8.聞けないこと~紗奈~

 湯船の中で今日一日を振り返ってみる。入学式があり、高校最初の友達ができ、買い物に行って、そこで陸先輩の同級生と仲良くなった。一番印象に残っているのは先ほど自宅でやってもらった私と梨花の歓迎会。

 帰り道で……と言っても帰るふりの道中でだが、成宮先輩と湯本先輩がしつこく家まで送ると言うので、それを躱すのは大変だった。茜先輩と由香里先輩が二人を連行するように駅まで引っ張って行ってくれたので助かったが。いや、印象に残っているのはそこではなくて。


「陸先輩、童貞なんだ……」


 陸先輩の女性関係の話題があった。私はそれに食いつかずにいられなかった。彼女はいないし、いたこともないと言っていたのに、湯本先輩から陸先輩は童貞ではないとの発言があって私は衝撃を受けた。しかし結果は童貞。元々が見栄を張った陸先輩の嘘だった。


「もし陸先輩が経験ある男の子なら、私の初体験の時は優しくリードしてくれるかな。ぶくぶくぶく……」


 いかん、顔がにやける。陸先輩に経験はないのに。本人がそう認めたのに。


 ただ、しかし。仮に陸先輩が経験者だとするならば、私が陸先輩を好きだったこの3年の間に経験した可能性が高い。私が陸先輩を好きになってから、陸先輩に他の女の影があったなんて、そんな事実は絶対に受け入れられない。

 陸先輩となら私の初体験は同士でいい。むしろ陸先輩は私しか女を知らなくていい。私と経験するまでそのまま童貞でいていいのだ。


 4月に入ってすぐの頃。つまり家政婦の不知火美鈴さんが辞めてすぐの頃……再婚したと言っていたから今は高山美鈴さんか。梨花が陸先輩を揶揄うように聞いたことがある。


「家政婦とご主人様の男女関係ってどうだったの?」


 これに対して陸先輩はと言うと。


「朝の時間に少しと、夕方から夜にかけて少しの時間しか顔を合わせないから、そういうのは存在しない。俺の学校が休みの日は長男の幼稚園も休みだから出勤しないし。AVの見すぎだ」


 なんて言っていた。これを聞いて私は安心したのを覚えている。心のどこかに家政婦との関係を不安視する気持ちはあったのだろう。


 入浴剤を入れていないお湯の中。私は自分の体を見てみる。胸はDカップ。足もウェストも太くはないはず。梨花ほど可愛くはないが、スタイルはそれなりだと思う。まぁ、容姿を梨花と比べたところで天と地ほどの差があるから悲しくなるが。

 中学の時、修学旅行でクラスの女の子が言っていた。自分のお股を刺激すると快感を得られるのだと。本当だろうか? 怖くて直接触ったことがない。けど、ほんの少しだけ興味がある。


 お湯の中でそっとお股に手を伸ばしてみる。


 バチャッ!


 私は寸前で手を引いた。やっぱりだめだ、怖くて触れない。梨花はそういうことをしているのだろうか?


 梨花とは親友と呼べるほど仲良くしている。けど私達の中で性の話題は皆無だ。それどころか恋愛の話もあまりしない。もし梨花の口から陸先輩の名前が上がったらと思うと、怖くて聞けないというのが本音だ。唯一知っているのは、お互いに彼氏いない歴が年齢ということだけ。

 梨花はもう性に目覚めているのだろうか。もしかして私の知らないところで経験しているとか? いや、それはないか。梨花の好きな人は恐らく陸先輩。陸先輩は童貞だと言っていた。それなら必然的に梨花だって処女だ。


「ふぅ、上がろ」


 これ以上入っているとのぼせそうだし、なんだか気分が悶々としてきた。私はお風呂を出ることにした。このすっきりしない気持ちは陸先輩にくっついて解消しよう。


 脱衣所で体を拭き終わると、私はパジャマに身を包むもノーブラだ。陸先輩は私のスキンシップからいつも逃げるし、梨花は邪魔するし。しっかり密着できればノーブラをアピールすることはできるのに。何なら胸くらい触らせてあげるのに。それこそ生でも……。たぶんだけど……。


 私は脱衣所を出ると真っ直ぐリビングに向かった。陸先輩の温もりを感じたい。絶対スキンシップしてやる。その気持ちから勢いよくリビングのドアを開けた。


 バッ


 ――え? 今何してた?


 私の目に写ったのはリビングのソファーに座る陸先輩と梨花。私がドアを開けたなり梨花が慌てて離れたのだ。今までこの二人、絶対にくっついていた。


「あ、風呂空いたぁ。入ってこようっと」


 陸先輩は何もなかったかのように、気まずそうな、気恥ずかしそうな表情すらも一切見せずに私の脇を抜けていった。むしろ今ソファーに残っている梨花の方が気まずそうな顔をしている。

 私は梨花の隣に腰を下ろした。さっきまで二人は何をしていたのだろう? 気になる。気になったことは聞かずにはいられない。よし、聞こう。


「何してたの?」

「ん? 何って?」


 梨花はすでにいつもの梨花に戻っている。照れや気まずさと言った雰囲気は感じられない。


「今陸先輩と」

「あぁ。お話をちょっと」


 お話って何だろう? 密着していたよね?


「くっついて、た……?」

「は? そんなわけないじゃん」


「何馬鹿ことを」と続かんばかりの言い方だ。安心していいのだろうか? けど梨花はたぶん陸先輩のことが好きなのだと思うのだが。私がオープンにアタックをするものだから、もしかして梨花は人目に付かないところでアタックをしているのだろうか?


 すると梨花が私の頬を両手で包んだ。顎から首に掛けて梨花の手の温もりを感じる。だから頬と言っても下の方に触れている。

 梨花は真っ直ぐに私の目を見る。こんなに可愛い子に見つめられるとドキドキするのは、いつも近くにいる私の特権かな? 世の男子はさぞ羨ましいだろう。


「あたしはね、ずっと紗奈のこと見てきたから、紗奈がどれだけ陸先輩のこと好きなのかは知ってるよ」


 そう梨花は切り出した。梨花に直接陸先輩のことが好きだと言ったことはない。それでも私の行動を見ていればはっきりわかるだろう。知っていて当然だと思う。人前では梨花の前だけでしか猛アタックはしないけど。


「あたしは絶対に紗奈を裏切るようなことだけはしない。だから安心して」


 梨花のその言葉がすっと心の中に下りてきた。それこそ微塵の疑いもなく。たぶん見間違いではない、さっき二人の距離が近かったことは。けどそれは誤解こそ生めども、深い意味はない。そんな梨花の心情が読み取れた。


「うん、ありがとう」


 私はそっと梨花の手に自分の手を添えた。梨花の手の温もりが心地いい。

 ただこうなると腑に落ちないことが一つある。梨花は、私を裏切るようなことはしない、と言った。それはつまり私の恋の行方を見守っているということなのか? つまり陸先輩のことが好きではない? それとも好きだけど自分は身を引いている?


「ねぇ、梨花?」

「ん?」


 梨花は私の頬に手を添えたまま優しく微笑みかけてくれる。


「さっきご飯の時に言ってた梨花の好きな人って誰?」

「ふふ。それはなーいしょ」

「ぶー」

「膨れないでよ」


 梨花が困ったように笑う。私は子供のように拗ねてみせたのだ。


 梨花はいつも私の恋路の邪魔をしていると思っていた。だから梨花も陸先輩のことが好きなのだと思っていた。けど私を裏切らないと言った。そしてその梨花には好きな人がいる。これほどまでに絶世の美少女の梨花に。

 梨花に好きになられた人って誰なのだろう? やっぱり陸先輩ではないのだろうか? 梨花の周囲に親しい男子と言ったら陸先輩くらいしかいないのだから。それならばやはり身を引いているのだろうか?


 核心に迫りたい。梨花の好きな人は陸先輩なの? 気になる。気になったことは聞かずにはいられない。けど、この質問だけは口から出てこない。怖くて聞けないのだ。


 この後梨花が話題を変えた。恋愛話ではない、何でもない雑談だ。結局私に残ったのは今までと一緒。梨花は陸先輩のことが好きなのだろう。私が陸先輩とくっつくのを邪魔するから。それに梨花の周囲には陸先輩しか親しい男子がいないから。

 けど梨花は絶対に私を裏切らない。これは親友としての発言だろう。もし正々堂々陸先輩を取り合うならそれは仕方がない。梨花は強敵過ぎるし、負ければ私はひどく落ち込む。けど納得はできる。ただ少なくとも今の梨花にはその気持ちがない。


 結論として私達三人の関係は変わらない。変わらないと言うことは私と陸先輩が進まないことも意味するので悲しくなるが。ただ、一つ。今この楽しい三人での生活は続けていいのだ。




 翌朝、私は起きるとまず顔を洗った。そして行く先は陸先輩の寝室。陸先輩の温もりの中に私も入りたい。


 私はそっと陸先輩の寝室のドアを開ける。かすかに聞こえる陸先輩の寝息。昨日見た陸先輩の寝顔はすごく可愛かったな。今日もそれを一度拝んでベッドに潜り込もう。途中で陸先輩が起きてしまったら、そこから先の行動は陸先輩に身を委ねようか? やんっ。


 徐々に露わになる陸先輩の寝室。大きな窓。そして腕を組んで仁王立ちしているパジャマ姿の女の子。


 ん? 女の子?


「紗奈、おはよう」

「あ、梨花。おはよう。早いね。あはは」


 梨花は寝室の中のドアの前で満面の笑みを浮かべている。


「あはは」


 私は苦笑いしか返せない。普段なら梨花の満面の笑みは天使のようで、どんな男子でもイチコロなのに。この朝の私には恐怖しか感じない。


「さ! 紗奈はご飯作らなきゃだよね? 行こ?」

「あはは」


 梨花に背中を押されて寝室を出た私。いや、入れてもいないのだから出たと言うのは違うか。そのまま私は梨花にキッチンまで連行された。


「はぁぁぁ」


 梨花は顔を洗いに行っている。私は朝食の準備。そして出る深いため息。梨花が行く手を阻んだおかげで、陸先輩の温もりを感じることができなかった。不完全燃焼だ、ちくしょう。

 まぁ、いい。二人がこれから食べる朝食を張り切って作ろう。今日からお弁当も始まるから、そのために早く起きたのだ。いや、早起きは陸先輩のベッドに潜り込むためか。


「「「いただきまーす」」」


 できた朝食に陸先輩と梨花が箸をつける。陸先輩がまだ眠そうなのは、昨晩遅くまで仕事をしていたからだ。学校が始まると夜に仕事をするから大変だ。


「おいしい」

「うん、うまい」


 これだ。二人の口からこれが聞きたかったのだ。二人は一口目を口にすると必ず言ってくれる。本当に作り甲斐がある。いつもこれを聞いてから私も箸をつけるのだ。


 更に陸先輩は、梨花が掃除をしたり、洗濯物を畳んで渡したりすると必ず「今日も綺麗にありがとう」と声を掛ける。もちろん私も梨花に言っている。もう三人での生活が始まって2週間だが、陸先輩は私と梨花に労いの言葉を毎日毎回欠かさず言ってくれる。

 自然にしているのか、意識的にしているのか。どちらだとしても私達に対する敬意の表れなので本当に嬉しい。一緒に暮らし始めてから好きになった陸先輩の一面だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る