私と親友の恋愛事情
橘 ミコト
私と親友の恋愛事情
私、リーンには困った友人がいる。
今年18歳になる私の10年来の幼馴染で、親友とも呼べる存在だ。
しかし、なんとも度し難いほどの阿保である。
そして、なんとも度し難いほどのお人よしでもあった。
他の人からは頼んだら何でも引き受けてくれる便利な奴として重宝され、本人も人の役にたつのだから良い事だと本気で思っている。
別に人助けを悪いことだとは言わない。
ただ、傍から見ている私では、毎度面倒事を押し付けられているだけにしか見えないだけだ。
それでも、あいつはなんでもかんでもヘラヘラと笑いながら「まかせて」なんて言っている。
そんな姿を10年間見てきた私としてはもう呆れる他になく、ただ黙ってあいつの後ろ姿を眺めているだけだった。
時々、手伝ってあげたりもした。
1人でするには明らかにオーバーワークだろうに、いつものヘラヘラとした顔で引き受ける事などがよくあるからだ。
その度に私は何故、そんな事を承諾したのか問い詰めるのだが、あいつは決まってこういう。
「だって、困ってたじゃん?」
私はため息を返すだけだ。
こんな奴でも親友であるし、見捨てるのも夢見が悪い。
結局、一緒になってその面倒事を引き受ける形になっているのだから、周りが見れば私もお人よしの分類に入るのだろう。
甚だ不本意ではあるが、あいつがいない時には私に頼み事をしてくる人もいるのだし、その評価も妥当と言えば妥当なのだ。
絶対に引き受けたりしないけどな。
私は引き受けないけど、あいつが引き受ける。
そしてその手伝いをする私。
その結果、また頼み事が舞い込んでくる。
何という悪循環。
私の気苦労を考えて欲しい。
まあ、事あるごとに手伝っている私が言うのもなんではあるのだが。
今回も例の如くあいつが持ってきた面倒事は私に顰め面をさせるには十分な内容で、何故頼んできたと依頼人に文句を言いたいくらいだ。
『好きな人が出来たので、助けてください!』
頼み事が抽象的すぎるだろ、もっと具体的にしてくれ。
助けて下さいとは何だ、探偵の様に素行を調査したり彼の好きな物でも調べればいいのか?
それとも、告白の内容を一緒に考えたり、彼と二人きりのシチュエーション作りにでも尽力すればいいのか?
告白が上手くいくまで全てプロデュースして欲しいとか言わないよな?
勘弁してくれ!
私たちは――
「あ、いた、リーン! このクレープ美味しいよ! 向こうの屋台で売ってたから一口上げる!」
「アルトは向こうの屋台に売っていたら何でも私に一口くれるのか。ありがたく貰おう」
――未だ『恋』などした事の無い二人なのだから。
――――――
「アルトよ」
「何、リーン?」
「何故、こんな面倒くさそうな頼み事を引き受けた」
「え、だって困ってたじゃん?」
「そうか、そうだったな。お前はそういう奴だった」
「?」
「何でもない」
私の親友である男、アルトは阿保だ。
会話の内容からちょくちょく漂うアホの子オーラを隠す気もないどころか、おそらく気付いてすらいない。
そのせいで現在進行形の面倒事を背負う羽目になっているのだし、それに付き合う私もやはり阿保なのだろう。
「本当にこの道を通るのか? そもそも、見つけてどうする?」
「どうしよっか?」
「お前の後ろを付いてきただけの私が知る訳ないだろう……」
「あ、来た!」
件の手紙の主が恋をしたとされる男性が向こうから歩いてきている。
壁に隠れて彼の事を待ち伏せしていた私たちは紛う事無きストーカーだ。
そんな事実にさらにため息を吐きたくなる。
「ふむ、で? この後どうす――」
「そこの君、ちょっといいかな!」
「――る?」
「……え? 俺?」
何の勝算も計画もないと話したばかりで、躊躇なく男子に声をかけた阿保アルトに戦慄する。
どうやら、私はまだこいつの事を侮っていたらしい。
「そう! 君!」
「えっと、俺に何か用でもあるのか?」
「好きなんだ! 付き合ってくれ!」
「「……は?」」
お前が告白してどうするんだ?
告白された男子も目を白黒とさせている。
それはそうであろう、そもそも本当に告白されたのかどうか疑いたいくらいだと思う。
私はそっとその場を立ち去った。
私は始めから無理だと思っていたのだ、すまないな、依頼主よ。
後日、依頼主から『上手くいきました! ありがとうございます!』と連絡が来たときはどんな魔法を使ったらそんな事になるのか理解できなかったのも仕方あるまい。
――――――
「なあ、アルトよ」
「何、リーン?」
「お前は恋人が欲しいと思うか?」
「そうだなぁ、そろそろ欲しいね」
「何故そろそろなのだ?」
「だって、もうすぐ卒業でしょ?」
「そうだな」
「卒業までには欲しくない?」
「別に」
「そんな不愛想な態度を取っていたら、いつまで経っても恋人なんかできないよ?」
「悪かったな、産まれた時からこんな顔だ」
「少なくとも、会った時からそんな顔だね」
「知っているじゃないか」
「うん、何せ10年間一緒にいるんだ」
「そうだな」
季節は夏。
燦々と降り注ぐ陽光を浴びながら、学校の中庭に置かれているベンチに座り二人でグラウンドの方を眺める。
そこには色気などなく、なんとなく哀愁を感じさせる会話が繰り広げられているだけだ。
いつもの日常、ただ親友と他愛もない話をしながら『恋』という物について考える。
『恋』。
この間の頼み事以来、その事について何となく考えている。
あまり意識していなかったが、この年なら一つや二つぐらいの恋愛をしていても可笑しくはない。
けれども、あまり身近に感じる出来事など今までになく、ちょうどいい機会だったので隣に座るアルトに話を振ってみた。
結果としては大した事のない会話になってしまったが、アルトも少しは考えていたみたいだ。
正直、意外である。
何も考えてなさそうな顔をして、実は色々と考えている親友に少しの驚きを感じつつも、やはり想っている相手などいないなのかと安堵してしまう自分に対して苦々しい物を感じた。
周囲の人はどうやって『恋』をするのだろうか。
いつ『恋』をしたと気付くのだろうか。
どうやってその想いを伝えるのだろうか。
付き合う様になったら、『恋』をした気持ちはどうなるのだろうか。
何も私には分からなかった。
経験した事が無い物、しかも気持ちの問題が分かる訳ないのなど当然なのだが、どうにも私は『恋』という物が気になって仕方なかった。
「リーンは『恋』をしてみたいの?」
「したくないと言えば嘘になる」
「その遠回しな言い方をやめて素直になれば、案外すぐに出来そうな気もするんだけど?」
「そうか?」
「うん、リーンは美人だし」
「それを言うならアルト、お前も見た目だけならいいだろう」
「俺はほら、便利な男だから」
「その言い方は卑猥に聞こえるからやめろ」
「あはは」
何が可笑しいのかクスクスと笑うアルトに怪訝な顔をしてしまう。
その微笑む様な笑顔は、夏でありながら春を彷彿とさせる温かみに溢れており、凄いモテそうだと心の中でボンヤリと思いながらも、私たちは結局『恋』という物を知らない事実を再確認しただけなのだ。
今はそれでもいいと思った。
良く聞くフレーズにこういった物がある。
『恋はする物ではなく落ちる物だ』と。
『Fall in Love』とはよく言ったものだ。
――――――
アルトが落ちた。
あの「『恋』とは何ぞや?」という話をしてから、3日と経たない内にだ。
別に狙っていた訳ではないだろうが、何ともタイムリーな話に私は目を丸くしてアルトを見つめることしかできなかった。
手を腰の辺りで遊ばせ、頬を赤らめながら視線を忙しなく動かして挙動不審に私に話しかけてきた時は何事かと思ったが、「好きな人ができた」の言葉にガツンと頭を殴られた様な衝撃が走る。
私とアルトは親友で、10年間をほとんど一緒に過ごしてきた。
お互いの事なら大抵の事を理解できるし、言葉にせずとも察する事ができると自負している。
まあ、予想の斜め上をいかれる事もしょっちゅうあるが。
そんな親友に好きな人ができた。
『恋』という物を先に知った彼に、私は何と声をかけたらいいか咄嗟に判断できず唖然と眺め続ける。
アルトはそんな私の様子など気にもしないで誰を好きになったのか、何処が好きなのか、いつ好きになったのか、今後どうしたいのか語っていた。
私には理解できなかった。
ただ、「そう」と相槌のような生返事をするばかりで、彼の応援をする事も一緒に喜んであげる事もできなかったのだ。
何処がお互いの事を理解し合っている親友なのだろう。
私はこんなにも彼の事を理解できていなかったではないか。
最後に、一人で動揺していた私に対して彼はこう言ったのだ。
「リーンも早く『恋』をできたらいいね」
本当に心の底から嬉しそうな彼に、私は酷く苛立ってしまった。
――――――
アルトが失恋した。
早かった。
実に早かった。
『恋』を知った彼が振られるまでに要した日数は約5日。
普段はのほほんとしているくせに、意中の相手に告白するまでの行動は実に迅速だった。
好きな子に夢中になっていたアルトを私は少し距離を取って見守っていたが、彼はその事に気付いていない。
アルトは彼女へのアプローチで頭がお花畑になっていた様である。
それなら都合がいいと放置していた私は最低なのだ。
何故最低なのだろう?
頭にフッと湧いて出た自己嫌悪に疑問を持つ。
アルトが誰を好きになろうが、そんな事は割とどうでもいいはずだ。
そのアルトに対して責任感のような感情を抱くのなど意味が分からない。
本当に?
当然だ。
アルトは私の親友ではあるが、別に家族でもなければ恋人でもない。
彼の行動を妨げる権利など私にはないのだから。
妨げる?
おいおい、どうして彼の恋路を妨げる権利を否定しているんだ?
そんな当たり前の事を何故心の中で確認している。
分からない。
『恋』を知らない私には何も分からない。
ただ、今はアルトとは顔を合わせたくないと思った。
それだけだ。
――――――
失恋した後のアルトはいつも通りだった。
私も以前の様にアルトと連れ立って行動する。
何もかも前と同じに戻った訳だ。
内心その事に安堵している自分もいたが、それはきっと長年連れ添った親友がいなくなるのが何だかんだ言っても寂しかったからだろう。
考えてみれば納得のできる理屈に私はさらに安心する。
何を不安に思っていたのか良く分からないが、アルトが隣にいるのを見るととりあえず落ち着くのだ。
もう元に戻ったのだから、あまり気にしてもしょうがない。
結局、このまま二人で年を取っていくのだ。
関係は親友のまま、距離感もこのまま。
それが一番分かりやすい。
「アルトよ」
「何、リーン?」
「振られたというのに、そこまで落ち込んでいないのだな?」
「別に落ち込んでない訳ではないよ?」
「そうなのか?」
「うん、ごめんなさいって言われた時は気を失いそうだった」
「それほどか」
「しかも、理由が「好きな人が他にいるから」だって」
「そうか」
「そう言われた時は本当に気を失った」
「それは難儀だったな」
「他人は誰も助けてくれなかった……」
「私が見つけて運んでやっただろう?」
「リーンは他人じゃないじゃん」
「……そうなのか?」
「そうだよ」
妙な言い回しに心臓が跳ねる。
こいつの言葉は何だか癪に障るのだ。
何処に他人とそうでない者の線引きがあるか分からない上に、”他人じゃない”の意味が分からない。
強いて言えば”身内”か?
恋人でも家族でもない親友は”身内”に入るのだろうか?
「今日は誰を助けよっかなぁ」
「お前、自分で面倒事を探すのはやめろ」
「あはは」
私の言葉など聞いていない様に、アルトは中庭のベンチから立ち上がって伸びをした。
その態度に私の中の苛立ちは強くなる。
こいつには色々と振り回されるのだ。
感情も行動も、私を私足らしめる要因のほとんど全てがこいつに振り回されるのだ。
そこはもう諦めている。
――――――
季節は秋に変わった。
夏の肌を焦がす様な照りつく日差しが涼しい風を纏う穏やかな陽気に変わり、幾分日中も過ごしやすくなる。
木陰を求めていた中庭のベンチから、いつの間にか陽光の降り注ぐ屋上へと話しの場は移っていたが、別段会話の内容自体は変わっておらず、相も変わらず私はアルトと一緒に過ごしていた。
10年もの間を側にいるのだ、季節が変わっても特に何の変化もない。
変化があるとしたら、それは季節の影響ではなく、阿保アルトのせいだろう。
奴は面倒事しか持ってこない。
それに付き合わされる身にもなって欲しいものだ。
「今日は何か不機嫌だね?」
「いつもと変わらないと思うが?」
「そうかな?」
「そうだ」
「なら、そうなんだろうね」
「……何故、不機嫌だと思った?」
「うーん、何となく、かな?」
「聞いた私が馬鹿だったよ」
「ああ、ごめんごめん、別にからかった訳じゃないよ?」
「……」
「リーンはいつも不機嫌そうな顔だけど――」
「悪かったな」
「――いつも一緒にいたら本当に不機嫌な時の違いくらいは分かる様になるよ?」
「……」
「何かあった?」
「何もない」
「……」
「本当に何もない、ただ何故かイライラとする事が最近多いだけだ」
「イライラしてるの?」
「ああ」
私は自分が何故こんなにも落ち着きがなくなっているのか分からない。
急にだ。
少し前にアルトが「好きな人ができた」と私に言って、見事に玉砕した頃からだ。
ただ、アルトを見るとモヤモヤしてイライラして、普段は言わないような罵詈雑言をぶつけたくなる。
別にアルトが何か私を苛立たせる事をしている訳でもないのに、その微笑を浮かべている顔を見ると殴り飛ばしたくなるのだ。
女である私よりも綺麗な髪であるところ、男のくせに華奢な体格であるところ、身長が私よりも低いところ、少し垂れ目なところ、撫で肩でよく鞄を担ぎ直しているところ、歩幅が小さく隣を歩くときに注意しなければいけないところ、朝ごはんをよく抜いてくるところ、料理が私よりも上手なところ、メールよりも電話の方が好きなところ、こんな不愛想な私といつも一緒にいるところ。
何もかもが私を不安にさせる、悲しくさせる、苛立たせる。
お前はどうして私に構うのか問いただしたくなる。
そんな事を聞きたくても答えを聞く方が怖いと感じてしまうのだから、本当にどうしようもないと思う。
結局、私は自分でも理解できないこの胸中の不安を察して、それが何なのアルトに気付いて欲しいのだ。
そして私に教えて欲しいのだ。
私が抱いている”これ”が何か、その答えを。
――――――
あっという間に卒業式になった。
「卒業するまでには恋人が欲しい」と言っていたアルトは結局恋人ができないまま卒業を迎えていた。
別にアルトの気持ちなど知った事ではないが、なんとなく気落ちしている奴の肩を慰める様に軽く叩く事だけはしてやる。
そんな私を振り返っていつものヘラヘラとした笑みを浮かべるアルトを眺めると、私も微妙に気落ちしてしまうのは何故だろうか。
私の心は私の物なのに、私には理解できない事が多すぎる。
「リーンは卒業したら一人暮らしするんだっけ?」
「ああ、お前もそうだろう?」
「遊びに行ってもいい?」
「好きにしろ」
「じゃあ、大学の入学式が終わったらそのまま打ち上げをしよう」
「好きにしろ」
私はアルトと同じ大学に進学する事になった。
別に狙っていたわけではないが、なんとなくそうなった。
二人とも同じくらいの成績であったし、そこまで選択肢も多くなかったのだから偶然でもなければ当然でもない。
まるで今の二人の関係の様で、少しモヤっとした物が残る、そんな感覚。
しかし、この関係が今後も続くのだと思うとホッとする。
進展もなければ後退もない。
それでいいのだ。
「大学に入ったら彼女とかできるかな?」
「お前次第だろう」
「リーンは彼氏欲しい?」
「別に」
「でも、前は『恋』をしてみたいって言ってなかった?」
「『恋』をしたら付き合わなければならないのか?」
「え? どうだろ? 考えた事もなかった」
「なら彼氏はいてもいなくてもどちらでもいいだろう」
「そんなものかな?」
「そんなものだ」
こんな私と付き合える奴なんか、一人ぐらいしか思い当たらない。
――――――
大学では何故かモテた。
自分で言うのもなんだが、凄いモテた。
サークルに入っている訳でもなく、授業で特に目立つような成績を取った訳でもない。
ただ、以前と同じ様にアルトと一緒にいただけだ。
そのアルトは友人から私に渡して欲しいと手紙の仲介を頼まれたり、連絡先を教えて欲しいとせがまれているそうだ。
大学に入ってもあいつは面倒事を頼まれているのだから、私はもう流石だなと達観した意見を述べる様になっている。
しかし、当のアルトは変わっていた。
頼み事を断る様になったのだ。
「どうして断っている?」
「リーンに関する事だから、かな」
「どうして私が関わると断る?」
「他人の事なら助けたいって思うけど、リーンとの仲を取り持つのは嫌なんだもの」
「……どうしてだ?」
「さっきから質問ばっかりだね?」
最後の質問には答えず、ヘラヘラとした笑顔で私を見つめ返してくる。
何と反応すればいいか分からず目線を逸らしてしまった。
「リーン」
季節は夏。
学校の中庭で浴びた陽光と変わらない物が私たちを照らしている。
変わったのは私たちの方だ。
「……なんだ?」
大学の校舎間を縫う様に走る道とは別に、メインストリートであるこの場所には道沿いにベンチが備え付けられており、その背後には木陰を作ってくれる木が植えられている。
湿気を含まないさらっとした風がそこで休む人に心地よさを与え、昼食を取ったり授業間の休憩をするにはもってこいの人気スポットだ。
「まだ『恋』を知りたいって思ってる?」
涼し気な風に吹かれ肌をじっとりと流れる汗も引いていくような午後の夕暮れ時。
周りにはまだ学生も多く、他のベンチもほとんどが埋まっている。
そんな場所で何を聞いてくるのだろう、こいつは。
「……そう、だな」
絞り出す様に出た声に自分で驚く。
私は緊張しているのか?
この目の前にいる阿保アルトに?
「……」
アルトは何も言ってこない。
ただ、黙って私の目を覗き込むように真っ直ぐと見つめている。
その視線を受け止めきれず、私は再び視線をメインストリートの方へ移してしまった。
「……そっか」
私が目線を逸らすと、アルトは気の抜けたような呟きを漏らし立ち上がった。
何が「そっか」なのだろうか?
こいつは何を理解したのだ?
私の気持ちは私には分からない。
私の気持ちを一番理解できているのは――
「じゃあ、今度からはリーンの事を知りたがっている友達を紹介するね?」
――恐らく、目の前にいる彼なのだ。
――――――
私に彼氏ができた。
あの日からアルトがちょくちょく紹介してくれる様になった男の中の一人だ。
別段、”気になる”という気持ちが芽生えた訳でも『恋』に落ちた訳でもないのだが、
「付き合ってから好きになるパターンもあるし、とりあえず付き合ってみない?」
という軽い言葉に頷いてしまったのだ。
考えてみれば「馬鹿だな私」と思うのだが、付き合ってみると意外にもそこまで悪い男ではなかった。
不愛想で口下手な私の代わりに色々な話をしてくれたり、様々な所へデートとして連れて行ってくれた。
案外楽しかったのだ、私は。
だから、「こんなものなのか」と納得していた。
未だに『恋』は知らないけれど、付き合うのとは別だと言ったのは私だ。
だから、ずっと心の中で渦巻いている表現できない”何か”も時が経てば忘れられるだろう。
男と付き合い始めてから目を逸らす様にしてきた”何か”にも余裕を持てるようになっていた。
その分、アルトと過ごす時間は極端に減った。
今では時々、私の家に遊びにくるくらいでその時も長居はしていない。
「彼氏以外の男がリーンの家にいるのは良くないでしょ?」
そう言って、用事が済むとさっさと帰っていくアルトに私は何も言えなかった。
――――――
大学を卒業するまでに、私は8人の男と付き合った。
結構な数だと思う。
何せ、大学に入るまでは付き合った事すらないのだ。
そう考えると私は実にモテたと思うし、同じくらい軽い女なのだと思う。
それに反して、アルトには一切彼女ができなかった。
昔からアルトを知っている私からしてみたら、どうしてそこまでなのかよく分からなかったが、彼からしてみれば「そんなもの」らしい。
ただ、大学の卒業式である今、私にも恋人はいないのでどっちにしろ同じ様な物なのだ。
私は彼氏ができても長続きしなかった。
理由は簡単だ。
いざ一線を越えそうになると、自分でも分からないほどの嫌悪感に襲われるのだから。
キスすらもできなかったのだから筋金入りの感情だ。
何故そうなってしまうのか分からない。
自分の気持ちが分からないのは、もう私にとって普通なのだ。
だから疑問にも思わず、当時の彼氏たち全てを拒否してしまった。
そんな私の側にアルトだけが残るのも当然なのかもしれない。
何せ、もうすぐ15年来の親友になるアルトは私以上に私のことを知っている存在である。
彼の隣が一番落ち着く。
私は彼に依存しているのかもしれないと思うと、存外に心がスッキリとするのだから救えない。
これだけ彼に迷惑をかけて結局彼の元に戻るのだから、私は最低なのだ。
どうしようもない気持ちに、私はどうしようもないほど溺れてしまっている。
――――――
アルトと同じ会社に勤めて5年が過ぎた。
傍から見たら、私はもう立派なストーカーなのではないか。
20年近く彼の側に居続けるなど、到底考えられない。
彼は私の事をどう思っているのだろうか?
気持ち悪がっているのだろうか?
何故私の様な奴を隣にいさせてくれるのだろうか?
そんな自己嫌悪を胸に抱えつつも未だに私は『恋』を知らないままでいた。
ある日、アルトから夕食を誘われスキップしそうな気持ち付いて行った。
ほとほと自分のお手軽加減に呆れてしまう。
ため息しか出ないが、それでも私を喜ばす彼はやはり私の事を知り尽くしているのだ。
逸る気持ちを押し殺して、私は彼についていく。
「リーンとの付き合いもだいぶ長くなったねぇ」
「もう20年近くだから」
「そうだね、まさかここまでずっと一緒に過ごすとは思ってなかったけど」
「……嫌か?」
「ううん、むしろ嬉しい」
「……私も」
「ん?」
「私も……嬉しい」
「そっか」
「ああ」
「じゃあさ」
「何だ?」
「もう、この関係を終わりにしようか?」
「……え?」
思わず手に持っていたナイフとフォークを落としてしまう。
何で?
彼の言った言葉の意味がよく分からない。
どうして?
頭が理解するのを拒む。
何が何だか分からないけど、一つだけ理解できた。
――そうか、これが『恋』なのか。
私はずっと前から知っていたんだ。
『恋』とは何かを知っていたんだ。
ただ気付かないフリをしていたんだ。
捨てられたくない。
ずっと一緒にいたい。
大学で色んな男と付き合ったけれど、別れる際にここまでの喪失感を覚えた事などなかった。
そもそも、喪失感を感じた事などなかったので、これが初めての感覚となる。
「わ、私は……」
「リーン」
「い、嫌……嫌!」
我慢できずに拒絶する。
思えば、アルトを拒絶したのは初めてかもしれない。
そして、ここまで感情を表に出したのも初めてだった。
「アルトと離れたくない……」
「リーンは――」
「アルトの側にいたい」
「――もう――」
「アルトと一緒にいたい!」
「――『恋』を知ったんだね?」
「アルトに『恋』をしてるの!!」
私の絶叫が響き渡った。
周囲で食事をしている人たちが何事かとこちらを振り返るが、そんな事など気にする余裕もなく私はアルトの目を見据えている。
遅い、遅すぎる。
私はなんで自分をしっかりと見てやれなかったのだろう。
こんなにも近くに、こんなにも長く、こんなにも自分を見てくれていた親友がいたのに、私は最後まで自分の気持ちを彼に預けたままだった。
彼が気付かないのが悪い、彼が男を紹介してくるのが悪い、彼が何もアプローチしてくれないのが悪い、彼がいつも一緒にいてくれたのが悪い、彼がいつも私に笑いかけてくれたのが悪い、彼が、彼が、彼が。
でも、私の『恋』という感情を彼に託して、いつか教えてくれるのを待っていた自分が悪い。
もう、遅すぎたのだ。
叫ぶ際に思わず立ち上がってしまったが、力が抜けた事でストンと落ちる様に椅子へと体が収まる。
何が『恋は落ちる物』だ。
『気付いたら落ちてる物』じゃないか。
しかも、気付いた時には手遅れなのだ。
「……リーン」
両手で顔を覆い溢れる涙を彼に見られない様にする。
声を漏らさず、涙を見せず、彼の顔を見ず。
ただただ、彼の宣告を受け入れる。
私にはどうする事も出来ないのだから。
「俺はね、君に『恋』してるんだよ?」
だから、彼の言葉を理解しようとしても一旦体が拒絶し、脳に届いた言葉を吟味するのに数秒かかった。
「……は?」
我ながら間抜けな声だったと思う。
こいつは何を言っているんだ?
「えと、ごめんね?」
「……どういう事?」
「うん、高校の時から君のことが好きだった」
「……なんで?」
「いつも一緒にいてくれたから」
「……それだけ?」
「他にも色々あるけど、君と離れたくないなって思い始めたのが高校だった事に気付いて」
「……大学は?」
「その頃はまだ気付いてなかった」
「……いつから?」
「会社に入って3年くらい経ってから」
「……遅すぎない?」
「君も似たようなものだろう?」
「……お前には言われたくないな」
「ごもっとも」
「……とりあえず」
「何?」
「……一発殴らせろ」
「喜んで」
店を出てから思いっきりアルトを殴り飛ばした。
グーで。
――――――
「私の涙を返せ」
「それはグーパンで返済済みじゃ……」
「ぁん?」
「……どうすればいいかな?」
「お前が自分で考えろ」
「じゃあ、結婚しよう」
「……」
「駄目、かな?」
「……好きにしろ」
「ありがとう」
「……うるさい」
「でも、初めてだったんだね」
「悪かったな」
「俺としては嬉しいよ。それに俺も初めてだったし」
「ダサ」
「しょうがないじゃん、今まで彼女すらできた事なかったんだし」
「出来るかと思ってた」
「なんでだろうね?」
「知る訳ないだろ」
「それもそうか」
「それに」
「それに?」
「その方が嬉しい……」
「……」
「な、何か言えよ」
「リーン可愛い」
「ぶっ飛ばす」
アルトと知り合ってから20年。
『恋』に”落ちた”のは10年くらいで、『恋』に”気付いた”のは最近。
随分と気の長い話だ。
本当に、よくもまあこんな長期スパンで『恋』という物を理解するとは思ってもみなかった。
”好き”と”恋”は別物なのだと思う。
何故なら、”好き”という気持ちを育んでいくのが『恋』なのだと思うから。
私が『恋』を気付かぬうちに育てていたその間、親友は相変わらずで、でもそれが嬉しくて。
私はこれからもそいつの側にいて、それでいつもその横顔を眺めていく。
今後も親友だけど、それ以上の関係を加えて。
私はやっと『恋』とは何かを知れたのだから。
私と親友の恋愛事情 橘 ミコト @mikoto_tachibana
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