第三章 『秋』
56.入部の日~陸~
新学期、朝6時起床。さすがにまだ眠い。
洗面所に行くと梨花が顔を洗っていた。彼女も今起きたのだろう。て言うか、いつもの薄着。まぁ、まだ脳が働いていないからいいけど。
「おはよう」
「あ、先輩おはよう」
挨拶を交わして梨花と肩を並べ、顔を洗った。その後着替えて食卓に着くと、既に朝食が用意されていた。紗奈はキッチンで弁当を詰めているところだ。
「あ、おはよう」
「おはよう」
紗奈の元気な挨拶に俺も挨拶を返す。程なくして制服に着替えた梨花も揃ってこの日の朝食が始まった。
「紗奈は何時に起きたんだ?」
「ん? 5時半」
俺と梨花より30分も早い。まだ寝間着姿で、早起きして朝昼の食事の準備をしたようだ。感謝の限りである。尽くしてもらっているのを全身で感じるよ。
朝食を終えると身支度を済ませ、俺は梨花と一緒に家を出た。
「紗奈って本当に俺にはもったいないくらいできた子だよな」
「そう思うなら玄関で行ってきますのちゅうくらいしてあげればいいのに」
「……」
紗奈を好きな人の前でそんな見せびらかすような行為、できるわけがない。
「もしかしてあたしのこと気にしてる?」
「そりゃ、まぁ……」
「なら、あたしにも紗奈にちゅうさせてよ」
「……」
「本気で困ってるし。冗談だよ」
笑って言う梨花。あまり冗談に聞こえなかったのだが。とは言え……。
「まぁ、女の子同士だし。別にいいけど」
「良くないよ。紗奈にとってはおふざけで済むけど、あたしにとっては本気だから」
「確かに」
そんな話をしながら梨花と登校して着いた学校は、人はいるようだが静かだ。俺がいつも登校する時間は朝練の運動部の生徒で既に賑わっている。通学路だって何人もの生徒が歩いている。いつもより1時間半も早いとまるで別の学校に来たかのような感覚だ。
俺と梨花はまず初めに職員室に出向いた。そこにいた大嶺監督。
「おはようございます。入部届です」
俺と梨花はそう言って大嶺監督に入部届を差し出した。大嶺監督はキリッとした表情でそれを受け取り「おはよう。今日からよろしく」と言ってくれた。
俺と梨花は職員室を出ると、更衣室に向かった。レギュラーは部室で着替えているそうだが、恐らく俺はまだレギュラーだと伝わっていない。そもそも入部のことを知っている部員が何人いることか。それなので、遠慮してこの日の朝は更衣室で着替えることにした。
更衣室には何人もの運動部の生徒がいた。サッカー部もいるが緊張してうまく声を掛けられない。けど本来は新入部員の俺から挨拶をするべきなのだろう。と言うことで、サッカー部らしき生徒には挨拶をした。
そしてサッカー部が集合したグラウンド。部員がそれぞれウォーミングアップを始めている。やはり緊張する。なぜなら部員の視線が俺に向いているから。梨花も新入部員とは言え、梨花は今まで散々出入りしていたから平気か。
とりあえずストレッチでもしよう。俺は砂のグラウンドに腰を下ろして、脚を伸ばし始めた。
「あ、陸さん」
「おはようございます」
「あ、愁斗だ。永井も」
まず後輩に声を掛けられる。親しい間柄を発見して安心する。愁斗は元々の顔見知り、永井は夏休みの旅行からの仲だ。
「その格好、そしてここにいるってことはもしかして……」
「あぁ。今日から入部」
「うおー!」
ゴールパーフォーマンスさながらに飛びついてくる愁斗。それに乗っかる上背のある永井。重いから。ストレッチ中の俺の脚がピキッて伸びたよ。落ち着け、愁斗、永井。ストレッチはゆっくり伸ばすものだ。
「陸、ようこそ。これからよろしくな」
愁斗と永井の体で消えた視界の中、そんな声が聞こえる。俺は二人の体を引き剥がし上半身を起こした。するとそこにはキャプテンで二年の
「こちらこそよろしく、翔平」
俺達はがっちりと握手を交わした。翔平の言葉から、翔平には俺の入部が伝わっていたようだ。すると大嶺監督が姿を現した。
「おーい、一回集合しろー!」
きびきびと動くサッカー部員達は大嶺監督の前に全員が集合した。三年生が引退して、人数は40人ほどだろうか。引退と言っても、三年生も3人は選手権まで残っているが。3チームは組めるが、4チームは無理と言ったところか。
「新入部員を紹介する。まずは月原君」
「はい。今日から正式部員になりました。よろしくお願いします」
梨花がみんなの前に立って挨拶をすると、拍手で迎える部員達。大半の部員が締りのない顔をしている。
「次、天地」
俺は呼ばれてみんなの前に立つ。こういうのは緊張するな。苦手なんだよ。
「二年の天地です。ポジションはキーパー。よろしくお願いします」
俺も拍手で迎えてもらえた。けど、絶対梨花の時の方が盛大だった。いや、ただ一人。大嶺監督の横に立っていた木田は手が痛くなるのではないかと思うほど、強く叩いていた。
「天地は川口の離脱もあって引っ張ってきた。そのままAチームに入れる。これからキーパーの二人は天地から色々吸収してくれ」
Aチームとは一軍と言ったところで、レギュラーチームだ。大嶺監督と木田と梨花との話で、俺が期間限定だということはとりあえず伏せてある。部員の士気に関わるから。
そして始まった練習。フィールドプレイヤーは5組くらいに分かれて鳥籠をしている。鳥籠とは円を組んでボール回しをする練習だ。円の中の鬼にボールを取られたら交代という、ウォーミングアップで定番の、遊び感覚でもできる練習である。
ゴールキーパー三人はゴール前に集合して、セービングの練習である。二人がボールを蹴る出し役。一人がセービング。この時にしっかりとフォームなどを確認する。……はずなのだが、現存のゴールキーパーは我流で基本が成っていないように思う。
「なぁ、横っ飛びでキャッチしたらしっかり胸に抱え込んだ方がいいぞ?」
「ちっ。途中入部でいきなりコーチ気取りかよ」
俺の指摘に刺のある返しをしてきたのは二年の
「ゴール前の1対1はスライディングタックルより上体を起こして膝で滑った方がいいぞ? その時は両手を斜め下に広げてな。フットサルはそれが主流だけど、サッカーでもそれが一般的になってきてるから」
「はい。わかりました。天地先輩に指導してもらえるなんて、自分感激っす。全中の時から憧れてました」
これは一年の
ただこの五反田は事前の梨花情報の通り体の線が細い。まだ体がきていない印象だ。しかし背は低くない。それなので面でセーブすれば体の面積を稼げるから有利だ。
この後はシュート練習だ。ゴールキーパーはこれがきつい。普段、試合やゲーム形式の練習では有酸素運動をあまりしないゴールキーパーだが、シュート練習だけは違うのだ。むしろシューターのフィールドプレイヤーより運動量が多い。
フィールド両サイドのゴールと、フィールド脇に設けられた予備のゴール。そこに三人のキーパーが分かれる。フィールドプレイヤーはシュートを打つ順番待ちがあるが、ゴールキーパーは毎回飛んでくるシュートに飛びついている。更にその度に体を起こすので、野球の連続ノックを受けているような状態だ。
他にも練習メニューは色々とあったが、こうして1時間余りの朝練を終えた。俺の海王高校サッカー部での最初の活動が終わったのである。
この日は始業式なので午前だけで終了。ホームルームを終えた俺は公太に声を掛けた。
「公太、今日俺弁当だから一緒に食おう?」
「ん? 珍しいな。まだ学校に残るのか?」
俺は公太の前の席の椅子を拝借して、公太の机を半分陣取った。そして弁当を広げながら答える。
「今日からサッカー部に入部したんだよ」
「は?」
公太が驚いて声を上げるが、そんなに驚くこと……、あるか。今まであれほど誰から入部を迫られても首を縦に振らなかった俺だから。
「陸、部活始めたの?」
公太の声に反応したのか吉岡が寄ってきた。いつの間にか公太の隣の机をくっつけて、既に座っているし。更には水野まで俺の隣にいる。
「うん、まぁ。レギュラーの川口が怪我したんだってよ」
「へぇ、それで陸に白羽の矢が立ったんだ。キーパーだよね?」
「うん」
弁当を広げながら話に加わる水野。まぁ、それが全てではないが、人に説明する理由としてはこれで十分だろう。
「陸って去年の球技大会のサッカーで、凄い数のシュート止めてたもんね。現役サッカー部のまで止めてたし」
水野ってそんなことを覚えていたのか。て言うか、見ていたのか。俺は去年の球技大会でクラスの女子バスケの試合は見ていない。だから吉岡のプレーですら、部活見学で見た時が初めてだったのに。
「そう言えば、演劇部って今年の文化祭は何やんだ?」
「オリジナル演劇」
「ふーん。どんな内容?」
「中世ヨーロッパを舞台にした、男一人対女二人の三角関係」
「……」
言葉に詰まる。その男女割合の三角関係って自分の身でちょっと敏感になってしまうのだが。それを理解しているのは俺と梨花だけか。紗奈は知らないよな。梨花も本人に対する俺の気持ちまでは知らないか。
「何なら私も加わって四角になろうか?」
「ば、ばか!」
何を言い出す、水野。俺の心を読むな。そう言えば水野は知っているのだったな。とは言え梨花の恋愛対象までは知らないか。公太と吉岡が何の話だ? と興味を示すような表情をしたので、俺は意識を変えさせる。
「今年は主役取れそうなのか?」
「いやぁ、それがね……。遥に取られそうなんだよ」
「そうなの?」
「うん。あの子なかなか演技がうまくてね。それでも準ヒロインは取れそうよ」
「そっか、そっか」
柏木も部活を頑張っているようだ。柏木は紗奈と同じクラスで、部活見学の時は途中まで一緒に回ったのだっけ。すると徐に質問を振ってくる吉岡。
「陸はレギュラーなの?」
「まぁ、今のところは。一応レギュラー当確での入部になってるから」
「途中入部で凄っ! うちのサッカー部強豪でしょ?」
「うん」
「コンディション落とさずやってきて評価されてたんだね」
さすがに運動部の吉岡にはわかったか。フットサルでのコンディション維持と、部活見学の時のプレーが全てだよな。大嶺監督からのありがたい評価は。
こうして教室で、4人で弁当を食べ、俺は再び入部初日の練習に向かったのである。
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