19.商談とアフター~陸~
まだ外は明るさが残る夕方。これほど高層階のレストランからでは窓の外にいる人の姿なんて見えない。見えるのは他の高層ビル。そして俺は仕事があるのに木田から拉致され、デートだと言われてこの場所にいて、そしてなぜか今から仕事の話である。
「これは、これは、娘が失礼なことを」
「いえ。それで商談とは、どういった内容で?」
「えぇ。実は、当社が今、着手したい事業があるのですが」
「着手したい事業?」
「はい」
何か新事業を始めるようだ。話が面白くなってきた。俄然俺は興味を示す。
「次世代家電なんですがね。それを作るのが家電メーカーの株式会社ALOHA電気さんなんですよ」
「大手のメーカーさんですね」
「ええ。そこへ当社のグループ会社に重要部品を納品させたいと思っております」
いいじゃないですか。そんな大手の家電メーカーから受注できればしばらく安泰だろ。
「ただ、特許の関係でどうしても作れないのです」
「それは、他の会社が特許を持っているということですか?」
「おっしゃるとおりで」
なるほど、それは確かに難しい。その次世代家電に合う全く違う部品を開発するしか手はなさそうだ。しかし、その開発期間を先方がどこまで見てくれるのか。
「天地君、本当にビジネスマンだったのね」
「こら、碧。失礼だぞ」
木田の茶々入れにすかさず崇社長が口を挟む。しかし意見としては無理もない。学校では見せない姿だから。フォローしておこう。
「いえ。学校では内緒にしてますから」
「そうなんですか?」
「そうよ。それを知ってたら部活にも誘わなかったのに」
崇社長の質問に答えたのは木田だ。何かと口を挟みたいのだろうか? 少し脱線するが、少し木田の相手をしてやろう。
「いつ知ったんだ?」
「昨日よ」
「昨日?」
「ええ。今日席は設けたからアポを取ってくれとはずっと言われてたんだけど、理由もわからないし、無視してたの。そしたらアポは取ってあるか? って、昨日聞かれて。取ってないからそれでちょっと口論になって。その時初めて天地君の仕事のことを聞いたのよ」
そうだったのか。木田は昨日聞かされるまで知らなかったわけか。業界の人なら高校生の投資家がいることは知っている人もいる。崇社長が予め知っていたのは理解できる。
「なら普通に言ってくれれば良かったじゃん?」
「だって、私が声掛けても部活の勧誘だと思って逃げるじゃない。それに天地君が仕事を隠してるのはなんとなくわかったし、他に誰が関わってるのか今日この席で確認するまで確信はなかったのよ。だから学校で口にするのは控えてたの」
むむ、確かに。俺が誤解していたようだ。木田は色々と気を使って俺をここに連れて来てくれたようだ。その結果、やり方が拉致になったわけだ。
「いやぁ、結果、失礼なやり方でお連れしてしまって」
「いえ、お気になさらず」
と言いながら本当だよ、と思う俺。親子でしっかり事前に話ができていれば、ちゃんとアポイントと言う形でお会いできたのに。まったく。とにかく話を本題に戻そう。
「因みにその部品は自社開発だと期間が取れないのですか?」
「ええ。試作品のプレゼン締め切りまで一カ月を切っております」
「そうですか……」
「ただ一つ道があります」
お、さすがは経営者。幾多の道を模索していて簡単には転ばない。恐らくここからが本題。俺がここにいる理由の本質だろう。
「特許を持っている会社が株式会社オーケー製作所です」
「あ……」
「ん?」
木田が怪訝な表情を俺に向ける。俺の表情を見てのことだろう。オーケー製作所、俺が知らないわけがない。なぜなら俺が株主だから。中堅の機械部品メーカーだ。そして読めてきた。この商談の内容が。
「そこを買収したいと考えております」
やっぱり。そうすれば特許付きで自分のグループ会社だ。
「どのくらい進んでいるんですか?」
つまり買収のための株式取得はどのくらい進んでいるのかを聞いている。恐らく株の過半数を買い占めて、オーケー製作所の株主総会で子会社化を可決させたいのだろう。
「今47パーセントです。次回株主総会までに取引が完了します。因みに30パーセントはオーケー製作所の親族や現経営陣が持っています。あと8パーセントもオーケー製作所の元役員などゆかりのある人物が持っています。10パーセントはオーケー製作所の主要納品先の会社が持っています。ですからこの48パーセントは絶対に手放してもらえません」
「それで、残りの5パーセントを持っている私に行きついたわけですね?」
「いかにも。株主総会の日程はご存知ですよね?」
「もちろん」
なるほど、よく分かった。手放さない48パーセントは子会社化阻止派だ。次回株主総会は今月末。それまでに崇社長が俺の持株と合わせて52パーセントを買い占める。
けど俺にオーケー製作所からまだ何も連絡が来ていない。つまりこの崇社長の買占め工作は内密に進められている。だからまだオーケー製作所は買占めが進んでいることを知らない。知っていれば絶対に俺を取り込もうとするはずだ。
「川名君」
「はい」
崇社長に言われて川名さんは一通の封筒を俺に差し出した。その中身が俺の持株を買い付ける金額を示す提案書だとすぐにわかった。
「碧は見るな」
「なんでよ?」
不服そうに言う木田。木田親子のやり取りを聞いて、俺は木田に見えないように封筒の口から中を覗いた。中身は案の定提案書で……。
「っっっっっ!!!」
ぶーーー!!!
目が飛び出るかと思った。0がたくさん。一体、一株いくらの値を付けているのだ。もう大分仕事に慣れてきて、カンマの位置を見れば桁が一目でわかるようになった。けど間違いじゃないかと思い、一、十、百、千、万と数えてしまった。俺は封筒を閉じて崇社長に顔を上げた。
「それほどまでに収益性が見込めると?」
「ええ」
崇社長の本気度が見えた。株主総会での俺の不確かな子会社化賛成票よりも、よほど確実な過半数の株式の方がほしいのだろう。
「検討します。お返事はいつまでに?」
「決済の準備がありますので、できれば来週早々には。連絡先は私で結構です」
これには川名さんが答えた。やはりこの人美人だ。崇社長の愛人だったりするのだろうか? いかん、いかん、不躾だ。隣にその娘がいるのに、俺もだいぶ紗奈に感化されたか。
「わかりました」
「では、ここで食事の席を設けておりますので」
ん? 食事? 崇社長、俺今日同居人に夕飯いらないって言ってないのですが……。たぶんもう準備に取り掛かっているよ? 拉致じゃなくアポイントなら良かったのに。
「天地君、大丈夫よ。日下部さんには言ってあるわ」
「え?」
俺の表情を読み取ったのか木田が言う。と言うか、紗奈に言った? それはつまり、俺と紗奈が一緒に暮らしていることを知った?
「仕事終わったら夕食を一緒に食べに行く約束でもしてたんでしょ? 日下部さんがご飯どうするのか気にしてたから」
あ、そういうこと。仕事後の一杯みたいなやつをイメージしてくれていたのね。しかし俺の画像データ一つでよくそこまで話を詰めたものだ。木田もなかなかぬかりない。
「助かるよ」
それだけ返すと俺はこの席の接待を受けることにした。
「お仕事の話は以上ですので、できれば今からは学校での話を聞かせて下さい。忙しくてなかなか娘と話す時間もないので。せっかくの機会ですから」
「えぇ。私……、僕で良ければ」
少し早めの時間だが、こうして晩餐が始まった。本当に崇社長は仕事の話をほとんどせず、娘、木田碧のことを聞きたがった。崇社長は酒も入って饒舌だった。完全に父親の顔である。木田とはクラスが一緒になったことがないので、基本はサッカー部の話だが、俺はできるだけの情報を提供した。後で木田に殴られそうな内容もあったが。
ただ木田の印象も随分と変わった。ツンデレのツンしかない奴かと思っていたが、俺が父親に対してあまりにもぺらぺらしゃべるものだから、顔を真っ赤にして恥ずかしがることも多々。楽しい晩餐となった。
そして俺と木田はレストランの前で崇社長と川名さんに見送られた。
ん? 見送りがここ? 俺と木田はこのまま一緒に帰るのか?
「こっちよ」
俺のそんな疑問を知ってか知らずか木田が言った。
「は? こっちって?」
「まだ終わりじゃないわよ。ついて来なさい」
いつもの木田だ。有無を言わせない命令口調。何なんだよ。時間はもう夜の8時だぞ? 帰る気満々だったのに。
「明日の予定は?」
「家で仕事するくらかな」
「そっ」
そんな会話を交わしながらエレベーターに乗り、中層階で下りて長い廊下を歩く。ここは客室群だよな? と思いながらもとりあえず木田について行く。修学旅行や合宿でもないのに、学生服の男女二人がこんな所を歩くなんて場違いだ。
やがて木田が行きついたのは客室の中の一室。木田がカードキーを通すが、いつの間にカードキーなんて持っていたんだ? この部屋に何があるのだろうか?
「入って」
木田がドアを開けると、俺の進路を塞がないようにドアを抑えて入室を促す。今一何の用事があるのかわからないが、とりあえず従おう。
中に入るとダブルの部屋だということがわかった。木田が照明を点けていたので室内は明るい。窓際に一人掛けのソファーが2つ、対面式に据えてある。鏡台前の椅子に木田は通学鞄を置いた。
「座って」
「おう」
俺は通学鞄をソファー脇の床に置いてソファーに座った。程なくして二人分のコーヒーを淹れた木田が対面に座る。何の会談が始まるのだろう? 室内のダブルベッドがなんだか卑猥だ。とりあえず俺は目の前のテーブルに置かれたコーヒーを口に運ぶ。
「天地君は日下部さんと付き合ってるの?」
「ぶっ! あちっ!」
いきなり何を言い出すのだ、こいつは。吹いてしまったじゃないか。
「俺が? 紗奈と?」
「違うの?」
「違うよ。何をどう見たらそう思うんだよ?」
「見たまんまを見たら普通そう思うでしょ?」
そう見えるのか……知らなかった。
「じゃぁ、付き合ってる人はいるの?」
「いないよ」
「そっ」
これを最後にしばらく無言でコーヒーを啜る木田。一体何がしたいのだ? コーヒーカップをソーサに置く音と、空調の機械音だけが部屋に響く。俺は一度窓の外を見てみた。ネオンが綺麗だ。
「天地君」
「ん?」
沈黙を破るかのように木田が口を開いた。木田は真剣な表情をしている。いつものきつい表情ではない。それよりも柔らかいが、真剣であることはなんとなくわかる。木田ってこんな顔もできるのか。
「私、あなたのことが好きなの」
「……」
俺は今幻聴でも聞いているのだろうか? 木田の口からは全くもってイメージできない言葉が発せられたような気がする。
「本気よ。あなたのことが好きなの」
「え……」
二度目を言われた。しかも今度は本気だと言って。聞き間違いではなかった。どういうことだ? だから、そういうことだ。言葉のままだろ。嘘ではないのか? 木田が? 俺を? 何かの間違いだ。
「私は今日ここに泊まる。あなたも泊まってって」
「はぃぃぃぃい?」
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