77.選手権都大会~陸~

 11月の第二土曜日。学校祭の翌週、選手権都大会の準決勝である。海王高校はオフェンス陣が相手ディフェンスに押さえ込まれなかなか得点ができない。しかし、ディフェンス陣が要所で踏ん張り失点もしない。


 そして後半30分。愁斗のミドルシュートが決まり先制。押さえ込まれたオフェンス陣を前で囮に使い、ペナルティーエリア外からの一発だった。その後もディフェンス陣が集中して守り、虎の子の1点を守りきり勝利した。スコアは1対0。


 そして今日。11月の第三土曜日。決勝戦である。今日勝利して優勝すれば全国大会だ。

 学校でのミーティングを終え、会場入りする時だった。


「りっくん」


 声の方向に振り返るとそこには土屋先輩が立っていた。そして俺のもとへ歩み寄ってきた。


「あの……、これ……」


 そう言って遠慮がちに手渡してきたのは、ペットボトルのスポーツ飲料とお守り。


「先輩、ありがとうございます」

「め、迷惑じゃなかった?」

「全然。嬉しいです」

「良かった。頑張ってね」

「はい」


 会場の中に入り、控え室で着替える。皆一様に表情が硬い。無理も無い。多くの高校は経験のある三年生が主力。今日の決勝戦の相手も然りだ。

 それに対して進学校の海王高校は二年生が主力。レギュラーの顔ぶれは三年生が3人、二年生が6人、一年生が2人だ。控え選手も二年生が大半の一、二年生。


 ゴールキーパーの先発は俺。控えは大嶺監督が最後まで迷って林をベンチに入れた。林と征吾の実力は現時点で拮抗。食生活の改善で身体ができつつある征吾だが、まだ完全ではない。征吾の怪我を恐れての林だ。


「やベー、パンツ忘れた」


 は?


 緊張感の充満する控え室に、緊張感のない声。誰だよ。そう思って顔を上げてみると翔平が下半身丸出しで着替えていた。


「しょうがねぇから、ノーパンでスパッツ穿くわ」

「そういう奴たまにいるから問題ねぇだろ」


 翔平に言葉を返したのは高橋先輩だ。それにすかさず翔平が答える。


「大問題っすよ。帰りノーパンじゃないっすか」

「じゃぁ、来る時もノーパンだったのかよ」

「あ、そう言うことっすね」


 どっと沸く控え室。まったく、このキャプテンは。


「けどこれで点を決められる気がする」


 全く根拠のない自信だ。けど、頼もしい。翔平が言うと本当に決めてくれそうな気がする。硬かったみんなの表情も一度綻び、そして引き締まった。翔平なりのキャプテンの形。これはこれでいいキャプテンだと思う。


「最終確認するわよー。って、服着なさいよ」


 ボゴッ。


 登場したのは木田。手に持っていた救急箱を投げつけ、翔平の顔を掠めてロッカーにぶつかった。おいおい、頼むから試合前に怪我はさせないでくれよ。


「危ねぇよ。男子ロッカー室なんだからお前がノックしてから入れよ」


 まぁ、ご尤もだ。翔平は急いで背番号7番の赤いユニフォームに身を包んだ。今日の俺は青のファーストユニフォームだ。背番号は1番。


 カチカチカチ……。


 そんな音が隣から聞こえてきそうだった。隣のロッカー、背番号2番の永井だ。だめだ、こいつだけは緊張が解けていない。


「永井、ミスは怖がるな。全部俺がカバーしてやる。暴れてこい」

「は、はい」


 気合の入った返事が返ってきた。どうやら永井はこう言った声掛けの方が気をしっかり持てるようだ。

 俺はここにいる全員の表情を目に焼き付ける。毎試合、毎試合、俺は二年にも関わらず今日は最後の試合になるかもしれないという意識で臨んでいる。引退せずに残った三人の三年生と同じように。


 大嶺監督と梨花も入室してきて最終確認が終わった。全員で円陣を組む。梨花はしっかり俺と木田の間を確保。まぁ、そういう子だからね。そしてキャプテンマークを巻いた翔平の発声のもと、全員が気合を入れた。


 円陣が解かれて続々と選手が控え室を出る。そこへ梨花が声を掛けてきた。


「先輩、紗奈とスタンドで観てるね」

「あぁ。絶対二人を全国に連れて行く」


 なんだか梨花、ここ数日ですごく綺麗になった。気のせいだろうか? 可愛らしい感じから大人の女性に近づいた感じだ。ふと横を見ると木田が切なそうな顔をしていた。


「安心しろ。お前もちゃんと連れていくから」

「うん。期待しているわ」


 安堵の笑顔を向ける木田。林がチラッとこっちを見てから控え室を出るのが目に入った。ごめんな、林。木田だって大事な戦力だ。モチベーションは維持してほしい。


 通路を抜け、ピッチに降り立つとスタンドから声が聞こえた。真後ろからだ。


「りくー!」


 圭介だ。水野もいる。クラスをはじめ、学校の生徒が多く観に来ている。公太は女子バスケのウィンターカップを観に行くと言っていた。吉岡は参戦だ。だから今日はそらも地元で試合だと聞いている。


「陸、これ」


 水野から投げて渡されたのはタオル。何やらメッセージが書いてある。


『私を国立に連れてって』


「……」


 国立競技場は今建て替え中だよ。それに全国高校サッカー選手権の会場ステータスは、準決勝、決勝だ。野球みたいに全代表校が甲子園で試合ができるわけではない。ハードルが上がるのだ。

 まぁ、スポーツに詳しくない水野ならではだな。応援としてありがたく受け取ろう。


「陸先輩」

「紗奈」


 そこには愛しの紗奈がいた。今日は仕事も休みにして制服で観に来てくれた。これは負けられない。隣には小金井もいる。じっと俺を見ている。俺は紗奈と小金井に親指を立てるとベンチに入った。

 控え室でスパイクの紐はきつく締めた。キーパーグローブを着用しよう。グローブ着用後は靴紐が結べないからこのタイミングだ。


「テーピング手伝うよ」


 声を掛けてきたのは林だ。グローブを着用する前に手の指にテーピングを巻く。突き指防止のためだ。なんと、それを林が買って出た。

 無言で俺の指にテーピング巻いてくれる林。それが終わると俺はグローブを装着した。グローブのマジックテープも林がきつく留めてくれた。


「頼むな」


 それだけ言うと、林はボールを持ってゴール前に行った。俺は一度両手で顔を叩いた。林の言葉に武者震いがしたので、気合を入れたのだ。そしてウォーミングアップだ。林とボールを出し合う。


 ウォーミングアップが終わるとベンチに再集合。やがて先発メンバーはピッチに出て相手チームと試合開始の挨拶を交わした。そしてコイントス。それが終わると先発メンバーだけで再び円陣を組み、もう一発気合を入れた。


『ピー!』


 定位置に付くとキックオフのホイッスルが鳴った。




 キックオフのホイッスルから3時間近くが経った。続々と控え室に戻る部員たち。表彰式も終わり、皆一様に体が疲れている。最後に入ってきた翔平。


「っしゃあああああ!」


 賞状を片手に雄叫びを上げた。それに続くように部員皆が騒ぎ出す。大嶺監督も満足げな表情をしている。木田は目に涙を溜めていた。梨花は満面の笑みだ。


「先輩、約束守ってくれてありがとう」


 梨花が俺の傍まで来て言う。俺も思わず顔が綻ぶ。


 試合は勝った。同点PK戦の末に。これで年末年始の予定が決まった。全国大会だ。俺のサッカー人生は延命された。


 前半は両者無得点のままハーフタイムを迎えた。しかし後半に入ると早々に翔平が得点を決めた。攻撃の選手4人が絡む、鮮やかなパス交換からのフィニッシュだった。翔平は有言実行である。頼れるキャプテンだ。


 しかし終了間際に失点をした。相手も全国を狙う強豪校。さすがである。意地の一発だった。俺の初失点だ。今大会海王高校の初失点でもある。


 そのまま決着はつかず試合は延長戦へ。しかし両者一歩も譲らずゴールは生まれない。更に試合はPK戦にまでもつれ込んだ。


 先攻は海王高校。キッカーは翔平。落ち着いて決めPK成功。後攻は相手チーム。海王のゴールキーパーは俺。なんとなくだが、動かない方がいいような気がした。するとボールは案の定正面へ。俺はそれを叩き、相手のPK失敗。


 二本目は両者成功。そして三本目。海王は愁斗がPKを成功させたのに対し、相手チームのPKは俺が横っ飛びで防いだ。


 そして四本目。海王高校のキッカーは阿部先輩。これを確実に決め、PKスコア4対1で海王高校が勝利したのである。


「陸さんのおかげでPK決めれました」


 控室で愁斗がタックルさながらに抱きついてきた。愁斗はキック力が強い。だからわざわざ難しいコースを狙わなくても、確実に枠を狙えばそう簡単に止められるとは思わなかったのだ。それをアドバイスしていた。


「しかし一本目を正面に蹴る相手のキッカーも勇気があるが、一切動かなかった陸も勇気があったな。ビビッて横に飛んじゃうだろ?」

「いやぁ……」


 これは高橋先輩からの評価の言葉だ。俺ははにかんだ。


「全国までにポジション取るからな」


 そう言ってきたのは林。うむうむ、望むところだ。全国大会は俺の最後のサッカー人生だ。絶対にポジションは渡さん。


 着替えるとスマートフォンに、紗奈からメッセージが届いていることに気づいた。


『先に帰ってご飯作って待ってるね。今日はご馳走だよ』


 喜びを分かち合うこの場の雰囲気も好きだが、早く帰りたいとも思ってしまう。

 部員間でひとしきり喜んで騒ぐと、俺は梨花と一緒に会場を後にした。電車に乗り、自宅最寄り駅までやってきた。


「先輩、ちょっとこっち」

「ん?」


 俺は梨花に手を引かれた。向かうのは自宅と反対方向。やがて梨花が立ち止まったのは駅構内の細い通路だ。見渡す限り誰もいない。


「先輩、ありがとう」


 突然だった。梨花が穏やかな声色でそう言ったかと思うと、俺に抱きついてきた。ちょっと俺パニック。


「今だけ、今だけでいいから。ぎゅってして。紗奈には内緒にするから。お願い」


 儚げな声でそんなことを言う梨花。訳がわからなかったが、俺は梨花を抱きしめた。細い梨花の体。すっぽり俺の腕に収まる。


「先輩がまだサッカーをやれる。陸選手がまだ見られる。全国連れてく約束守ってくれて本当にありがとう。嬉しいよ」


 そっか。梨花は選手としての俺をまだ見られることが嬉しいのか。俺と紗奈は梨花のサッカーの原点だからな。俺は梨花の気の済むまでこのままでいてあげた。


 この後梨花と一緒に家に帰ると、紗奈がすでに夕食作って待ってくれていた。もう時間は夕方。腹の虫は鳴っている。そしてこの日の夕食は実に豪華だ。


「全国大会絶対観に行くね。二人とも今日は本当におめでとう」


 紗奈に祝福してもらう俺と梨花。あぁ、幸せだな。この二人に囲まれての生活は。いつまでも続くといいな。

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