……宿敵?

 俺は千尋を引き連れ、音がしたであろう位置からなるべく離れた。あの音は間違いなくドラゴンが現れたものだ。こんなに人が密集した場所ではいざという時に身動きができない。


 走り続けていると、ビルとビルの間にちょうどいい隙間を見つけ、俺は千尋と共にそこへ飛び込んだ。


「はあ、はあ、はあ……ちょっと、佑真何すんのよ。こんな狭い路地に連れ込むなんてどういうつもり?」


 息を切らしながら千尋が文句を言ってくる。だが、俺はそれに答えている暇はない。肩から荷物を降ろすと準備を始めた。


「全く、何か落ちたような音を聞くなりいきなり走り出すなんて。一体どうしたのよ?」


 よし、ホルダーは付けた。マガジンも入ってるし、ナイフも腰にある。


「そんな慌てて逃げ出すほど? 佑真って地震苦手だったっけ?」


 さて、問題はここを切り抜けられるかどうか。クリス様の話では拳銃の類いはドラゴンには効かない。効くとしたら目ぐらいだろうか。あとは牽制用に使うしかないだろう。千尋を守りながら果たしてどこまで持つか……。


「ぷふっ。佑真って子供みたいな所あったんだね。良いこと知っちゃったな~。これからは――」

「千尋!」


 俺は叫ぶと両手で壁を突き、その間に千尋を挟む。


「な、何よ急に。そ、それに顔近いわよ!」

「……」


 俺は黙って千尋を見つめた。


「な、何よそんな真剣な顔で……ま、まさか、佑真あんた……ダ、ダメよ! いくら人気が無いからってこんな所で!」

「千尋……」

「い、嫌! あっ、違う、嫌じゃないよ? むしろ嬉しいんだけど、出来るなら部屋とかで……」

「駄目だ。そんな時間はない」

「ええっ!? 佑真、そんなに昂って……で、でも、心の準備が……ああ、でも私達恋人なんだし、別にしてもおかしくないわよね? じ、じゃあ……ん~!」

「いいか、千尋」


 現状に緊張しているのか、千尋は目を瞑り少し唇を尖らせている。


「俺から絶対離れるなよ」

「う、うん! 私はずっと佑真の側にいるよ!」

「よし。じゃあ付いてこい」

「……ん?」


 壁に張り付いて様子を窺う。どうやらまだドラゴンはこちらまで来ていないようだ。


「……キスじゃなかったのか」

「何だ? 何か言ったか?」

「ううん、別に。はぁ~」


 なぜか千尋が深い溜め息を付く。あれかな。俺から絶対離れるな、って、ちょっとクサかったかな。呆れられたりしたのだろうか。


「もういいわ。それより佑真、あんたなんて格好してるのよ。これからサバイバルゲームでもするつもり?」


 千尋の指摘は的を得ていた。脇には拳銃を入れたホルダーが、腰にはマガジンとナイフに手榴弾が数個。たしかに今の俺の姿はサバゲーをするプレイヤーそのものだった。


「まあ、似たようなものだ。けど、今からやるのはゲームじゃなくて実践だ」

「うわぁ……成りきってる。引くわ~」


 軽蔑の眼差しで見つめる千尋。


 なぜに引く? 今から起きるのは文字通り戦争だぞ?


「ねえ、佑真。サバゲーやるなら林とかでやりなさいよ。ここは市街地よ? 人に迷惑だし、それに恥ずかしいわ」

「アホ。サバゲーじゃない。それに、ここはすぐに戦場になるんだよ。恥ずかしいなんて言ってられるか」

「はいはい、そういうのもういいから。んで、他に誰が参加してるの?」

「参加? 戦うのは俺だけだけど」

「ぼっち!? それサバゲーじゃないよ、ごっこだよ。佑真、さすがにそれは痛いわ」

「千尋、お前いいかげんに――」

「逃げろぉぉぉ!」


 すると、バタバタと大勢の足音と悲鳴が聞こえ出し、目の前の道を人の集まりが駆け足で通り過ぎていく。


「千尋下がれ!」


 俺は千尋を背中に隠す。目の前の人々は何かから逃げるように走っていた。


「えっ? えっ? 何? みんな何で走ってるの?」

「千尋、お前はここにいろ」

「はあ? 何で?」

「俺が様子を見てくるから、お前は隠れて――」

「何かのイベントかな。あっ、もしかしてたまにテレビでやってるサングラスとスーツ着た人達が追い掛ける番組の撮影とか?」

「っておおい! バカ、千尋! 戻れでででっ!」


 慌てて千尋を止めようとしたが、ホルダーのベルトが壁の一部に引っ掛かり、身動きができなくなってしまった。その間に千尋が姿を消す。


「ええい、肝心な時に!」


 身体を捻り回し、数秒後ようやくベルトが外れた。すかさず俺は千尋を追う。


「千尋!」


 大声で叫ぶが、返事がない。どうやらかなり離れてしまったようだ。


 あのバカ、離れるなって言ったのにっ!


 俺は走り出す。このままでは千尋がドラゴンに殺されてしまう。勘ではあるが、千尋が行きそうな方へ向かってみる。


「イヤァァァッ!」

「千尋!?」


 千尋の叫び声が聞こえ、その方向へ駆け出す。すると、地べたに腰を下ろした千尋の姿が見えた。路地に向かって何かを見ており、その顔には恐怖の色が濃く出ている。


「クソッ、よりによって千尋が最初かよっ!」


 まずいまずい! いきなり正面からドラゴンと対峙するとは想定してなかった。初めから標的にされたまま逃げ切れるか?


 焦りからか、どう対処するべきかの考えが浮かばず、次々と出てくるのは最悪のイメージだけだった。


「ええいっ、あれこれ考えるのはやめだ! 今は千尋を!」


 千尋との距離はあと数メートル。俺は走りながらホルダーから拳銃を取り出す。千尋の前に出てドラゴンにすぐ一発放つ。今はそれしかない。


「うおぉぉぉっ!」


 千尋の前に躍り出た俺は両手で拳銃を構え、引き金を引こうとした。


「……は?」


 だが、俺は引き金を引かなかった。恐怖により引けなかったとか、そういう話ではない。目の前の敵を見て混乱したからだ。なぜなら……。


「ね、ねぇ佑真。何、あのしたやつ?」


 千尋の表現は正しい。緑色でゼリー状の塊がぷるぷると身体を震わせいる。


「何で……が?」


 そう。そこにいたのは固い鱗、鋭い牙や爪を持つ恐ろしいドラゴンではなく、バスケットボール程の大きさの可愛らしいスライムだった。

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