ひとりめは風の夜
カフェの玄関を入ってすぐ左手。二階へ続く階段があります。途中踊り場があって、右に折れます。
階段を上りきると、廊下がまっすぐ伸びていました。
右手側に扉が三つ並んでいます。突きあたりにも、ひとつ扉がありました。
左手には窓があり、外の様子が見えます。空は曇り、強い風が吹いて、窓枠をがたがたと揺らしていました。
「……ここなら、泊まれると思うよ」
ピューマが言いました。
廊下を歩くと、一歩ごとにぎしぎしと床が耳障りな音を立てます。
試しに、階段に一番近い扉を、キリンが開けてみると、中には簡素ながら寝床があります。ロッジアリツカで見たものと同じ、ベッドがふたつ並んでいました。
「本当。ここなら大丈夫そうだわ」
その瞬間、ばきり、となにか折れるような音が響きました。同時に、建物が大きく揺れます。
「……まあ、この風で崩れなければ、だけど」
ナマケモノが、不安そうに言いました。
カフェに住む謎の人物の正体も判明し、キリンとナマケモノに、ここに留まる理由はなかったのですが、ラオが乱入してきたことで、話がややこしくなりました。
「――というわけで、名探偵。我と勝負せよ!」
びし、とキリンを指差すラオ。気に入ったのか、さっきからずっと同じポーズのままです。
「勝負って……、どうして?」
「決まっているだろう! 名探偵と悪魔探偵、どちらが上か決めるのだ!」
「……いちおう、探偵も忘れないでね」
ナマケモノが片手を挙げました。
「いいだろういいだろう。なんであれ、この我がいちばんなのは明らかだからな!」
「むっ」
それを聞いては、キリンも黙っていられません。
「それは聞き捨てならないわね! この私、アミメキリンこそが、パーク一の名探偵よ!」
「ほう……、どきょうがあるではないか」
にやりと笑うラオ。
キリンとラオが睨み合い、火花を散らします。
その火花から逃れるようにしていたクララが、面白そうに口を挟みます。
「それで、どうやって勝負するの?」
「「え?」」
キリンとラオの声が重なりました。
「……考えてなかった、とか?」
ピューマがぼそりと呟いたのに、ふたりはぶんぶんと首を振りました。
「ま、まさかそんなことないわよ!」
「お、おうおうそうだとも。あたち――じゃなくて、我はすでに考えているぞ!」
ふーん、と答えるピューマ。
「じゃあ、どうやって?」
「…………」
「…………」
ふたりは腕組みをして、考えこんでしまいました。
けっこう長い時間が過ぎて、ようやくキリンが手を打ちます。
「そう、探偵勝負なんだから、やっぱり推理合戦よ! どっちが先に推理できるか競うの」
「お、そ、それそれ。我もそう言おうと思っていたところだ!」
ふたりはそう叫びましたが、特に反応はありません。クララもピューマも、脆くなった椅子を一脚、壊して遊んでいたところでした。
すっかり眠っていたナマケモノが声で目を覚まして、訊ねます。
「……なにを推理するの?」
「そりゃあ、事件を――」
「なんの?」
「えっと……」
そこまでは考えていなかったようです。
「な、なあ、ピューマ!」
ラオが唐突に、ピューマを指差しました。当の本人は「うぇ⁉」と慌てます。
「なな、な、なに?」
「おまえ、なんか事件を起こすがよい! 我がかれいに推理してやるから!」
「そ、そんなこと急に言われても」
「うぬぬぬぬ、そうだ、クララは!」
話を向けられたクララは、退屈そうにその長い髪をいじりました。
「クララは……、お腹が空いたの……」
「そ、そうか……」
さすがのラオも、クララには強く出られないようです。
キリンとラオは疲れてしまい、椅子にもたれかかりました。
その時です。
がたがたがた、と建物全体が軋みました。ラオとキリンは思わず身を竦ませます。
そんななか、クララが窓の外を見て呟きました。
「風が強くなってきたようだけど……。これじゃあ、今日は帰れないわね」
「え? ちょ、ちょっと待ってよクララ」
キリンは落ち着こうと、自分のマフラーを両手で握りました。
「帰れないって……、どういう」
「この風の中で誰かを運ぶのは危険だわ……。もちろん、私ひとりでも……」
「そんな……」
べつに急いでいたわけではありませんが、帰れないとなると帰りたくなるものです。キリンは溜息をつきました。もっとも、ナマケモノは眠れればどこでもよく、ラオの目的はキリンとの勝負であり、クララも気にしている様子はありません。困った様子なのは、キリンただひとりでした。
「じゃ、じゃ、じゃあ、今日はここに泊まるの?」
ピューマがわくわくと言いました。誰かと話すのも久しぶりなら、誰かと一晩を過ごすのも、彼女にとっては久しぶりのことです。
「まあ、そうなるわね。……どこか、場所はあるかしら?」
「う、うん。ついて来て」
そうしてピューマが案内したのが、カフェの二階部分、というわけです。
とりあえず、キリンたちはすべての部屋を見て廻ることにしました。
階段に一番近い部屋は、扉の先に廊下が続き、ベッドがふたつあります。右手の壁沿いには、壁と同じ木製の棚がありました。奥には大きな窓があり、外の風景がよく見えます。
二番目の部屋は、一番目の部屋と似ていましたが、ベッドはひとつだけです。
三番目の部屋は一番目の部屋と同じで、ベッドはふたつ。ただし、棚は左手の壁沿いにあります。
その棚の背後の壁。位置的には、その壁の向こうが、ちょうど廊下の突きあたりにあった部屋になります。キリンがその部屋の扉を開けると、
「……ここにもあるのね」
キリンが呆れて呟きました。カフェの一階にもあった、白いものがある、小さな部屋です。扉には「toilet」の文字がありますが、当然誰にも読めません。ピューマはしばらくここに住んでいるそうですが、彼女も知らない、とのこと。
「まあ、我のすみかとしては最低限、といったところだな」
ラオが偉そうに言いました。
「我はこのひとりの部屋にするぞ! 夜に内なる悪魔が目覚めては事だからな!」
「……内なる悪魔って、なんだろう」
ナマケモノが呟いて、キリンがさあ、と首を振ります。
ラオは二番目の部屋に荷物を置くと、
「では建物内を見廻ってくるのだ!」
と言って、騒々しい音を立て、階段を駆け降りていきました。
「……じゃあ、私たちはこの部屋に」
「そうだね」
キリンとナマケモノは、階段に一番近い、ふたり部屋を選びます。
「よろしくね、ピューマさん……」
「は、は、はい。よろしく……」
クララとピューマが、必然的に三番目の奥の部屋になりました。
日は落ちて、窓から入る光もなくなります。部屋はほとんど真っ暗闇でした。外では風だけがびゅうびゅうと、恐ろしい音を立てて吹き荒れています。
時折、建物が悲鳴を上げるように軋みます。それを耳にするたび、ベッドの上のキリンはびくりと震えました。
隣でベッドも使わず、天井からぶら下がって休むナマケモノを見上げます。
彼女はすうすうと寝息をたて、ぐっすり眠っているようでした。キリンはすこし微笑んで、若干体勢を変えます。ベッドの上で座るようにするのが、彼女の眠る姿勢でした。
この時間帯がキリンにとっては一番暇なときです。彼女はほとんど眠る必要がなく、とはいえ今は起きていてもやることはなく、部屋で黙って過ごすしかありません。
風の音と、建物の軋む音。
騒々しい音と裏腹に、夜はひっそりと更けていきました。
翌朝。
相変わらず風は強く、これは今日も駄目かもしれないな、とキリンは思いました。クララが起きてくるのを待って、訊ねるつもりです。
カフェの一階にいるのはキリンだけです。朝陽が昇ってきても、まだ同室のナマケモノは眠ったままだったので、ひとり降りてきたのです。
「あ、おはよう」
キリンが階段に向かって声をかけると、一瞬硬直しかけたピューマはもごもごと口を動かし、
「ぉ、ぉ、ぉ、ぉはよう」
と言いました。
「クララはまだ寝てるのかしら?」
キリンが訊ねると、ピューマは首を傾げました。
「え? クララは、もう部屋にいなかったけど……」
「部屋にいない――って?」
「いや、そのままの意味で……。先に起きて、こっちに来てたんじゃないの?」
「そんなわけないわ。まだクララの姿は見てないし――それに」
それに? とピューマは続きを動かしますが、キリンは混乱で固まってしまいました。
なぜなら……。
――それに、昨夜はずっと起きていたけれど、朝まで誰も一階には降りなかった。
それを思い出したからです。
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