三人の恋人
間違いようがない。目の前にいるのはどこからどう見てもスライムだった。
「何でスライムがいるんだ?」
頭の中が疑問符で埋め尽くされる。ドラゴンは? 宿敵であるドラゴンはどこに?
「千尋、無事か?」
「う、うん平気」
スライムを見ながら千尋に声を掛ける。返事の声からどこかに怪我をしている様子はないようだ。とりあえず一安心する。
「ねえ佑真、あれ何?」
後ろから千尋が尋ねてくるが、頭の中で必死に思考していたので俺は何も返せずにいた。そしてある一つの答えを導く。
あっ、なるほど。これはあれだな。こいつがドラゴンなんだな。スライムみたいなナリをしているが、名前がスライムじゃなくてドラゴンなんだな。今回のこの世界ではそうなってるのか。何だよ、ややこしいな。はっはっはっ――。
「――って、そんなわけあるかぁぁぁっ!」
俺は思わず拳銃を地面に叩きつけてしまった。
おい、どうなってるんだよ! 話が違うぞクリス様!
今回のこの世界の課題はドラゴンを退治するというもの。スライムが出てくるなんて聞いていない。
「千尋、ドラゴンは?」
「はっ? ドラゴン?」
「ドラゴンだよドラゴン! 首が長くて翼を持ってて、牙や爪があって身体が鱗に覆われたドラゴン!」
「そんなのいないよ? いたのはそこのスライムみたいなのだけ」
自分の事を言われたからか、スライムがプルプル、と身体を震わせた。
おかしい。クリス様に言われた世界と明らかに違う。まさか、クリス様が嘘をついた? いや、それはないだろう。少し曲がった性格の持ち主だが、こんな嘘を言う程ではない。
俺が考えている間、冷静になり興味を持ったのか、千尋が近くにあった箒でスライムをつついている。その度にスライムがプルプルと反応していた。
疑問は他にもあった。それがさらに頭を混乱させている。
このスライム、どっかで見たことあるぞ?
そう。目の前のスライムに既視感を覚えたのだ。俺の記憶の片隅に、同じようなスライムの記憶が残っていた。
緑色のスライム……緑色のスライム……え~と、たしか……。
「きゃあ!」
「千尋!?」
小さい悲鳴が聞こえ、慌てて振り向いた。襲われた? と思ったが、よく見ると千尋が鼻を摘まみ箒を遠ざけている。
「何してんの、お前?」
「いや、なんか臭うなって思って、つついてた部分を嗅いだんだけど……」
千尋がその部分をこちらに向けてきたので鼻を近付けて俺も嗅いでみた。
「すん……ぐわぁ、くっさ!」
俺は身体をのけ反らせる。強烈な臭いが鼻を刺激したのだ。
「ね? 臭いでしょ?」
臭いでしょ? じゃねえよ! なんて臭い嗅がせて――。
そこで一気に俺の記憶が甦った。緑色のスライム、つついてた部分の臭い。すべてが一致する。
いや、待て待て待て。完全にそうなんだが、それはありえないぞ!? だって、こいつは――。
「ピィィィィ! ピィィィィ!」
突然、緑色のスライムが小鳥のように鳴き出した。
げっ、マズイ!
「千尋、逃げろ!」
「えっ? ちょっ!」
俺は千尋の手を引き走り出した。
「どうしたのよ、急に」
「いいから走れ! じゃないと!」
「じゃないと、って……ぎゃああ!」
女の子とは思えない悲鳴が上がり、俺も後ろを向く。
「やっぱりか!」
そこには大量の緑色のスライムが発生し、俺達の後を追いかけてきていた。
「何よあれ!?」
「あれはドリアンスライムだ!」
「ド、ドリアンスライム?」
「攻撃力は一切無いスライムだが、あいつは触れたものを全てドリアン臭くするんだよ!」
先程嗅いだ臭い。あれはドリアンの臭いだった。不用意に触れればその部分がドリアン臭くなる。人だろうが物だろうが関係なく、だ。例えば、勇者の剣等であのスライムを攻撃すれば、『ドリアン臭の勇者の剣』の誕生だ。威厳もへったくれもない。
「しかも、あいつらは単体じゃなく集団で襲う!」
「じ、じゃあ、さっきの鳴き声……」
「そう、仲間を呼んだんだ」
「で、でも、攻撃力はないって事は危険はないんでしょ? だったらこんな必死に逃げなくても――」
「アホ! 一度触れられたら二週間は臭いが取れないんだぞ! どんなに身体を洗ってもな! 堪えられると思うか!?」
「二週間!?」
そう。触れられたが最後、二週間はドリアン臭を纏って生活しなければならないのだ。物理的ダメージはないが、精神的ダメージは計り知れない。スライムでありながら、『最恐モンスター』として広まっているのだ。
「で、でも、佑真何でそんな詳しいの?」
「説明は後だ。今は逃げることだけ考えろ!」
ドリアンスライムはさらにその数を増やしていく。見た目は可愛いくせに、この数に追いかけられ、そして能力を思うとホラーよりも恐ろしい。
「きゃっ!」
「千尋!」
つまづいた千尋が倒れてしまい、すぐさま駆け寄る。しかし、そのロスが原因となり、俺達はドリアンスライムの大群に囲まれてしまった。
「くそっ!」
軟体モンスターとだけあって、隙間が一切無い。逃げ道を完全に絶たれた。
「佑真……」
「大丈夫だ。きっと何か方法が――」
「ドリアン臭くなっても私の恋人でいてくれる?」
「諦めるの早いな! もうちょっと粘れよ!?」
そう言いながらも、策が何も浮かばなかった。
どうする? ナイフで切った所で数を増やすだけだ。目の無いスライムに閃光弾は無意味だし、手榴弾で吹っ飛ばそうにも距離が近すぎる。これじゃあ、俺達も巻き添えだ。
「ねえ、佑真。こいつらに弱点とかないの?」
千尋の言うように、弱点はあることはある。こいつらの弱点は『火』。だが、この数を一掃する程の火を発生させる道具は持ち合わせていない。
万事休す、か……。
『火の精霊よ。我が命に従い、その力を顕現せよ。フレイム!』
諦めかけたその時、どこからか声が響き渡った。そして次の瞬間、ゴオォォ! と凄まじい炎が俺達の周りに発生し、スライム達を焼き始めた。
「んなっ!」
数秒後、炎は収まり、あれほどいたスライムが一匹残らず消えていた。
「危ない所でしたね。お怪我はありませんか?」
すると、頭上から一人の女の子が現れ、俺達の目の前に着地した。赤い甲冑を身に纏い、金髪でウェーブが掛かった女の子。手には細身の剣を携え、その声は凛として透き通っている。
「だ、誰?」
俺の背中に隠れながら千尋がその人物に問い掛ける。だが、俺にはその言葉は不要だった。
今の詠唱。それにその剣と姿……まさか……。
「アリシア……か?」
「えっ?」
現れた女の子が驚きながらこちらに振り向く。その顔を見て俺も驚き返した。
「やっぱり、アリシアか!」
「佑真さん!?」
その女の子は間違いなく、俺の知るアリシアだった。
「佑真さん、お久し振りです! お元気でしたか?」
「いや、まあ、元気だけど……」
アリシアは笑顔で俺に近付き、両手で握手を交わしてくる。
「悪い、助かった」
「いえいえ、わたくしにかかればスライムなど余裕で倒せます」
えっへん、と胸を張るアリシア。
「ところで佑真さん、こんな場所で何をしているのですか?」
「何って、遊んでたらスライムに襲われて――って、そうじゃない! アリシア、何でお前がここにいる!?」
「その質問は今わたくしがしたばかりでしょ?」
「いやいやいや、おかしいおかしい! だってアリシア、お前は――」
バリーンッ!
今度はガラスが割れる音が鳴り、三人でその方向を見る。
「今度は何!?」
「何だ、あのモンスターは!?」
千尋とアリシアが新たに現れたモンスターを凝視する。それは赤い立て髪を持つ黒い大きな犬だった。
あれは……レッド・ウルフ!
動きの素早いモンスターで、その素早さを生かして爪や牙で攻撃してくる厄介なモンスターだ。並の人間では相手にならない。
ドリアンスライムの次はレッド・ウルフ!? 一体どうなってるんだよ!
ドリアンスライム同様、レッド・ウルフも本来なら現れるはずのないモンスター。もう何が起きてるのかさっぱりわからない。
「グォォォ!」
雄叫びを上げると、レッド・ウルフがこちらに向かってきた。
「ぎゃあ! こっちに来た!」
千尋を後ろにやり、俺とアリシアは迎撃体勢を取る。レッド・ウルフが口を開けて跳び掛かってきた。
だが、反撃に出ようとした瞬間。
「おりゃぁぁ!」
横から気合いの声と共にまた一人の女の子が現れた。空中のレッド・ウルフの腹部に強烈な拳を放ち、そのまま地面に叩き付けた。
「やったぁぁ! 大物ゲット!」
倒したレッド・ウルフに跨がり、喜びの声を上げ派手にVサインを決めている。
「新たなモンスター!?」
アリシアが女の子に向かって剣を構える。その女の子は褐色の肌に、短いシャツに短パンを身に付け、頭には獣の耳、お尻からは尻尾が延びている獣人のそれだった。
おいおいおい、嘘だろ。こいつは……。
「ん? すん……すん……この匂い、もしかして……!」
次の瞬間、その女の子の姿が消えたと思うと俺の腹部に衝撃が走り、数メートル吹き飛ばされた。
「ぐっふぅぅおぉぉ!」
「やっぱり、ユウマっちだぁぁ!」
勢いよく抱き付きながら俺を吹き飛ばしたその女の子は、すりすりと顔を擦り付けてくる。
「ユウマっち! ユウマっち!」
「こら、やめろユーナ! 離れろ!」
「はぁぁ、この匂い、この暖かい感じ、間違いなくユウマっちだ!」
「そうだよ、俺だよ! だから離れ――イテテテッ! 背骨、背骨が折れるぅぅぅ!」
ガッチリ抱き付いたユーナがさらに力を入れてくる。
「ちょっと貴女、佑真さんから離れなさい!」
アリシアがユーナに向かって注意する。それを聞いたユーナがようやく力を抜いてくれた。
「ん~? 誰?」
「わたくしはアリシアと申します。貴女は?」
「ボクはユーナ! よろしく!」
「そう。ユーナさん、一先ず佑真さんから離れなさい」
「え~? なんで~?」
「なんでって……」
「久し振りにユウマっちと会ったんだもん。別にいいでしょ~」
「よくありません。佑真さんはわたくしの――」
「えへへへ、ユウマっち~」
「こらっ、人の話を聞きなさい!」
ユーナとアリシアが俺の腕で綱引きならぬ人引きを始める。
痛い痛い! 腕がもげるぅぅ!
「佑真が痛がってる! 佑真を離して!」
そう言うと千尋が俺を二人から解放してくれた。
「なんですの、貴女?」
「そうだよ、邪魔しないでよ~」
「佑真が困ってたでしょ。それに、佑真に馴れ馴れしくくっつかないでよ」
三人がお互いを睨み返し、ピリピリした空気に包まれる。
「はあ? 何で君にそんなこと言われなきゃいけないの?」
「そうですわ。貴女にそんな事を言う権利があるのかしら?」
「権利って……」
「まあ、貴女になんと言われようとも、わたくしには佑真さんに触れる権利がありますけどね」
「何言ってるの? ユウマっちに触れていいのはボクだけだよ」
「わ、私だって佑真に触れる権利があるもん!」
「いや、お前ら喧嘩するなよ。今はそれどころじゃ――」
仲裁に入ろうとしたが、このあと三人が言った台詞に事態は豹変する。
「何を隠そう、わたくしは――」
「ふっふ~ん、実はボクはユウマっちの――」
「私と佑真は――」
「「「恋人」」」
「はっ!?」
「えっ!?」
「ちょっ!?」
それぞれの台詞に三人が固まったように、その場の空気も固まった。辺りを静寂が支配する。
あっ、なんかヤバイ雰囲気だ。これは逃げた方が……。
そ~っ、と足音を立てないように振り向く――。
「……佑真さん、どういうことですか?」
「……ユウマっち、どこ行くの?」
「……佑真、逃がさないわよ?」
腕、肩、首をガシッ、と掴まれ、あっさりと捕まってしまった。
「いや、だから、これは……」
「「「何で他に恋人がいるのよ! 説明して!」」」
三人が鬼の形相で俺に詰め寄る。
説明しろ? それはこっちの台詞だ。
何で前異世界と前々異世界の住人であるアリシアとユーナがこの世界にいるんだよ?
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