5.入学式~梨花~

 彼女は物心ついた時からずっとあたしと一緒にいた。子供の頃は、子供心ながらに一生この子と一緒にいるのだと思っていた。それはあたしの大親友、日下部紗奈だ。そう、紗奈にとってあたしは親友なのだ。

 紗奈とは家が近所で徒歩3分ほどの距離だ。幼馴染で家族ぐるみの付き合いもある。お母さん同士がママ友なのである。


 紗奈は活発で、小さい時から運動が好きな女の子だった。同年代の男子とまだ体力差がなかった頃は、誰にも負けないくらい運動神経が良かった。本人もその自負があったのだろう、根っからの負けず嫌いだ。


 紗奈は小学校の高学年に上がる頃、地域のサッカークラブに所属した。近所のお姉ちゃんの所属していたクラブで、そのお姉ちゃんの影響だ。あたしはプレーをするわけではないが、紗奈の練習や試合には毎回ついて行った。とにかく片時も離れず紗奈と一緒にいることが当たり前だと思っていたが故の行動だ。


 中学に上がると女子サッカー部があった。紗奈は迷わず入部を決めた。あたしは紗奈と同じ部活に所属したい気持ちからマネージャーとして入部した。それを紗奈が喜んでくれたことがあたしは嬉しかった。

 しかし紗奈は入部早々上級生からのいじめにあった。私物を隠されたり、私物にいたずらをされたりがほとんどだった。部活後あたしは、紗奈に慰めの言葉を掛けることしかできなかった。


 するとそんな紗奈に転機が訪れた。一学年上の陸先輩と部活後に居残り練習をするようになったのだ。学校が閉まるぎりぎりの時間までいつも二人は練習をした。あたしはその二人の姿をいつも微笑ましく見ていた。そして終わるのを待ち、三人で一緒に帰った。


 居残り練習当初こそいじめがなくなったが、そのいじめは徐々に復活しつつあった。けどそんな時、陸先輩が紗奈のいじめを躱すために、紗奈を居残り練習に誘ったのだと、あたしと紗奈は知った。

 紗奈は泣いていた。どんなにいじめを受けても我慢強く耐えてきた紗奈が、陸先輩のその心遣いを知って初めて泣いたのだ。あたしも知った瞬間は嬉しかった。それから今まであたしから陸先輩への敬意は変わらない。


 それでもだ。それでも受け入れられない事実があった。陸先輩の紗奈に対する心遣いを知った日の、二人の居残り練習を見ていたあたしは気づいてしまった。紗奈の純粋無垢な笑顔を見て。


 紗奈は陸先輩に恋をした……。


 二人からは少し距離の離れた場所で見守っていたあたしは、声も上げず、嗚咽も漏らさず、ただただ涙を流した。その時更に気づいたのだ。


 あたしは紗奈に恋をしていた……。


 そう、紗奈とずっと一緒にいることが当たり前だと思っていた気持ちは恋だったのだ。あたしは小さい子供の頃からずっと紗奈のことが好きだった。しかも恋愛感情で。それに気づいてしまったのだ。

 今あたしの視線の先にいる紗奈の笑顔は陸先輩に向けたもの。あたしの涙は陸先輩に対する嫉妬だった。あたしはいじめから紗奈の心を救えなかった。しかし陸先輩にはそれができた。無力なあたしが情けなかった。そして紗奈は多数派であたしは少数派なのだと痛感した。


 そうかと言ってあたしは陸先輩のことを嫌いになることができなかった。恋愛感情ではないが、陸先輩のことが好きだ。紗奈との居残り練習をずっと見てきて、三人でいつも下校した。紗奈をいじめから救ってくれた尊敬できる大事な先輩なのだ。


 その日の居残り練習以降、紗奈は陸先輩に対して積極的になった。普段は寄って来る男子をことごとく蹴散らす紗奈が、陸先輩に対しては密着するようなスキンシップを取ろうとするのだ。

 あたしはそれを見ていてまずいと思った。紗奈が陸先輩とくっついてしまうことにとてつもなく焦りを感じた。それ故にできたあたしの役回りが、過剰なスキンシップを取ろうとする紗奈を咎めることだった。とことんまで紗奈の陸先輩に対する猛アタックを邪魔した。


 しかし紗奈はあたしの想像の遥か斜め上を行く行動を起こす。


 陸先輩が中学卒業と同時に上京した。すると紗奈は自分も高校は東京の高校に通うと言い出した。


 そこまでするか……。


 ここまでくるとあたしも引くに引けなくなった。紗奈と絶対に離れたくない。その気持ちからあたしも紗奈と一緒に東京に行く決心をした。あたしと紗奈は数カ月の親の説得を経てやっと東京の高校を受験する許可を得ることができた。しかも陸先輩が通う海王高校だ。


 結果は無事二人とも合格。それなりの進学校だが、あたしも紗奈も勉強は苦手ではなかったので問題はなかった。


 しかし次なる問題は東京での生活拠点である。あたしと紗奈の両親から出された上京の条件は、あたし達二人の共同生活。そして仕送りは十分ではない。それならば都合よく逆転の発想をと、あたしと紗奈は半ば強制的に陸先輩に同棲を受け入れさせた。

 親への設定としてはあたしと紗奈二人のルームシェアということになっている。まぁ、受験前から陸先輩の家に転がり込むつもりだったことは内緒だが。


 こうして始まった三人での共同生活。まだ春休みの間しか経験していないが、とても楽しく充実している。しかし紗奈の陸先輩への猛アタックは衰えることを知らず、目が離せない。

 密着するようなスキンシップは当たり前。挙句の果てには陸先輩の入浴中にお風呂に押し入る始末。紗奈はタンクトップにショートパンツ姿だったが。ただ、あの時の陸先輩の固まった顔は今でも思い出すと笑えてくる。


 そして今日は海王高校の入学式。紗奈は朝からやってくれた。なんと陸先輩の寝床に潜り込んだのである。ぶっちゃけそれ、あたしにやってほしい。

 小中学生の時からお互いの家にお泊りに行き来することはよくあったし、一緒のベッドで寝たことだって何度もある。しかし紗奈があたしに下心を持っていないことは知っている。あたしも紗奈に女として見てもらいたいのだ。友達としてではなく、一人の女として、恋愛や性の対象として。


 陸先輩は尊敬する大好きな先輩だが、絶対に紗奈を渡したくない。紗奈は間違いなく性的多数派である。少数派のあたしにとっては陸先輩に対して大きなビハインドを負っている。正直厳しい。自信はない。けど後悔はしたくないので、できるだけのことはしたいのだ。


 入学式のこの日、真新しい制服に身を包みあたしは登校した。クラスは一年一組。紗奈は三組なので別れてしまった。あとでクラス決定をした先生を割り出し、何かしら制裁を加えてやろうと思う。


 冗談だが……。


 教室に入って大人しく席で座っていると徐々に騒がしくなる廊下。多くの人だかりができている。ほぼ男子生徒だ。考えたくはないが、目当てはあたしだろう。


「はぁ、またか……」


 あたしには中学に上がった頃から何かと男子が寄って来る。中学の時は紗奈が盾になり庇ってくれた。あたしにはそれが頼もしかった。紗奈に守ってもらっているのだという優越感があった。

 しかし入学式早々、高校でも同じことの繰り返しかと思うとさすがにうんざりする。あたしは同性愛者なのだ。男子への恋愛や性への興味は全くない。あたしを振り向かせたいのであれば、女の格好をし、女の体になって、そして紗奈より可愛くなってもらいたい。無理だろうが。


 では女の子が寄って来たのならばどうだろう。恐らく紗奈以上にときめくことはないと思う。あたしにとって紗奈は唯一絶対の存在なのだ。紗奈以上に可愛いと思える女の子はこの世にいない。


 始業時間までまだ余裕があったので、あたしは紗奈の教室に遊びに行こうと思い席を立った。廊下に出ると舐めまわすようにあたしを見る男子生徒。正直、気持ち悪い。中には女子生徒もいる。さすがに女子の目は気持ち悪くないが、ときめかない。


 人だかりをかいくぐり廊下から紗奈がいる三組の教室を向いてみる。


「……」


 あぁ……、紗奈もか……。


 人だかりのない二組の教室を経て、三組にも人だかりができている。けど私の一組の教室よりも少ない。昔からこれが理解できなかった。絶対あたしより紗奈の方が女として魅力的だ。それなのになぜ?

 紗奈の方が人当たりは良いし、性格もすっきりしているし、顔も可愛いし、スタイルもいい。女としてあたしなんかより遥か上をいっている。


 今でも一緒にお風呂に入る仲のあたしとしては、紗奈の裸を見ると性的興奮を覚えるものだ。今でも一緒に寝床に入ることがあるあたしとしては、紗奈にキスをしてほしいと思うものだ。

 あたしのファーストキスを紗奈に奪ってほしい。紗奈に捧げたい。自分からしてしまうと紗奈に嫌われてしまうのではないかと怖くなるので絶対にしないが。


 とにかくこの人だかりでは三組の教室に近づけそうにない。あたしは渋々自分の席に戻った。


「外すげーな。あれって全部君目当てだろ?」


 すると突然隣の席の男子生徒が声を掛けてきた。身長が高めで、それなりにイケメンと言える男子ではないだろうか。一般的な目線であればだが。


「どうだろ? そうだとしても三組にもっと可愛い子がいるのに」


 あたしは笑って誤魔化した。しかし言っておいて後悔する。紗奈をお勧めしてどうする。ライバルが増えてしまうではないか。すでに陸先輩という最強最大のライバルがいるのに。


「へぇ、そうなんだ。俺、永井芳樹ながい・よしき。南中出身」

「あたしは月原梨花。A県の出身」

「A県?」


 永井君は驚いたような声を上げた。なんだかこれと似たやりとり、登校途中にもあったな。陸先輩のクラスメイトに対して。


「うん。いろいろ都合があってこっちの高校に進学したの」


 これを皮切りにあたしは上京の経緯を話した。登校途中に陸先輩のクラスメイトに話した内容で、咄嗟に思いついた嘘だが。これからはずっとこれで通そう。


「へぇ、大変なんだなぁ」


 永井君はこんなことを言うが、上京して一番大変なのは紗奈の陸先輩に対するスキンシップ阻止だ。三人での生活は楽しいが、一緒に生活しているが故、紗奈の行動が中学の時より大胆なのだ。

 あたしがしっかりしなくては陸先輩の心が紗奈にいってしまう。そうなってしまうとあたしの想い人、紗奈は陸先輩のものだ。今のところ陸先輩に紗奈への恋愛感情が感じられないことだけが救いだ。


 そうしているとあたしのスマートフォンが振動した。メッセージアプリだ。確認してみると紗奈と陸先輩の三人で組んだグループメッセージである。ちなみにグループ名は『天地家同棲なう』だ。紗奈が名付けた。


『今日学校終わったら三人で買い物行こう? 生活用品足りないものがまだいろいろある』


 紗奈からのメッセージだった。すぐさま返信をしたのが陸先輩。


『おけ』


 この二文字である。とにかく本当に早かった。紗奈からのメッセージが発信された瞬間、スマートフォンを手に持っていたのではないかと思うくらい。


『行くー』


 あたしも返信を終えるとスマートフォンを鞄に仕舞った。

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