世界の崩壊

 日曜日。


 俺は千尋とのデートのため、待ち合わせ場所である近所の公園の入り口で立ち尽くしていた。時刻は八時五十分で、約束の時間まであと十分ほど。暇なので何気なく公園内へ目をと向けてみる。


 園内では幼稚園児から小学生、それに連れ添った親や犬の散歩をする年寄りなど多くの人が集まっていた。この公園はそこそこ広く、遊具の数と設備も整っている。外周には散歩やジョギング用のコースも設けられているので、子供にははしゃげる遊び場、大人には調度いい運動コースとして評判が広まり、人が集まるのも頷ける。


「穏やかだな~」


 ふとそんな台詞を、まるで脳裏に焼き付けるように見ながら口にした。


 今見ている光景はごく当たり前の何気ないものだ。しかし、今後は一切眺めることはないだろう。なぜなら今日は世界の崩壊。ドラゴンがこの世界を襲撃してくるのだ。


「こんな長閑のどかな生活に異変が起きるとは誰も思わないよな、普通」


 そう。この世界に危機が迫ることを知っているのは俺一人。背中にある荷物がそれを物語っている。


「ごめん、お待たせ」


 横から声を掛けられ振り向くと、そこには千尋の姿があった。


 薄いブルーのワンピースに首元には月を型どったネックレス。腰の辺りにはベルトのようなものが巻き付いており、スカートの部分には花柄の模様に、リボンの付いた厚底の白のサンダル。俺が言うのもなんだが、普通に可愛い。


「えへへ。新しく買った今一番お気に入りの服。どうかな?」


 千尋がその場で一回転する。フワッ、とスカートが広がり、太股が見え隠れする。


「回転が遅いな。それじゃあパンツが見えないだろ」

「見せるわけないでしょ! というか、パンツじゃなくて服を見なさいよ!」


 慌てて裾を抑えながら怒鳴る千尋。


「冗談だよ。すごく可愛いよ」

「えっ? あ、うん、ありがと……」


 今度は裾を掴みながら照れ始める。だが、すぐに照れから喜びへと変わったのか、笑顔で俺の腕に飛び付いてきた。


「ねぇねぇ。早く行こう」

「ああ、そうだな」


 行き先は事前に決めていた、駅から四つ離れた市街地だ。映画館や洋服、アクセサリー店と若いカップルが好む街であり、俺と千尋も何度も行っている。久し振りのデートということもあり、自然とここになったのだ。


「??? その荷物、何?」


 背負っている荷物に気付いた千尋が尋ねてくる。当然と言えば当然か。


「まあ、大事なもの、だな」

「大事なもの?」

「後で分かるよ」

「もしかして、私へのプレゼントとか!?」

「それはない」

「即答!?」


 一瞬落ち込む千尋だが、すぐに元気を取り戻し、思い出したように千尋が言ってきた。


「そういえば、昨日の夜地震があったよね」

「地震? そんなのあったか?」

「あったよ。すごく揺れたんだよ。まるで全世界が揺れたんじゃないかってぐらい大きな。佑真気付かなかったの?」


 全く気付かなかったな。もしかしてあれか? ドラゴン襲来の前兆とか?


「すごく揺れたけど、幸いどこも崩壊したりしなかったみたいだし、問題なかったんでしょうね」


 少し気になったが、千尋はすぐに気持ちがデートの方に向いたようで、グイグイと腕を引っ張っている。それに流されるように、俺と千尋は恋人らしく、腕を組みながらデートへと向かった。


****


「ふふふっ。ホント久し振りだね。こうして佑真とデートするの」


 テラスのある喫茶店で、俺と千尋はドリンクを飲んでいた。


「ああ、そうだな」


 手元のアイスコーヒーを一口飲みながら俺は答える。腕時計を見ると時刻は一時を少し過ぎた辺りだ。


「ねえ、佑真」

「何だよ」

「何か、あったの?」


 手の甲に顎を乗せ、不安そうな、そして疑いを含んだ目で見ながら千尋が尋ねてくる。


「今日の佑真、いつもと違って変だよ」

「どう変なんだよ」

「なんかやたら周りを気にしてるし、腕時計を何回も見たりしてるし」

「そ、そうか?」


 そんなつもりはなかったが、どうやらドラゴン襲来を警戒し過ぎて、過剰にそれらを繰り返していたようだ。


「それに、この喫茶店もそうよ。いつもならファミレスとかで休憩するのに、『たまには外で休もうぜ』なんて佑真らしくないというか」

「いや、室内じゃいざという時逃げられないし」

「はあ?」

「ああ、いや何でもない」

「あと、いいかげんその荷物も教えてくれたっていいじゃない。一体何が入ってるのよ」

「そ、それも後程」


 俺は慌てて手を振って誤魔化す。本当の事を言いたいところだが、それはまだ出来ない。


 まず、ドラゴン襲来など伝えたところで信じてもらえるはずがない。千尋達この世界の住人にとって、そんな非現実な内容は笑われるだけだ。ドラゴンなどファンタジーでしか出てこない存在であり、実在するわけがない、と。


 そして、仮に信じてもらえたとしても、なぜ俺がそれを知っているのか、と問い詰められる。その事を説明するには、俺が異世界の人間であることから始めなくてはならない。そのためには時間が欲しいが、ドラゴンがいつ襲来するのか分からない状態では難しい。千尋には襲来後、時間を見つけて説明するつもりだった。


「ねぇ、佑真」


 あれこれ考えていたら、身を乗り出して千尋が俺を覗き込む。


「な、何だよ」

「辺りをキョロキョロしたり、時間を気にしたりとか、まさかあんた……」


 なっ! ま、まさか千尋のやつ、俺の考えに気付いたのか!?


「……浮気してるの?」


 あっ、違った。全然明後日の方向に考えが行ってた。


「やっぱり! キョロキョロしてたのは浮気相手と鉢合わせないように、時間を気にしてたのはこの後会う約束してるから、そうでしょ!」

「いやいや、そんなわけ――」

「白状しなさい。どんな女?」

「だから違うって」

「嘘よ。信じられない」

「俺がお前以外の女に目が行くわけ――」

「あっ、あそこにセクシーな女の人が」

「ロック・オン!」

「振り向くなぁぁぁ!」


 頭上に千尋のチョップが炸裂。その勢いのままテーブルに額を打ち付けられた。


「な~にが『ロック・オン!』よ! 直前の台詞はどこいった!」

「イテテ、冗談だよ」

「どこがよ! めちゃくちゃ気合い入れてたじゃない!」

「だから冗談だって。俺は浮気は絶対にしない」

「ほんとに~?」

「当たり前だろ。俺の中で浮気は最も最低な行為だ」

「じゃあ聞くけど、今まで私以外に好きになった女の子はいないと断言できる?」

「そ、それは――」


 できる、と言おうとしたが、途中で止まってしまう。強く否定できず、俺は頭を掻くことしか出来なかった。


「……えっ? ちょっと待って、何その反応。いや、えっ? まさか、本当に?」


 俺の反応が予想外だったのだろう。質問した本人である千尋も戸惑っている。


 千尋には悪いが俺は過去二回、恋人なる存在がいたのだ。ただし、それはこの世界ではなく別世界での話。現世界では千尋一筋だ。


「それって……浮気じゃない!」

「それは違う! 誤解だ!」

「どこが違うのよ! 私という彼女がいながら他の女の子の事好きにはなったんでしょ!」

「それはお前と付き合うずっと前の話だ!」

「えっ……何それ? 佑真、私以外の人と付き合った事があるの?」

「そ、それは――」


 ――ドオォォォォン!


 突然、近くで何かが落下したような音が響く。それから地面が揺れ始め、あちこちでテーブルの上から落ちたコップの割れる音が連続する。


「きゃあ! な、何? また地震?」


 揺れに驚いた千尋は床に伏せている。周りの客も混乱して悲鳴をあげたりしていた。


 来たっ! これが合図だな!


「千尋、来い!」

「ちょっ、佑真!?」


 瞬時に悟った俺は千尋の手を引き、市街地を走り出した。

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