18.放課後デート~陸~

 ゴールデンウィーク明け最初の金曜日。この日の帰りのホームルームが終わると俺は鞄を持って席を立った。得てして男子高生とは、早く帰りたいか、さっさと部活に行くかのどちらかがほとんどだ。ホームルームの時点では帰り支度が済んでいる。


 ガラッ


「待ってたわ。天地君」


 俺は開けた教室の扉をすぐさま閉めた。そして多数の机の間を抜けて反対側の扉に行った。


 ガラッ


「付いて来なさい」


 俺は再び扉を閉めようとした。しかし今度はレールに足を出されており閉められない。その足を確認した瞬間、腕を抱えられた。


「木田、俺は帰宅部だよ」

「知ってるわよ」


 そう、俺を待ち構えていたのはサッカー部のマネージャー、木田碧だった。俺はその木田に昇降口まで腕を抱えられたまま連行される。これ、腕を組んで歩いているみたいに見えてかなり目立つのだが。そして肘に当たる柔らかい感触。これはブレザーのせいか? それとも……。


「だから、俺は部活はやらないって」

「今日は部活じゃないわ。私、用事があるから休むって言ってあるの」

「は? そうなの?」

「ええ」


 木田が体調不良でもないのに部活を休むなんて珍しい。どうしたのだろう? サッカー部のマネージャーは木田しかおらず、かなり頼られている存在だ。普段なら一日くらい休んでも支障はないのかもしれないが、インターハイに向け都予選真っ最中の大事な時期。だからと言って俺を引っ張り回す理由はわからんが。


「マネなしでサッカー部は今日部活か?」

「それはもう手を打ってあるわ」

「手を打ってある?」

「代役を立てた」

「誰にお前の代役が務まるんだよ?」

「あなたと同じ中学出身の一年生」


 梨花か……。確かに梨花なら務まるが、その前に部員みんな梨花が気になって練習にならないだろ。そもそも今日は帰って仕事をするつもりだ。暇な月初のうちに進めておかないと、今月は中間テストもある。

 と言うかこいつ、俺の下駄箱の位置しっかり把握してやがる。何の迷いもなく俺の靴を出して、俺の上履きを片付けやがった。自分の履き替えもスムーズだし、俺の腕を取って肩には鞄を掛けて、どういう技を使っているのだ。

 いかん。感心している場合ではない。仕事だ。


「今日用事あんだよ」

「日下部さんとの用事でしょ? キャンセルしておいたわ」


 なんだとー! 確かに来客や訪問ではないが、俺の仕事の用事をキャンセルした? しかもあれほど仕事に生き生きしている紗奈がキャンセルを受け入れるなんて。ありえん。


「月原さんに携帯メッセージで代役頼んだ時にね、理由を聞かれたからあなたを拉致することを伝えたの。その時月原さんがあなたの放課後の忙しさを心配してたのよ」


 おい、拉致って。確かに言葉の通り、今俺は拉致されているよ。そして放課後は仕事だよ。


「そしたらなぜか日下部さんが昼休みに私の所に来たわ。月原さんと同じく放課後は忙しいって言ってた。けどあなたの去年の体育祭の時の画像データを携帯に送ってあげたら、あっさり引き下がったわ。用事は日下部さんが一人で済ませるそうよ。最後にゲッショだからいいですよって言ってたわ。ゲッショって何?」


 ツッコミ所が多すぎる。まず、月初が通じていないっぽいから仕事のことは知られていないだろう。紗奈は梨花から俺が拉致されることを聞いたんだな。

 それから、なぜ木田が俺の体育祭の時の画像データを持っている? 更に言うと、なぜ俺の画像データで取引が成立する?

 あと、今日は紗奈が一人で仕事を進めるのか? まぁ、仕事を始めてそろそろ一カ月。驚くほどの早さで吸収しているから、一日くらい紗奈一人に任せても大丈夫か。とりあえず、月初の説明は無視だ。


「で? 俺を拉致して何すんだよ?」

「放課後デート」

「……」


 今デートって言ったか? 木田の口からデートって言葉が出たのか? 美人ではあるものの、勉強をさぼるほどにサッカーのことしか頭にない木田から?


「とにかく何から突っ込もうか?」

「エッチね」


 木田ってこういうキャラだったのか。サッカーの話と、木田が受ける補習のためのノートの貸し借りの話しかしたことがないから知らなかった。体育会系の男子に囲まれて感化されているのか?


「それなら最初からホテルがいい?」

「……」


 下手に言葉を返したらいけないような気がする。心の中でまだ18歳未満だよってことだけ呟いておこう。て言うか、いつの間にか学校の敷地外だし。


「どこ行くつもりだよ?」

「だからホテルだって言ってるじゃない」

「冗談はいいから」

「本当よ」

「……」


 木田は表情を変えず俺を引っ張ったまま歩く。何か言えよ。


「で? どこ――」

「ホテルって言ってるでしょ?」


 俺の言葉を遮って強い口調で言う。本当なのか? 本当にホテルなのか? 俺たちは今、制服姿なんだが。


 そのまま引っ張られて着いた先は学校最寄りの駅。しかし海王の生徒が利用する出口とは反対側の出口のロータリー。ここで何をする気だ?


「こっちの出口ならうちの生徒の目につきにくいわ。さ、乗って」


 俺達が立っているのはタクシー乗り場。乗ってと言って押し込まれたのはもちろんタクシー。俺を押し込んだ木田も続いて乗り込む。全く訳がわからない。生徒の目を気にしていると言うことは、この先は人に知られてはいけないのか?


「海王プリンスホテルまで」

「かしこまりました」


 本当にホテルだ。ただ俺が想像していた種類のホテルではなかった。そして訳がわからないまま発進するタクシー。


「ラブホだとでも思った? やらしい」

「……」


 お前の下ネタの返しがそれを想像させたのだろ!


 そして走ること数十分、俺と木田はタクシーを降りて海王プリンスホテルの正面玄関に立った。


「なぁ、ここに何の用事があんだよ? タクシーの中でも全く答えてくれないし」

「いいから黙ってついて来なさい」


 命令かよ。木田らしいが。

 俺と木田はホテルマンに案内されてエレベーターに乗った。と言うか木田、ホテルの人に一度も名乗っていない。なぜホテルマンは行き先がわかるのだ? まるで顔パス案内ではないか。


 そして行きついた先は最上階のレストラン。景色が凄い。俺のマンションとどっちの方が高いだろ? ――って、間違いなくこのレストランか。

 ウェイターは丁寧な対応で店内を通す。やはりここでも木田は名乗らない。一体何者なのだ、こいつは。


 そして案内されたのは一番見晴らしのいい個室。一目で高級だとわかる。景色も内装も家具も、そしてテーブルも広い。落ち着かないぞ。俺の年収は一般的なサラリーマンよりずっと高いが、こういう場所にはあまり縁がないんだよ。


「良かった、間に合った」

「何が?」

「時間に厳しい人なのよ。もうすぐ来るわ」

「誰が?」


 するとウェイターが個室の扉を開けた。入ってきたのは40代半ばくらいの男。高級そうなスーツに身を包み、ビシッとネクタイを締めている。その脇には飛び切りの美人。20代後半くらいだろうか。スーツ姿でシャープな眼鏡を掛けている。いつぞやの紗奈の格好を思い出す。尤も紗奈は今でも週末にスーツは着るが。

 入室してきた人物を確認すると木田が素早く立ち上がった。俺もつられるように立ち上がった。何者なのだ、この部屋にいる俺以外の人たちは。


「お父さん」


 ん? お父さん? えー! この人、木田のお父さんなの?


「碧。学校帰りにご苦労さん」

「いえ。こちらが天地陸君よ」

「天地です。こんにちは」


 木田の紹介に続き、流れるように挨拶をした。これは完全に仕事で培った癖だ。


「碧の父です。娘のご学友とのことで、お世話になっております」

「いえ、こちらこそお世話になっております」


 はい、これもビジネスモードのトーク。この木田のお父さんと対面していると、隣の美人も含めて仕事の空気感が半端ないのだ。そう思っていると、木田のお父さんは名刺を差し出してきた。俺も慌ててブレザーのポケットから名刺入れを取り出し、名刺を差し出した。


「あ……」


 俺は首を90度回して木田を見た。木田は口に手を当てて笑っている。しまった。言葉遣いはビジネスモードでも、さすがに名刺はまずかった。しかし木田はなぜ笑っている?


「大丈夫よ、天地君。もう知っているわ。あなたが個人投資家だって。恐らくそのアシスタントが日下部さんかな? そして用事っていうのがお仕事かな? ゲッショって月初めの『月初』のことを言ってたんでしょ?」


 こいつ……、知らない振りをしていたのか。狸め。女狐め。と言うか、なぜ木田は俺の仕事のことを知っている? しかも内容まで。


「はっはっは。私はキダグループホールディングスの木田崇きだ・たかしです。以後お見知りおきを」

「天地事務所の天地陸です」

「こちらが私の秘書の川名です」

川名麻友かわな・まゆです。初めまして」

「天地陸です。初めまして」


 俺は木田のお父さんとその秘書の川名さんと名刺交換をした。んー、『株式会社キダグループホールディングス代表取締役社長木田崇』んー。どこかで聞いたことがあるような……。


「っっっっっ!!!」


 思い出した。寸でのところで声を抑えられて良かった。でかい持株会社じゃないか。グループ企業は機械部品メーカーやIT企業が主だ。しかもそこの社長? 木田はそこの社長令嬢? だからこんな高級ホテルも顔パス?


「どうぞお掛け下さい」


 俺が口を半開きにして名刺を凝視していると、川名さんが上品な物言いで着席を促してくれた。俺は木田に袖を引かれながら着席するも、まだ頭がついて来ない。なぜ俺がこんな場所にいる?


「すいません。突然お呼び出しをして」

「いえ」


 いや、呼ばれていない。俺はただ、あなたの娘に腕を抱えられてここに連れて来られただけだ。まぁ、ビジネスモードの席でそんな失礼なことは口にできないが。

 ん? これってやっぱりビジネスモードだよな?


「えっと、今日はどういったご用件で?」

「ん? 碧から聞いておりませんか?」

「ん?」


 俺は木田を見た。木田は一つ咳払いをすると話し始めた。


「お父さん、ごめんなさい。学校が終わってすぐに何も言わずに拉致してきました」

「……」


 はい、崇社長口あんぐりです。言葉を失っております。フォローするように川名さんが慌てて立ち上がり腰を折った。そしてすかさず言った。


「大変失礼なことを。申し訳ありません」

「いえ」

「今日は天地代表と商談をしたくてこの席を設けさせていただきました」

「商談? ……ですか?」

「はい」


 なんと本当に仕事の場であったようだ。そしてそのまま商談が始まったのである。仕事の内容は変わったが、予定通りじゃないか。

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