第一章 『春』

3.入学式~陸~

 4月に入ると陽気が気持ちよくなかなかベッドから起き上がれない。横からも何か温もりを感じる。そして心くすぐるいい香り。何だろう。


「こらー! 紗奈、そんなとこに潜り込んじゃだめ!」


 誰の声だ? あぁ、梨花か。朝から全くもって騒々しい。


「きゃっ! そんなに強く引っ張んないで」


 それに紗奈が答えている。いや、会話の内容から応戦しているのか? そしてきしむセミダブルベッドのスプリング。体が揺られる。

 ん? 潜り込む?


 バッ!


 俺は飛び起きた。すると目に映ったのはベッド脇に立つサナリー。紗奈が梨花に腕を引っ張られている。


「潜り込んだのか?」

「えへへ」


 笑って誤魔化す紗奈。対照的に膨れっ面の梨花。


「潜り込んだんだな?」

「……」

「……」


 どっちか何か言えよ。相変わらず苦笑いの紗奈と、不機嫌な表情の梨花。よし、肯定と捕らえよう。


「男の寝床に入るなんて、どうなっても知らんぞ」

「私は先輩となら――んごごごご!」


 梨花が後ろから紗奈の口を塞ぎ寝室から引きずり出す。もし梨花がいなかったらと思うとぞっとする。とっくに俺の理性は崩壊していただろう。


 共同生活が始まって早2週間。紗奈は何かとこの手の悪戯を企てる。その度に梨花が紗奈を咎める。

 先日は入浴中にホットパンツとタンクトップ姿で「背中流すよ」と言って入ってきた。もちろん梨花が即退場させたが。その時タンクトップ越しに見えた紗奈のバストトップ。ブラをしていなかった。

 毎日刺激が強すぎて俺の身がもたない。二人の洗濯物にやっと目が慣れてきたとこだったのに。因みに洗濯物はリビング脇のサンルームで干している。


 俺はベッドから起き上がると顔を洗い、着替えを済ませて食卓に着いた。並べられている朝食は紗奈が作ったものだ。紗奈は料理がうまい。二人が引っ越してきてから美鈴さんが辞めるまで、一週間の重複期間があった。紗奈は美鈴さんから俺の好きな料理を教えてもらっていて、元々腕は確かなのでそのレシピは完璧だ。


 几帳面な梨花は掃除がまめだ。隅々まで綺麗にしてくれるし、洗濯も丁寧で綺麗に畳んで俺を渡してくれる。二人は美鈴さんの抜けた穴をしっかりと埋めてくれているから本当にありがたい限りだ。

 まぁ、美鈴さんが初めて二人を見た時はさぞ驚いていたが。そして上品に「うふふ」と笑っていた。それは意味深げな笑みだった。


 食卓に着いたはいいが、二人の姿がまだ見えない。特に決めているわけではないが、せっかく作ってくれたのに先に食べ始めるのも気が引ける。

 と思っていると、勢いよくリビングのドアが開いた。


「じゃーん!」


 そう言って軽くジャンプして入ってくる紗奈。一瞬赤いチェックのスカートが揺れて広がった。見惚れてしまうが、それもそのはず。紗奈は海王高校の制服に身を包んでいて、髪はアップでポニーテールだ。可愛い。


「紗奈、どう?」


 次に入ってきたのは同じく制服姿の梨花。胸元のリボンを気にしながら紺色のブレザーに身を包んでいる。梨花は髪を下ろしているが、梨花も可愛い。この子達はどんな格好をしても似合うようだし、中学の時はセーラー服だったから新鮮だ。


「梨花、めっちゃ可愛い」

「本当? えへへ、紗奈も可愛い」


 紗奈に言われて梨花ははにかんだ。するとすぐに俺にジト目を向ける紗奈。


「先輩、感想は?」


 俺も言うのか。そりゃ、そうだろうな。「じゃーん!」って言って入ってきたのだから。


「二人ともよく似合ってるよ」


 恥ずかしくて直視できず、俺はモゴモゴと言った。二人の表情は認識できないが、満足そうな声が上がったのは確認できた。


 今日は海王高校の入学式である。俺は昨日が始業式だったので一日早く登校している。二人の制服姿を見るのは今日が初めてだ。

 この二人、絶対高校でもモテるだろうなぁ。梨花に彼氏ができないといいなぁ。世の男子が知ったら絶対にこの生活は羨ましいだろう。しかし俺からしたら不利である。これ以上にもこれ以下にもならないので、当事者としてそれを痛感している。


 この後食事を済ませると俺達三人は揃って家を出た。学校までは電車を使い30分程度。程よい距離だ。


 学校の最寄り駅を出ると俺は二人から離れようとした。家から学校に近づくにつれ、周囲には海王高校の生徒が目立ち始める。この日は入学式なので保護者同伴の新入生らしき生徒もいる。


「ちょ、先輩。歩くの早い」


 紗奈が文句を言いながら駆け寄ってくる。梨花もいそいそとそれについてくる。当たり前だ。君たちと別々に登校しようとしているのだから。


「こっからは別々に登校しよう」

「なんでよ?」


 紗奈から不満げな声。だって、さっきから周囲の注目が凄まじいのだ。特に男子だが、ただ例外なく女子も。それもそのはず。こんなに可愛い新入生二人が歩いているのだから。そこに地味な俺がいては釣り合わず、悪目立ちしてしまう。


「陸、おっすぅ」


 その声とともに俺は肩を叩かれた。一瞬サナリーが追いついたか? とも思ったが呼び方が違うし、そもそも男の声だ。振り返ると声の主はクラスメイトの成宮公太なるみや・こうただった。一年の時も同じクラスだったので二年目の仲だ。


 公太は短髪のスポーツ系イケメンだ。笑顔がさわやかである。この男、脱ぐとなかなかの筋肉をしており、俗に言う細マッチョだ。

 と言うか、見られたか? さっきまで俺がサナリーと一緒に歩いていたのを見られたか?


「よ、よう、公太。おはよう」

「昨日は始業式で、今日は入学式なんて。反対にしとけば俺たちの休みが一日増えたのにな」


 公太は愚痴を言いながら俺と肩を並べて歩き出す。見られてはいないようだ。公太を振り返った時に見えた紗奈の顔、ちょっと膨れていた。


「で? 後ろの新入生らしき二人はお前の知り合いか?」


 見られていた。しっかりと。そう、知り合いだよ、中学からの。けど、何て説明する? わざわざ上京してきた理由を何と言う? 俺が考えを巡らせていると後ろから紗奈が声を発した。


「知り合いどころか、どうせ――んごごごご!」

「……」


 心臓が止まるかと思った。梨花が紗奈の口を塞いでくれて良かった。登校初日から何を言い出すのだ。今絶対「同棲」と言おうとしただろ。早速決まり事を破ろうとしているではないか。


「中学の後輩です」


 梨花が100点満点の笑顔で回答を代わる。


「中学? 陸ってA県の中学だろ? なんでわざわざ都内に?」


 ですよね。その疑問は当然出ますよね。公太の驚いた表情も納得だ。


「親の仕事の転勤が決まってたのでこっちの高校を受けました。けど、その転勤が突然キャンセルになっちゃって。二次募集にも間に合わない時期だったのであたしだけこっちに来ることになりました」


 うむ、笑顔に続き100点の回答だ。さすがは梨花。梨花は答えながら紗奈の口を解放する。しかしその紗奈はどうする?


「てことは一人暮らしか?」

「いえ。ここにいる紗奈とルームシェアしてます。あ、申し遅れました。あたし新入生の月原梨花です。こっちが日下部紗奈です」

「俺は成宮公太。陸とは去年も今年も同じクラス。しかしそっちの日下部までなぜ東京に?」


 ですよね。俺も部外者だったら当然疑問に思います。


「陸先輩をお――んごごごご!」


 再び梨花に口を塞がれる紗奈。今「陸先輩を追いかけて」と言おうとしただろ。あらぬ誤解を与えるから止めてくれ。本当に梨花がいて良かった。


「紗奈はお父さんが海外転勤になっちゃいまして。一人国内に残ることにしたんですけど、それなら国内どこにいても同じだってことで一緒に東京に来ました。それで中学の先輩がいる海王高校なら安心だねってことで二人して受験しました」


 うむ、80点くらいの模範解答だ。


「へぇ、二人とも大変だな、親に振り回されて。――二人ともめちゃくちゃ可愛いな」


 後半は正面を振り向きながら俺に言った公太の小声だ。やっぱりそうだよな。サナリーは誰が見ても可愛いよな。


 俺は公太と肩を並べ歩き、その後ろをサナリーがついてくる。やがて4人は揃って校門まで辿り着いた。そして知った顔を見つけ公太がすかさず声を掛けた。


「よぉ、圭介、水野」


 俺達は公太に続き挨拶を交わした。

 二人も公太と同じく一年、二年と俺のクラスメイトの湯本圭介ゆもと・けいすけ水野茜みずの・あかね。新入生の受付をしていた。まだクラス役員が決まっていないこの時期、二人は昨日揃って外れクジを引き、受付係を押し付けられたのだ。


 圭介は一言で言うとお調子者だ。髪は校則に引っかからない程度に長くしている。メガネを掛けていることくらいしかこれと言って特徴がない。

 水野は髪は短めで体格も標準。元気でどこにでもいる今時の女子高生だ。


「こっちの二人は新入生の月原さんと日下部さん。陸の中学の後輩だから手厚く迎えてやって」

「「陸の中学!?」」


 圭介と水野は揃って驚きの声を上げる。そりゃそうだ。


「「おはようございます。よろしくお願いします」」


 サナリーは揃って挨拶をするも、面倒だが公太にした説明をもう一度。


「へぇ、陸みたいな境遇だね」

「……」


 聞き終わった水野から感嘆の声が上がる。一方圭介の表情が固まっている。目がハートだ。それはどっちに向けたものだ? 紗奈か? 梨花か? どっちもか。

 サナリーはこの流れで受付を済ますと案内係の上級生に連れられて教室に行った。残念ながら二人はクラスが別れてしまったようだ。


 俺と公太は受付係の二人と少しの雑談を経て二年二組の教室に入った。が、しかし何かがおかしいこの教室。いつからここは女子高、いや女子クラスになったのだ? 俺は近くにいた吉岡由香里よしおか・ゆかりに声を掛けた。


「ここはいつから女クラになったんだ? 男子が一人もいないじゃないか」


 この吉岡も一年、二年と同じクラスだった。ボブカットが特徴的な女子生徒で、二年連続同じクラスなのは公太、圭介、水野とこの吉岡だけだ。


「新入生を見に行ったのよ」

「新入生?」

「それって一組と三組か?」


 横にいた公太がすかさず質問を加えた。一年の一組と三組って……。


「よくわかったわね。なんかめっちゃ可愛い子が二人入学しんだって。二、三年は今大騒ぎよ」

「……」


 一組は梨花で、三組は紗奈。その二人のクラス、まさか……。さっき登校したばかりだぞ?


「何でも他県からの入学なんだって。しかもその二人は同じ中学出身って言うじゃない。その県は美人率でも高いのかしらね」

「……」


 間違いない、サナリーのことだ。登校たったの数分ですでにもう注目されている。


「その二人はここにいる陸の中学の後輩だ」

「は? どういうことよ?」


 公太はまた余計なことを。はい、梨花が咄嗟に作った上京の設定を、今度は俺が吉岡にするはめになりました。

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