26.熱愛報道~陸~

 半覚醒の中、微かに意識が現実の世界へ。少しだけ目を開けてみる。視線の先の窓の外を見ると、どうやら今日は大雨のようだ。高層階に住んでいると、アスファルトを打つ雨の音も、車が上げる水飛沫の音も聞こえない。雨の確認は専ら目視だ。

 背中に温もりを感じる。俺は寝返りを打った。そしているその女の子。


「紗奈……」

「おはよ、ダーリン」

「おは、よ……?」


 また潜り込んでいやがった。いや、その前にダーリンと言ったか? 言ったよな? ツッコミを入れたい俺の意思に関係なく、また、とにかく紗奈をベッドから追い出したい俺の意思に関係なく、聞こえてくるのは荒く床を踏み鳴らす足音。


 ガチャ!


 なぜか荒々しくドアを開けて梨花の登場である。梨花に挨拶をしようと横目で梨花の表情を伺う。


「ひっ……!」


 なんて恐ろしい顔をしているのだ。昨日は珠玉の品を提供してくれた梨花。そのおかげで俺は寝不足だ。しかし眠気が一気に吹き飛ぶほど鬼の形相。間違いなく梨花は機嫌が悪い。恐らくこれほどまでに怒っているのは初めて見る。


「きゃっ!」


 無言で紗奈を引っ張り出す梨花。紗奈も梨花の気迫に圧されたのか、その後の言葉が続かない。

 どうした、梨花。何を怒っているのだ? 提供の品はありがたく活用させてもらったが、今回は梨花から進んでしてくれたこと。俺は梨花を怒らせた心当たりがない。そして紗奈にも向けたその表情。


 その後、紗奈が連れ出された寝室で俺は起床し、顔を洗ってから食卓に着いた。やはり梨花の機嫌が悪い。一方、紗奈はご機嫌だ。むしろ締まりのない顔をしている。更に、やたらとダーリンなんて言ってくる。


「り、梨花?」

「何よ?」


 怖っ! マジだ。本気で機嫌が悪い。あまりの怖さにこの朝は梨花とまだ「おはよう」の言葉も交わせていない。怒っているよな? まずそれを確認しよう。


「何か――」

「うるさい」

「……」


 気圧される俺。今はそっとしておくべきか。とにかく黙ろう。


「何か言えよ」


 うるさいって言われたから黙ったのに。それにそんな汚い言葉遣い、梨花には似合わないよ。


「先輩SNSは見た?」


 梨花が不機嫌丸出しで聞いてくる。言葉とは裏腹にとりあえず話はしてくれるようだ。


「SNS? SNSはトークアプリだけで、あとは仕事の関係でしかやってない。名前もぼかしてるし。学校で仕事がバレないようにするためで、アカウントもその一つしか持ってない」

「ふーん。じゃぁ、海王の生徒とは誰とも繋がってないんだ?」

「はい。そういうことです」


 とは言え、梨花の言いたいことはどういうことだろう? 紗奈はさっきから満面のニコニコ顔だし。正に鬼と仏の共存である。

 すると梨花が徐に自分のスマートフォンを操作し俺に差し出してきた。これは見ろと言っているよな? 俺は恐る恐る梨花のスマートフォンを受け取り、表示された内容を確認した。


「がっっっ!」


 変な声が出た。そして次の瞬間唖然とした。


「ダーリン」


 紗奈は紗奈でまだそんなことを言う。いや、言っている意味もわかった。だからと言ってなぜご機嫌なのだ? あぁ、ただ単純にこの状況を揶揄って楽しんでいるな。

 梨花のスマートフォンに表示された、梨花のアカウントのSNS。そこに示されているのは……。


『海王一年の日下部紗奈、熱愛発覚。手繋ぎ水族館デート。相手は二年の天地陸』


 ご丁寧に水族館とモールで仲睦まじく手を繋いでいる画像までアップされている。俺達、芸能人ではないぞ。人の肖像権を何だと思っているのだ。ネットに拡散しやがって。間違いなく海王の生徒だ。しかも俺に対する誹謗中傷のコメントが殺到している。これはサナリー親衛隊か……?


「昨日のデート、お手繋いで仲良く歩いたんだ。紗奈と。紗奈と」


 何故紗奈を連呼する、梨花。


「そうだよ、んふふ」


 紗奈、とりあえずそのご機嫌顔を引っ込めてくれ。今は君におちょくられている場合ではないのだ。俺の学校生活をどうするかで頭がいっぱいだ。


「これで公認だね」

「いやいや、そもそも俺と紗奈はそう言う関係じゃないだろ」

「ぶー」


 紗奈の顰蹙はともかく、やっと否定の言葉が出た。


「じゃぁ、先輩は紗奈と付き合ってないの? 手を繋いでデートしといて?」

「当たり前だろ」


 梨花とも手を繋いだじゃないか。――と続きそうになったが、後が怖いのでなんとか飲み込んだ。確かに梨花との時は電車の中。それに駅から自宅までの道のりだった。だから目撃情報がなかったのか。


「いいじゃん先輩。私達そういう関係で」

「「良くない!」」


 梨花、一緒に否定してくれてありがとう。けど、それはどういう心境の否定なの? 嬉しくもあるけど、期待を持たせてもらえるような雰囲気を微塵も感じないのだけど? まぁ、そりゃ三人で一緒に暮らすうえで、同居人の二人が恋仲だと思えばやりにくいわな。


「先輩は否定したよ?」

「ぶー」


 梨花に言われて再び膨れっ面の紗奈。徐にスマートフォンを取り出した。


「私はこのままで全然構わないのに……」

「このままじゃ親衛隊があたしのところに群がるでしょ?」

「ぶー」


 そう言う意味か。紗奈からしたら虫除けになるからこれはこれで都合がいいんだな。俺と付き合っていることにすれば、親衛隊を躱せると思っているのだろう。梨花は梨花で、今紗奈と二分している人気が自分に集中するのを嫌ったのか。どうせそんなことだろうと思ったよ。


「はい、できたよ」

「ん、よろしい。先輩にも見せて」

「はい、先輩」

「ん?」


 今度は紗奈が自分のスマートフォンを俺に差し出してきた。開かれているのは紗奈のアカウントのSNS。そこには交際否定の一文が書かれていた。と言うか、紗奈のフォロワー数が凄い。その流れで梨花のフォロワー数も確認してみると……。


 君達は芸能人か。


 朝食を終え、準備ができた俺とサナリーは揃って家を出た。梨花の機嫌も戻ったので安心した。

 しかし登校途中に乗り込んだ電車。学校が近づくにつれて徐々に増える海王の生徒。視線が痛い。紗奈が否定をしたのに。まぁ、芸能人だって熱愛否定したところでそんなにすぐには冷めないからな。


 俺は学校最寄りの駅で改札を抜けると梨花に言った。


「あとよろしく」

「わかった」

「あ、ちょ、先輩」


 俺は傘を握り締めたまま走り出した。梨花も俺に理解を示してくれる。

 今日はだめだ。サナリーと一緒に歩けない。周囲の俺に対する嫉妬の目が半端ないのだ。傘で顔を隠しても、男1対女2で歩いていると視線を向けられる。よほど俺達三人での登校が板に付いているのだろう。


 紗奈が後ろで何か言っているが関係ない。とにかくサナリーから距離を取ろう。そして見えてきた一人の男子生徒。最初は傘で見えなかったが、校則に引っかからない程度に長くした髪。斜め後から見た姿に眼鏡のフレームも確認できた。よし、こいつと合流だ。


「圭介。おはよう」


 どーん……。


 俺の言葉に振り返ったクラスメイトの圭介。なんだ、何故こんなに朝から暗い雰囲気を醸し出しているのだ? 天気のごとく圭介のテンションは大雨だ。恐らく圭介は挨拶を返してくれた。口の動きでわかった。しかし、聞き取れないほど小声だった。


「陸、日下部とできてたんだな。俺に内緒で。ちくしょう。俺がどれだけ、どれだけ日下部のことを……。それを近くで見てあざ笑いやがって。ちくしょう、ちくしょう」


 圭介は雨の中、一目散に走り出してしまった。


「……」


 唖然とする俺。いや、圭介は紗奈と梨花両方に同じような目を向けていたじゃないか。まぁいい。後で誤解は解いておこう。紗奈も否定をしていることだし。


 そして一人歩を進める俺。辿り着く校門。道中周囲の視線は集まる一方。校内に入るとそれは酷くなる。サナリーの影響力はこれほどまでに凄いのか。二人とそれぞれデートができた優越感なんて一瞬で吹き飛んでしまう。校舎内に入ったが傘で顔を隠したい。

 俺は身を屈め、なるべく目立たないように自分の教室に辿り着いた。尤もそんな歩き方をしたところで気休めにもならなかったが。更に言えば、クラスでも色物を見る視線。そしてひそひそ声。はぁ、しばらくこの雰囲気だろう。


「ちょっと、陸。来て。話がある」

「う……」


 声を掛けてきたのは水野だ。脇には今にも死にそうな顔の圭介もいる。いい加減そのローテンションを止めてくれ。朝からまったく。天気と一緒にこっちの気が沈む。あとで誤解は解いてやるから。


「湯本はどうするの?」

「本人の口からショックな事実を聞かされたら立ち直れない。あとで水野に聞く」

「わかった。じゃぁ、行くよ」


 俺は水野に促されて教室を出た。何の話だ? って、圭介の様子を見ていればおよその見当はつくが。

 運動部は朝連か。雨だから外の部活は大方筋トレだろう。教室にはまだ半数もクラスメイトがいなかった。圭介は所詮幽霊部員だしな。


 俺が水野に連れて来られたのは特別教室棟。一度は学級棟との間の渡り廊下で話そうとしたが、周囲の視線を躱しきれなかったので結局ここまで流れてきた。


「何の話かわかる?」

「えぇ、まぁ」

「じゃぁ、真相を教えて」

「はい」


 なぜそんなに怖い視線を向ける?

 俺は水野に昨日のことを洗いざらい話した。デートをしたことも、手を繋いだことも事実。しかし付き合ってはいない、と。


「ふーん。じゃぁ、付き合ってはないけど、いい関係なんだ?」

「違うよ。付き合いが長いから親しいのは認めるけど。昨日ははぐれないようにってそうなっただけで」

「ふーん……。信じていいの?」


 なぜそんなに念を押す? 確かに今の学校での状況は俺にとって不利益でしかない。しかし水野がそんなに詰め寄って否定を求める必要もないだろ。まぁ、とにかくここは……。


「もちろん。紗奈もSNSで否定してるし」

「……」


 そのジト目を止めてくれ。しばらく水野から目を離せない俺。ここで視線を逸らしてしまったら負けのような気がする。


 そしてやっと俺を解放する言葉が水野の口から発せられた。


「はぁ、良かった」


 いや、何が良かったんだよ。それは君が否定を信じてくれたことに対する俺の台詞だ。


「俺と紗奈の噂を否定して水野に何の利益があんだよ?」

「まったく、この鈍感男は」


 意味がわからん。こっちがまったく、と言いたいよ。


 そして俺と水野は予鈴が鳴るまでこの特別教室棟で過ごした。すぐに教室に戻っても道中の周囲の視線が嫌だから。

 そして朝のホームルームが始まる前に届いた携帯メッセージ。相手は木田だ。


『今日は私と一緒にお昼を食べましょ? サッカー部の部室で待ってるわ。必ず来なさい』


「……」


 お誘いなのに最後の一文は命令。今日は心休まる時間がなさそうだ。

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