第5話
「死んでるじゃないか。」
エルナンドはため息をついた。
そんなエルナンドになんて一切の視線もくれず、ソフィーは彼を見つめて一方的に熱い抱擁を送っている。
「死んでるけれど、ここにいるじゃない。」
リビングデッドの腰掛ける椅子の側でうっそりとソフィーが笑った。蕩けたようになる表情が、腕の中のリビングデッドに向けられている。
「死んだからってなんだって言うの。」
リビングデッドの髪を撫で、整えながらソフィーは言葉を続ける。
「死んでたって終わらないわ。」
まるで独り言のようなそれだが、彼女の言葉は間違いなく、エルナンドに聞かせるためのものだ。
それを吐く唇をリビングデッドの額に押し当てソフィーは頬を染めた。
だって…、とからころと照れ笑う声が部屋に響いた。
「彼は私に永遠を約束してくれたもの。」
ソフィーはまた少女のような笑みを浮かべて強くリビングデッドを抱き締めた。
エルナンドは面白くない心境で、ただそれを眺めていることしかできない。
「…永遠ねえ。」
「そう、永遠よ。私たちは永遠。」
得意げにそう言い切って、ようやくこちらを見たソフィー。
しかしかのリビングデッドに腕を絡めたまま、ピタリと密着している。
そこにはエルナンドの割入る隙間なんて一寸もなかった。
それでも、エルナンドはその隙間をこじ開けるための言葉を選ぶのだった。
「朽ちていくのが生き物じゃないかねぇ。」
そう、生き物とは朽ちていくものだ。
朽ちて行った人を惜しんで涙するもの。
こんな形でこの世に縛り付けられて、哀れなものだとエルナンドは思う。
愛しい人の前ならば尚更、それなりの格好をしてたかっただろうに。
腐り落ちた体を飾られるなんて拷問だ。
「あら?そうならないために専用の防腐剤があるんじゃないの。臭い消しだって。」
「そりゃそうだけどさぁ。」
それがあるからと言って、衰え腐る事に変わりはないのだ。
女が好きな男の前ではいつまでも美しくありたいように、男だってできれば格好よくいたい。
…エルナンドだったらそう思うのに。
エルナンドは思わず重々しく息をついた。
大体…、とエルナンドの言葉にそう続けたソフィーは顎に指を添えて、何かを思い出すようなそぶりをする。
「あなたは永遠がなんとかって言ってなかったかしら?」
からかうように笑ったソフィー。
その言葉にエルナンドは少々たじろいだ。
…覚えがあったからだ。
『永遠の愛を誓う』なんて言葉が世界中で根強く愛されているというのに、エルナンドがそれを使わない筈がない。
『君に永遠を捧げるよ』とか、『永遠の幸せを約束する』とか…。
そんな馬鹿みたいな見え透いた甘言。
ソフィーに何度それの関する言葉を贈っただろう。
全く覚えてないが、贈ったことがあることだけは確かだ。
「永遠なんて言葉で人を口説いておいて、信じてないなんて詐欺だわ。」
「あー…、それは。」
エルナンドはその指摘に口ごもった。
そのはずである。
『永遠』だなんて言葉の真意を真面目に問われたら、誰だって言葉に詰まってしまう。
だって、それはなんというか比喩表現で。比喩表現を真実かと問われたら答えようもないわけで。
でも愛しているのは本当で。どちらかと言えばその言葉は、なるべく、できるだけ、永くそうあろうとする意志宣言の意味合いが強くて…。
喉を詰まらせて苦笑いのまま言葉を探すエルナンドを見かねて、ソフィーはからからと笑った。
「いいのよ、別に。嘘をつかせたい訳じゃないもの。」
「…。」
ソフィーはそうエルナンドを促すが、嘘だとも真実だともハッキリと答えられない。
エルナンドは彼にしては珍しく神経質そうに前髪を掻き上げた。
しかし、彼女の穏やかな目がどこか愉しそうにエルナンドを眺めているから…。
「…そう、だね。」
エルナンドはとうとうそれを肯定した。
糸の切れたように背もたれに体を預けて、大きく息をつく。
そのまま奇術のままにしておきたいのに、奇術だと思っておいてくれればいいのに。
こうも迫られたのでは仕方がない。
永遠という甘い響きをエルナンドは好意的に思っている。
だから彼女にだってその言葉をかけたし、いたずらに誓うことだってあった。
でも、
……実のところを言えば。
「まあ、信じちゃいないよ。」
栄えたら必ず衰えが来るように、始まったら絶対に終わりが来るように、『永遠』だなんてそんな夢物語は存在し得ないのだ。
馬鹿馬鹿しい。
それがエルナンドの応えだ。
でも、どうやらソフィーの方は違うようで。
「ほら、やっぱり詐欺じゃない。」
「…信じてないだけさ。君を愛してることは嘘じゃない。」
詐欺呼ばわりされる筋合いはないのだ。
だって騙すつもりなんて一切合切ないんだから。
よしんば、そういう結果になったとしたって、後悔だけはさせないさ。
元に彼女の最期の日には、これが何より一番の選択だったんだと言わせる自信がある。
「でもあなたの永遠は嘘なんでしょう?」
「いくら俺でも真面目な顔してそんな不確かなものを誓うほど不誠実じゃないつもりだよ。」
永遠なんてそんなもの。
エルナンドお得意の大袈裟なセリフを吐く、いわばジョーク。冗談。会話に添える造花。
ばかね、とでも笑ってくれればそれでよかったのだ。
もちろん誠心誠意彼女を口説いていた訳なのだけど、そう言うのは少々オーバーに表現してこそだろう。
「ふふふ、子供みたい。」
彼女はくすくすと艶っぽく喉を鳴らしてみせた。
さらさらとブラウンの髪が、リビングデッドの方へと伝う。
「そうかな?子供から大人まで、大半がそうだと思うけど?」
エルナンドは開き直ったのか、からりとほほえんでみせた。
「歳を重ねれば真理に気づくものよ。それができないなら子供だわ。」
その笑顔にさらりとそう返して、ソフィーはカップを傾けた。
永遠が存在することが真理、とでもいう気なのだろうか。
エルナンドは肩をすくめた。
「俺からしたら、未だ永遠なんて信じてる君がわからないな。」
エルナンドからすれば、ないことの方が真理で。あるなんて方が夢現なのだ。
子供みたいなのはそちらの方だとエルナンドは指摘する。
「もう少し現実的にならなきゃ。」
「だってあるものはあるもの。」
ソフィーは静かに息をつく。
「永遠なんてないって喚くのは子供のうちだけにしたら?」
「喚くのもバカバカしくなった大人だよ。」
エルナンドは椅子の背もたれに寄りかかり天井を仰いだ。
もう三十路を過ぎているのにそんなことを嘆くほど暇じゃないし、永遠を無条件に信じるほどお子様でもない。
「そんな迷信にうつつを抜かさない、ね。」
そう付け加えてひらひらと片手を振ってみせた。
彼女の方を見ないのは、抱擁を交わし合う2人が見てられなくなったというのもある。
しかし理由の大部分を占めるのは、このリビングデッドと絡まる彼女があまり好きではないからだ。
そんな思いが通じてか、ソフィーとリビングデッドの衣服が布擦れる。
「あなたは永遠の正体を知らないだけよ。」
続けて、コツコツとソフィーの靴が床を叩く音がする。
ようやく身を離したかと、息をついてエルナンドは彼女に視線を戻した。
予想通り、リビングデッドから腕を離し、こちらを見ているソフィーの姿。
しかし、その細い指は彼の肩に乗せたままだ。
あ゛ーあ゛ーと阿呆のように醜く呻く死体の男。
その横に凛と立ったソフィーは、窓から差し入った陽光に染められて、正反対に美しかった。
真っ白い白衣や、身に纏う衣服が乾いた血で茶色く汚れてなければきっと神々しささえ感じたことだろう。
ああ、その優美な唇が弧を描く。
その形は、夜空に浮かぶ三日月によく似てエルナンドにはひどく魅惑的に映った。
「案外当たり前のように永遠って存在するのよ。」
声に出すのは、そんな馬鹿馬鹿しい言葉だっていうのに。
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