第3話
「そう言わないでよ。」
くすくすとソフィーは笑った。
エメラルドの瞳で外を行くリビングデッドを捉えて、小さく手を振る。
外のリビングデッドがそれに気付くはずもなく歩いていくのを見送って、ようやく彼女はエルナンドを見た。
「別に彼らに罪はないのよ?」
「だからって気味の悪いものは気味が悪いじゃないか。俺は彼らがいない時代に生まれたものでね。君のように受け入れられない。」
困ったように笑ってエルナンドはため息をつく。
もう彼らが出てきてしばらく経って、世界は彼らを受け入れつつある。
だってこんなに大量に発生してしまったのだ。どこかで折り合いをつけるしかあるまい。
国の中にはリビングデッドを国民と認めるところや、人権を許すところさえある始末だ。
国によっては生きてる人間でさえそうなれないというのに。
ただの死体がそんな…。
──おかしな世の中である。
「私だってゾンビ映画がSFだった時代に生まれてるけど?」
「あははは、確かにそうだ。」
意地悪く言ったソフィーに、大きく笑みを返しエルナンドはクッキーを摘んだ。
死体を、眺めながら啜る紅茶はなかなか飲めたものじゃない。エルナンドは舌を突き出した。
「ずっと、フィクションでいればよかったのにさ。」
「またそんなこと言って。」
ソフィーは呆れたように眉尻を下げた。
世界に定着してしまったリビングデッドの存在。
もちろん、彼らを受け入れられない人だっている。
エルナンドがまさにそうだし、それは決して少数派ではない。
だって彼らは腐ってる。そしてやっぱり死体は死体だ。それがもしも知人だとしたって受け入れられるものではない。
虫を集らせていたり、皮膚が剥がれていたり、目玉が飛び出していたり、あんまり見ていて心地よくはない。むしろ不快で気味が悪くて、正直見ていたくはない。
汚い、くさい、そんな理由で彼らを
「どうしたって好かないな。たとえ親でも兄弟でも昔のの恋人だったとしたって俺はごめんだ。」
エルナンドは肩をすくめた。
少しでも情を向けたひとが死体になって自分に寄り添うなんて…。ゾッと背筋が冷える思いだ。
「そう? 私は全然気にならないけど。」
ソフィーは平然とそう言って瞳を閉じた。
そしてその唇が緩やかな弧を描く。
「愛しい人なら、死んでいたってそばにいたいじゃない?」
「俺は愛しい人なら生きてて欲しいけどね。」
「もちろんそれが一番だわ。…でも死んでしまったらそこで終わりだなんて、悲しいと思わない?」
瞳を閉じて詩の一文を謳うようにそう言ったソフィー。
その表情はほんのりと朱を乗っていて、幾分か歳を重ねた恋する乙女のようだ。
エルナンドは肩をすくめる。
「だからって死んでもいいわけじゃないさ。」
「そんなこと言ってないわ、死んだって愛は変わらないって言ってるの。」
頰を染めたまま、くすくすと喉を鳴らしたソフィーは紅茶の入ったカップに細く長い指を絡める。
エルナンドはそれをどこか複雑な思いで見つめていた。
愛、だなんて。彼らは死んでいるのに?
そんなのは、
「不毛だ。」
「そうかしら。」
つるりとそう返されて、エルナンドの指摘は上手に躱されてしまう。
慣れたように不敵な笑みさえ浮かべた、彼女に。
エルナンドは小さく息をついて、額に手を当てた。
いつもそうだ。この件では彼女と意見があわない。
いやだからこそ。ここで諦めるわけにはいかないのだけど…。
エルナンドはからからと軽い笑みを彼女に向けた。
「ところでそこの聡明で美しい女医さん?」
「…、あら、何かしら。開院時間でも構わず訪ねてきちゃう迷惑なお客さん?」
少し芝居がかってそんなことを言ったエルナンドに、ぱちくりと瞬きをして。
同じくふざけた調子の皮肉を返してくるソフィー。
先ほどの会話を蒸し返されて、エルナンドは少し苦笑いを浮かべた。
「ははっ、それは申し訳ないと思ってるよ。」
「なら次からは控えてちょうだい。」
びしりと人差し指を突きつけて、子供を叱るときのように穏やかにソフィーはエルナンドを咎めた。
部屋に立ち込める薬っぽい匂い。それがすでに物語っているが、彼女はこの港町の町医者なのだ。
エルナンドが今いるここがまさに彼女の医局で、ソフィーの根城だ。
その営業時間に、エルナンドはよく彼女を訪ねて行く。まるで、日課のように頻繁に。
エルナンドがそんな不躾なマネをする理由なんて…、簡単だ。
そんな時間帯にこの場所で病院の女王様がお茶なんてしている。
ほら、これだけで察するに容易い事案だ。
それなのにエルナンドはわざわざそれを口にする。
「まぁ、いいじゃないか。今日だってこの通り閑古鳥が鳴いてるだろ?」
そう、がらりと開いた待合室はエルナンドとソフィーの2人きり。
しんと静かな時計の針の音ばかりが響いて、どこか物悲しささえ感じる。
平日の昼間なのだからと言われれば仕方ないのだろうけど。
エルナンドはよく知っているのだ。
この診療所に足を運ぶ人はもともと多くはない。
町の目につきにくいところに看板を構えたここを知るひとが少ないと言うこともあるが…。
その大部分を占めるのはきっと彼女自身のきらいのせいだろう。
当の本人、ソフィーはくすくすと笑う。
「ふふふ、お恥ずかしながら。」
普通なら経営者に『閑古鳥が鳴いてる』だなんて非礼にあたるセリフなのだけど。
ソフィーは冗談交じりにそう言って、客入りが少ないことをあまり気にしていないような素ぶりだ。
それでどうやって生活をしているのか。探ってみたい気もあるが、反面少々薄ら寒い。
…なんにせよ、ソフィーには持て余した時間があると言うことだ。
エルナンドは彼女の軽い肯定を満足げに聞いて、軽やかに手を打った。
「なら話は早い。」
そしてそそくさと、ポケットからなにやら紙片を取り出しす。
紙幣よりかは一回り小さい、切符のようなそれ。
エルナンドはその紙切れをソフィーに突きつけた。
「今晩、俺と百万ドルの夜景を傍らに…、ディナーなんていかがかな?」
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