11.挫折の理由~陸~

 俺と紗奈と愁斗はゲームが終わると一斉に梨花へ顰蹙の目を向ける。しかし、梨花はあの満面の笑みでこれを躱す。俺と愁斗は言わずもがな、紗奈までこれに撃沈。なぜだ? なぜ紗奈まで? そこへ木田が寄ってきた。


「お疲れ様。さすがね、4人とも」


 プレーをした3人に言うならともかく、梨花に対する労いまで入ってやがる。梨花を相手チームに入れたのは木田だな。


「4人とも入部決定ね」

「はい」


 勝手に返事をするな、愁斗。そもそもお前は入学前から入部するつもりだろ。第一、俺と梨花はともかく、紗奈は女子選手だ。


「選手2人に、マネが1人と、トレーニングパートナー兼マネね」


 紗奈が勝手にトレーニングパートナー兼マネージャーになっている。やはり、木田、侮れん。これ以上勝手に話を進められても困るので、そろそろここで一言。


「今日のは人数合わせ。入部はしないよ」

「だめよ」


 人の話を聞けよ。即答で拒否するのは止めろよ。心が折れそうになるから。


「すいません、木田先輩。私も今日は人数合わせってことで」

「あら。残念ね」


 女子部がないから紗奈に対してはあっさり引きやがる。


「あたしもごめんなさい」

「あなたは一番だめよ」


 でしょうね。梨花のあの敏腕采配を見たら絶対に放しませんよね。


「試合前、相手チームのスカウティングならお手伝いします。けど、正式部員のマネージャーはごめんなさい」

「いいわ。それで手を打ちましょう」


 どんな商談だよ。て言うか本題は俺だよ、俺。ということで、追加で一言。


「俺は無理だぞ」

「ではもうすぐインターハイ予選があるから、うちのチームの試合DVDは渡しておくわ。月原さん、しっかり見て選手特性を把握しておいて。相手チームのDVDも上がり次第渡すから」

「わかりました」


 俺の話を聞けって。無視するな。


「よぉ、天地。元気そうだな」


 そこへ割り込む声。その方向へ目を向けるとそこには初老の男が立っていた。


大嶺おおみね監督。こんにちは」


 そう、この人は海王高校サッカー部の監督である。今までスポーツ推薦を受け付けてこなかった海王高校。そのサッカー部が強豪になったのはすべてこの大嶺監督の手腕である。

 大嶺監督の指導を乞うべく都内の有望選手が毎年こぞって入学する。愁斗がそうであるように、時には他県からの入学もある。高校サッカー界では大御所で、知る人ぞ知る名将なのである。


「監督、練習試合に行ってらしたのでは?」

「あぁ。遠視用のメガネを持っていくつもりが、間違えて近視用のメガネを持って行ってしまってな。どうせベンチから試合見えないからコーチに任せて帰ってきた。はっはっは」

「……」


 そう、こういう抜けたとこがあるおっさんだ。これさえなければ完璧なのに。


「天地、大野。しっかりゲーム見せてもらったぞ。さすがだな」


 あなたにさすがと言われるとかなり恐縮なのだが。愁斗も同様の反応を示す。


「いえ、二本目は4失点してしまいましたし」

「しかしフリーで打たれた枠内シュートが12本だろ? それを4失点とは。PK12本打たれて8本止めたに匹敵するぞ」


 数えていたのか、恐れ入る。


「それに正式部員じゃなくとも、名参謀も加わってくれるとは心強い」


 梨花のことか。大嶺監督に視線を向けられ梨花は照れて俯いた。ちなみに「名参謀も」ではなくて「名参謀が」だよ、監督。俺は入部しないから。


「ところでうちには女子サッカー部はないが、日下部君はどうするつもりだ? クラブチームか?」

「いえ、高校からはサッカーをしません」

「なんと。もったいない。都内のクラブチームいくつか紹介してやるぞ? 懇意にしている指導者も何人かいるしな」

「ありがとうございます。けど、他にやりたいことがあるので」

「ほぉ。ではその道を応援しなくてはいかんな。もったいないは失礼だった。詫びよう」

「いえ、とんでもない。心遣いありがとうございます」


 そうだ、紗奈はサッカーではない他の道を見ているのだった。それって何なのだろう?

 ともあれ俺はこの後、木田と大嶺監督と、入部する、入部しない、の押し問答を経て校庭を後にした。結局入部しないと言い逃げをして去ったのだが。


 望まない体験入部をした俺と、自ら体験入部をしたサナリーは、一通り見学を終え、柏木と合流して帰路に就いた。柏木も途中の駅まで同じ方向と言うことで、4人で学校から帰ったわけだ。柏木は演劇部の入部を即決したらしく、すぐに正式活動が始まるとのこと。ぜひとも頑張ってほしい。




 この日の晩、俺は夕食と風呂を済ませ、書斎で仕事をしていた。すとる「コンコン」とドアをノックする音が聞こえた。入室を促すと入ってきたのは紗奈だった。


「仕事中にごめんね。今いい?」

「うん。どうした?」


 書斎には俺の執務デスクがあり、その背面に本棚、複合機が置かれている。更に、俺の寝室とサナリーの個室同様、側面にはクローゼットがある。執務デスクの正面には一人掛けのソファーが応接テーブルを挟んで対面に2脚あり、俺はそこに紗奈を座らせて対談した。


「陸先輩がサッカーを続けない理由ってお仕事が理由?」

「うん、まぁ。強豪校で活動しちゃうとかなり時間が拘束されちゃうから。仕事に支障が出るのは間違いないね。別の高校でもたぶんやってないと思うけど」

「そのお仕事ってのことも関係あるよね?」


 ここでの名前が出てくるか。鋭いな。


「まぁ、なくはないとだけ言っておく」

「そっか。そういう言い方なら今は深くは聞かない。追々ね」


 ありがたい。紗奈や梨花なら信頼関係があるので話してもいい相手だとは思う。けどまだ心の整理も、物理的な準備もできていない。今はそっとしておいてほしい。


「私がね、サッカーを続けない理由なんだけど……」

「うん」


 突然切り出してきて俺に緊張が走った。紗奈が畏まっている。


「肺に欠陥が見つかっちゃって」

「え……」


 肺に欠陥? 聞き間違いか? 一気に絶望の波が襲ってきた。


「あ、そんな深刻そうな顔しないで。日常生活に支障はないし、普段から通院や投薬しなきゃいけないものでもないの。たまに咳き込むからその発作が出た時だけ薬飲めば大丈夫だから。ただ長時間の激しい運動はできなくて。今日は軽く流してたから良かったんだけど」

「いや……、だって……」


 今日一緒にプレーをしていて全く気がつかなかった。むしろ衰えを知らず、成長したなと感心したくらいだ。しかしだからこそ紗奈がやると言った時、梨花が心配していたのか。て言うか、あれで軽く流していたのか?


「いつわかったんだ?」

「中三の冬。年末くらいかな」


 初めて俺の家に来たのが正月過ぎ。その時にはもう知っていたのか。


「その頃、東京に出てくる考えはもう持ってたの。東京ではクラブチームでやりたいなって考えてて。それでコンディション維持のため、自主トレは続けてたんだけど、その時に発作が起きちゃって。病院に行ったら発覚」


 紗奈は努めて明るく言う。しかしその笑顔が痛々しく、切ない気持ちになる。


「それまで全く知らなかったのか?」

「うん。小児喘息とかも経験してないから本当にびっくりだった」


 いや、びっくりでは済まされないだろ。絶望しただろう。体の変調ではないが、俺もサッカーを諦めた身。気持ちは痛いほどわかる。

 しかし一つわかった。紗奈が3月に梨花と押しかけて来た時、「クラブチームでも、フットサルでも」と言っていたのは、俺を心配させないために吐いた嘘だったのか。


「けどね、私にはサッカー以外に興味あることがあるの」

「そう、それが気になってたんだよ」

「まぁ、現役でサッカーやってた頃から……、って言うか、陸先輩が東京に出てからずっと気になってはいたことなんだけど」

「なんだ?」


 俺が東京に出てから? 俺の上京と何か関係があるのか?


「陸先輩のお仕事」

「ん? 俺の仕事?」

「うん。もし迷惑じゃなかったらなんだけど、私もお手伝いしたいなぁって」


 ん? 俺の仕事を? 紗奈が? 手伝う? 考え込む俺を見て紗奈が慌てて言葉を繋いだ。


「あ、あの、私、今の段階で全く経験も知識もないから絶対足手まといになっちゃうと思うんだけど。ただ経済の勉強になるし、それに頑張って早く戦力になるから、そうすればのことも……」


 どうやら色々と気に掛けてくれているようだ。そして恐らく俺の事情も知っている。俺がこっちに出てきてから聞いたのだろう。


「ダメ……かな?」


 紗奈が遠慮がちに聞いてくる。ダメ……なのか? いや、ダメではない。しかし、高校生がやるには厳しい世界だ。うむ、そのことは言っておこう。


「社会人マナーから覚えなきゃいけないよ?」

「うん。頑張る」

「俺だって未だに所詮高校生だって舐められてる。俺は偏見を持ってないから本当は言いたくはないけど、女性蔑視の人だってたくさんいる。紗奈の場合は女ってことで余計に舐められることもある」

「大丈夫。メンタルなら自信があるから」


 紗奈の目は真剣で、強い意志を感じられる。任せても大丈夫だろうか? 精神力が強いことは知っているが、本当にもつだろうか。


「今までどれだけ体当たりして躱されても、未だにくじけてないもん」


 何のことだ? よくわからんが、とにかくメンタルには絶対の自信があるのだろう。大丈夫そうだ。


「わかった。手伝って」

「本当? いいの?」

「うん」

「やったー!」


 紗奈が満面の笑みで喜びを表現する。これほどまでに俺の仕事を手伝いたいと思っていたのかと実感でき、その気持ちが嬉しく思う。


「給料は時間制でいいか?」

「ん? 給料はいらないよ?」

「は? それはダメだろ。労働なんだから」


 そうだよ、雇用ってことになるのだから。個人事業とは言え、報酬は払わなくてはならない。それこそ美鈴さんを家政婦として雇っていた時のように。


「安く住まわせてもらってるし、それに私の勉強のためだもん。お金もらうなんてそんなおこがましい」

「いやいや、それは……」

「それなら私の給料は生活費に充てといてよ。そもそも安くしてくれてんだから。収入があるならそれなりにお金を入れるのがマナーでしょ?」

「けど、それでも多すぎだろ?」

「梨花と二人分ってことで。梨花が仕送り額を私に合わせてくれたことに後ろめたさを感じてたんだよ。それで対等になる」


 まぁ、そのおかげで、二人合わせても東京じゃ生きていけないほどの仕送り額になったわけだが。


「うーん、わかった。下宿代に充てておく」

「生活費の話は梨花には内緒にしておいてね。気にするから」

「わかった」


 いや、わからん。生活費じゃなくて下宿代だって言ってるのに。


「ん? 待てよ。これってバイトになるんじゃないか?」

「先輩のお仕事に関することは、同棲生活決まり事からは全部免責だよ。梨花もそのつもりだから」


 何と都合のいい解釈だ。ともあれ紗奈が俺の仕事を手伝ってくれることになった。紗奈は要領いいし、大事に育てれば俺にとっても助かるのではないだろうか。

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