23.正直な感想~陸~

 日曜日の朝。寝返りを打って気づく。人の感触がない。紗奈に潜り込まれていないようだ。そして静かな朝。梨花対紗奈の喧騒もない。

 俺は半覚醒の頭の中、手探りで枕棚からスマートフォンを探し当てる。そして電源を押した。時間はまだ8時になっていない。穏やかな朝の割に自力で早起きだ。視線の先には窓とその向こうのベランダ。


 ん? 何やら背後で人の気配を感じる。紗奈か? 俺は寝返りを打つように寝室の内側を向いた。するとその子はいた。床に膝を付き、肘と顔をベッドに乗り出して俺を見ている。


「紗奈……、ん? 梨花?」

「おはよ」

「おはよう」


 俺の目はしっかりと開いた。紗奈みたいに寝床に潜り込むわけではないが、梨花がすぐそこにいる。なぜここにいるのだろう? 紗奈との賑やかなやりとりもなかったので、紗奈の過剰なスキンシップ阻止でもなさそうだ。

 梨花は穏やかな笑みを浮かべている。なんて可愛いのだ。静かな朝にこんな笑顔で目覚められるなんて珠玉の極みだ。梨花はすでに制服に着替えている。今日はサッカー部の試合に同行するのか。


「今日は静かだな。紗奈は?」

「ルンルンで朝ごはん作ってるよ。服選ばなきゃって言ってた。それで早起きしたみたい」

「そっか」

「もしかして今日がデートなの?」

「……」


 そのデートと言う響きにものすごく照れるのだが……。やはり俺、おかしい。


「顔赤くしちゃって。とうとう紗奈に惚れたの?」

「まさか」


 慌てて否定する。たぶん、違うと思うのだが。何せ、梨花に対しても同じ目を向けてしまうのだから。一度に二人の女子を好きになるなんて、そんな器用なこと俺にはできん。だからこれは恋愛感情ではない。と言うことは梨花に対しても違うということか?


「ふーん。けど先輩とうとうやっちゃったね?」

「ん? 何を?」


 梨花は体勢を変えず意味深げに微笑みかける。俺もまだベッドで横になったままだ。


「へぇ、惚けるんだ?」

「何のことだよ?」

「昨日さ、洗濯物を取り込んだ時にさ……」


 ドキリとする。目の前に梨花がいるのに背徳感が蘇る。洗濯物の話は止めてほしい。


「あたしと紗奈のブラとパンツだけ、あたしのいつもの干し方と違ったんだよねぇ」

「……」


 マジで? いつもの干し方なんてあったの? まず手に取る時に干し方をしっかり確認しておけば良かった。


「汚してはいなかったみたいだけど……」

「……」


 もうこれ以上聞くのが恐ろしい。頼む、止めてくれ。けどここで目を逸らしたら負けだ。


「おかずに使ったでしょ?」

「使ってない」

「使ったでしょ?」

「使ってない」

「使ったよね?」

「使ってない」

「……」

「……」


 嫌だ。何なんだ、この沈黙は。勘弁してくれ。お願いだから解放してくれ。


「あたしは自分に直接的なことをされなければそういうのは平気なんだけどさぁ。あと衣服を汚さなければ? 男の子ってそういうもんだと思ってるし? むしろ2カ月よく我慢したなぁなんて感心してるくらいだから」


 俺の否定を全く信じていない言い回し。聞かれたから答えたのに。絶対に俺が一線を犯したと確信してやがる。実際はその通りだが。


「そりゃ、直接タンス漁ったらはっきりと痕跡が残るだろうから、そんな直球的なことは今までしなかったんだろうけど」


 確かにその方法は考えた。けどおっしゃる通りの理由で断念した。


「もし紗奈が聞いたらどんな反応するだろ? 洗濯物のブラとパンツが出掛けてる間に干し方が変わってたなんて聞いたら。その時家には先輩しかいなかったしなぁ」

「ごめんなさい」

「お、認める?」

「はい、認めます」

「よしよし、いい子だ」


 観念した。そしてまた梨花に弱みを一つ握られた。梨花に理解があったことだけが救いだ。ん? 理解があると言うことはこれからも許されるのか? いや、止めておこう。許されないと考えておくのが安全側だ。梨花は満足したようで寝室を後にした。


 俺は起き上がろうと上体を起こした。するとマートフォンから通知音が鳴った。操作してみると、木田からのメッセージだった。


『久しぶりに丸一日泣いた』


 本当にごめん。今日は朝から背徳感の日だ。これから紗奈とのデートだからテンションを上げていかなくてはならないのに。


『けどおかげですっきりした。ただまだ諦められないみたい。これからもあなたのことを好きでいるから覚悟しなさい』


 強い。強すぎる。泣いたとは言え、どんなメンタルをしているのだ。そしていつもの命令。木田らしい。好意を持ってくれていることは素直に嬉しい。俺なんかをと恐縮ではあるが、片想いであれ好きになること自体は自由だ。ただ木田の幸せを切に願う。

 俺は木田をできるだけ気遣った返信をした。優しめの言葉を選んだが、優しくなりすぎると反ってだめだし、本当にこういうやり取りは難しい。


 続いてそらにメッセージを送った。そらは今何をしているのだろうか。日曜日も部活や試合だろうか。とは言え、日曜日だから朝は遅めなんだろうか。すぐに返信が届いたのだ。


『何か梨花の弱みを教えてくれ』

『私の下着も使う? 送るよ? それともゴム10個分相手しようか?』

「り、りかぁぁぁぁぁ!」




 朝食を終えて書斎で待つ俺。待ち人は紗奈だ。紗奈は朝食の片づけを終え、今部屋で着替え中である。なんだかそわそわする。


 そして待つこと数分。朝食後の紗奈、再登場だ。


「お待たせー」


 やばい、可愛い。紗奈の私服は、ひざ丈スカートに落ち着いた柄のインナー。上着に淡い色のカーディガンを羽織っている。肩より少し長い髪は下ろしている。一言で言うなら清楚系だ。


「どう? 変じゃない?」

「う、うん。か、可愛い」


 ぼっ。紗奈の顔が一気に赤くなった。その恥じらいの表情止めてくれ。心臓が落ち着かなくなるのだ。感想を聞かれたから頑張って答えたのに。「似合ってる」よりハードルの高い「可愛い」と答えたのに。


「せ、先輩も、格好いいよ……」


 もう、だから俺のことはいいから。本当に恥ずかしい。嬉しいけど、所詮自分で選んだものではない。店の人にコーディネートしてもらった服だから。


「行こっか?」

「お、おう」


 俺たちはマンションを出ると並んで駅まで歩いた。梨花と二人で歩いた時は浮かれていた。けど今日は違う。周りの景色もうまく認識できないほど肩に力が入る。もし今日、紗奈ではなく、梨花だったらどうなのだろう?

 二人の見方が変わったのは認識している。どういう意味なのかはわからず戸惑っているが。梨花でも今だと浮かれるのではなく、緊張になるのだろうか。


「朝、梨花とは何を騒いでたの?」

「しょうもないこと。気にするな」


 あぁ、できれば触れないでくれ。梨花は俺の2つの弱みをよりによって実の妹のそらに暴露していた。


「あんまり騒ぐと紗奈にもバレるよ?」


 それを咎めようとしたら、悪びれもせずにこんなことを言う始末。さすがにそら以外には言っていないらしいが。しかし、言った相手がそらだと言うのが大問題だ。梨花の小悪魔め。いや、悪魔め。


「先輩?」

「ん?」

「一昨日の夜なんかあった?」

「え? なんかって? そ、そんな、なんもないよ? 商談して、夕飯、ご馳走に、なっただけ」


 我ながら動揺具合があっぱれだ。もっと平常心で言えないのか。また心臓がバクバク鳴り出したし。


「そっか。結局オーケー製作所の株はどうするの?」

「その前に一ついい?」

「うん」


 なんだか今日の紗奈はしおらしいな。しおらしいと言えば、一昨日の夜……。いかん、いかん。今は紗奈とのデートが始まったばかりだ。


「あの席で俺が大人の店に誘われたことどう思った?」

「それ、正直に言っていいの?」

「うん。正直な感想が聞きたい」

「うーん……、いい気はしなかった。将来結婚して、旦那さんがそういう接待をするとか、受けるとかの仕事だったら、その時は理解できるようになるのかもしれないけど。私まだ子供だから無理だ。ちょっと引いちゃった。それに店が融通してくれるって言っても違法でしょ?」

「だよね」


 やっぱり俺の考えは間違っていなかったな。高校生ではなかなか経験できない店に連れていき、それで好感を得られると思われていたのだから、やっぱり舐められていたのだ。まぁ、舐められるのは慣れているからいいけど。今回の意思決定に悔いなし。


「けどそれをきっぱり断った先輩が格好良かった。もちろん言い方には気を付けてたみたいだけど、あれがあの席でのきっぱりの上限でしょ?」


 そう言った褒め言葉は本当に言われ慣れていないから、なんと反応したらいいのか戸惑う。それなので今言った紗奈の前半の言葉は、俺の中だけでありがたく留めておこう。


「そうだと思って。それで株なんだけど、木田社長の会社に売ろうと思う」

「そっか。なら木田先輩とも今後また仲良くできるね」


 紗奈はそれを心配していたのか。学友の親御さんと商談をしたのは初めてだが、こういった煩わしさがあるから難しい。将来純社会人になればこういうことは多々あるのだろう。


 ただ、木田と仲良くとは言うものの、木田は紗奈と梨花のことを恋愛の観点から敵視している。そう、その時の木田の言葉で、今度は俺が紗奈と梨花を同時に意識するようになったわけだし。困ったな。

 今まで梨花のことが好きだと公言していたのは何だったんだろう。公言と言っても自分に対してだけだが。いかん、いかん。今は紗奈とのデート中。頭の中がどんどん至る方向へ脱線している。


「今日はせっかくのデートなんだから、仕事の話止めようぜ?」

「うん。そうだね」


 紗奈が可愛い笑顔で同調してくれる。すごく癒されるな、その笑顔。


「今日はどこに連れてってくれるの?」

「水族館に行ってみようかと。あと他にも少し……」

「わぁぁぁぁぁぁ」


 紗奈が子供のように目を輝かせる。これは当たりだったか。


「楽しみー。水族館、小学校の時以来行ってないから」

「そっか、そっか」


 よし。掴みは順調のようだ。紗奈の今日のコーディネートがわからなかったから、どんな格好でも歩ける場所をと思って選んだのだ。梨花の時のように映画でも良かったのだが、スカートなので遊園地にはしなくて良かった。まぁ、水族館にした理由はもう一つあるが。


 こうして話しているうちに駅に到着した。俺と紗奈のデートは始まったばかりである。

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