75.秘書の仕事~梨花~
落ち着かない。着慣れないドレス調のワンピース。まだカジュアル寄りのデザインなのが救いだ。加えてカーディガンを羽織っている。そして普段はしない化粧。薄く塗ったファンデーションと口紅。紗奈が髪型も作ってくれた。まったく落ち着かない。
今日は木田先輩のお父さんである木田社長、その秘書の川名さんと二人でお食事だ。なぜあたしが? あたしは陸先輩の仕事を手伝っていない。ましてや陸先輩みたいに事業もやっていない。人には言えない秘密があるだけの、ただの女子高生だ。
何でも川名さんは、部活後の木田先輩を学校まで迎えに来た時に、あたしを目にしたらしい。あたしもその時見たが目が飛び出るかと思うほどの美人だった。そして透き通るような清潔感。木田先輩に20代後半だと聞いている。
私は可愛い女の子や、綺麗な女性に目がない。とは言え、川名さんは超ド級だ。あのレベルは「うふふ」を通り越して緊張してしまう。
陸先輩を通してこの日の予定が組まれたのだが、どうも川名さんは木田先輩からあたしのマネージャーの働きを聞いて、且つ目にしたことで興味を持ったらしい。それでご指名だ。どういう意味だろう? 陸先輩のお仕事と何か関係があるのだろうか?
ブルルルルルルルル……。
リビングテーブルに置いたスマートフォンが鳴った。アラームだ。時刻は午後5時25分。約束の時間は午後5時30分。あたしは一つ深呼吸をしてソファーから立ち上がった。そしてスマートフォンをハンドバッグに入れると家を出た。
エントランスを抜けてマンションの外に出ると赤いスポーツカーが停まっていた。そしてその脇に一人の女性が立っている。目が飛び出るかと思うほどの美人だ。ひざ丈スカートに清楚な柄のシャツを着ていて、カーディガンを羽織っている。
「こんにちは。川名麻友です」
「は、初めまして。月原梨花です」
「さぁ、乗って」
「あ、はい」
う……、左ハンドル。車道側に回り込まなくては。て言うか、外車かよ。高校生のあたしに車種なんてわからないよ。すると素早く川名さんが回り込んでドアを開けてくれた。なんて素敵な女性だ。
あたしは右側の席の助手席に乗り込んだ。前列右側って初めてだよ。続いて川名さんが運転席に乗り込む。そしてすぐに車を発進させた。
「今日は、予定してくれてありがとうね」
「いえ。よろしくお願いします」
「私今日はお休みなの。プライベートだからそんなに緊張しなくていいわよ」
「あ、はい。すいません」
緊張するなは無理だ。まともに顔が見られない。
「学校でのことはお嬢様に聞いてるわ。サッカー部のことも」
そう言って川名さんはしきりに車中で話を振ってくれた。お嬢様とは木田先輩のことなのだろう。とにかくあたしは受け答えが精いっぱいで自分から話を振るなんてできなかった。
以前学校で見掛けた時はスーツ姿だった川名さん。だから木田先輩の言う20代後半に納得していた。しかし今日の格好は清楚で若々しい。メイクはその時と同様でナチュラルだ。20代前半にも見える。
走ること数十分。ホテルのエントランス前に着いた。夕方6時からレストランを予約していると聞いている。ちょうどいい時間か。
川名さんはあたしを連れて上層のレストランまで上がった。綺麗な女性にエスコートされてメロメロなのだが。そして通されたのは、高級感のあるレストラン。しかも個室。緊張する。
「何飲む? 高校生だからお酒はだめよね?」
むむ、何を飲むかと聞かれても、こういったお店には縁がない。何を飲んだらいいのかもわからない。と言うことで。
「お、お水を」
「わかったわ。私はお酒を飲んでもいい?」
「あ、はい。どうぞ」
川名さんはお水とシャンパンをウェイターに注文していた。難しい言葉も出てきたがよくわからない。とにかくお水とシャンパンだ。そう言えば、運転は? よくわからん。料理はコースらしい。どうしよう、テーブルマナーわからないよ。
「楽にしてね。個室だからテーブルマナーも気にしなくていいわ」
「ありがとうございます」
それは助かる。少しだけ肩の力が抜けた。よし、あたしからも質問だ。
「あのぉ……、今日はどうしてあたしを?」
「お嬢様をお迎えに上がった時に見てね、それでお嬢様に梨花ちゃんのマネージャーの働きを聞いて興味を持ったの」
ほわぁ、梨花ちゃんだって。こんなに綺麗な女性に名前で呼ばれるとドキドキする。だめだ、あたしには最愛の紗奈と陸先輩がいるのに。
「あ、はい。そこまでは聞いてます。具体的には?」
「えぇ。分析力に優れているって聞いて、それで私みたいな仕事に興味ないかなって」
「えっと川名さんは秘書さんですよね?」
「プライベートだから名前で呼んでほしいな」
「お、恐れ多いです」
「名前がいいな」
そんな魅了するような目で見られては。
「ま、麻友さん」
「ありがとう。梨花ちゃん」
あぁ、ドキドキする。スーツの時は堅いイメージだったけど、なんだか凄くフレンドリーな人だ。
「そう、私の仕事は社長秘書よ。梨花ちゃんは将来やりたいことはもう決まってるの?」
「いえ。まだ何も」
「天地代表に会社設立の話があるのは知ってる?」
「はい」
「できればあなたを天地代表の秘書になれるように育てたいの」
「え? あたしをですか?」
「えぇ」
真っ直ぐにあたしを見る麻友さん。吸い込まれそうだ。真剣なんだろう。と言うか、あたしが陸先輩の秘書?
「それは紗奈が有力候補なんじゃないですか?」
「少し調べさせてもらって日下部さんの能力は知っているわ。あの子は経営側の人材よ」
「どういうことですか?」
「天地代表、後の天地社長の右腕として働くことが一番活きるわ。かなり能力が高い。一般企業の営業職ならトップセールスをも狙えるわ。だから天地代表が日下部さんを役員登用したいのはいい采配よ」
会社のことはよくわからないけど、とにかく紗奈が物凄く評価されていることはわかった。
「とりあえず乾杯しましょうか」
「あ、はい」
話に夢中だったが、ウェイターが飲物を持って来てくれていた。視界には捉えていたのだが。あたしは麻友さんと乾杯をした。そしてすぐに料理が運ばれてきた。えっと、前菜って言うのだっけ。食事をしながら話が続いた。
「それでね。もし興味を持ってもらえるのなら、大学は外国語学部を目指してほしくて」
「えっと、つまり語学を身につけろと?」
「えぇ。この仕事はグローバルよ。経済や簿記、秘書の具体的な仕事は社会人になってからでも覚えられる。けど、語学は若いうちから覚えるに越したことはない」
あれ? プライベートなんだよな? 完全に陸先輩の仕事の話だ。まぁ、いいか。
「それとあなたの分析力。秘書に向いているわ。几帳面だとも聞いているし」
「それだけ評価してもらって、なんだか恐れ多いです」
この後、あたしは麻友さんから秘書の仕事を色々と聞いた。最初は全く考えていなかった秘書の仕事。しかし俄然興味を持ってしまった。
陸先輩と紗奈は恐らくこれから先別れることはない。恋人期間は短いが断言できる。つまりいつかは結婚する。それでもあたしは二人の傍にいたい。ただいつ同居を解消されるかもわからない。けど、もし仕事で繋がっていたら?
陸先輩はもちろん、紗奈も役員候補だ。麻友さんは陸先輩の秘書と言ったが、紗奈の秘書の可能性もある。これはあたしにとって願ってもない話なのではないか? 少なくともどちらかの傍にはいられる。
「前向きに考えます」
「良かったわ」
この時すでに料理が大分進んでいた。えっと、この料理何て言うのだっけ? わからない。多分次がデザートだ。ただ麻友さんの話が興味深く聞けたので、緊張が解けた。そしてかなり打ち解けた。その時だった。
「彼女はいるの?」
「それが……、って、えぇぇぇぇえ!」
「ふふ。やっぱり」
「あ、えっと。その……」
「ビアンかしら?」
「……」
なんて答えよう。まさかの、まさかの質問だ。しかも誘導尋問できた。なぜわかった? あたしの最大の秘密なのに。けどあたしにお構いなしに質問を重ねてくる麻友さん。
「好きな人はいるの?」
「はい」
「もしかして日下部さん?」
「……。はい……」
「そう」
魅惑の笑顔を向ける麻友さん。あたしの動揺は止まらない。
「ちなみに日下部さんと天地代表との関係ってできてたわよね?」
「知ってたんですね。実はあたし、陸先輩のことも……」
「好きなの?」
「……」
コクン。あたしは首肯した。顔が熱い。首まで熱い。今真っ赤だろうな。恥ずかしい。
「そっか。じゃぁバイなんだ」
「はい。たぶん限りなくビアン寄りの。なんでわかったんですか?」
「私がビアンだから」
「ん? えぇぇぇぇえ!」
「驚いた?」
「はい」
クスクスと笑う麻友さん。そりゃ驚くよ。
「梨花ちゃんの秘密は内緒にするから安心して。私二丁目でよく飲んでるの。そうするとね、一目で少数派ってわかるようになるんだ。これが梨花ちゃんに目を付けた一番の理由。だから今日はこの話が一番したくてプライベートで予定を組んでもらったの」
「そ、それってもしかして……」
「あ、心配しないで。て言うか、私はだめよ。女タラシだから」
う……、自分のことをそんな言い方。
「けど、梨花ちゃんに女同士のセックスは教えてあげられる」
「え……」
一気に脈が早くなった。ドキドキが止まらない。こんなに美人な人と。けど、だめだ。あたしには心から想う紗奈と陸先輩がいる。この気持ちは間違いなく本物だ。
「興味ある?」
「……」
どうしよう。興味があるのは間違いない。けど答えられない。本当にどうしよう。すると質問を続ける麻友さん。
「処女?」
「はい」
「私はロリコンなの。梨花ちゃんほど可愛い子に目がないの。今日この後どうかしら? 女同士だから処女も守ってあげるわ」
「え? そんなことできるんですか?」
「えぇ。後はベッドでの指導になるからここでは言えないけど」
どうしよう。心は関係のない割り切った関係。しかもずっと興味があった女性の体。そして飛び切りの美人。更に指導をしてもらえる。あたしは紗奈と陸先輩のことが好きだけどフリーの身。だから問題はないはず。迷うな……。
「えっと……。いきなりで心の準備が……」
「ならこの後上のラウンジに行きましょうか? 高校生でもお酒を飲まなければ10時までは入れてもらえるわ。今日はホテルの部屋も取ってある。もう少し私とお話して気持ちが決まったらでどう? だめだった場合は私お酒飲んじゃったからタクシーで家まで送るわ」
「わ、わかりました。家に電話を入れさせてもらってもいいですか?」
「ん? ルームシェアって聞いてるけど。日下部さん?」
「陸先輩です。これも秘密にしてほしいんですけど、陸先輩と紗奈と一緒に暮らしてます。木田先輩……、えっと、碧先輩は知ってます」
「なるほどね。それで今日お迎えに上がると言ったら、天地代表はご自分の自宅兼事務所で待たせると答えたのね。……お電話どうぞ」
仕事の関係者だから決まり事は免責。そう自分に言い聞かせて、あたしは陸先輩に電話を掛けた。お願い陸先輩、あたしの動揺を悟らないで。
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