2.同棲生活決まり事~陸~
3月下旬のとある土曜日。昼間は稀に温もりを感じることもあるが、まだまだ寒さが残る。俺も春休みに入った。
そして今日、俺の自宅マンションに二人の下宿生が引っ越してきた。
「天地君。本当に東京のこんなマンション、月5万円でいいのか?」
「あ、はい。賃貸に出しても相場が高すぎて借り手が付きませんし。そうかと言って安く貸し出すといざ必要な時に追い出しが大変ですから。高校の3年間くらい」
紗奈の父、日下部氏の質問に俺は答えた。5万円と言っておかないと減額されるからと、紗奈に予め釘を刺されている。食費はどう説明しているのだか……。
「しかし、タワーマンションの4LDKで、LDKには家具が揃ってるとは。娘がこんなとこに住めるなんて恐れ多いよ。なんだか自分の稼ぎが恥ずかしくなる」
これは梨花の父、月原氏の言葉だ。俺としてはあなた方を騙していることが恥ずかしくて心苦しいのだが。やはりバレた時は制裁を覚悟しておこう。
「ちょうど二室余ってましたし。あとの二室は僕が仕事の資料庫に使ってるので、たまに出入りはしますが。仕事部屋以外の場所は自由に使っていいと言ってあります」
半分嘘で半分本当である。俺の仕事部屋は玄関から一番近い一室だけだ。しかも資料庫ではなく執務用の仕事部屋で書斎だ。その隣は俺の寝室を兼ねたプライベートルームである。もちろんこの時は閉め切り。因みにこの二室は二枚の引き違い戸で仕切られている。
余っていた奥の二室は物置部屋になっていた。と言っても物はあまりなかった。納戸もあるので十分なのである。そこを片付け、紗奈と梨花に当てたのだ。あとは水回りと一体になった30畳近いLDKが共用スペースだ。三人なら十分すぎる広さである。
紗奈と梨花はそれぞれの母親と荷解きをしている。二人の父親は力仕事だ。それぞれのご両親はこの日はホテルに泊まるそうで、いきなり俺が家を空けなくてはならない事態は避けられた。
そもそも当初は引っ越しに付き合う気がなかった。しかしどちらのご両親からも挨拶がしたいと言われて渋々。ここにいなくては家まで挨拶に行くと言われそうだし。家ここなのだが……。
因みに俺は近くで1LDKのマンションを借りて、高校生らしい一人暮らしをしていることになっている。仕事の資料庫だけが別と言う設定だ。
下宿を始める高校生が運び込む荷物は少ない。衣服が多少嵩張ったようだが、家具は基本的に揃っている。
二室ある納戸のうち一室を、二人の季節物のクロークとして解放した。それなので夕方にはあらかた荷解きも終わり、俺は両家のご両親から夕食をご馳走になった。両家と言うのもなんだか語弊があるが。
そして紗奈と梨花と一緒に帰宅して俺は風呂を済ませ、リビングのソファーでゴロン。二人は今一緒に風呂に入っている。二人は幼稚園からの付き合いの幼馴染だと聞いていて、本当に仲がいい。俺とは中学からの付き合いだ。
天井を見上げながら耽る。とうとう始まったんだな、紗奈と梨花との共同生活が。まさかこんなことになるとは。ただ家事を負担してくれることはありがたいし、確かな情報筋から二人の家事力は高いと聞いている。
今まではこの一年間美鈴さんに本当にお世話になった。在宅の仕事をしている高校生の俺の身の回りをいつも整えてくれた。炊事、洗濯、掃除にと。
美鈴さんには二歳と四歳の子供がいる。四歳の息子、
美鈴さんは近くのアパートに子供二人と住んでいる。月曜から金曜まで朝早くから出勤し、俺の朝食と弁当を用意する。その後誠也を幼稚園に送り、それが終わると俺の家で亜美の育児をしながら掃除や洗濯をしてくれた。
そして午後誠也を迎えに行くと、買い出しに寄って俺の家に帰って来る。夕食は4人、俺の家で取った。
美鈴さんの結婚相手は商社勤務の人で、友達から紹介してもらったそうだ。半年ほどの付き合いとのことで、うちで家政婦をしてくれていた後半の時期にあたる。これが家政婦を辞めると言ってきた時に聞いた話だ。
俺と美鈴さんはお互いに相手の異性について一度も詮索したことがない。暗黙の了解のように一度も聞くことはなかった。
美鈴さんの二人の子供、特に息子の誠也は俺に相当懐いてくれていて、辞めてしまうとは寂しい限りだ。次の月曜日が紗奈と梨花と初対面か。
そんなことを考えているとリビングのドアが開いた。
「先輩、お風呂めっちゃ広い」
そう言いながらリビングに入ってきたのは紗奈である。
いやいや、先日来た時と下見の時に泊まったのだから二度見ているだろ。と言うか、まだ髪が濡れた状態でパジャマ姿の紗奈。くそっ、可愛いじゃないか。
「先輩、高校ではもうサッカー続けないんだね」
「あぁ」
「ふーん。実力あったのにもったいない。海王、サッカーの強豪だけど先輩ならレギュラー取れたんじゃない?」
「どうだろ? レギュラーはわからんが、ベンチ入りくらいは狙えたかもな」
海王高校は確かに男子サッカーの強豪校だ。インターハイや選手権では過去に何度も全国大会に出場している。
「紗奈こそもったいないだろ? スポーツ推薦の話来なかったのか?」
「来たよ。けどサッカーは趣味程度にやれればいいから。それより今はもっと興味あることがあるし」
「興味あること?」
紗奈は冷蔵庫から取り出した水を片手に、ソファーに座って遠くを見る。何だろう、紗奈がサッカー以外に興味を示すなんて。サッカーに対してストイックな紗奈から中学の時は考えられなかった。俺が紗奈の返事を待っているとリビングのドアが開いた。
「ふぅ、さっぱり。喉渇いたぁ」
そう言って入ってきたのは梨花。やばい、破壊力抜群である。モコモコパーカーにショートパンツ。そしてしっとり濡れた髪が艶やかである。冷蔵庫から水を取り出す梨花の後姿から俺は目が離せない。
「先輩、目がハート」
「う……」
紗奈がジト目で言ってきた。そこで初めて梨花に見とれていたことに気づき、俺は慌てて取り繕うが、紗奈はジト目のまま続ける。
「先輩、梨花のこと好きなの?」
「そんなわけ! 梨花も紗奈も可愛い後輩だよ」
「ふーん」
俺は慌てて否定した。条件反射のようなものだ。それを聞いて紗奈は再び目を遠くに向けると、ペットボトルの水を口に運んだ。これから三人一緒に暮らすのに恋愛感情はまずいよな……。
俺が高校卒業後、このまま東京の大学に進学したとして、二人が高校を卒業するまであと3年。もし二人も東京の大学に進学したのならあと7年か? 恐ろしい。その時俺は社会人なのだが……。
大学進学の場合はさすがに独立した生活を送ってほしい。とにかくそれまで仲のいい先輩後輩か……。
「何の話?」
ソファーに座るなり梨花が聞いてきた。紗奈の目はあるものの、風呂上りの梨花が近くに来ると直視できない。そして二人から漂う風呂上り独特のいい香りにクラクラする。
「先輩の性癖の話」
「聞きたい! 聞きたい!」
そんな話題、一度も出ていない。梨花も乗るなよ。
その前に一つ。このルームシェア生活を送るうえで、はっきりさせないといけないことがある。俺は切り出した。
「なぁ、サナリー」
「名前まとめるな」
「あたしなんて一文字消えてるし」
何と言われようと二人をまとめて呼ぶ時、俺はこの呼び方を変えるつもりはない。まぁ、二人のツッコミは置いといて続けよう。
「この生活は人に言わないべきだと思うんだよ」
「なんで?」
なんで? と来たか。君は言葉を覚えたての子供か、紗奈。
「そりゃ高校生の男女のルームシェアは倫理的に良くないだろ? 変なこと勘ぐられるし」
「変なことって?」
「……」
そこまで説明しないといけないのか、梨花。
「誰かと誰かがエッチな関係になったり、3Pしてたりってことだよ」
「ふーん」
「……」
紗奈の言葉に余計な単語が入っていたが、まぁ、大枠はそういうことだ。
「私は別にそういう関係なら勘ぐられてもいいけどね」
「あたしも別に構わない」
「……」
この二人に倫理観はないのか。いいのか? いや、流されるな。続けよう。
「とにかく、そういうのはダメだから三人一緒に生活することは内緒にしよう。親にも内緒だろ?」
「そっか、親にも内緒にしてるもんね。わかったよ、先輩」
良かった。紗奈が納得の言葉をくれた。梨花も表情で同調している。この生活が学校で知られたら周囲から何と言われることか。変な疑いをかけられることはもちろんだが、こんなに可愛い二人だ。男子からは嫉妬の目が怖い。
「じゃぁ、同棲生活決まり事第四条に追加」
「了解、紗奈」
「ん?」
同棲と言ったか? 聞き間違いか? これはルームシェアであって絶対に同棲ではない。そしてツッコミ所がもう一つ。
「同棲じゃなくてルームシェアな。それにその決まり事って何だよ? しかも四条って一条から三条は何だよ?」
「これはあたしたちの同棲生活を送るうえでのお約束事です」
だから同棲じゃなくてルームシェアだぞ、梨花。
「第一条、生活費を月に3万円入れること」
「生活費を月に3万円入れること」
梨花がノートを取り出して読み上げるとそれを紗奈が復唱する。と言うか、そのノートはいつの間にどこから出てきた? あぁ、リビングテーブルの下に入れてあったな。全く気が付かなかった。
それからもう一つ。生活費ではなくて下宿代だ。と突っ込みたい俺の気持ちをよそに二人は続ける。
「第二条、アルバイトは禁止とし、勉学に励むこと」
「アルバイトは禁止とし、勉学に励むこと」
「第三条、家事は紗奈と梨花で分担すること」
「家事は紗奈と梨花で分担すること」
二人の読み合わせは続く。しっかりまとめてあったんだな。
「第四条、この同棲生活は口外してはならない」
「この同棲生活は口外してはならない」
うむ、よくできました。と言いたいところだが……。
「だから同棲じゃなくてルームシェアな」
「これがあたしたちの同棲生活決まり事です」
全く俺の話を聞いてくれない……。とは言え、決まり事は理解した。
「それから俺が在宅で仕事をしていることはこっちでは誰にも言ってない」
「わかったよ。それじゃ梨花、五条に追加」
「了解」
この後、『第五条、陸先輩の仕事のことは口外してはならない』が追記されたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます