ひろがる災禍

 樹々が疎らに生える森のなか、必死に走るフレンズの姿があります。

「うぅ……、なんで……わぁ!」

 茂みから飛び出してきたセルリアンを、両眼をぎゅっと瞑って、右手で叩き落とします。

 運よく弱点の石を破壊でき、地面で弾んだセルリアンは、細かく四角い結晶になってはじけ飛びました。

「やったっ」

 顔を輝かせた彼女でしたが、すぐまた別のセルリアンたちが押し寄せてきます。

「ひぅぅ……」

 小さく悲鳴を上げ、また走りはじめた彼女はピューマでした。何の気なしに散歩していたら、突如セルリアンの大群に襲われ、もう半泣きの状態です。

 瞬発力に秀でた彼女は、最初の踏みこみで敵を引き離せるのですが、長距離を走るのはあまり得意でなく、結果こうして戦いながらの逃走劇と相成っていました。

「どうして僕ばっかり……」

 がさがさと音がしたかと思うと、正面からセルリアンが現れ、方向転換を余儀なくされます。

 しかし、曲がった先にもまた、セルリアンそれらが。

「嘘!」

 慌てて引き返そうとするも、すぐ背後まで迫った群を見て、足が止まります。

「あぁ……」

 力が入らず、悲鳴を上げることもできません。

 恐怖に身を竦ませ、せめて食べられる瞬間は見たくないと、眼を瞑り、

 ふわり、と。

「あなた、大丈夫⁉」

 そんな声にピューマが眼を開けると、はるか眼下に、緑の林冠が見えました。その表面を、ふたり分の黒い影が滑っています。

「え、え?」

 自分の身体を見ると、誰かの腕が回され、抱えられているようです。声のした方を見上げ、白い髪と、大きく羽ばたく翼が目に入りました。

「えっと、あ、あなたは――」

 ふっと笑い、問われた彼女は答えます。

「私はキャプテン・ハクトウワシ。危ないところだったわね?」


「――なるほど。それは災難だったね、ピューマ」

 飛ぶ速度を緩めつつ、ハクトウワシがつぶやきました。

「う、うん。どうして僕ばっかりこんな目に……」

 ピューマは溜息をつきました。

「それが、あなただけでもないようなのよね」

「ど、どういう意味、ハクトウワシ?」

「むっ」

 眉根を寄せ、ピューマを抱える腕に、力を籠めます。

「私のことはキャプテン――と呼んでくれる?」

「え? ……わ、わかった、キャプテン」

 分けがわからず、ピューマが曖昧に答えると、キャプテンは満足そうによしよし、と頷きました。

「それで、僕だけじゃないって、どういうこと?」

 改めて訊ねると、キャプテンは真剣な顔で大地を睨みました。

「――どうも空から見下ろしてきた限り、各地でセルリアンの群れが発生しているみたいなのよ。襲われている子を見たのはピューマが初めてだったけれど、たぶん、他にも……」

「そんな」

 ピューマは顔を蒼くしました。もしそうだとすると、いったいどれだけのフレンズが襲われていることか……。

 キャプテンは深刻な口調のまま、

「この様子だと、ハンターも手一杯なんでしょう。どこかにセーフゾーンでもあればいいのだけれど……」

「で、でも、噴火なんてなかったよね? どうしてセルリアンが……?」

 セルリアンはフレンズと同じく、噴火に合わせて数が増える、ということを思い出し、ピューマは言いました。彼女の知る限り、最近そんな大規模なものはなかったはずです。

 キャプテンはすこし進路を修正しながら、火山の方を一瞥しました。

「それもわからないわ。せめて博士たちがいれば……」

「え、博士たちが、どうかしたの?」

 その問にしばらく沈黙した後、キャプテンは吐き出すように言いました。

「――それが、行方不明なの」

 彼女がなにを言っているのか、ピューマはすぐには理解できませんでした。

 島の長にして、豊富な智慧をもつ彼女たちがいれば、この事態もすぐに解決できるのでは――心の奥で、ずっとそう思っていたからです。

「そ、そんな! 博士たちが……? 嘘……」

「博士たちだけじゃないわ。図書館ごと消えていたの」

「え?」

 今度こそ、ピューマは理解が追いつかなくなりました。

「い、いや、図書館ごとって……。そんなわけ……」

「…………」

 キャプテンは重苦しく黙って、なにも答えません。それこそが、なによりも明確な答えでした。

「博士も助手も、図書館すらなくなったって……、じゃあどうすれば……」

 そこまでつぶやいたところで、ピューマの脳裡にはっと閃くものがありました。

「そ、そ、そうだ! キャプテン!」

「なに?」

「僕、こういう事件を解決するのが得意な知り合いがいるんだ! うん、アミメキリンなら、きっと……!」

 思わずキャプテンは、ピューマを落としてしまうところでした。

「ひ!」

「ソーリーソーリー……」

「し、し、死ぬかと思った……」

 ぜいぜいと息をするピューマを、もう一度しっかり抱え直し、キャプテンはふっと微笑みました。

「いやあ、レアなこともあるものね……」

 意味がわからず首を傾げたピューマを見て、キャプテンは羽ばたく翼に力を籠めます。

「実は私も同じなのよ」

「お、同じって?」

「――名探偵に会いに行くってこと! ジャスティスのためにね! ジャスティース!」



「早く逃げろッ!」

 叫びと共に、ヒクイドリの強烈な蹴りがさく裂します。

 数体のセルリアンがまとめて吹き飛ばされ、粉粉になって消滅しました。

「で、でも、逃げろと言われましても……」

 その背で守られているのは、クロテンです。

「まぁ、確かにそうだな」

 シバはヒクイドリと対照的に、無駄のない動きで一体一体を処理していきます。腕を振るたび、確実にセルリアンが屠られていきます。

 ふたりは背にクロテンを庇っていましたが、さらにその周囲をセルリアンに囲まれていました。逃げようにも、逃げ道がありません。

「しかし、この数はっ……」

 ヒクイドリが苦々しく呻きました。

 一方からはセルリアンの群れが波のように襲いかかり、もう一方には。

「まさか、こんなところでこの穴を拝むとはな……」

 シバが苦笑を浮かべ、穴から頭を出したセルリアンを倒します。

 そこには――。

 砂漠で見た、あの穴。セルリアンを無限に生み出す穴が、ぽっかりと口を開けていました。


 朝。森のなかに例の穴を見つけたヒクイドリとシバは、我が目を疑いました。しかし一定の間隔で、無限にセルリアンが生み出される様子は、紛れもなく砂漠にあったものと同じです。

 慌てて穴を潰しに行ったところで、大量のセルリアンを引き連れたクロテンが現れ、攻めることも逃げることもできなくなってしまったのです。


「申し訳ありません、私のせいで……」

 クロテンはふたりに守られ、肩を落としました。

 キャプテンがキリンを呼びに行く間、図書館の跡地を調べるよう指示され、しばらく言われた通りにしていたところ、突然セルリアンに襲われたのです。

 調査どころではなくなり、そのすばしっこさを活かし逃げ出したものの、行けば行くほど随いてくるセルリアンの数は増え続け、ついにはハンターたちと鉢合わせしてしまったのでした。

「なに、おぬしのせいではない」

「そうだ。気に病むな」

 軽く数体を撃破しながら、ふたりが言いました。ハンターとして経験を積んだ彼女たちにとっては、この程度の数に圧し負けることはありえません。

「しかし、これではな……」

 シバが呼吸を整えます。この数に負けることはありませんが、しかしふたりではそれが限度。活路を開くことは叶いません。セルリアンを倒しきるのが先か、体力が切れるが先かの、我慢勝負になりそうでした。

「ううう……」

 ふたりが消耗していく姿を見、クロテンはいっそう落ちこみました。元はといえば、自分が悪いのです。考えなしに逃げ回るようなことをしたから……。いくらハンターといえども、これは多勢に無勢というものでしょう。このままじり貧になるくらいなら、いっそ――。

 すっと息を吸い、クロテンは覚悟を決めました。

「わ、私も! 私も戦いますわ!」

「――いや、その必要はないよ」

「え……?」

 ふいに響いた声に、クロテンだけでなく、シバとヒクイドリも辺りを見廻します。その瞬間は、セルリアンの攻勢も止んだようでした。

 頭上の樹。そこから、獰猛な勢いで飛び下りてくる影があります。

 流れるような動作で、爪を閃かせ、次々とセルリアンを蹂躙していきます。

 嵐のような、圧倒的な強さでした。

 瞬きの前に、包囲の空白地帯を作り出し、三人の前に立ちました。

「あ、あなたは……?」

 その姿を見上げ、クロテンは思わずへたりこみます。

 一方でシバとヒクイドリは、歓喜の表情を浮かべ、同時に叫びました。

「「――トラ!」」

「ま、まあ、さすがにアンタたちの危機は見逃せないからね。……とにかくここ逃げよっか?」

 名を呼ばれ、トラは照れ臭そうに頬を掻きます。

「突破口は――アタシが開く」

 低い声で言うと、すっと目を細め、鋭い爪を構えました。

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