さんにんの探偵(後)
「かんねんしろクララ!」
地下室への階段を飛び下りたラオが、暗闇へ叫びます。
その後ろから、キリンとナマケモノも顔を覗かせました。
ぎしぎしと建物全体が軋む音を出して、三人は身を竦ませましたが、そのほかにはなにもありません。
「おーい、クララ?」
先ほどよりも小さな声で、ラオが言います。
返事はありません。身動きする影もなく、地下室はまったく静かでした。
「クララ……」
消え入りそうなほど小さな声で、ラオがつぶやきます。
もちろん、返ってくるものはありません。
「えっと……」
ラオが恐る恐る、ふたりを振り返りました。ナマケモノは眼を瞑って首を振りました。
「……誰もいないみたいだね」
「ええ」
キリンも同意します。
「ば、ばかな……。クララはここにいるはずなのに……」
自分の推理が外れたことが、よほど予想外だったのか、ラオはへなへなとへたりこみました。
ほらね、とナマケモノがキリンへ目配せすると、キリンはなぜか、腕組みをして室内を見廻していました。
「どうしたの、キリン?」
「うん、すこし気になることがあって……。今は違うけど、たぶんこの部屋に、誰かがいたのは確かだと思うわ」
「え?」
ナマケモノが眉をひそめます。ラオも顔を上げました。
「そ、それはどういうことだ?」
「どういうこと、っていうんじゃないけど……。前に私が見た時とくらべて、部屋の状況がだいぶ変わってる気がするわ。散らばった箱の配置とか……」
「……そんなこと憶えてたの?」
「あったりまえじゃない!」
ナマケモノの意外そうな質問に、キリンは胸を張りました。
「……いや、まあ本当は、ピューマが地下にじゃぱりまんの備蓄があるって教えてくれたのを、確認に来たことがあるってだけなんだけど……」
「そんなことしてたんだ」
「何日もここに閉じ込められたら、困ると思って」
ずっと部屋で眠っていたナマケモノには、寝耳に水な話でした。
「じゃあ、我の推理は当たっていたんだな!」
ラオがぴょんぴょん跳ねながら言いました。
「……いや、そうはならないと思うよ」
冷静な突っこみが、ナマケモノから入りました。
「そうだなぁ……」
再び場所はカフェの一階。次に口を開いたのは、ナマケモノでした。悪魔探偵の推理が間違いとわかり、次は探偵の出番、というわけです。
「…………」
黙って椅子に腰かけるナマケモノの前、キリンとラオが背筋を伸ばします。
「…………」
ナマケモノの鋭い推理力は、キリンも認めるところですから、否応なしに緊張感が高まります。
「…………」
「……ねえ、ちょっと、あなた寝てない?」
「……ぅん? ……寝てない」
ぱちくりと瞬きしたナマケモノが、一度首を振りました。
「なるほど……。
なにかを勘違いしたラオが、感心したように頷きます。
「……でも、私の考えてたこととは、すこし違ってたみたいだから。とくに話すこともないんだけど」
「すこし違ってた? そういうこと言われると気になるじゃない。話しなさいよ」
「そ、そうだぞ。それに、これは推理合戦なのだから、きさまの推理も聞かねばならん」
キリンとラオに促されて、ナマケモノはわかった、と言いました。
「私はね、ラオ様とクララが一緒になって、皆を騙しているんだと思ってたの」
「一緒に? また妙なこと――」
「ギクゥ⁉」
キリンが笑う隣、ラオがあからさまに動揺していました。
「え、ラオ様。今……」
「な、な、な、な、なんのことだ? あ、あたち――我はむ、無関係ぞ?」
「えっと――」
「な、わ、ははは、はははは! な、ナマケモノの推理は外れたようだな! わ、わ、我とく、クララが、い、一緒になって事件を起こし、それを我が解いてみせる計画だと⁉ とんだ的外れだ! は、はははははは!」
「…………」
「…………」
「え、えっと、えっとえっと」
無言の圧が、ラオに降りかかります。圧し潰されるように俯き、黙りこんでしまいました。
彼女は一旦無視することにして、ナマケモノは話を続けます。
「……クララが消えた時、皆で手分けして、全部の部屋を調べたでしょ? 二階はキリンが調べて、何もなし。一階はピューマが調べたけど、それ以外にも皆使ってるんだから、隠れようがない。でも、地下室はラオ様が調べただけ。二人が組んでいれば、いなかったふりをすることができる」
なるほど、と頷くキリンの隣、ラオが勢いよく顔を上げ、
「し、証拠は!」
「証拠、というほどじゃないけど……。だって自分で地下室を調べたはずのラオ様が、『ふたりは地下室にいる』って言い出すなんて、変でしょう?」
「う、ぬぬぬ……。で、でも地下室には誰もいなかったではないか!」
「……そうなんだよね」
ナマケモノがゆっくり頷きました。
「だから、私の推理は間違ってたってこと。三人が組んでいたとしたら、ラオが間違った推理をするのは、おかしいから」
「ま、まあそうなるな」
満足そうにラオは言いました。彼女の言動は明らかにおかしかったですが、まあ、気のせいかもしれないと、キリンは思いました。
「これで私の推理はおしまい。あとは、よろしく」
ナマケモノは机の上に、ぐったりと身を乗せて、ひらひら手を振りました。
「え、えっと……」
さんにんの探偵の最後、名探偵の番になりました。
期待の籠った眼差しを向けられ、キリンは顔が赤くなるのを感じます。
――お、落ち着くのよ! 名探偵なんだから!
ひとつ深呼吸をして、息を整えます。頭に浮かべるのは、憧れの探偵ギロギロ。
「こ、この事件の謎はふたつ、あるわ!」
やや声が裏返りつつも、指を二本立てます。視線が集まるのがわかります。
「ひとつは、クララとピューマがどうやって消えたか。ふたつは、今どこにいるのか。それは……、えっと」
キリンは喋りながら、だんだん頭が整理されていくような気がしました。
「まず、クララが消えた時。これはたぶん、ラオの考えが正しいと思うの。あの地下室には誰かがいた痕跡があったから……。クララは足音を立てないように、飛んで階段を下りて、あそこに隠れたのね」
つまりラオとクララが組んでいた、というナマケモノの推理を採用しているのですが、それに気づいたのはナマケモノだけでした。ですがそれを指摘すると話が面倒くさくなりそうだったので、彼女は口を挟まず、キリンの次の言葉を待つことにしました。
「それで、ピューマが消えた時。ピューマは……」
そこで、キリンの口が止まりました。
ピューマは、どうしたのかしら?
廊下で別れたのだから、二階にいたのは確か。
ふたり部屋にいたピューマは……。
彼女は、クララのように飛べません。クララが運ぶのも無理だろうと、ナマケモノが言っていました。と、すると?
「――まだ二階にいる?」
キリンが思わず呟いた瞬間、稲妻が走るように、様々な事物が、彼女の脳裡に飛来しました。
ピューマの部屋、棚、その配置。
古びた建物。ぼろぼろで、今にも……。
崩れそうなほど……。
脆い壁。
「くっくっくっく……」
突然黙ったかと思うと、ラオのような笑い声を立てはじめたキリンを見て、ふたりはすこし怯えました。
そんな様子に構わず、キリンは歓喜の声を上げます。
「わかったわ! ピューマが消えた方法が!」
「ほ、ほう?」
その姿は嘘をついているようには見えず、ラオは腕を組んで、横目にキリンを窺います。ナマケモノも興味深そうに、キリンの顔を見上げました。
ですがいつまで待っても、キリンは話し出そうとしません。しきりにナマケモノへ目配せを送るだけです。
ナマケモノはなにかを察したのか、苦笑しながらキリンに訊ねました。
「……教えてくれる?」
「ええ、いいわよ?」
待ってましたとばかりに、キリンが口を開きました。
「まず答えから言って……。ピューマは今、彼女の隣の部屋にいるわ」
「隣? ……というと、我の部屋か?」
ラオが訊ねると、キリンはいいえ、と首を振ります。
「もうひとつ、隣に部屋があったでしょう? あの、白いものがある狭い部屋」
「ああ、あれ」
ナマケモノが頷きます。なんのためかはわかりませんが、この一階にも同じものがあります。
「あそことピューマの部屋の間に、秘密の通路があったのよ」
「秘密の通路……?」
キリンは、疑問符を浮かべるふたりの顔を見ます。まだよくわかっていない様子を見て、彼女はにやりと笑いました。
「秘密の通路というのは、穴……。推理の鍵は、この建物の脆さ……。ほら、もうわかるわね?」
「……つまり、壁に穴を空けて、私たちが扉を開けるより前に、隣の部屋に身を隠した?」
「その通りよ、ナマケモノ!
ナマケモノを指差して、キリンが言いました。
「いや、待て待てキリン。そんな穴、我の目に入らぬわけがないだろう」
「ふっふーん」
ラオの質問にも、キリンは余裕の笑みを浮かべます。
「な、なにがおかしい?」
「私はばっちり目撃してるわ。壁沿いにあった棚をね!」
「あ」
ラオもまた、それを憶えていました。たしかにあの棚を用いれば、ある程度の大きさの穴なら、塞いでしまえるでしょう。
「なるほど……」
ラオは小さな声で、そうつぶやきます。
彼女はすこしの間、なにかを考えているようでしたが、やがて両手を挙げると、素直にキリンを称賛しました。
「みごとだ名探偵。今回はまあ……我も勝ちを譲ろうではないか」
予想外の台詞に、キリンもびっくりします。万事偉そうなラオがそんな言葉を送るなんて、天地がひっくり返ってもないと思っていたのです。
しばし呆然としていたキリンですが、すぐに表情が緩みます。
「み、みごと? そ、そう? えへへ……」
褒められたのが嬉しかったのか、キリンは頬をかきました。
どうやら、さんにんの探偵による推理合戦は、名探偵に軍配が上がったようでした。
「いや、無理があると思うけどなあ……」
ひとりナマケモノだけが、しきりに首を傾げているのを無視すれば、ですが。
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