25.特別な場所~陸~
なかなか混んでいる日曜日の水族館。そして子供のようにはしゃぐ紗奈。完全に俺は保護者である。こうしているとここ最近意識していた気持ちも落ち着いてきて、今までの目線にだいぶ戻ったと言うものだ。
「先輩、こっち、こっち」
腕を引っ張られてあっちにこっちに。水槽に夢中だからいつものスキンシップとは違うようだ。よほど楽しいのだろう。
しかし、腕を引っ張らずに次の水槽に行こうとする時まであって、そんな時は迷子にしてしまう。まぁ、現代は携帯電話という文明の産物があるから、携帯電話所持者同士の迷子はそれほど痛くはないが。
そんなことを思いながらも、俺も楽しんでいたことは間違いなく、でかい魚が近づいてくると声を上げていた。そしてふと隣を見ると……。
「いない……」
まただよ。また何も言わずにどこかに行ってしまったよ。四方八方を囲む水槽に気を取られて、すぐに興味が分散する。まったく、どれだけ子供なんだ。
俺は首を何度も振って紗奈を探してみる。やはり人が多い。
いた。
俺は紗奈を見つけた。水槽のガラスに手を付いて、目を輝かせている。体を光らせる魚の大群に、それを見つめる紗奈。なんて神秘的なんだろう。一瞬見惚れてしまった。
俺はそっと紗奈の隣に並んだ。今紗奈が醸し出す雰囲気を壊したくなかったから何も声を掛けなかった。見つけた瞬間は、はぐれたことに対する嫌味の一言でも言ってやろうかと思っていたが。
「きれい」
「そうだな」
君がね。まぁ、そんなことは恥ずかしくて口に出しては言えないが。俺の中だけで留めておく。
「よし、次行こう」
珍しい。さっきまでは黙って次のポイントに行っていたのに。まぁ、だから何度も俺が探すはめになったのだが。
「紗奈」
俺は一度呼ぶと紗奈の手を取った。これ以上勝手に動かれては敵わん。まぁ、紗奈もデートだと公言しているし、手を握るくらい許されるよな? いつも過剰なスキンシップをしてくるような紗奈だし。
「……」
て言うか、さすがに何か言ってくれよ。悪いことをしているみたいじゃないか。そう思って紗奈を見てみた。すると紗奈が俯いている。どうした? 薄暗い場所なので表情まではしっかり読み取れないが。
「紗奈?」
「あ、うん」
そう言うと、紗奈はしっかりと俺の手を握り返し、少し遠慮がちに俺の腕にすり寄ってきた。まったく、何を今更。
まぁ、それでも歩き出すと目がまた水槽に戻るあたり、現金だ。手を繋いでいるおかげであっちにこっちに引っ張られまくって、子供の手を引くお父さんってこんな気持ちなんだなと感じた。確かに肩車している方が楽かもしれん。細身の紗奈とは言え、紗奈を肩車するのはさすがに無理だが。
一通り水槽を見て、アシカのショーを見て、水族館を出たのが昼の1時過ぎ。よくもまぁ、飲まず食わずで歩き回ったものだ。とにかく空腹なので、何か食べたい。と言うことで俺と紗奈は施設内にあるレストランに入った。
しかし、ここもまた混んでいる。やっと席に通され注文の品が出てきたのは入店して1時間近く経過してからだ。俺は洋食セットご飯大盛りを、紗奈はミートスパとドリアを注文した。その細い体でよく食べる。確かに家でも俺と同じくらい食べる紗奈だから納得ではあるが。
「おいしいね」
「そうだな」
紗奈はかなりご機嫌のようだ。最近では仕事での顔を見せるようになって、スーツ姿も板に付いてきた紗奈。家事も一切手を抜かず頑張ってくれている。しかしこうして見ると、やはりまだ15歳の高校生なんだなと思う。
「先輩がいつもの先輩に戻った」
「ん?」
いつもの俺とは? 紗奈にとっていつもの俺とはどんな俺なんだ?
「私の保護者」
あぁ、すごく納得。と言うか、あなたにも保護されている自覚があったのね。中学の時からだけど。俺が部活を引退してからも、紗奈の居残り練習には付き合わされていたわけだし。
「様子がおかしいからずっと心配してたんだよ。顔は真っ赤だし、体調悪いのかなって」
「う……、心配かけてごめん」
それは本当にごめん。物凄く自覚がある。あぁ、いかん。紗奈とキスしそうになったことを思い出した。これはまた心臓が暴れ出す。落ち着け。吹っ切れたわけではないが、それでも半日紗奈と一緒に歩いて平常には戻りつつあるのだから。
食事を終えると俺と紗奈は施設隣接のモールへ行き、そこを少し散策した。買い物と言っても今回は小一時間。地獄のような思いはしなかった。それでも紗奈はしっかり買い物をしていた。
そしてモールを出て俺は言った。
「少し歩くけどいい?」
「うん。全然大丈夫」
そう言って俺は紗奈を連れて歩き出した。紗奈は手を繋ぐのがよほど気に入ったのか、歩く時は全く手を離さない。まぁ、いいけど。て言うか、危ないから歩道側歩けよ。と言うことで、反対側の手に繋ぎ変えた。
大通りから生活道路に入り、更に狭い道を抜けて行く。途中勾配のきつい坂もあったが、俺達は体力に自信があるので問題ない。激しい運動でもないから紗奈の肺も心配ないだろう。
そしてモールを出てから歩くこと数十分。俺と紗奈は一つの公園に辿り着いた。水族館からなんとか歩ける距離のこの公園。これが今日のデートを水族館にしたもう一つの理由である。
「先輩ここは?」
「俺の特別な場所」
「先輩の特別な場所?」
「うん」
小高い丘の上にある公園。足元には住宅街が広がり、それは今抜けてきた道のりだ。その先には先ほどまで紗奈と一緒にいた水族館やモールが見える。
「景色いいね」
「うん」
俺は紗奈の手を引いて公園内にある更なる丘に上がった。土と細い丸太で組まれた階段だから、サンダルの紗奈の足元に気を付けた。そしてこの周辺では一番高い場所まで辿り着いた。
「あっち見てみな」
「ん?」
紗奈に眼下の住宅街とは反対側を見るように促した。そこに見えるのは都会の街並みで、遠くには高層ビル群も見える。紗奈はその街並みをじっくりと見渡す。
「あっ! あれ、もしかして」
「そう、当たり」
紗奈が気づいたようだ。高層ビル群の一番手前の一角。そこには俺の自宅マンションが見えるのだ。中層から下は他の建物で見えないが、上層は微かに窓の形が見える。その中に俺の自宅はあるはずだ。
「朝、仕事の話は止めようって言っといて何だけど、少しだけいい?」
「うん」
「ここは俺が仕事で凹んだ時に来て、モチベーションを入れ替えてた場所なんだ」
「そうなの? って言うか、先輩って凹むことあるの?」
君は俺を何だと思っているのだ。俺だってまだ16歳の高校生だよ。まぁ、いい。続けよう。
「こっち来て最初の頃はひどかったよ。すげー舐められてたもん。今でもそれはあまり変わらないけど」
「そっか……」
「それで凹んではいつも逃げ出したいって思ってた」
「……」
紗奈が言葉を返さずに俺を見ている。真剣に話を聞いているようで、心なしか紗奈の手を握る俺に力が入る。
「それで本当に仕事放って逃げ出した時にさ、ふらふら行きついたのがこの公園だったんだよ」
「ここって住宅街の一角のどこにでもある公園だよね?」
「あぁ。眼下を見れば全国どこにでもあるような一般的な住宅街。この丘に上がって反対側を見れば、生活レベルの違うタワーマンション」
「確かにそうだね」
「俺は庶民を馬鹿にするつもりはない。それこそ俺が地元にいた時の家庭環境なんて庶民にすら届いていないと思ってるから」
「……」
紗奈のこの無言は肯定だろう。確かに地元にいた時の俺やそらの生活レベルは周囲の友達と比べて異質だった。紗奈はそらから聞いて内情を知っている可能性がある。ここにはいないが、もちろん梨花も。
「けど今俺はあそこに住んでる」
遠くに見える俺の自宅マンション。そのタワーマンションを見て俺は言った。
「俺はこの公園を発見してから、凹んだ時はここに来て、自宅を見上げて、俺は選ばれた人間なんだって自分を奮い立たせてきた。そうしてこの一年、東京でやってきた」
「先輩……」
「紗奈が仕事を手伝ってくれるようになったから、一回紗奈をここに連れて来たかったんだ」
「そっか。ありがとう。先輩の特別な場所を教えてくれて。嬉しいよ」
紗奈が繋いだ手を離さずに肩を寄せてきた。スキンシップもいつもこんなに自然ならいいのに。揶揄いや冗談じゃなきゃ俺だって癒されるさ。
「先輩にとっては大事な家だね」
「うん」
「私と梨花にとっても大事な家。東京での大事な家族。まだ始まって2カ月だけど、今の生活がすごく大切だよ」
そうか。言われて気づく。
俺が今大切にしていたのは紗奈と梨花との生活だったのか。二人のことが大事だから必然的に生活が大切になる。別に生活レベルの話ではない。三人で一緒に暮らしていることが俺にとって、これほどまでにかけがえのないものになっていたのか。
だからあの時、木田の気持ちに応えられず理性が働いたのだ。好きな人がいる。それは恐らく間違いない。けどそれよりも大切にしているのが三人での生活。一緒に暮らしているという事実だ。
別に彼女を作ってはいけないわけではない。もちろん紗奈と梨花が彼氏を作ってはいけないわけでもない。そうなれば悲しくはなるが……。ただその時は多少なりとも生活に影響を与える。俺はそれに拒否反応が出たのだ。それに気づかせてくれたこの場所は俺にとってやっぱり特別な場所だ。
やがて日が傾き始めた。梨花にお腹を空かせて待たせてしまうから、俺と紗奈はこの住宅街の公園を後にした。
一緒に帰宅した俺と紗奈。紗奈はすぐさまキッチンへ入った。俺は寝室に荷物を置こうと寝室のドアノブに手を掛けた。すると。
「先輩」
梨花が俺を小声で呼んだ。自分の部屋から顔だけを覗かせている。リビングから見て、書斎、寝室、紗奈の部屋、梨花の部屋の並びなので梨花は一番奥だ。俺は何だろうと思い、梨花に歩み寄った。梨花は手招きをして入室を促してくれる。
そして足を踏み入れた梨花の部屋。入ったことがないわけではないが、女子の部屋だと思うと変に緊張する。部活があったからだろうか、梨花はすでに風呂を済ませているようだ。
「これ」
「ん? 何これ?」
梨花は30センチくらいの紙袋を差し出した。俺は何だろうと思い、中を覗こうとした。
「だめー! ここで開けないで」
即梨花に止められた。何をそんなに慌てているのだろう。腑に落ちないながらも梨花の言葉に従った。
「気分がいいから今日だけは特別だよ。それ今日のやつだから良かったら使って」
梨花が恥ずかしそうに上目遣いで言ってくる。なんだかその表情、心惹かれるぞ。やっぱり君こそが俺の意中の相手だよ。
「明日の朝洗濯機回すから、それまでに洗濯ネットに入れておいてね」
「よくわからんが、わかった」
どうやら洗濯をしなくてはいけない物らしい。俺は中身が気になりながらも梨花の部屋を後にした。そして寝室に入って荷物を置くと、早速紙袋の中を確認した。
プシュー!
マジで一瞬気絶した。床にドンって倒れた。
ボーダー柄。上下セット。洗濯前。使用済み。今日のやつ。いろいろなワードが頭の中を周回する。梨花って絶世の美少女だけど、こういう話のネタは好きだし、こういうことに嫌悪感を示さない。そのギャップが凄いと思う。
この日の夜は忙しかった。
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