20.焦っているの~陸~

 高級感のあるホテルの一室。部屋にはダブルベッド。絶景の夜景を映す窓際にはシングルソファーが2つ。そこに俺と木田は対面で座っている。二人とも学校の制服姿だ。


 一度状況を整理したい。整理が終わる頃には朝になっているかもしれんが。まず木田から俺に突然の告白。信じられない気持ちはあるが、これ以上疑うのはさすがに相手が木田とは言っても失礼だ。飲み込もう。

 そして次に、いつもの命令口調でこの部屋に泊まれと言われた。いや、いつもよりは少し言葉が柔らかかったか。「泊まっていきなさい」ではなかった。とは言え、高校生。如何わしいホテルではないからすんなり通ったのだろうが、この木田のお父さんと商談をした後。

 そう、問題はここだ。崇社長にとってはまだ高校生の可愛い娘。どれだけ愛情を注いでいるかは、接待を受けた時の話でわかった。これをまず話さなくては。


「えっと、俺達高校生だぞ? それに木田社長を裏切るようなこと」

「それなら問題ないわ」


 木田は即答した。なぜ問題ないのだ? 隠れてコソコソではない。食事をしたレストランを出て真っ直ぐここに来た。崇社長がこの後どのくらいで帰宅するかは知らないが、娘が帰ってこないことを知れば、今の俺達の状況に考えが及ぶだろう。


「お父さんもこのことは知ってるから」

「は?」


 父親公認だと? まだ高校生だぞ?


「昨日の口論の原因、私があなたに特別な感情を抱いていたからなの」

「どういうことだ?」

「私の大事な人を自分の仕事に巻き込もうとしている。それが許せなかったの。相手はまだ高校生なのに」

「木田……」

「まぁ、その後の話であなたの仕事を知ったわけだけど」


 未だに現実味がない。木田からはイメージできない。サッカー部の戦力という扱いは受けていると認識していた。けどそれだけだと思っていた。しかし木田は男としても俺のことを慕ってくれていた。

 意識を変えよう。このままちゃんと話そう。そうでないと木田の気持ちに失礼だ。


「そこで私があなたを商談の席に着かせるためにお父さんに出した条件は一つ。今日あなたと夜を過ごすことを認めること。もちろん私から誘うと言ったうえで」

「社長……、お父さんはそれを認めたのか?」

「ええ。むしろあなたほどのやり手となら婚約しろとまで言ってきたわ」


 ぶー!!!


 今コーヒーを啜っていたら間違いなく木田の顔面に吹き掛けていた。

 婚約だと? いきなり話が飛び過ぎだ。


「今回の仕事がうまくいったら、お父さんは将来自分の会社にあなたを引き込みたいと考えているわ。その時は追々重役の席も用意するそうよ」

「ちょ、待て、待て。勝手に進めるな」

「まぁ、いきなりで混乱すると思うけど」

「当たり前だ!」


 落ち着こう。一度コーヒーを啜ろう。頼むからコーヒーが喉を通過するまでサプライズ発言は止めてくれよ。


「ふぅ……」


 うむ、この一口は落ち着いて飲めた。苦味が心地いい。


「あなたは将来自分で会社を開くつもりなの?」

「ん? 今の仕事を知ったらやっぱりそう思うか?」

「ええ」


 確かに経営と経済の知識が豊富になった。それこそそこらの大学生よりは自信があるから起業には有利だ。個人事務所を運営しているわけだから、これを法人に変えれば会社経営になる。

 ただまだ世間知らずなところが多々ある。尊敬する社会人達は、俺より何十年も長く生きてきて、俺の何倍もの人を見てきている。俺はまだまだ人生経験が足りない。


「それも念頭にはある。けどまだそれほど考えが及んでいるわけじゃない。もし開業するなら一度は会社員も経験して、雇用される側の気持ちだって知らなきゃなとも思うし、この先、大学や会社に入ってそこで何が見えてくるかもわからないから、今は何とも」

「そう。ちなみにあなたの仕事を知っているのは日下部さんだけ?」

「いや、学校では梨花も。この二人だけ。地元では成金って有名だけど」

「成金ではないでしょ? 家業を継ぐことは考えてるの?」


 ドキリとした。真っ先に頭に浮かんだのは妹のそらとクソじじいだ。


「そこまで知ってたのか?」

「ええ。お父さんが調べたそうよ。私が聞いたのはこれも昨日だけど。あなたのお母さんが御令嬢なんですってね?」

「……」

「いいわ。あなたの家の話は止めましょう」


 俺の表情を察知して木田が気遣ってくれた。よほど顔に出ていたのだろう。人に見せてしまったのは不覚だが、こればかりは仕方がない。崇社長はそれも知った上での商談だったから、最初から礼儀正しかったのか。納得した。


「いつから俺のことを?」

「高校入学後すぐに気になってはいたわ。中学の時、既に見掛けたことはあったから存在を認識してはいたし。けど私はそれが恋愛感情だと気づいていなかった。去年、当時三年のサッカー部の先輩と付き合っていたことがあるの」

「そうだったのか?」

「ええ。それなりに人気のある人で、相手から言われて、流されるままに付き合って、私もそれがいけなかったと思う。その時に気づいたわ。私の心にいる人はこの人じゃないって。結局一カ月ほどの交際で私から別れを切り出した」


 木田にも彼氏がいた時期があったのか。木田は美人だし納得はできるが。そして自分のことを隠さず話すあたり、木田の誠意が見て取れる。木田にとっては俺からの高感度を落しかねない話だから。


「私二年になってから焦っているの」

「何に?」

「日下部さんと月原さんの存在に」


 これまたドキリとした。紗奈はともかく梨花は俺の意中の相手だ。目が泳ぎそうになるのを必死で堪える。


「天地君と二人の付き合いの長さも、月原さんから聞いて知ってる。けど、二人にも渡したくない。一年の時はあぐらをかいてた。けど二年になってあれほど容姿に恵まれた二人が入学してきて、しかも天地君と親しい。そりゃ、焦るわよ」

「そうだったのか……」

「私はずっと部活ばかりで、なかなか遊ぶ時間は取れない。だから部活を引退するまでこの気持ちは封印するつもりでいた。けど二年になって焦って……。そしたら今日の話よ? 発想を変えたらチャンスだと思った。こんな時しか行動に移す時間がないから。腹黒いと思ってくれて構わない。計算高いと思ってくれて構わない。私は既成事実を作ってあなたの彼女になる」

「え、ちょ……」


 木田はそう言うと徐に立ち上がり、そして俺を真っ直ぐに見たまま寄って来る。目は真剣だ。木田の気持ちはよくわかった。腹黒いとか計算高いとかそんなことは考えない。木田の気持ちに失礼がないように、俺もちゃんと自分の気持ちを伝える。それだけだ。


「ちょっと落ち着け。俺は……んんっ……!」


 いきなり口を塞がれた。もちろん木田に。

 ん? どうやって俺の口を塞いでいる? 梨花が紗奈にするみたいに手で塞いでいるのか? いや、違う。木田の両手は俺の頬をホールドしている。目の前には目を閉じた木田の顔があり、かなり近い。そして唇にやわらかい感触。


「ごちゃごちゃうるさい」


 俺から顔を離すと木田は言った。実に木田らしい言葉だ。けど木田の頬は紅潮していて、木田ってこんなしおらしい表情もできるのかと見惚れる。俺は木田から目が離せない。木田は腰を屈め、座った状態の俺の頬を包んだままだ。そうか、俺は今木田にキスをされたのか。


「んんっ……!」


 更に木田の追い討ち。俺の唇を自分の唇で噛んで、舌を入れてくる。俺の口の中で二人の舌が絡まる。


 やばい、気持ちいい……。


 頭がぼうっとしてきた。目を開けていられない。だめだ。目を閉じると口の中の感触がより敏感になる。俺の両手は本能のままに木田の腰をそっと掴む。するとまた木田が離れた。さっきよりも頬は紅潮し、表情のしおらしさが増している。


「ブレザー貸して」


 木田は俺を立ち上がらせるとブレザーを脱がせ、クロークのハンガーに掛けにいった。俺は突っ立ったままその様子をぼうっと眺めていた。木田は自分もブレザーを脱ぎハンガーに掛けたようだ。リボンも外している。


「来て」


 再び俺の横まで戻って来た木田は俺の手を取った。そして俺をベッドに寝かせた。木田は俺の上に跨り肘を伸ばして俺を見下ろす。下から見上げた木田の表情。なんて顔をするのだ。恥じらいと色気の両方を兼ね備えた表情。これほどまでに心惹かれるのか。


「天地くん……」


 一度名前を呼ぶと木田は俺に幾多のキスを投下した。顔中に、そして首に。木田の唇の感触が俺の興奮を掻き立てる。木田は俺の口の中に侵入しながら、器用に片手で俺のネクタイを緩めた。慣れているようだ。


 梨花……。紗奈……。


 バッ!


 俺ははっとなった。頭の中に浮かんだ二人の顔をきっかけに。そして気づけば木田と体勢を入れ替え、木田を見下ろしていた。木田の顔の脇に両手付き、肘を突っ張っている。木田の恥じらいの表情が儚げな表情に変わっていた。俺は目を強く瞑った。そして言った。


「ご、めん……」


 ただただ短くそれだけを言った。木田の表情が見られない。途中まで木田の色気に流された。最低だ。俺は最低最悪の男だ。

 すると頬を包む優しい感触。俺は恐る恐る目を開けた。木田が両手でそっと俺の顔を包み込んでいた。最初にキスをされた時とは違い温かみがある。木田はすごく優しい表情をしている。しかし悲しげだ。


「そんな顔をしないで」

「……」


 言葉がない。言葉が出ないのだ。俺は今絶対に木田を傷つけている。


「あなたの心には他の人がいるのでしょう?」

「……」

「もしかしたら一人ではないのかもしれないけど」

「……」


 一人……のはずだが。梨花だけのはずなんだが。けど、俺の理性が働くきっかけとなった時、同時に頭に浮かんだのはもう一人……なんで紗奈まで。今の状況も合わせて頭が混乱している。何も考えが及ばない。


「お父さんにはうまく言っておくわ。だからそれは気にしないで。どうしても今日中に終わらせなきゃいけない仕事があるから帰った、とか」

「……」


 こんなに最低なことをしたのに、木田はまだ俺を気遣ってくれるのか。こんなにできた奴だったのか。俺なんかには絶対にもったいない。

 俺はそっと木田から離れた。そして一度自分を落ち着かせようとベッドの淵に座った。背中越しに木田が体を起こしたのを感じる。木田は今何を思っているのだろう?


 俺には今、彼女はいない。だから相手がいない人と関係を持つことは誰に文句を言われることでもない。そう思っている。しかし、それは体だけの関係だと割り切った場合だ。

 俺には今、好きな人がいる。だから木田の気持ちには応えられない。気持ちを求め合うセックスは絶対にできない。好きな人がいる俺の気持ちさえも裏切ることになる。それが俺の価値観だ。


 この後、少しの時間だけ俺は木田と過ごした。無理して作った笑顔に、無理して繋いだ雑談で。少しでも気まずさを解消したかったのだが、これがなかなか難しい。

 そして、俺はこの部屋を後にした。ドアが閉まる直前に聞こえた微かな木田の嗚咽。それがずっと耳から離れなかった。

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