ふたりめは霧の朝

 とにかくクララの行方を捜さなくてはいけません。キリンはピューマをつれて二階へ上がります。

「ちょっとナマケモノ、起きて!」

 ぶら下がって眠るナマケモノを、キリンはゆさゆさと揺らしました。それでもなかなか目覚めず、いい加減キリンがうんざりしてきた頃、

「ん~?」

 ナマケモノが薄っすら目を開けました。

「……おはよ」

「はあ……。おはようナマケモノ。それでクララがね――」

「……おやすみ」

 キリンの話をぼんやり聞いていたナマケモノは、再びの眠りにつきました。

「もうー! 起きてってば! ……ピューマ、悪いけどラオ様を先に起こしてきてくれない?」

「え⁉ う、うん。わかった……」

 キリンが再びナマケモノを揺らすのを見つつ、ピューマは隣の部屋へ向かいます。

 ラオの部屋。こんこん、と軽いノックをしても、返事はありません。

「あの……、ラオ様……、入るよ……?」

 遠慮がちにピューマが呼びかけ、扉を開けました。

 部屋の中では、ラオがベッドの上でふんぞり返っていました。最初から起きていたようです。物音を立てないように歩いてきたピューマを見て、

「おう、ピューマではないか!」

「う、うん。あの、キリンがラオ様を起こして来てって……」

「ふはは、そうかそうか! ごくろうだったな」

 では行くぞ、とラオがベッドから降り、先に歩いていきます。

「……?」

 ピューマは無言で首を傾げた後、すぐ後ろに続きました。


 ラオとピューマが廊下に出ると、ナマケモノを背負ったキリンが、隣の部屋から出てくるところでした。

 キリンの背でナマケモノは眠ったままで、どうやら起こすのは諦めたようです。

「よし、これで全員ね」

 キリンが言って、ピューマとクララの部屋に向かいます。

 扉を開け、全員で中に入りますが、やはりクララはどこにもいません。

「誰もクララの姿は見てないのか?」

 ラオの問いに、キリンは首を振ります。

「姿どころか、足音すら聞いていないわ」

「ふむ……。とりあえず、建物中を調べてみるべきだろう」

「そうね」

 ふたりは探偵らしく頷きあいました。

「では我は地下を捜してくるとしよう! ……この究極きわきわの目でな!」

 ラオはそう言って、ピューマを押しのけ、廊下へ飛び出します。

「なにをしているピューマ! きさまは一階を調べるのだ!」

「え? わ、わかった!」

 廊下から響いた言葉に、ピューマはあたふたと頷き、一階へ降りていきます。

「……じゃあ、私が二階を調べるのね」

「ん~」

 キリンが呟きます。背中のナマケモノは、まだしばらく起きそうにありませんでした。

 

 一度自分の部屋に戻って、ナマケモノを寝かします。再びクララたちの部屋に戻ってきたキリンは、例の虫メガネを取り出し、床や天井を調べはじめました。

 壁、天井や床に不審な穴はなし。ベッドの下にも、当然なにもありません。ただし、片方のベッドの上には黒い鳥の羽が落ちていて、クララがここにいたのは間違いないようです。

 窓も調べましたが、部屋の窓は開かないタイプで、穴もありません。ここから飛び降りた、という可能性はないでしょう。

 しかし、足音を聞かなかったということは、まだ二階にいる可能性が高いということ。それぞれの部屋を順番に調べていくことにします。

 まずは、廊下の突きあたりにある小部屋。当然誰もいません。この狭さでは、隠れられる場所もないでしょう。一瞥してキリンは扉を閉じました。

 ラオの部屋、キリンたちの部屋と、虫メガネを使って慎重に調べていきますが、なんの手掛かりもありませんでした。

 キリンが一通り調べ終えた頃、ようやくナマケモノが起きました。

「……どうしたの~?」

「どうしたもこうしたもないわ。事件よ、ナマケモノ!」

「事件かあ……」

 今ひとつ深刻さに欠ける様子で、ナマケモノはキリンから事件の概要を聞きました。

 ふたりが一階へ降りていくと、ラオとピューマが机で休んでいるところでした。

「なにか見つかったかしら?」

 キリンが訊ねます。

「……な、なにも」

 ぶんぶんと首を振るピューマ。ラオも同様に、

「ち、地下の部屋にもいなかったのだ」

「私も同じ。どこに行ったのかしら……」

 キリンが溜息をつきます。

 彼女たちの疲弊した様子を見て、ナマケモノが一言。

「……外は?」


 全員でカフェの外に出て、これまた手分けしてクララを捜します。風が強く、目も開けていられないほどでした。吹き飛ばされて落ちないよう、キリンとナマケモノは地面を踏みしめて歩きます。

「やっぱりいないわね……。ひとりで帰っちゃったのかしら?」

「う~ん……。でもこの風の中だと、ひとりでも大変じゃないかなぁ。それとも、夜中に風が弱まったことがあった?」

 キリンはすこし考えて、いいえ、と答えました。

「ずっとこんな感じだったわ。もしかすると、今よりも強かったかも……。そうすると、セルリアンかしら?」

 ナマケモノはどうかなあ、と呟きました。

「それはないと思うけどなぁ。セルリアンに襲われたとしても、痕跡は残るはずだし……。それにセルリアンだって、こんな風の中じゃ動けないだろうし」

「確かに、それもそうね」

 その時、ひときわ強い風が吹きました。ふたりは、自分の身体がほとんど浮き上がったように感じました。

「あ」

「うわあっ」

 マフラーが飛ばされそうになり、間一髪のところでキリンが摑みます。ナマケモノも手を伸ばしましたが、いかんせん遅かったようです。

「……戻ろうか」

「そ、そうね……」

 ふたりがカフェの中に戻ると、ほどなくして、ラオとピューマも帰ってきました。顔を見るに、ふたりとも収穫はないようです。

「いなかったのだ……」

「僕も……」

 重くなる空気を見て、キリンが立ち上がりました。

「ここは、じゃぱりまんを食べて休みましょう。いっぱい持ってきてるのよ? まあ、クララのためだったんだけど……」


 食事を終えて、皆暇になってしまいました。クララを捜すにしても、これではどこを捜しても意味はなさそうです。

「あ、そうだ、ピューマ」

 キリンはふと、部屋の隅でじっとしているピューマに声をかけました。

「な、な、なに?」

「あなた、どうしてこんなところに住んでいるの? いえ、別に悪く言うわけじゃないけど……」

「……ああ、うん。それは……」

 ピューマは俯いて、話すのを迷っているようでした。が、やがて顔を上げ、話しはじめました。

「実は……、僕、地上にいた時、アルパカに会ってね。『カフェをはじめるから、来てくれないか』って誘われたことがあるんだけど」

「え? でも、アルパカのカフェって、こことは違う山よ? 間違えたの?」

「ううん……。その、いきなりカフェに行くのは、その、失礼かと思ったから。遠くの山から、少しずつ近づいていこうとしたんだけど」

「はあ……」

 誰にも遠慮したことのないキリンにとっては、ピューマの、一見過剰とも思える遠慮は、新しいものに見えました。

「途中でこの建物を見つけちゃって。じゃぱりまんは沢山あるし、居心地もいいし、少し休むつもりが、すっかりここに居ついちゃって……。ねえ、アルパカ僕のこと怒ってなかった? いつまでたってもカフェに行かなくて……」

「そんなことはなかったけれど……」

 キリンはそう答えましたが、彼女にはもっと気になることがありました。よかった、と安堵しているピューマに質問を投げかけます。

「ここって、そんなに居心地いいかしら? こんなぼろぼろなのに?」

 キリンが建物を見廻します。今はどうにか持ちこたえていますが、この風では、いつ崩れるかわかったものではありません。雨漏りも酷そうです。

「ううん。そうじゃないんだよ。僕が来たときは、この建物、全然古くなくて……」

「え、どういうこと?」

「…………」

「ピューマ?」 

 返答しないピューマを見ると、彼女は恐怖に顔を歪ませていました。自分で自分を抱きしめ、がたがた震えています。

「ね、ねえ。大丈夫? ごめんなさい、変なことを言ってしまったなら、謝るから……」

「う、ううん。大丈夫」

「でも……」

 しばらく経って、ようやく身体の震えが収まったピューマが、口をゆっくり開きました。

「――セルリアンなんだ」

「え?」

「前に、セルリアンがやって来て、この建物中を廻っていったの。僕は恐くて、地下室にずっと隠れてて……。結局セルリアンは僕には気づかなかったんだけど、そのあとで恐る恐る階段を上がってみたら、どこもかしこもぼろぼろになっていて……」

 その時の恐怖を思い出したのか、またピューマはぶるりと身震いしました。

「ほんの、ちょっと前のことだよ」

「……じゃあ、もしかして、外のロープウェイも?」

 キリンが訊ねると、ピューマは「多分ね」と頷きました。

「あれ、ロープウェイって言うの? うん、あれも僕が来たときは綺麗だった」

「ふうん……。やっぱりセルリアンって、謎ねえ」

 キリンはぼんやり呟きました。

「話してくれてありがとう、ピューマ」

「ううん。……いいんだ」

 ピューマはふわりとした笑みを浮かべました。


 一日中風は強いままで、キリンたちはもう一泊することになりました。部屋割りは前と同じです。キリンは今晩も、ずっと起きている予定です。

「じゃあ、おやすみなさい」

「ではしばしの眠りにつくとしようか……」

「お、おやすみ……」

 キリンとラオ、ピューマは廊下で別れます。ナマケモノは一足先に眠ってしまいました。

 クララのいない寝室を見て、ピューマはすこし淋しくなりました。ふたり部屋にひとりというのは、寒々しいものです。

「……どこ行っちゃったんだろう、クララ」

 とはいえ、キリンやラオの部屋に押しかける勇気もありません。仕方なく、いつもと同じ部屋で眠ろうとして――。

「――――!」

 声のない悲鳴が、室内にこだましました。

 それに気づく人は、誰もいません。


 夜が更けるつれ風は弱まっていき、朝陽が昇った時には、すっかり天気は落ち着いていました。

 その代わりと言ってはなんですが、キリンが窓外を見ると、真っ白い霧が辺りにたちこめていました。伸ばした手の先が見えないほどの濃霧です。

 今日も一階に一番乗りをしたキリンは、外の風景を眺めて、腕を組みました。

「うーん、これが晴れたら帰れると思うけど……。でもクララの件を放っていくわけにもいかないわ。名探偵として!」

 キリンが気合を入れていると、階段を降りてくる足音がします。

「おう、名探偵。早いではないか」

「おはよう、ラオ」

「むっ。我のことはラオ様と呼ばんか」

「はいはい、ラオ様」

 キリンのなげやりな言い方に、ラオは一層むっとします。

「だーかーらー!」

 ふたりが延々と些細な喧嘩を続けているうちに、また誰かの降りてくる音がします。ふたりが視線を向けると、なんとそれはナマケモノでした。

「……おはよう」

「お、おはよう」

 驚いたのはキリンです。まさか、ピューマよりナマケモノが先に目覚めるとは。

「んぅ? ピューマはどうしたのだ」

 ラオも不思議に思ったのか、そう呟きます。

「……まさか」

 キリンは厭な予感がしました。

 すぐさま、彼女は階段を駆け上がります。

「おい! ……ふはは、なるほどそういうことか! やるではないか!」

 ラオもキリンの様子を見て思い当たったのか、後ろに続きます。最後にナマケモノが、寝起きでふらふらしつつ、跡を追っていきます。


「ピューマ!」

 キリンが勢いよく開けた扉。その部屋に――。

 はたして、ピューマの姿はありませんでした。

 

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