、僕に手を引かれたりんちゃんと一緒に移動するのだ。僕がこの子の手を離さなければ逃げられる訳もない。

 でも、どうしても僕はこの手を離せなかった。


「あぁ、もう。仕方ないな」


 僕らは手を繋いだまま、何処とも知れない異世界へと落ちていったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る