55.ミーティング~陸~

 夏休みも残すところ今日を入れてあと2日。昨日旅行から帰ってきたばかりでその余韻がまだ抜けない。それでもこの日は日中仕事に精を出した。そして俺は制服に着替えて夕方前には学校に着いた。


「先輩こっちだよ」


 サッカー部の練習グランドに近づくと梨花に声を掛けられた。梨花は学校の体操着姿だ。俺は梨花の案内で校舎に入り、やがて辿り着いたのは大嶺監督が受け持つ三年五組の教室だ。


 ガラッ。


 梨花が教室のドアを開けると、中には大嶺監督と木田がいた。大嶺監督はジャージ姿、木田は体操着姿だ。先ほどまで部活をしていたことがわかる。

 教室内は2つずつの机と椅子が向かい合わせで組まれている。俺が大嶺監督の正面に座ると、隣に梨花が座る。梨花の正面は木田だ。まずは大嶺監督が切り出した。


「休み中に悪いな、天地」

「いえ。俺からお願いした予定ですので」

「と言っても、今年は月原君の勧誘だろ?」

「えぇ、まぁ」


 去年の木田、今年の愁斗には申し訳ないが、梨花は事情を知っていての勧誘だ。だから俺は梨花の勧誘に真剣に考え、そして迷った。木田は事情を知ってから勧誘をしてこなかったし。ただほぼ答えは出しつつある。紗奈とももう話した。


「お前が事業をやっていることは聞いた。学年の先生や去年の担任の森永先生は知っているようだな。俺の受け持ちは三年だからここまでは話が回ってきていなかった」

「どこまで聞きましたか?」

「天地君、全部話したわ」


 この質問には木田が答えた。木田が言う全部、それは俺がまだ梨花に話していない会社設立のことも含まれているのだろうか?


「天地君がお父さんから会社設立を打診されていることも」

「そうか」


 そう言って俺は梨花を見た。梨花は一つ頷いて口を開いた。


「今日聞いたの。練習開始前に」

「悪かったな、黙ってて。今日この場で言おうと思ってて」

「ううん。紗奈も引き込むの?」

「うん。木田社長が紗奈も役員登用で入れていいって言ってくれたから」


 崇社長から最初に会社設立の打診を受けた時、俺には一つ譲れない条件があった。それは紗奈も役員として入社させることだ。もちろん本人が望めばだが、崇社長はそれを受け入れてくれた。

 崇社長から、紗奈は学生のうちは非常勤役員で、学歴終了後から常勤役員でどうだと提案された。俺はその提案を受け入れた。


 細かな部分の提案として、社員は10名前後からスタート。人材はキダグループホールディングスが手配してくれるとのこと。

 主な人材確保は他社からのヘッドハンティングと崇社長のグループ会社からの出向になるそうだ。もちろん俺が人材を確保してもいい。そこで俺は紗奈を推したわけだ。

 この場にいる全員はそこまでは認識しているようだ。


「紗奈はなんて?」

「ぜひやりたいって」


 紗奈はこの話をすると正にこう答えた。ただ、紗奈は寂しそうな顔もしていた。それは俺が部活を諦めるという答えに繋がるから。


「そっか。と言うことは来年の4月からお仕事が忙しくなる?」

「俺が会社設立に対してやるという返事をしたらそうなる。今は紗奈がいるから部活ができる余裕はあるけど」


 そう、俺は会社設立に対してまだ返事をしていない。崇社長とは年明け早々の返事と約束している。年内は仕事を見極め、できると判断きたら前向きな返事をするつもりだ。俺はこの場でそれを説明した。


「けど天地の中ではもう答えは決まっているんだな?」


 これは大嶺監督からの質問だ。俺は少し間を置いて答えた。


「はい。今の時点で木田社長には前向きな回答をしたいと思っています。なので俺が部活を始めた場合、活動できるのは今年度中までです。公式大会で言ったら今年度の選手権までです。今から入部して、それまでの期間のためにレギュラー争いをしては、今まで必死でやってきた部員達に失礼だと考えています」


 これが俺の考えだった。今回の勧誘は断ると八割方決まっていた。女子バスケの試合を見て、梨花からサッカー部に誘われてからずっと、この夏休み中に考えたのだ。しかし木田が切り出した。


「それなんだけどね、天地君。正ゴールキーパーの川口君の怪我が思わしくなくてね」

「そうなの?」

「うん。しばらく通院するんだけど、恐らく手術をすることになると思う」


 そうだったのか。サッカー部はそこまで戦力が深刻なことになっていたのか。残るは二年の歴が浅い選手と、一年の体ができていない選手か。


「それで俺からの打診なんだが。今いる川口以外のキーパー二人を天地が育ててやってくれないか? 選手として」

「え? 選手としてですか?」

「あぁ。選手権が終わるまでで構わない。正ゴールキーパーはお前にする。川口には治療に専念させる。年明けには川口も復帰できるだろうから。しかし、やはり期間限定は他の部員に示しがつかない。それなら選手として他の選手のレベル上げをやってほしい。うちには専属のゴールキーパーコーチはいないからな」

「いや、でも……。俺にそんな大役……」


 これは責任重大だ。表面上はやりがいがあるとも言える。しかし俺でいいのだろうか? 俺に務まるのだろうか?


「お前が面倒見のいい性格なのは月原君に聞いて知っている。中学の時も同じポジションの後輩をしっかり育てたそうじゃないか」


 そうだったっけ? 中学の時は紗奈と梨花とそら以外不信に思っていたから、あまり記憶にない。と言うか、その三人以外の記憶を大分消した。サッカーのプレーは体が覚えているだけだ。そんな俺の表情を読み取ったのか梨花が言う。


「先輩、覚えてないの?」

「う、うん……」

「もう。けどそれはこの場であたしが保証するよ」

「そ、そっか」


 梨花に力強く言われた。自分のことなので恐縮だが、梨花が言うのなら間違いないのだろう。


「どうだ? やってくれないか?」


 大嶺監督が念を押す。確かに他の選手を育てる言う目的もあれば、期間限定でも示しは付くか。年明けからは川口は復帰する見込みだし。万が一、川口の復帰が遅れても他の選手をちゃんと育てられていれば筋が通る。


「わかりました。それなら選手権までやります。いえ、やりたいです」

「先輩」

「天地君」


 安堵した大嶺監督。そして梨花と木田が喜びの声色で俺の名前を口にする。なんか幸せだな、これほど必要としてもらえるなんて。


「よし、わかった。他の部員には俺から説明しておく。9月からの入部でいいか?」

「はい」

「先輩、あたしも9月からが正式入部だから、明後日一緒に入部届出しに行こうね」

「あぁ」


 復帰する。俺がサッカーに。高校サッカーは初めてだが、部活でのサッカーに復帰だ。よし、気合が入ってきた。帰ったら早速紗奈にも報告だ。


 この後梨花の着替えを待って、俺は梨花と一緒に学校を後にした。俺の手には紙袋が握られている。ミーティングが終わった時に木田から渡された物で、中にはスパイクと練習着とグローブが入っている。


「なぁ、梨花?」

「ん?」


 駅で電車を待っている時に梨花に声を掛けた。梨花はいつになくご機嫌だ。


「今からスポーツ用品店に行かないか?」

「スポーツ用品店?」

「うん。部活見学の時さ、スパイクが小さくなったなって思ったんだよ。あとグローブもグリップが甘くなってるし、新しいのを買わないと」

「うん。付き合う」


 梨花が弾んだ声で答えてくれた。俺と梨花はこのまま電車でスポーツ用品店に向かった。


 やがて到着したのは久しぶりに来るスポーツ用品店。フットサル用品の買い物以来か。ただフットサルの場合は素手でプレーするし、シューズも種類が違う。練習着のウェアは、今の季節なら当面はフットサルウェアを使い回せると思うが。

 俺がスパイクの陳列棚を見ていると、梨花が肩をぶつけてきた。


「へへん」


 そんなことを口にして実に楽しそうだ。それほど俺の入部を望んでくれていたのか。梨花の期待を裏切らないように頑張らなくては。

 俺は三足ほど試し履きをしてスパイクを決めた。グローブは愛用のメーカーがあったので、サイズだけを確認して即決で選んだ。何だろうな、新しいアイテムを手に入れた時のこのワクワク感って。やってやろうって気になる。


 買い物を済ませた俺は、自宅最寄り駅で電車を降り、梨花と一緒に歩いていた。梨花の機嫌がすこぶるいい。


「なんか、そんなに喜んでもらえて嬉しいよ」

「当たり前じゃん。あたしはね、紗奈と先輩の居残り練習が好きだったの。けど二人ともサッカー辞めちゃったから寂しかったんだよ」

「そうだったのか」

「そうだよ。期間限定とは言え、陸先輩のプレーがもう一回見られるなんて本当嬉しい」


 梨花にとってサッカーの始まりは俺と紗奈だったのか。小学生の時から紗奈のサッカークラブには付いて行っていたと聞いているが、マネージャーの始まりは中学からだからな。


「部活見学の時見せたけどな」

「あの時は紗奈の体が心配でハラハラしてたんだもん」

「敵チームに行っておいてよく言うわ」

「それはそれで血が騒いだと言うか。ご愛敬ってことで。えへへ」


 本当、梨花のこの笑顔って反則だよな。全部許せてしまう。


「今先輩が紗奈と付き合ってなかったら、入部のご褒美にキスしてあげたかも」

「え……」


 いや、いかん。ここは動揺すると梨花の思う壺だ。どうせまた揶揄っている。


「ごほんっ」

「本当だよ?」


 俺のわざとらしい咳払いを梨花が否定した。本当なのか?


「だって梨花は……」

「うーん、そうなんだけど。今日は気分がいいし、陸先輩ならいいかなって」

「……」


 俺、顔が赤くなる。冗談ではないとわかってもだめだ。俺には紗奈がいる。俺から紗奈に対する気持ちは本物だ。いくら梨花に対する気持ちが残っていようとも。


「紗奈を裏切れないからしないけどね。それくらい喜んでるってこと」

「そっか。気持ちとしてありがたく受け取っておく」

「うん。そうして」


 そう話しているうちに自宅に着いた。すると紗奈が元気よく出迎えてくれる。俺と梨花は今日の報告をした。それに紗奈も喜んでくれた。なんだかここまで来ると本物の家族だな。まぁ、前からそのつもりだったけど。

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