第二章 『夏』

28.オヤジ化~紗奈~

 中間テストも無事終わり6月に入った。梅雨入りとはまだいかず、晴れた日が続く。それでも夏の暑さが少しずつ顔を出してきたようだ。

 制服は夏服に衣替え。家の中では私も梨花も薄着だ。そのおかげで陸先輩の動揺が見て取れる。可愛い。このまま私に気持ちが向いてくれたらいいな。


 学校ではテストの波に呑まれて私と陸先輩の熱愛報道は熱を冷ましてしまった。私としては陸先輩しか心にいないのだから、別にこのままでも良かったのに。


 6月最初の日曜日、私は梨花とお買い物だ。日曜日は学校に合わせて仕事も定休にしているが、陸先輩は家に置いて午後から若者の街に繰り出した。今頃何をしているのだろうか? 梨花が家を出際に「洗濯物はいつものとおりサンルームに干しといたから」なんて陸先輩に言っていた。

 高層マンションの利用規約で、ベランダに洗濯物や布団を干すことは禁止。いつもリビングの一角のサンルームに干している。共同生活が始まって3カ月近くが経つが、今更梨花は何を言っているのだろうと思った。ブラインドを下ろしていなければ、どうせLDKからの目には触れるし、陸先輩は陸先輩で良く分からない形容しがたい表情をしていたし。


「お待たせしましたー」


 待ち合わせの駅で合流したのは海王高校一年四組の小金井里穂ちゃん。梨花の友達とのこと。一組の梨花と四組の里穂ちゃん、どういう経緯で友達になったのだろう? しかも里穂ちゃんは陸先輩とも面識があると言う。

 里穂ちゃんは美人で清楚な格好をしている。スタイルもいいし、羨ましい限りだ。これ以上ライバルは増えないでほしいのだが。


「ほらー、また敬語。紗奈も同い年なんだから」

「あ、ごめんなさい。日下部さん、今日は入れてくれてありがとう。よろしくね」

「あ、うん。こちらこそ」


 遠慮がちに私に言う里穂ちゃん。人見知りなのだろうか? そうだ、できれば私も……。


「名前で呼んでほしいかな」

「あ、じゃぁ、紗奈ちゃん」

「うん。よろしくね、里穂ちゃん」


 こうして私たち三人は買い物に繰り出したのだ。今回の買い物の目的は、今月10日の陸先輩の誕生日プレゼント購入だ。そう、私の愛しの陸先輩はもうすぐ17歳の誕生日なのである。梨花にこの予定を聞いた里穂ちゃんも、陸先輩にプレゼントを用意したいとのことで今日の仲間入りだ。


 陸先輩は私と梨花の仕送りを少ししか受け取らない。だからお小遣いと貯金名目で私と梨花は少し余裕がある。金額が全てではないが、いい物を用意してあげられそうだ。

 当日は梨花と一緒に料理をして、ケーキも用意するつもりだ。何なら夜のデザートに私の身も……。


「変なこと考えてないで行くよ、紗奈」


 梨花に先を促される。読まれたか? 私の心の中を。


 最初に入ったお店は文房具の品数が豊富な雑貨屋さん。可愛いアイテムが豊富なので、ウキウキしてしまう。至る商品棚に目が向いた。


「うーん……、陸先輩のイメージじゃないな」


 入ってすぐに梨花がそんなことを言う。確かに。陸先輩は高校生ながら社会人でもある。それなので身の回りの物はシックなデザインが多い。このお店は十代の女子向けだ。


「それなら事務用品が売ってそうな本格的な文房具屋に行ってみようよ?」

「そうだね」


 梨花が私の意見に同意してくれた。そして歩を進める私達。すると里穂ちゃんが俯き加減に聞いてきた。


「紗奈ちゃんって、天地先輩と親しいよね?」

「うん、まぁ。中学から一緒だしね」

「その……、先輩とは、付き合ってたりするの?」


 途端に梨花が鋭い目を向ける。「いつもの調子でありもしないこと言うなよ」と言う目だ。「嘘吐いて、深い関係です、なんて言うなよ」と訴え掛けている目だ。わかっていますよ。ちょっとだけそれは頭を過ぎったけど。


「そんな関係じゃないよ。仲のいい先輩後輩」

「そっか」


 あぁ、自分で言っていて悲しくなる。いつになったら陸先輩の彼女だって言えるのだろう。

 そしてもう一つ。こんなことを聞いてくる里穂ちゃんはライバル確定ではないか。この場に梨花という絶世の美少女と、里穂ちゃんという飛び切りの美人がいる。その二人がライバルなんて……とほほ。


 歩くこと数分。私達は大型の文房具店に到着した。事務的なデザインの商品が多いが私はそれに目を向けず、奥のショーケースに向かった。そこに並べられていたのは高級感のある筆記具の数々だ。私に付いてきた梨花が横で反応を示す。


「こういうのいいね。陸先輩には」

「天地先輩って、こういう社会人みたいな物を使うの?」


 里穂ちゃんもショーケースの中を覗きながら言う。里穂ちゃんは陸先輩の仕事を知らないから。陸先輩は学校に持ち込む文房具は地味だが、リクルート鞄に入っている文房具はそれなりの物を意識している。


「あぁ、うん。先輩趣味が変だから」


 陸先輩をさらっと変人扱いする梨花。それだけあっさり言ったら、里穂ちゃんは信用してくれるだろう。


「入試の時のとイメージが違うかも」

「ん? 入試って?」

「あー! これとかいいんじゃない?」


 なぜか私の質問の腰を折る梨花。そんなに大きな声を出して、私だって里穂ちゃんとお話したっていいじゃないか。梨花は慌てたように私と里穂ちゃんを他の商品へと誘導する。何なんだ、一体? 結局この場は何も買わずに後にした。


 そして次に向かったのは財布や鞄などのブランド物が揃えてあるお店だ。そこで私と梨花は名刺入れを発見した。陸先輩は東京で仕事を始めて1年ちょっと。1年前に慌てて用意した安い名刺入れを使っていると言っていた。

 しかしこうして見ると名刺入れも、ブランド物から安い物までピンキリだ。


「これって名刺入れだよね?」


 当然の疑問だよね、里穂ちゃん。さて、どのように取り繕おうか。すると、梨花が言う。


「あの人、ポイントカードばっか持ってるから。親にもらった古い名刺入れをカード入れに使ってるんだよ」


 どういう設定だよ? 倹約家かよ? 確かに陸先輩は無駄遣いをしないが。


「へぇ、そうなんだ。ポイントカード持ちって堅実なんだね」


 里穂ちゃん信じているし。しかも感心までしているし。

 結局ここでも何も買わず、この場を後にした。


 次に私達が入ったのは百貨店。そこをぐるぐる歩いているうちに入ったのは紳士服売り場だ。スーツ姿の凛々しい陸先輩を思い出すと、キュンとする。


「天地先輩の進路希望って就職なの?」


 おう……里穂ちゃんはその疑問に行きつくのか。大学生の就職活動をイメージしたんだな。陸先輩はまだ高校二年生だし、そもそも高校生の就職活動は学生服が基本だと思うよ。


「あぁ、あの人、趣味趣向がおっさん入ってるから」


 だんだん梨花の陸先輩に対する扱いがひどくなっている。里穂ちゃんの陸先輩に対するイメージが下がるのではないか? まぁ、ライバルが減るなら私としてはありがたいけど。


 やがて梨花と里穂ちゃんは前のブランドショップに戻ると言ってこの場を離れた。私は里穂ちゃんがいなくなった隙にここでちょっとお高いネクタイを買った。ネクタイを買ったことを里穂ちゃんに知られては、絶対に里穂ちゃんが色々と疑問に思うだろうからこっそりだ。

 私が買ったネクタイは紺色でフォーマルなデザインだ。これを締めて陸先輩はお仕事を頑張ってくれるだろうか。その姿を想像してみる。……だめだ。全身が茹でる。けどその陸先輩の姿を見るのが楽しみだ。


 その後、再合流したカフェで里穂ちゃんはハンカチを買ったと教えてくれた。どうやら私の後に紳士服売り場に戻ったそうだ。ナイスチョイスだと思うよ。ただ入れ違いになっていて良かった。梨花はブランドショップで名刺入れを買ったそうだ。


「紗奈ちゃんは何を買ったの?」


 むむ、何と答えよう。陸先輩のお仕事がバレないような品物。すると梨花が私の買ったプレゼントに目を向ける。


「あー! その形ネクタイじゃない?」


 また梨花は余計なことを。そろそろ同棲生活決まり事第五条に抵触するぞ? そして怪訝な顔をして追い打ちをかける里穂ちゃん。


「紗奈ちゃん、そうなの?」


 ネクタイの箱って個性的な形をしているからね。一度言われたらもう引き返せないよね。


「うん、まぁ……」

「天地先輩って制服のネクタイ以外でもネクタイを締めることがあるの?」


 ほらね。ここで梨花も気付いたのか気まずそうな顔をしているし。普段はしっかり者なのに、たまに抜けているんだよな。私はもう知らん。さぁ、回答は梨花に任せた。どう答える?


「ゴルフ」


 ん? ゴルフと言ったか? あのスポーツの?


「先輩ゴルフ始めたんだよ。ゴルフ場には紳士的な格好をしていかなきゃいけないから」

「へぇ、そうなんだ」

「……」


 そう来たか。確かに陸先輩が言うには、ゴルフ場は入退場もプレー中も紳士的な格好をしないといけないらしい。けど、ネクタイは必須じゃないと言っていた。そもそもゴルフ用品を買うなら、スポーツショップか専門店に行くよ。

 それに先輩はゴルフをしない。仕事の関係上お誘いはあるそうだが、高校を卒業してから始めようかな、なんて言っていた。自宅でゴルフ用品を見たこともない。


「なんかいろいろやってて格好いい」


 里穂ちゃんは里穂ちゃんで信じちゃっているし。しかも格好いいとか、そのライバル発言、心が折れそうになるから本当に止めてくれ。

 とは言え、半日里穂ちゃんと行動してみてわかった。里穂ちゃんは遠慮がちだがとってもいい子だ。ちょっと世間知らずな感じはするけど、よく気が付く憎めない感じの子である。私も今日をきっかけにいいお友達になれたら嬉しい。


 この後解散となり、里穂ちゃんは路線が違うので現地で別れた。私は梨花と一緒に帰路に就いたのだが、ここで一言物申さなくては。私は電車を降りて愛の巣に向かっている時に言った。


「梨花、先輩の仕事のことバレるとこだったじゃん」

「あはは」


 笑って誤魔化すし。あからさまな苦笑いだけど。


「まったく、もう」

「だって可愛い二人に囲まれて浮かれてたんだもん」


 どこのオヤジだ、君は。小遣いせびってやれば良かったか?


「まぁ、けど贈る側としては満足できる物が買えたからいいじゃん。ね?」


 小首を傾げて笑顔で言う梨花。そんな可愛い仕草を見せられたら引くしかないじゃん。私もオヤジ化しているのだろうか?

 ただ梨花の言う通り、確かに半日歩き回って満足のいく買い物ができた。早く陸先輩の喜ぶ顔が見たい。早く10日にならないかな。楽しみだな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る