43.カミングアウト~陸~
他に誰もいないアリーナの自販機コーナー。そこの長椅子に腰を下ろす俺と梨花。俺は梨花に自身が同性愛者であることを打ち明けられた。
「へへ。びっくりしたでしょ? そらしか知らないこと」
そうだったのか。梨花は恋愛対象が女だったのか。そうと知れば思い当たることは幾つもある。いや、ちょっと待てよ……。
「え? て言うことは……?」
「うん。あたしの好きな人は紗奈なの」
「……」
俺は口を開けたまま何も答えられなかった。つまり俺が梨花を失恋させた。俺がずっと好きだと思っていた梨花は、俺のせいで失恋した。こんな皮肉なことってあるのか。
「気にしないで。今は本当に二人の幸せを願ってるから。嘘じゃない。あたしは先輩のことを先輩としてずっと慕ってたし、それは今でも変わらない。そして何より今の生活が好き」
そんなこと言われても……。梨花が強がって嘘を言っているわけじゃないことはわかる。けどやりきれない。
共同生活が始まった頃、俺は梨花のことが好きだと思っていた。その梨花は紗奈のことが好き。そして紗奈は俺を……。完全に一周回った三角関係だ。こんなことって、皮肉すぎるじゃないか。
「それでね、先輩。最初の話に戻るんだけど」
「あ、うん」
まだ頭が付いていっていないのに、とにかく部活の話に戻るのか。
「一緒にサッカー部に入らない?」
「え……、ちょ、何言って……」
梨花にその思惑があることはここ最近薄々感じていた。しかし今は梨花の秘密を知ったばかりだ。混乱している。
「本当はやりたいんでしょ? サッカー」
「えっと……」
「紗奈とも話したの」
「話したって何を?」
「あたしは正式入部をするから一緒に先輩を誘ってもいいかって」
「えっと、紗奈は何て?」
「是非そうしてくれって」
「は!?」
思わず大きな声を出してしまった。紗奈がそう言ったのか? 今では仕事を生きがいにしているあの紗奈が? 俺と付き合うようになってからは特に書斎での時間を大事にしている。その紗奈が俺の入部を勧めている?
「紗奈もね、先輩にはサッカーを続けてほしいと思ってるんだよ。自分は体のことで諦めざるを得なかった。けど先輩は違う。健康な体を持ってる。紗奈は当初先輩を追いかけて東京に来て、先輩と一緒にいたくて仕事を手伝うようになった。けど仕事を覚えるうちに思ったんだって」
「何て?」
「自分が任せられるようになれば、先輩はサッカーに復帰できるって」
「いや、ちょっと……」
「紗奈って信用ない?」
「そうじゃなくて。凄く助かってるよ」
「紗奈にできる限り任せたところで先輩の仕事がゼロになるわけじゃない。それはあたしも紗奈もわかってる。けど、部活をできる程度には余裕が生まれるんじゃない?」
「……」
それは確かにご尤もな意見だ。しかしこんなに甘えていいのだろうか? それにまだ問題がある。それは崇社長と話した会社設立の件だ。俺がやるという意思決定をしたら、来年4月から準備が始まる。そしてそれをまだ紗奈には相談していない。
木田はどう思っているだろう? サッカー部と俺の仕事、両方の事情を知っている。恐らく木田の口から俺にサッカー部に入部しろとは言えないだろう。俺が入部したとして、活動ができるのは3月まで。4月からは会社設立の準備と、大学入試に向けた受験勉強だ。
高校サッカー選手権は海王高校の場合、二次トーナメントからだから9月から11月までが都大会か。もし全国大会なんてことになったら、12月から1月までも。来年のインターハイは5月から。全国までだと夏休みまで。これは無理だ。それに……。
「ブランクもあるしな。コンディションが……」
「よく言うよ。休みの日にたまにフットサルに行ってるくせに」
「う……。知ってたの?」
俺はフットサル場が主催する個人参加型のフットサルに数回参加したことがあった。そこで仲良くなった大学生や社会人とチームを組んだのだ。週一回あるかないかの活動だが、チームがワンデイ大会にエントリーしたりして、俺はそれに参加している。
「知ってたよ。洗濯物にジャージが混じってることあるし。しかもフットサルブランドの」
「あはは」
乾いた笑いしか出てこない。家では梨花が洗濯物を扱うから。何も詮索されないことに安堵していたのだが。
「けど、フットサルとサッカーは別物だから。特にキーパーは」
「それでもぎりぎりコンディションは維持できてるじゃん。それにキーパーはどのポジションより試合感が大事だから」
まぁ、確かにそれは同感。あとはサッカーのフィールドとゴールの大きさに慣れるだけか。実際これが一番難しいのだが。とは言えな……。
「夏休み中、少し考えてみてよ。あたしには戦力として先輩がほしいって気持ちもあるから」
「う、うん……」
俺は歯切れの悪い返事をした。俺がサッカーに復帰か。
この後自販機コーナーに一行が合流した。試合は海王高校が勝ったとのこと。明日の三回戦の対戦相手は桜木女学園だ。できれば俺とサナリーはセンターラインの延長線上の客席で観戦をしたいのだが。どちらの応援団にも寄らずに。
会場を出た俺達一行は地下鉄と私鉄を乗り継いでA県内のD市に到着した。延べ1時間半の移動。ここは俺と紗奈と梨花が育った街である。俺は正月以来か、懐かしいな。三人とも実家の最寄り駅は一緒である。
しかし俺はサナリーを電車内で見送るともう一駅進んだ。公太と圭介と水野も俺と一緒である。サナリーはそれぞれの実家へ行く。俺達二年の行き先は俺の父方の祖父母宅だ。今日は友達三人を連れて泊まりに行くと話してある。海王高校の女子バスケ部が勝ち進む限り明日以降も続くが。
時間はもう午後7時前だと言うのに、この季節はまだ外が明るい。やがて到着した古くも広めの家の玄関を開けると、出迎えてくれたのは婆ちゃんだ。
「いやぁ、よく来たね」
「「「お邪魔しまーす!」」」
お連れ三人は元気に挨拶する。俺達は居間にいた爺ちゃんにも顔を出した。爺ちゃんも婆ちゃんも元気そうだ。二人とも70歳を過ぎたのだが、爺ちゃんの定年後から畑仕事に精を出している。
俺達は離れに案内された。綺麗に掃除がされていて広い。そう、これが今回の宿泊先に選んだ理由だ。4人泊まっても十分な広さなのである。離れの玄関脇にはトイレもあるし、婆ちゃんがしっかり4人分の布団も用意してくれている。
荷物を置いた俺達は再び居間へ。すると婆ちゃんが食事を並べているところだった。すかさず水野が手伝いを買って出るので、そういうところはさすがである。公太と圭介も皿運びくらいはするようだ。
「そらとは会えたか?」
居間の座椅子に座りながら爺ちゃんが言う。俺は爺ちゃんの相手をしようと思った。
「うん。少しだけど話もできたよ」
「そうか。元気そうか?」
「うん。バリバリやってた」
「そうか、そうか。陸も元気そうだな」
「まぁね」
白髪が大半になった爺ちゃん。腰も少し曲がっているが、はきはきと話す。
「仕事の方はどうだ? 順調か?」
「うん、まぁ。ただ、向こうでは友達に言ってないんだよ」
「そうか。ならこの話はせん方がいいな」
「うん。そうして」
お連れ三人が台所に引っ込んでいるので、聞かれるようなタイミングでなくて良かった。
「ただな、陸。親には甘えられなくても、俺達には甘えろよ。少しくらい蓄えはある。そらと陸の分くらい」
「本当にしんどくなったら相談するよ」
「絶対だぞ。無理するなよ」
「うん」
頭ごなしに拒否はしない。それは爺ちゃんの気持ちを汲み取っていないことを意味するから。ただ爺ちゃんと婆ちゃんは年金暮らしで、元々兼業でやっていた畑仕事を今はやっているだけ。最初から経済的に甘えるわけにはいかない。今はありがたいことに仕事も順調だから。
「
「いや。中学の時以来」
「そうか」
爺ちゃんは、配慮した声量で話してくれる。婆ちゃんの手伝いのために台所と居間を行き来するお連れ三人に会話が聞こえないようにするためだ。
「
「最後に会ったのは今年の正月かな」
聡史は俺の父親、美奈代は俺の母親の名前だ。
「そうか。あいつら一駅隣に住んでおるくせに、一切顔を見せに来ん。まったく」
「忙しいんだよ」
絶対に忙しいなんてことはないが、爺ちゃんの愚痴が始まってしまうのでここは宥めた。
「うちの高校の女子バスケ部の大会が終わったら友達は東京に帰るから、それから俺は実家に行くつもりだよ」
「そうか。そらはどうするんだ?」
「そらも大会が終わったら少しオフをもらえるそうだから、実家に来るって」
本当は実家には寄り付きたくないのだけど。それはそらも一緒だろう。そらの生活拠点が女子寮でなければそらの部屋に泊まるのに。いっそのことホテルでも取ってそらと一泊くらい過ごそうかな、なんて考えまで過る。
「そらにもここに顔を出させるようにするよ」
「そうだな。そらも高校に入学してから一度も会ってないからな」
可愛い孫の顔だ。そらも会わせてやらなくては。
「お爺さん、陸。食べましょう」
俺と爺ちゃんの会話に婆ちゃんが割って入る。ふと居間のテーブルを見ると色取り取りの料理が並んでいた。婆ちゃんが張り切って作ったのだろう。自宅で取れた野菜が主な料理だ。男子高生には嬉しい肉料理もある。少し離れた場所にある田んぼで取れた、炊き立ての米が艶やかだ。
そしてこの日の晩御飯が始まった。とにかく俺と公太の食が太い。公太なんかは俺よりも顕著で、さすが細マッチョの野球部だと感心する。婆ちゃんは作り手としてそれが嬉しいのか、ご飯のお代わりを喜んで受けていた。
夜も更けて離れでお連れ三人が寝静まった。さっきまで暴露トークに、トランプゲームにと夜中まで遊んだ。俺は自分の暴露からは逃げたが。移動もあって疲れているのだろう、みんなぐっすりだ。俺は暗くなった部屋でぼうっと天井を眺めていた。
家のこと、仕事のこと、そらのこと、部活のこと、梨花の秘密のこと。いろんなことが思い浮かぶ。俺は一体どこを目指しているのだろう。先行きの見えない不安が襲ってくる。
もしかしたら他の人から見れば目標がたくさんあっていいと思うのかもしれない。しかし自分ではそう思っていない。むしろ中学の時までがそうで、必死だったと言い切れる。今は流れに身を任せているだけだ。
ただ、今は友達に恵まれている。そして紗奈と梨花との生活がある。これが一番の拠り所だ。
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