44.先輩の味方でいて~梨花~

 A県C市にある体育館の自販機コーナー。朝早く、あたしはそらからここに呼び出された。今日はインターハイ女子バスケの海王高校対桜木女学園の試合である。少しだけ自由時間が取れたから、あたし一人で来るようにと携帯メッセージが届いたのだ。しかし、なぜ一人で?


 この自販機コーナーはこの体育館の裏手にあるからだろうか、人がいない。到着時、エントランス側の自販機コーナーは混雑していたのを覚えている。

 あたしは昨日、ここで陸先輩に同性愛者であることをカミングアウトした。陸先輩に告白することは夏休み前からすでに決めていた。きっかけは紗奈と陸先輩が付き合い始めたこと。それによってあたしがサッカー部への正式入部を決心したことだ。




 それは一学期の終業式を翌日に控えた日の昼休みだった。場所は校舎裏。あたしと紗奈がそれぞれ別の男子から同時に告白をされた時と同じ場所だ。前回同様、あたしと紗奈は校舎に背中を預け、肩を並べて立って話した。


「あたしさ、サッカー部に正式入部しようと思う。目安としては夏休み明けからだけど」

「え? そうなの?」

「うん。何度か木田先輩の代役やって、やっぱりマネやりたいなと思って」

「そっかぁ、梨花が正式部員ならサッカー部も安泰だね」


 安泰ではないんだよな。陸先輩には少し話したことがあるが、新チームは技術はあってもディフェンス統率力がないのだ。正ゴールキーパーは怪我持ちだし、他の部員ではゴールキーパーの戦力として不安なのだ。木田先輩と大嶺監督もそれに頭を悩ませている。


「仕事は順調?」

「うん。ばっちり」

「紗奈一人でも進められたりするの?」

「うーん……、それはどうだろ? できる限り任せてもらったとしても、陸先輩の負担がゼロになることはないと思う」


 そうなのか。けどそれは、陸先輩の負担が極端に軽くなると捉えていいのだろうか?

 あたしの魂胆は陸先輩をサッカー部に引き込みたいということだ。陸先輩は今でもサッカーがやりたいと思っている。根拠は色々あるが、あたしはそれを確信している。そして陸先輩が入部してくれたら、新チームの悩みも解決される。


「あのさ……」

「うん」


 紗奈があたしに顔を向ける。言いにくいことを悟ってくれたのだろう。優しい表情で先を促してくれる。


「陸先輩も一緒にサッカー部に誘ったらだめかな?」

「え? 陸先輩を?」

「うん。陸先輩って、サッカーをやりたいような感じがするんだよね。戦力としてもすごくありがたいんだ」

「うん。ぜひそうして」


 紗奈の言葉にあたしは驚いて紗奈を見た。陸先輩との仕事を生きがいにしているような紗奈。付き合い始めてからは特にそれが顕著だ。その紗奈があたしの意見を押してくれた。すごく意外だった。


「私もさ、陸先輩はサッカーをやりたいって思ってるんじゃないかなぁって感じてたんだ。サッカー中継とか一緒に見てたら、すごく生き生きして話すし。他にも理由は色々とあるんだけど。私がお仕事を覚えるにつれて、陸先輩は部活ができるほど時間に余裕ができたんじゃないかと思ってたんだよ」


 そうだったのか。紗奈もあたしと同じように感じていたのか。


「じゃぁ、誘ってみるね」

「うん」


 この時あたしは陸先輩を誘う決心をした。紗奈の承諾の笑顔がそれを後押ししてくれた。そしてあたしの最重要秘密を陸先輩に打ち明けようと思った。陸先輩が紗奈に惚れることを阻止するという、あたしの役割が終わった。それによる正式入部だから。

 一緒に暮らしている東京の家族として、紗奈には言えない以上、陸先輩にあたしのことを知ってほしい。紗奈だってあたしが異性愛者だと思っていたのだから。大好きな陸先輩にこのことを知った上で受け入れてほしかったのだ。あたしの秘密を知ったら嫌われちゃうだろうか? 不安ではある。




 そして昨日、サッカー部へ誘う話と一緒に陸先輩に打ち明けた。そらにはこのことを予め伝えてあった。陸先輩はサッカー部の件は困惑していた。あたしが同性愛者だという件は驚いていた。その後他の人も合流して、それ以上二人では話ができなかった。


 あたしは昨日の夜、不安で眠れなかった。久しぶりの住み慣れた実家だったのに。陸先輩に嫌われただろうか? それを考えると怖かった。そして夜中になってとうとう一人で泣き出したのだ。


 どのくらいの時間泣いていただろうか。突然陸先輩から携帯メッセージが届いた。


『梨花の気持ちを尊重する。偏見は持たないから安心して。紗奈は俺が絶対に幸せにする。紗奈を泣かせない約束、絶対に守るから。あと、部活のことはもう少し考えさせて』


 あたしの涙は一気に嬉し涙に変わった。陸先輩に受け入れてもらえた。こんなに嬉しいことってない。言って良かった。尊敬する大好きな陸先輩にあたしのことを知ってもらえた。

 あたしは返信もできないままスマートフォンを胸に抱いて、やっと眠りに就いたのだ。


「梨花、お待たせ」


 人気のない自販機コーナーに現れたのはそらだ。昨日と同じ格好で、桜木女学園のジャージを着ている。中学の時より少し背が伸びて幼かった顔が大人っぽくなっている。大人っぽくは、ほんの少しだが。


「どうしたの? あたし一人で来いって」

「うん。作戦を伝える」


 なんだ、それは。そもそも作戦を伴うようなミッションがあったのか?


「お兄ちゃんと紗奈がくっついたことで、私と梨花は失恋した」

「う、うん。まぁ、そうだね……」


 失恋とは言っても覚悟はできていた。陸先輩だから受け入れてもいる。紗奈のことはまだ好きだけど、今は心から二人の幸せを願っている。


「しかも私達は自分の気持ちを言えないまま」

「確かに……」


 なんだ? まさか復讐でもしようと思っているのか? 確かに彼女は中学の時、あたしか紗奈なら任せられると言ったのだが。


「この大会が終わり次第、私は数日オフをもらえる。そして実家に帰る。その時が決行よ」

「決行って、何をするの?」

「私は梨花の実家に泊まりに行くと言って家を出る。けど紗奈には私の実家で、皆でお泊り会をすると伝える。そして紗奈とお兄ちゃんを私の実家に放置する」

「そんなことしてそらの親は何も言わないの?」

「言わせない」


 う……、なぜだ……? 説得力がある。その光景が目に浮かぶ。


「二人がまだ、ぎりぎりで最後まではエッチしてないって聞いた?」

「ん? ぎりぎり?」

「聞いてないのね。○○○ピー○○○ピーはしたそうよ」

「……」


 あたしは口をあんぐりと開けて固まってしまった。いつの間に二人はそんなとこまで進んでいたのだ。そしてそらはそれを紗奈から聞き出したのか。恐るべし、そら。


「私達は二人をおかずにするほど恋してた」

「う……」


 そんなに力をこめて言わなくても。恥ずかしくて言葉が出ないよ。陸先輩を揶揄かう時は平気で口を吐くのに。まぁ、あれは家の中での会話だからな。


「失恋した私達にあとできることは、さっさと二人にエッチをさせて、それを根掘り葉掘り聞くことだけ。そしてそれをまたおかずにする」

「……」


 開いた口が塞がらない。起きたことを聞くだけでは飽き足らず、セッティングまでしてその先を促し、更に聞こうとするなんて。


「梨花は興味ないの?」

「ある」


 しまった。即答してしまった。あたしって……。自分で言って悲しくなる。


「じゃぁ、決まりね」

「う、うん」

「私達は優勝する。決勝のその日は寮に帰って祝勝会がある。その次の日が決行日よ」

「あ、うん」


 ん? つまり今日海王高校に勝つということか? 不純な動機で入学したとは言え、一応あたしの母校なんだけど。その在校生の前でさらっとそんなこと言うし。


「じゃぁ、私はそろそろ行くわね。お兄ちゃんと紗奈と梨花とお兄ちゃんのために活躍するからしっかり応援してて」

「あ、うん。わかった」


 今絶対意識的に「お兄ちゃん」を二回言ったよな。そんなあたしをよそにそらは疾風の如くその場を後にした。いかん、ぽかんとしている場合ではない。あたしも皆のいる場所に戻らなくては。そらって相変わらずだな。


 試合が始まると、そらは宣言通りの活躍をした。由香里先輩も必死で食らいつくがそらの方が実力は上だった。由香里先輩はこの大会の選手の中で決して劣る選手ではない。しかし、そらをはじめとする桜木女学園はチーム力でも圧倒していた。

 そして試合終了のブザーを聞いた瞬間、あたしは今季二度目となる、母校がインターハイで敗退する姿を目にした。最終スコアは89対63。完全に海王高校の力負けだった。


 コートのセンターラインの延長線上の客席で、あたしと紗奈と一緒に観戦していた陸先輩。拳に力が入っている。今何を感じているだろうか? 妹の勝利を喜んでいるのか、それとも母校の敗退を惜しんでいるのか、はたまた触発されているのか。


 一緒に観戦に来ていた陸先輩を含む4人の二年生は、体育館を出る前に由香里先輩に声を掛けてはいた。しかし皆一様に口数は少なかった。由香里先輩は笑顔だったが、必死で涙を堪えているのだろうということが読み取れた。


 この後、茜先輩と成宮先輩と湯本先輩は現地解散となり、東京に帰って行った。解散直前に陸先輩が祖父母宅へ電話を掛け、宿泊した先輩達一人ひとりに電話を代わり、皆お礼を言っていたことが印象に残っている。


 実家へ向かう電車の中。紗奈はしっかりと陸先輩の手を握っている。陸先輩は扉の前に立ちずっと外を眺めている。あたしたち三人の口数は少ない。紗奈も今日の試合と陸先輩の様子を見て、思うところがあるのだろう。


 そしてしばらく電車に揺られ、あたし達は実家最寄りの駅を出た。陸先輩は方向が違うためここで解散だ。その時に陸先輩がふと言った。


「梨花、昨日の話、夏休み中に木田や大嶺監督も含めて一回一緒に話そう」

「あ、うん。セッティングする」

「紗奈、その前に今度一回二人で話したい」

「うん。わかった」


 そう言って陸先輩はあたし達に背を向け歩き出した。それを見送る紗奈があたしに言った。


「梨花? サッカー部勧誘のこと、もう陸先輩に声掛けたの?」

「うん。昨日ね」

「そっか。陸先輩がどういう返事をしようと私は陸先輩の考えを尊重する」

「そうだね。紗奈は何があっても陸先輩の味方でいて」

「うん」


 あたしと紗奈はそれだけ言葉を交わすと実家に向かって歩き出した。

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