42.好きだけど嫌いだ~陸~

 今日から8月になった。俺とサナリーは帰省を兼ねてA県に来ている。今年は盆の帰省を止めたのだが、それはインターハイの観戦のため帰省を早めたからだ。女子バスケの会場がこの年はA県である。

 しかも明日行われる三回戦。海王高校対桜木女学園の試合の可能性がある。この日の二回戦、桜木女学園は勝ち上がった。そのことを新幹線の中で、吉岡からの連絡で知った。朝一番の試合だったそうだ。この日、海王高校の二回戦は午後から試合が組まれている。


 桜木女学園は俺の妹、が在学する高校だ。優勝候補である。そらは県大会の時点ではレギュラーではなかったが、その県大会で途中出場を重ね、そして活躍を評価され、全国大会ではレギュラーになったと聞いている。我が妹ながらさすがである。


 俺とサナリーは朝の新幹線でこの日東京を出た。そしてそれについてきたのが、公太と圭介と水野だ。吉岡の応援である。今日は俺もサナリーも母校の海王高校を心置きなく応援できる。


 因みに柔道部の圭介はゴールデンウィーク中の都大会で団体、個人とも敗退している。そもそも団体戦のメンバーに圭介は入っていなかったそうだが。

 公太所属の野球部は西東京大会で、準決勝まで勝ち進んだ。甲子園まであと二つだったが惜しい。公太はベンチ入りメンバーだったそうだ。


 俺達一行はA県中枢都市のC市の駅で新幹線を降りた。正面に見える駅のシンボルビル。その先に築数年の真新しい高層ビル。その1フロアを丸々借り切っている会社。俺が知らないわけがない。そのビルを見ているだけで俺から反骨精神が燃え上がる。


「先輩、行こ?」

「あ、うん」


 紗奈が俺に体を密着させて言う。腕を背後に隠し、しっかりと俺の手を握った。梨花は二年の三人にこちらを向かせないように、駅のホームを先導している。どうやら紗奈と梨花に気を使わせてしまったようだ。感情が表に出ていたのだろう。


 俺は駅構内を紗奈の手を握りながら歩いた。しばらく紗奈と梨花に甘えて心を落ち着かせよう。公太と圭介の目には触れないように梨花が注意を引きつけてくれているし。俺と紗奈の関係を水野は知っているが、まぁ、紗奈と梨花はそのことを知らない。


 俺達一行は駅近くのレストランで早い昼食を取り、その後地下鉄に乗って試合会場まで到着した。みんなキャスター付きバッグを引いているので、大変だ。


 ムワッ。


 アリーナの風除室を抜け、エントランスホールに足を踏み入れると熱気を感じた。バスケットボールが床を叩く音に、シューズ裏と床からキュッキュッと鳴る特有の摩擦音。そして耳に響く女子プレイヤー達の声。これがインターハイの空気か。


 俺達6人はまとめて座れる席を確保し陣取った。予め吉岡に試合のコートは聞いていたので、ここならしっかり試合が見られそうだ。

 すぐ隣に海王高校のジャージを着た女子バスケ部員が何人もいる。ベンチ入りできなかったメンバーだろう。知っている同級生も多くいて、水野がしきりに話し掛けている。反対サイドの一角に桜木女学園のジャージを着た集団がいる。もしかして……。


「お兄ちゃん、ここよ」


 俺はハッとなって反対側に顔を上げた。その少女は通路に立っていた。相変わらず童顔だが、それでも少し顔が大人びただろうか? 髪を短くしたんだな。身長も伸びている。

 そう、そこに立っていたのは妹のだった。桜木学園のジャージ姿だ。しかしいつの間にこんなに近くにいたんだ? 忍者かよ。


「そら、久しぶり。――うぐっ!」


 立ち上がった瞬間に入れられた腹パン。鳩尾にクリーンヒットだよ。


「正月以来よ。なぜ可愛い妹に会いに来ない? ゴールデンウィークは何してた?」

「いや、ゴールデンウィークはそらも実家に帰らなかっただろ?」

「会うのは実家じゃなくてもできる」

「……」


 ゴールデンウィークは梨花とのデートが思い出かな。そもそも君は今女子校の寮に住んでいるだろ。どこにも宿泊せず、わざわざそらに会うために遠路遥々日帰りで出向けと言っているのか?


「あー、そらー」


 そこへ人数分の飲物を買ってきた紗奈がやってきた。後ろに梨花もいる。


「紗奈。梨花も。久しぶり」

「身長伸びたんじゃない? もうあたしより高いじゃん」

「まぁね」


 久しぶりの再会を喜ぶ女子三人。俺は公太と圭介と水野にそらを紹介した。


「兄がいつもお世話になっております」


 丁寧な言い方で深く頭を下げるそら。かなり礼儀が成っているのは、高校で躾けられたからだろうか。


「いえいえ、こちらこそ。良かったら一緒に観戦しませんか?」


 すかさず返事をする圭介。誘うところが抜かりない。まったく、兄の前で堂々と。


「次の海王高校の試合ですよね? ごめんなさい。次の対戦相手が決まる試合なので、チームの皆と見ることになっています」

「そっかぁ」


 そりゃ、ご尤もな話だよ。残念だったな、圭介。このままそらはしばらく俺達と一緒にいた。そして目の前の試合が終わると、そらは自分のチームに戻って行った。


 次に目の前のコートに現れたのは海王高校女子バスケットボール部。吉岡の姿もしっかりと確認できる。どうやらウォーミングアップが始まるようだ。隣の海王高校の応援団も賑やかになり、俺達も応援をしろと言わんばかりにスティックバルーンを渡された。

 するとメッセージの受信を告げるスマートフォン。送信者はそらだ。


『今日はいいけど、明日は私の応援だからね』

「……」


 俺は恐る恐る桜木女学園の集団に目を向ける。


「う……」


 そらが殺気をこめた視線をこちらに向けている。海王高校が今日勝ったとしても、明日母校の応援をしたら殺される。いや、マジで。

 そして、とんと俺の両肩に手の感触が。振り返ると一段後ろの席にいるサナリーだった。二人とも俺の肩に触れた手とは反対の手にスマートフォンを握っている。二人は少し目を閉じて首を弱く横に振る。一瞬で悟った。


 あぁ、二人にも同じメッセージが届いたのか……。


 程なくして海王高校の試合が始まった。クラスメイトの教室では見せない顔を見るのは新鮮だ。もちろん吉岡のことである。部活見学の時に公太や圭介にも感じたことだし、去年の文化祭では水野にもそう感じた。


「部活か、いいなぁ」

「ん? やりゃいいじゃん」


 俺の心の声は口から出ていて、隣の席にいる公太にしっかり届いていたようだ。


「陸なら今からでもサッカー部のレギュラー狙えんじゃねぇの?」

「それは大げさだろ」

「聞いたぞ。部活見学の時、紅白戦に飛び入り参加したんだろ? 一緒のチームだった奴が陸のこと凄かったって言ってたぜ」


 恐縮である。恐らくあの時同じチームになった初心者8人の中の誰かから公太は聞いたのだろう。ただ気持ちとは裏腹に、仕事のことがある。だからできない。今、すぐ近くにそらがいると思うと尚更だ。


「そう言えば、サッカー部の木田。最近陸に絡まねぇな?」

「あ、あぁ。そうだな」

「一年の時はすげー勧誘されてたもんな」

「ま、まぁな」


 木田は俺の仕事を知ってしまったから、校内で会ってもサッカーの話は振ってこない。恐らくインターハイ予選で負けた時の携帯メッセージくらいだ。

 その代りと言っては何だが、最近梨花がやたらとサッカー部の話題を振ってくる。正式部員ではないが、活動にも積極的に参加しているようだし。

 木田は木田で本当はサッカー部の話をしたそうな雰囲気は見て取れる。その反面、梨花の思惑には心当たりがあるのだが。


 試合は着々と進む。第四クウォーターも残り時間わずか。海王高校のリードで点差は20点近くある。間違いなく勝てるだろう。吉岡は二年ながらレギュラーとしてしっかりチームを引っ張っている。格好良い。そして羨ましい。


 野球のように逆転満塁ホームランはない。サッカーのようにロスタイム劇的逆転はない。プレーイングタイムの中で複数点を積み重ねるスポーツであるバスケットボール。スリーポイントシュートの点差内なら逆転の可能性もあるが、この状況なら勝敗は決まりだろう。

 そして明日は妹の高校との試合。俺は席を立ち上がった。少し耽っていたい。この場の空気は好きだけど嫌いだ。


 俺がスタンドを出るとついてきたのは梨花だ。どうしたのだろう?


「ジュース買うの?」

「ん? まぁ」


 特に人に説明できるような理由がないので肯定してみせる。


「奢って」

「しょうがねぇな」


 おねだりする梨花。それを受け入れる俺。俺は自販機コーナーまで行き、缶コーヒーの微糖を買った。梨花はオレンジジュースを買ったようだ。二人して長椅子に腰掛ける。


「試合、最後まで見なくていいのか?」

「その言葉そっくりそのまま返すよ」


 そのやり取りにくすくす笑う俺と梨花。水分補給がしたかったわけではないが、コーヒーが喉を潤す。


「羨ましかった? 部活」

「え……」


 突然梨花がそんなことを言うので、公太との会話を後ろの席から聞かれていたのだろうかと思う。


「試合を見る顔がさ、そう言ってたから。だから最後まで見られなかったんでしょ?」

「はは。梨花には何も隠せないな」

「まぁね。たくさんのアスリートを見てきましたから。ほとんどサッカー選手だけど」


 確かに。梨花にはアスリートを見る目がある。プレーのみならず、プレイヤーの精神状態だって把握することができる。まぁ、それで優しくされたと勘違いして、コロッと落ちる奴が続出するのだが。かく言う俺も中学時代はそうだった。


「あたしね……」


 梨花はオレンジジュースの小さなペットボトルを握りながら、徐に切り出した。


「サッカー部に入部しようと思う」

「え……」


 意外だ。協力的だったとは言え、あれほどまでに入部を拒んでいた梨花なのに、どういう心境の変化だろう。


「家での役目が終わったから」

「ん? 家での役目?」

「うん。先輩が紗奈に惚れることを阻止すること。あたしが負けちゃったんだけど。だからこれからは心置きなくサッカー部のマネージャーをやろうと思って。夏休み明けから。選手権の都大会も始まるし――」

「ちょっと待って! 前半はどういうこと?」


 捲し立てる梨花に一度ストップを掛けた。俺が紗奈に惚れることを阻止することが梨花の役目だったのか? 意味がわからない。


「先輩のこと凄く信頼してるからあたしの秘密を言うね。人に知られたら生きていけないほどのことだから心して聞いて」

「あ、うん……」


 俺に緊張が走った。梨花は俺の隣で真っ直ぐ視線を向けている。それは儚げだ。――生きていけないほど――それが大げさな言葉ではないように感じる。


「あたし、女の子が恋愛対象なの」

「な……!」


 体中に衝撃が走った。それこそ雷でも落ちたかのように。そして梨花は話を続けたのだ。

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